声優とは何か
もはや述べる必要もないかもしれません。声優とはアニメや映画の登場人物に声を吹き込み生命を与える仕事とのことです。近年アニメの数は膨大なものとなっており、毎年百本ほど。*1
更にソーシャルゲームなどを含めると非常に多くの仕事が声優達に与えられていることになります。
無論、この流れから若い人たちの声優という職業への興味は募るばかり。
専門学校、養成所、劇団にお金を払って通う方々が年間三万人もおられるようです。
しかしながらこの仲から声優になれるのはわずか一%ほど。実に狭い道だといえましょう。
隆盛した業界ながらも声優になることはこれだけ厳しいといえますが、この本の著者である関智一氏(機動武闘伝Gガンダム ドモン・カッシュ役やドラえもんのスネ夫役やFate/stay night のギルガメッシュ役など)は多数の有名作品で主役から脇役まで幅広く多種多様な役をこなしてきた彼ははどのように声優になったのか。声優に必要なものはなんなのか。
そして、これからの業界をどのようにみているのか。気になりますね。
では、第一章から第五章までの重要な点を抜き書きしていくことにしましょう。
- 声優になるために必須の気構え
- 養成所に入ることが大事だが、どう振る舞えば成功しやすいか
- 声優に於いて努力するとは何なのか。声優の芝居とは何が正解か
- 声優になれた後に競争が始まる。生存競争で生き抜くには何を意識すれば良いか
- 声優になってから25年間。声優として自分は何ができたか。何をするか。
- 読了してみて
声優になるために必須の気構え
「アニメやゲームが好きだから声優になりたい」では話にならない。
とのっけから関氏は言います。関氏はアニメやゲームに吹き替えする仕事意外にも
講師としての仕事をすでに十年以上やっておられます。その中で志望者によくいわれるのがアニメやゲームにハマっていたから声優を目指したといった内容らしいのです。
しかし関氏はその程度の考えでは声優として生きていくには足りないといいます。
声優になるには「異常に好きでなければいけない」と。それこそ寝食を忘れて、激しく没頭し、無我夢中になって自分の人生と声優とがピタッと一つになるほどの熱意がなければいけないのです。
しかし、関氏は「実は自分も最初はナメていた」と続けます。これだけ有名な関氏でも当初は軽い気持ちで声優を目指していたようです。
関氏は勝田声優学院に一六才の頃から通い始めます。
ナメた意識、それが変わったのが声優の勝田久(『鉄腕アトム』のお茶の水の声優)に演技を酷評されてからだそう。ここで関氏は養成所にいかなくなり、不登校になってしまいます。
しかしあるとき、水鳥鐵夫(『キン肉マン』のブロッケンJrの声優)が代行授業をしており、そこで詩人である山村暮鳥の「おうい、雲よ」を詠み上げたところ、水島氏に「見所がある」といわれ、絶望から心機一転、奮起するようになったとのこと。
人間が変わるとき
ここで面白いことは、二つありますね。
一つには「人間は少しでも認められれば、ヤル気が出る」
二つには「見る人によって、評価が違う」
ということです。
関氏はそれまで自分の選択に絶望し、登校拒否に陥り、ゲームセンターなどで暇つぶしをするぐらい堕落していたわけですが、水鳥氏に軽く褒められただけで、その気持ちが切り替わるわけです。水鳥氏からしてみれば、何の気なく褒めただけなのかもしれません。しかし、それでも自信喪失をしていた関氏にとっては価値のある一言だったわけです。
二つ目に関わることですが、代行授業でたまたま水鳥氏がいらしたからこそ、こういった事態になったわけです。もしこれが勝田久氏の授業で山村暮鳥の詩を読んでいたらどうだったでしょうか?もしこれが水鳥氏以外の講師がいらしたらどうだったでしょうか?
