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チャンネル桜の2019年【経済討論】最終警告!亡国の消費増税[桜R1/5/25] で、三橋貴明と菊池英博がMMTで論争になる。

 MMTについて知りたい方は↓の記事へどうぞ。

zunnda.hatenablog.com

 5月25日 チャンネル桜という番組の討論において

www.youtube.com

 

 三橋貴明と菊池英博の論争があった。

 この中の二時間目(毎回三時間目まである)で1:26:15において

 三橋が「日銀当座預金で外国投資はできないのに何で、銀行が外国のハイリスクな金融商品をかえるんですか?」と渡邉哲也に質問し、それに対して菊池英博が「マネタリーベースを量的緩和で増やしたが、その漏れが海外投資に使われる」とこたえたことに始まる。

 

 つまり、もとは渡邊への問いにはじまった答えを菊池が引き受けたために三橋、島倉対菊池の言い合いが始まった。

 

 ここに部分的に田中秀男も参加し三橋島倉の言っていることに対して「わけわからなくいっている」と述べたことで、厳密にいえば、三橋島倉 対 菊池田中渡邊 となった。

 

 

 正直、この議論はMMT対主流経済学の戦いになっており、私としては興味深くみていたのだが、どうもMMT側の人間はMMTが絶対に正しいと思っているところが鼻についた。

 

 更にいうと、最初の問い「海外の商品を何でかえるの?」から外れてしまって「量的緩和政策は間違いだったんだよ」といいたいために菊池渡邊が困惑してしまったことに問題があると私は思っている。

 

 

 高校数学で、大問一に(1)(2)(3)という問題があるのを見たことがあるだろうか。

 大学入試でよくある問題の形式である。(1)で出した答えを(2)で使う際に必要となるパターンは頻出で、(1)が正しく答えられていないと(2)も間違ってしまうのだが、今回の三橋島倉の菊池に対しての反論は(1)に対してのこたえではなく(2)のこたえをしてしまったことに問題が混雑してしまった理由がある。

 

 つまり、この二人はリフレ派批判やQE批判をしたかったので、(1)の答えをいわずに、(2)にいってしまったのである。

 

 さすがに浜崎洋介はこれに気がついたのか三時間目において問うた。

 2:23:09 をみてもらいたい。ここで浜崎は(1)でこたえるべきだった

問いを繰り返すのである。これは実に素晴らしい問いだとおもった。

 

 というのは私も、三橋島倉がこの問いにこたえずに(2)にいったとおもったからである。

  

 

 そもそもMMT の問題は翻訳書がでていないということを思い出そう。

 

 日本に研究者がいない。いるのかもしれないがわたしはしらない。

 

 ちなみに中野剛志が講演会でいってたことだが、彼も探したみたいだがみつからなかったようだ。

 

 そしてこれは、我々は誰かがMMTについて述べていたとしても、

それはMMT の研究者によるものではないことを意味している。

 

 すなわち、三橋貴明藤井聡、中野剛志を筆頭とし、そのあとに彼らの仲間である島倉はじめや室伏健一などが続くが、彼らもMMTの研究者ではない。

 さらにいうと翻訳書がないためどれだけ正しいのかも判断できないうえにしにくい。

 

 そう考えると、何が何でも彼らが正しいということはいいきれなくなっている。確認しようがないからである。

 

 現にMMT界隈の人間は中野や三橋のMMT論についてその不十分なところを嘆いていたわけである。今でこそ三橋は自分がMMT を完全に理解しているという体で喋っているが、初期の段階ではOMFのはなしすらなかった。

 

 さて、MMTは三月あたりから日本にその話題がはいってきて、二ヶ月目といったところである。

 

 この間、様々な論争があったが、先に述べた彼らをのぞくと誰がMMTに賛同しているのかは判然としない状態である。

 

 今回わたくしがこのチャンネル桜の経済討論をみておもったことは、菊池英博や田村秀男などが主流経済学派だから愚かである、とおもったのではない。

 

 三橋や島倉のいうMMTは世界中で多く受け入れられた物ではないということを、彼らが忘れているということであった。

 

 別に大勢の人間が支持しているから正しいとはいわない。

 しかし、正しい正しくないかは別として、大勢の人間は主流派なのであり、三橋や島倉はMMT を広めなければいけない少数派なのである。

 

 となれば、菊池と討論になった彼らが菊池がMMTの見解をもっていなかったとしてもそこまで怒ることではない。

 二ヶ月前に話題になり、翻訳書もないMMTを全力で支持し、あがめ奉っているほうがむしろ異常なのである。

 

 この放送を見た人は、MMTを支持しないなんて信じられない!とおこるかもしれない。

 しかしながら、そういう人は自分の専門分野について一度かんがえてみるといい。

 もしあなたが、十数年以上、とある職種で働いており、入社して二ヶ月ぐらいの若者に、あなたの考え方は間違っている!といわれたら、あなたは新入社員の考え方を素直に受け入れ、考え方をその日のうちにかえるだろうか?

 

 仮に若者の考え方が正しいと思っていても、そんなにすぐに変わることはできないのではないだろうか。

 

 それが普通の人であるし、わたしはそれがおかしいともまったくおもわない。

 むしろ、十数年による経験や見識が、間違ってるといわれて、すぐに訂正できる人間のほうが普通に考えたらおかしいのである。

 

 三橋貴明はブログで、この動画のyoutubeのコメント欄をみて、

一般の人のほうがMMTについてわかっていると書いたが、これは当たり前である。

 

 一般の人は別に経済学を学んでなどない。

 

 つまり、経済に関する職歴、知識がゼロの人間であり、白い紙に水をたらしたら一気に吸い込むのと同じだ。

 それは今までの経済学と比較した上で納得しているのではない。

 ゼロだからそのまま信じ込み、MMTを信奉した、というだけである。

 

 そこに判断力はあるのだろうか?