つまり、ここで関氏にとって明らかな転機が訪れたわけです。しかし、その転機とは
運や奇跡ともいうべき外的な要因によって成り立っているわけで、人の人生とはちょっとしたもので全く違う方向に舵を切るものだと驚かされます。
まさに水鳥氏は関氏にとっての伯楽だったといえましょう。
こうして関氏は次のように続けていきます。
「まわりが道をつくってくれる条件」
上述したように声優になるためにはなりたいというヤル気が必要です。
しかしヤル気と成功とは違いますね。ヤル気だけでは成功するとは言いがたい。
けれども関氏は次のように言っておられます。
「ヤル気を出して、何年か後の青写真をしっかり頭に描き出し、あらゆる事に対して積極的に自分を関わらせるようにする。そうすると、ひょんなことから仕事や誘いが来るようになる」
つまり、具合的な声優人生の計画をたてながら、周りの人々に「俺はあの作品が好きだ。あの人がすきだ。あの商品が好きだ」と吹聴しているとそうったところから声がかかるようになるというのです。それがヤル気がもたらす結果なのだと。熱意があれば人から助けてもらうチャンスを得やすいと。
零れゆく砂時計の砂をイメージするとわかりやすいとおもいます。
一粒一粒を私たちは意識することはできませんが、この一粒が私たちに新しい力を与えてくれるものなのかもしれない。それを掴むことができるように心がける必要があるということです。
ところで、声優ってどのくらい稼げるの?って思いませんか。
第一章の末尾で声優のアニメ一本あたり報酬が書いてあります。
なんとジュニアランクで*2一本、
15000円!
高額ですね。声優の場合、一言だけしゃべろうが十分しゃべろうが報酬は同じですからこれは仕事量を考えなければ相当いいお仕事のように感じますね。
しかしそうはいかないの現実。実際は事務所へのマネージメント代や源泉徴収で惹かれることによりもう少し下がるようです。が、それでも高額なことには変わりないと思われます。
週に四本、仕事があれば約25万円。事務所に二割ひかれ、源泉徴収で一割ひかれたとしても計17万は残るわけで、なんとかやっていけますね。
問題は週四回も仕事があるかということで、当然、若いうちはバイトが必須になる仕事らしいです。
ただし人気作品になればイベントやドラマCD等に派生していく可能性があり、それらの報酬は交渉次第なので、案外、稼ぐことができるとのこと。
問題なのはジュニアの三年間が終わったあとのことです。
声優はランカーと呼ばれる存在になります。このランカーは45ランクあり、15ランク目からスタート。15000円の収入ですが、ここに二次使用料が加算されていくので、もっとお金がもらえることになります。
しかし、当然、アニメ制作委員会としては安くすませたいところ。ランクがあがればあがるほど、人気がでなかった声優は仕事の機会を失うことになるらしく、その結果として「ジュニアわたり」というジュニアに戻って15000円という最安値で使ってもらうことを選ぶ声優がいるとか。
つまり、三年ぐらいで何とか有名声優の仲間入りをしないと、その後の生活がつらくなってしまうというたいへんシビアな世界の一面がかかれております。
養成所に入ることが大事だが、どう振る舞えば成功しやすいか
ここからが第二章です。声優になるためには養成所や専門学校に入るというのが一般的です。
事務所って何なの?
みなさんはこの二つの違いをご存じでしょうか?答えは以下の通りです。
・養成所は声優の事務所と繋がっており、養成所を卒業すれば所属できる
・専門学校は事務所とのつながりがないため卒業後は事務所を探すことになる
というわけで、どう考えても専門学校より養成所に通った方がうまくいきやすいですね。
これは大学院で考えるとわかりやすいかもしれませんが、自分の出た大学の大学院に入ることは容易いが、そうでない場合はかなり厳しいというのと同じです。
養成所が勧められる所以ですね。関氏はどちらでもいいといっておられます。
それは本人のヤル気次第だと。
さて、養成所と専門学校を含めて声優学校と呼ぶことにしましょう。
その声優学校で学ぶことは、「発声」「肉体を鍛えること」「台詞と体とをつなげること」らしいのですが、ここでは声優になるために学校側が何を見て、生徒を評価しているのかについての文章に着目することにします。
やはり、マネージャーと講師では意見が分かれることがあるらしく、
マネージャーは即戦力になるような人物を。講師側は生徒の姿勢を求めるようです。
講師は生徒のここをみている
関氏は講師も務めておられます。彼にいわせると、「演技の水準はどれもこれも似たり寄ったりである。最初、下手でも気にする必要はない。けれども、そこで自分が舞台にたっているつもりで真面目に演技をしてくるような人間は伸びしろがある」とのことです。
姿勢が評価の基準というわけですね。
やはり自分でどうにかするという態度が大事なようで、続けて「モチベーションが低い人すぐに講師のせいにする。あの人は何も教えてくれない、と愚痴って自分ではその講師の元にききにいくことはない。そういった他人任せな人で声優になれた人などいない」と書いておられます。
結局、声優には技術も要るが、それ以上に、第一章で述べられたようにヤル気がかかすことのできない要素みたいです。考えてみればどの業種であっても、ヤル気がある人間にはかないませんが、そのヤル気とは、まわりと積極的に絡んでいくことを指していることに注意が要ります。ヤル気があっても内向的ではダメということです。
遡りますが第一章目に「内向的であるならばなおさなければならない。コミニュケーションをとれないと声優の世界ではチャンスを失う」といったことが書いてある文章もあるので、本を購入なさった方は読んでみてください。
声優に於いて努力するとは何なのか。声優の芝居とは何が正解か
ここから第三章にうつります。
第三章は関氏がどうして声優を目指すようになったのかというところから始まります。
どうして関氏は声優を目指したか
氏は『秘密戦隊ゴレンジャー』をみたこと、友達に沢田研二のモノマネをしてうけて目立ってうれしかったこと、子供の頃になりたい職業を色々いっていたら父親から「役者になればすべてできるよ」といわれたことを述べておられます。
そして、ある程度、年齢を経たとき自分の顔では役者は無理だが、声の仕事に限定すればいけるかもしれない、と思い立ち、勝田声優学院に入学したということです。
さて、第一章でも触れたように関氏は水鳥氏にほめられたことで学校に継続して通うことになりましたが、新しいことをどんどん学ぶためにかなりきつかったようで、自分の演技が評価ないことも多く、少し腐りかけていたようです。
水島先生という恩師
そして、二年目、ほめてくれた水鳥氏のクラスに所属することになったときに氏から衝撃的な一言をいわれてしまいます。
「君はね努力をしていないでしょう、だからだよ」
これは結構、ショックだったでしょうね。なにせ水鳥氏は関氏が学校に留まる要因をつくってくれた人物でした。その氏からこんなことをいわれるとは。
しかし、関氏はその言葉をうけて、周りを見渡しました。
すると、自分より演技がうまく評価されている学友はどの人も常に演技のことを考えており、日々邁進している人たちばかりだった、ことに気づかされるのです。
再び関氏は気合いを入れ直します。この日から、一日中「演技とは何なのか」を
考えるようになります。
また水島氏は努力した関氏をほめてくれたようで、ここでも水島氏の名采配とでもよぶべき講師としての能力に驚かされますね。
また、自分が下手くそな演技をした際に水島氏に謝りに行ったところ
「どうして、僕に謝るんだ。謝るなら、声優になりたいと思った昔の自分に謝れ」といわれ、努力を継続しつづけることの大切さを知ったとあります。
水島氏こそまさに関氏の先生というにふさわしいかたなのでしょうね。
実際、関氏は「水島さんに認めてもらいたくて声優として頑張っていた」と記しておられます。
その後、関氏は学校を卒業しますが、お金をはらって水島氏の授業に出続けたとあります。
当時、野沢雅子氏(『ドラゴンボール』の悟空の声優)も講師を務めておられたようで、お金がないために授業に出られない関氏でしたが、どうしても野沢氏の授業にでたいと積極的に申し出たところ、指導はできないが見学なら許す、といって野沢氏は認めてくださったようです。寛大ですね。と、同時に関氏の自発性がいかされた事例でしょう。
俳協という事務所に合格した関氏は苦労しながらも半年通い、四〇〇人いた入学者の見事11人に残ることに成功します。凄いですね。これだけの厳しい関門をくぐり抜けるとは。おそれいります。
ハートがない演技ってなんだ?
しかし増岡弘(『サザエさ』さんのフグ田マスオ役)に
「君の芝居は上手だけど、いい芝居ではない。ハートが感じられないよ」といわれてしまいます。
いやあ、次から次へと叱責が飛びますね。声優志望者でこの記事を読んでいる皆さん、たえられますか?この本にかかれていることは関氏が講師からうけた批評の極々一部だとおもわれます。おそらく、この何倍も怒られたり演技を酷評されたりしたのでしょうね。
さて、この増岡氏による批評から、「演技ってなにをすれば正解なのだろう?」と再びなやむ関氏でしたが、なんとか選抜をくぐり抜け事務所に所属される定員三名のうちの一人に選ばれたのでした。すごい!