 

 しかし、菊池や田村はちがう。彼らはずっと前から経済を学んでおり、そのなかでの時間や経験をもった人たちなのである。

 そういう人たちに急に新しい考えに切り替えろと要求しても変わるわけなかろう、それが人間というものである。

 

 正しいことをいえば相手がすぐに切り替わると思うのは小中学生ぐらいまでではないだろうか。

 

 だからこそ我々は説得術や討論の作法というものがあり、相手に対して一定の敬意をもちつつ、時間をかけて自分の考え方を述べるのである。

 

 三橋は明らかにこの点において欠陥がある。おそらく、三橋が菊池に怒りをぶつけていたときに、上念司や高橋洋一田中秀臣などのリフレ派の連中の顔を思い出していたのだろう。

 

 しかし、菊池はリフレ派とはちがってもとから財政拡大を訴えていたし、新自由主義にも反対している人物であり、彼らとは全然違う。

 

 つまり、三橋のリフレ派に対する怒りを菊池は今回、一気にぶつけられてしまったわけで、かわいそうだなとおもった。

 

 もしこの討論に高橋なり田中なり上念なりがでていれば、怒りの矛先が菊池に向かうことは今回よりもすくなかったであろう。詮ないことであるが、事実であろう。

 

 MMT側の人間が、自分たちがせめるチャンスがきたと大喜びしてはしゃいでしまうのはわかるのだが、冷静に広めなければならない。

 日の目を浴びて欣喜雀躍とするのもいいが、人に教えるときは脅したり小馬鹿にしたりしてはならない。

 

 私は三橋貴明の考えについては基本的には支持しているし、結局、中野藤井三橋が正しかったのだろうな、とアベノミクスの顛末をみるとおもっているのだが、比較的考え方が近い人間同士でも、ここまでやりあうとなると、そらあ、財務省も考え方をかえないだろうな、とおもった。

 変えたらどれだけ馬鹿にされるかわかったものじゃない。

 

 今まで、日陰にいた人間達が勝機をつかむやいなや、今まで虐げられていた恨みを晴らすために必要以上に逆上し、相手を懲らしめようとしているようにしかみえない。

 ちなみにだが、この感情を私は高校一年生のときに『夜と霧』という非常に名高い本の終章で理解した。

 

 もとより、チャンネル桜の経済討論はここ一二年は結論がおなじである。

 

 すなわち「減税して、はやく財政出動をしろ」がこたえで、視聴者も出席者も答えがわかっているが、政治が動かないから、討論内容も変わらないのであった。

 それがMMTが話題になったので、MMT を語る人間と語れない人間との争いにうつった、というところである。

 

 しかしながら、MMTが話題になったのはここ二ヶ月であり、海の物とも山の物ともつかぬというのが今まで経済を学んできた人間の見解なのである

 

 もう一度いう。自分の専門分野で二ヶ月前にはじめて話題になったものに飛びつき、その意見に鞍替えするような専門家などそもそもいるわけない。

 

 つまり、わたしがここでいいたいのは、MMTが正しいか正しくないかというよりも、その考えを本人が受け入れるか受け入れないかにせよ、人が自分の考えを変えるには時間がかかるといいたい。

 

 これは三橋貴明自身もそうではないだろうか。

 

 みな忘れているかもしれないが、三橋貴明は『富国と強兵』を2016年12月09日のブログに

 

 「中野氏は本書の中で、いわゆる「経済学」の間違いを証明し、地政学との融合を提唱されています。(というわけで「地政経済学序説」なのです)特に、前半の「財政問題」(の嘘)に関する部分は圧巻です。」

 

という記述があるのだが、彼は第三章を読んでおり、

そこにMMTの記述があったにもかかわらず、MMT については全く触れていないのだ。

 

 つまり、三橋貴明はこの段階に置いてはMMTにさして興味がなく、自説に近いものだともおもっていなかったのである。

 

 もし彼がこの段階でMMTにかいてるのならば、私はなんともおもないが、2019-03-14 の記事ではじめて三橋はMMTについて語りだすわけだ。今年、騒がれてからである。

 

 これが何を意味しているか。

 

 つまり、三橋貴明自体がMMT を摂取し、自分のものとして使うまで『富国と強兵』で知っていたのにもかかわらず、二年以上の月日を要しているのである。

 

 その間に、中野三橋藤井の間でおそらくMMTについて何度か語る機会があったとわたくしは想像する。

 それゆえに、三橋は今年の三月から積極的にMMTを推すようになったわけだ。

 

 これでおわかりだろうが、MMTMMTといっている三橋ですらも二年かかっているのだ。

 だから、田村だとか菊池だとかMMTについてしって二ヶ月にしからならない人たちに「なんで、おまえらMMTがわかんねえんだよ!」と思ったところで私にいわせれば説得力がない。

 

 それをいうなら、『富国と強兵』の段階でMMTを知ったはずなのに、なぜあなたはなにもいわなかったんですか?とききたい。

 

 この点、指摘しておくべきだと思ったので私の放送で述べておこうとおもった。フェアじゃないのである。自分は二年かけておいて、どうして他人には数ヶ月しか時間をあたえないのか。

 

 ちなみにいっておくが私は三橋アンチでもなんでもない。どちらかといえばMMTシンパだが、同時に流行っているものの勢いにのって調子づいて、他のものにたいしてマウントを取る軽薄な行為がきらいなだけである。

 

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