そして、増岡氏によるハートが足りないという言葉から五年後、関氏は同窓である長沢美樹さんたちと演劇『電波ヒーロー』をやるのですが、ここで掛け合いをしているときに長沢氏から「台詞のかけあいができてない」といわれ、激高してしまいます。
しかし、もしかするとこの状態で臨めばいい演技がでるのでは?とおもい、舞台に立ったところ、自分のなかでモヤモヤしていたハートが足りないといったところが
解った気がした、という状態にまでなったとのことです。
やはり問題というのはいわれてすぐに解決できるものではないのですよね。
時間がかかる。答はすぐにはみつかりませんね。
努力と失敗とを繰り返す、このことにつきるのかもしれません。
声優になれた後に競争が始まる。生存競争で生き抜くには何を意識すれば良いか
さて、第四章です。
飯を食うために何をすれば良いのか
声優になった関氏はCMの仕事を皮切りにアルバイトもしつつ、徐々にこの業界で飯を食うための方法を考えるようになっていきます。演技についてだけでなく、実際の生活をどうすればいいのか、糊口を凌ぐ必要があるからです。
事務所に所属している以上、初期の段階で重要になるのはマネージャーだといいます。
大手の声優事務所では声優は自分の顔をマネージャーたちに覚えてもらうために毎日事務所へ行いきます。これを日参と言い、仕事をくれる人々に対してのコミュニケーショーンの一環というわけです。
少し嫌らしくみえるかもしれませんし、ブラックではないかと思われた方々もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし大手事務所には多くの声優達が所属している以上、マネージャーとして働いている方がも全ての声優の顔と名前とを一致させることは非常に困難なはず。
黙っていれば餌をくれる親鳥のような人など都合良くいるはずもありません。
こういう行動が豊かな未来への足がかりになるのであれば率先して動くのは当たり前と言えるでしょう。
関氏が若かった頃も、日参し、自分は暇であるから仕事をくれ、というふうに事務所に入り浸っていたようです。
そして、ジブリ『海が聞こえる』や『機動戦士Vガンダム』などに出演し、細かく端役をもらいながら、色んな先輩に忠告されたり怒られたりしていたそうです。
ちなみに最近の声優はそういうことは少ないらしいです。事務所の先輩が後輩に指導するという方向性に変わっているのですね。
声優はどうやってお仕事を貰うのでしょうか?オーディションとその中身
答えは簡単、オーディションによって得られるのです。
声優は事務所からオーディションがあることを告げられて初めて仕事のきっかけを得ます。勝手に自分で仕事を取りに行ってはダメです。
この間、闇営業の話があって世間で話題になりましたが、あれと同じですね。
選抜方法は条件がないものや何人かを指名して行われたり、事務所に所属声優が多い場合は事務所内で選抜した方々のみオーディションを受けたりするようです。
自分が受けた役と違う役をもらうことも多いらしく、関氏の場合は『エヴァンゲリオン』において、主人公である碇シンジ役を受けましたが、貰えた役は鈴原トウジでした。
最近はテープに声を吹き込んで、それを送り、審査されることが多くなったそうです。会場準備の負担や費用を抑えるためでしょう。今ではインターネットを経由して声を送ることが気安くできるようになりましたからね。
オーディションに受かるコツとしては「自分なりにやる」ことらしいです。あまり役にはまるようにしすぎても自分の個性が出ず、逆に落とされやすかったとのこと。
新人の場合は初期に動くことが特に大事で、100本受けて、一本も受からない人も普通にいるらしいですから、とにかく数をこなすしかないのですね。
声優になった関氏はデビューして二年目で『機動武闘伝Gガンダム』でドモン・カッシュを得て、見事に有名声優の仲間入りを果たします。
声優志望者で声優になれるのが1%、なってから生きていけるようになるまで5%の世界ですから、二年目であのガンダムの主役に選ばれたことは栄誉でしょう。
声優としてアイドル活動することの是非
その後は子安武人氏がプロデュースした『ヴァイスクロイツ 』でアニメだけでなく歌を歌ったりイベント出演をするようになりますが、マネージャーからいわれたのが
「演技ができない、軟派な奴と思われるようになるよ」ということでした。
これは今でもよく言われる批判ですね。アイドル活動している声優は演技力が低く、
歌を歌ったり踊りは踊れても、肝心の演技は棒読みの奴だろう、と。
関氏はやるやらないは個人の自由で如何とも判断しにくいところ、と仰います。
私、ズンダが考えるには、生き残ることが難しい声優業界に於いてはとにもかくにも名前を売り、少しでも飯代を稼ぐことが重要だと思われますので、どんな仕事だろうが果敢に挑戦した方が良いと思われますね。
実際、昨今のアイドル声優達をみていても、アイドルとして活動し、知名度をあげてから仕事を貰っている機会というのは多いです。
そもそも、そこでアイドル活動をしなかったら早々と消えていた可能性すらあるのですから、仕事を引き受けない理由がないと思いますね。
そんなこんなで売れ始めた関氏は徐々に増長し、作品にケチをつけたりするようになってしまいます。
どうやら売れた声優によくある病らしく、仕事をもらえることが当たり前になりだすと、ついつい有り難みが薄れてきて、不平不満をいうようになるのですね。
こんなときに貴重な意見をくれるのが両親や友人で、彼らの意見をちゃんと受け止めることができるかで増上慢を抑制できるようになるといいます。
なぜ声優は人気がなくなり、最後には消えてしまうのだろうか?
悲しいことではありますが、どんな有名声優も数年は盛んにレギュラー番組に出て、
毎週何本もアニメにでている時期があります。
新人が毎年200名も増える業界です。綺羅星の如く光り輝く新人も何名かはいることでしょう。
しかし数年経つとパッと消えて、そのまま名前すらみえなくなります。
関氏はこれについて「結局、かわりがいくらでもいるからです」と述べます。
試行錯誤しなければ飽きられてしまう。新人のキラキラした若さにかなわず、干されていってしまう。演技は常に見直し、自分を進歩させなければだめなのだといいます。
声優になってから25年間。声優として自分は何ができたか。何をするか。
関氏は今になってようやく声優を楽しめるようになったようです。
競争に次ぐ競争で疲弊しきってしまい、若手と同じ速度で活動するには精神的にも身体的にもきつい。
しかし、振り返れば自分には自分で築き上げてきたものがある。一歩ひくことで新しい自分の切り口ができるかもしれない。
加齢に伴う心身の変化を演技に利用していけばいい、そう考えおられるそうです。
いい声って何だ?
声優志望者の誰もがなやむところでしょう。そもそも声優に大事なのって演技よりも声質なのでは?と。
関氏曰く「どんな声でもよい。なやむな。大事なのは声ではない。口調である」
声にはその人の為人(ひととなり)が現れる。自信がない人がかっこいい役をやっても弱い人のようにしかみえないし、自信があれば声が悪くてもかっこうよくきこえてくる。
いい声は精神的な部分で補える、といいます。
声優として何を自分は残せるのか。
いい声優ってなんだろう?と思っても難しいと関氏はいいます。
「親から子へ、子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いていく。それが本当の永遠だと、俺は信じる」
という言葉を引いて、「今まで色んな先輩や仲間の役者からお世話になってきた。それらの集積として自分は今、声優として生きている。これを次世代の人々に伝えることが声優としていきた証として後の世にまで残ることなのかもしれない。」といっておられます。
声優になりたい皆さんへ
さて、最後になりますが、声優になりたい理由について関氏は語ります。
「要するに声優になりたい理由は、実はなんでも構わなくて、それを実現するために、その理由や自分にとっての声優になる必然性を、どれほど真剣に考えたり、想像しているのかが大事なのです」
つまり、声優になるための理由というのは実際はそこまで大事なことではありません。問題は、なりたい人が声優に成れて、声優として生計(たつき)をたてていけるか、そこが重大事なのです。
ここまでの縷述でわかるように、考えるべき事は演技についてだけではありません。
どうやって仕事をもらえばいいのか、どうやって人とつきあっていけばいいのか、どうやって能力をのばせばいいのか。よくよく考えてみれば社会に生きているどんな人たちにも関わる問題と何ら変わらないのです。
声優という仕事が一般にはよく理解されていないがために、なろうとする人々は「目指す理由」ばかりを執拗に考えてしまいます。それは親や友人や先生、あるいは見知らぬ誰かを納得させるためでしょう。
ですが、声優もその社会の中で鼓動している一つの職業なのです。
だとすれば、声優志望者が真に考えなければいけないことは、
自分は人生を生きていくことができるのだろうか?
ということになります。
もっと当たり前の常識を最初に思考すべきです。
在邇求遠(邇きに在りて遠きに求む)という言葉があります。
ここでいうならば
「声優になりたい理由を探すために、そもそも人間は職業関係なく、生きていかなければならないという現実を忘れて、声優になる、という理想だけがぽっかりと浮いている」ということです。
読了してみて
この本に書いてあることは、声優志望者に対して声優のありのままの姿を見せることにより、声優だって他の人と同じ人生を歩んでいるんだよ、ということを示しておられるのではないか、そんな気持ちになりました。
我々は声優という職業を特別扱いしすぎて、そこで働く人々を変わった存在だと思っている。
しかし、蓋を開けてみれば声優も、サラリーマンや学生などと同じで、やはり人間同士の付き合いや悩みなど普遍に通ずることがわかります。
もしよかったら、皆さんも、本書『声優に死す』を手に取ってみてください。
人生を感じられるはずです。
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ちなみに、当方のブログで「」でくくってある部分は書中にある言葉をそのまま写した物もあれば、二頁のほどの内容を要約してまとめあげた部分もありますので、よしなにお願いします。