「あの人ってもてるよね」
「俺、全然モテないんだよお」
どっちも聞いたことがあるとおもいます。
異性に相手にされる人とされない人、いったいどういう違いがあるとおもいますか?
それを社会学的に分析した本が山田昌弘『モテる構造』になります。
山田氏といえば著書『パラサイトシングル』で有名ですね。97年に話題になったことばですから、今から二十年以上前!
こうしてみると、この頃から結婚もせず親と一緒に過ごしている人が急増していったのかもしれません。
理由は様々あるでしょう。
しかし、今回の本は「もてるもてない」という中学生ぐらいの若人でも気にしてしまう問題に山田氏が切り込みます。
社会学的にいえばモテるとは何なのか。
皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
加えてこの本は、フェミニストやジェンダー論者に対しての宣戦布告ともいえる書物でしょう。
女性が苦しんでいる、としかいわない彼らに対して山田氏は懇々とその間違いを説きます。男性の苦しみについて語らないのは不公平である、と。
と言うわけで、この本はLINEの送り方や何処に食事を誘うか、デートの仕方は?などを書いた本ではありません。あしからず。
フェミニスト達への違和感
初めに山田氏は「ジェンダ-論」を学んできたことを告白し、次のように述べます。
女性がジーンズをはいてもおかしくないのに、男性がスカートをはくと奇異な目で見られるのはなぜだろう。オリンピックの種目に、女性のレスリングやマラソン競技はあるのに、男性のシンクロナイズド・スイミングはない(中略)私たちは、日常生活のあちこちで、女性にはOKだが、男性はダメという現象に出会う。だけれども、それを差別と言ったり、改善すべきという意見を目にすることはめったにない。
これが最初の一ページ目から書いてあるのをみたとき、私はドキッとしました。
確かにそうだ。私たちは女性の権限を認めろ、広げろ、という意見は山ほど聞く。けれども、男性の権限については何も聞いたことがない。
「ジェンダー論者」は女性のことばかりはなすが、たとえば男性がスカートをはく権利を!などとはいうことはありません。
男女の非対称性
そこで山田氏は「男性がスカートをはくことに対しての違和感や感情が我々の中にある。ジェンダー論では、感情から人を分析することをできていない」といい、「モテるモテないもこの感情を分析しようではないか」との結論に至るのです。
たとえば、「女性の社会進出!」という言葉はききます。
しかし、「男性の専業主夫をみとめろ!」という意見はフェミニストへの反論の際に出される程度であって、大々的に述べておられる方は数えるほどしかおられません。
田中俊之氏が『男が働かない、いいじゃないか』(講談社+α新書)でそういったことをいっておられたぐらいですね。
ということで、男女は平等ではなくて、男女で非対称的なことがある、と山田氏は豪語します。この「非対称」はこの本における鍵になっております。
非対称を前提として男女のもてるもてないを考えなければ実態は摑めない。男のモテると女のモテるとでは中身が違っているのです。
ちなみに第六章は似非心理学というか、正直、価値があるように思えなかったので紹介しません。第七章も、つけたり、でしかないとみて、紹介しません。
では、中身をみていきましょう。
第一章で重要な部分は男女の「非対称性」という発見です。
男女に於ける非対称ってなあに?
- 男から見た男→力関係。社会的地位の差。友情も同列の間に存在する。
- 男からみた女→「美」によって決まる。女が美しいか美しないかが最も大事。性的魅力。
- 女からみた男→「力」と「やさしさ」社会的地位が高いこと、そして自分に対してやさしいことに価値がある。
- 女からみた女→研究結果なし。ジェンダー論でも論文が少ない。女が女をどう思っているのか明らかでない。
さて、ここまでみたところで、この4つ関係性において気づかれたことがあるかと思われます。
それは1から4のどれをとっても、他と入れ替えることが出来ないという事実です。
男性が求める女性の理想像は、女性が求める男性の理想像と違います。
Mr.RightとMs.Rightは異なるわけです。
これを非対称性といいます。
簡単な例をあげましょう。
なぜ「男性車両」はないのでしょうか。
男性車両がない理由はなぜ?
これは理由の一因ですが、山田氏のあげた調査によると、
男性は「見知らぬ」異性からふれられても嫌がらないことがわかっています。
他方で女性は「見知らぬ」異性に触れられると不愉快に感じるという調査結果があるのです。
つまり、男性としては異性と一緒にバスや電車に乗っていても逆に幸せに感じる人が多い。
一方で、女性はそうではない、気持ち悪くかんじるのです。
2018年の記事ですが、さすがに男性の方も痴漢冤罪を怖がるが故に男性車両の導入に賛同が多くなっております。
しかし、みてみますと、
男女別では、男性で「希望する」人が49.8%なのに対し、
女性では57.8%と、女性の方が男性よりも男性専用車両を求めている
となっており、約十%も差があることから、やはり男性はそこまで喫緊の課題と思っていないことも窺われますね。
この第一章で山田氏は縷々としてこうした非対称性について説明しています。
これはおそらく、反射的なジェンダー論者からの批判を斥けるためでしょう。
「山田は女性の社会進出を防ごうとしている!男女は平等だし、男女に差はないんだ!」という批判が飛んでくる可能性があるからですね。
山田氏は非対称性ゆえに、男女の差があるのはしょうがない。そしてこれがモテるモテないを解明するために必要な要素なわけです。
第二章「らしさ」ってなんだ?
「男らしさ」「女らしさ」
「男らしくしろ」なんてよくいわれますね。
これはフェミニズムの世界でも頻繁に言及されてきた点で、
- SEX=生まれつきの性、男か女。
- GENDER=社会的・文化的性別=社会の伝統や規範によって強制的に決められているだけで、人々の意識やシステムを変えることで変更可能なもの
というふうに分けた際の、後者が「男らしさ」「女らしさ」とフェミニストは考えてます。ただし、山田氏はそれが必ずしも悪いというふうには考えていません。
性アイデンティティというもの。
人間は自分が男か女かを認識する。それを性アイデンティティと名付けておられます。
アイデンティティとは「自分とは何者であるか」という原始的な欲求に基づく意識のことです。
特に性的少数者、マイノリティの人たちが自分の性になやむ理由はこのアイデンティティが社会的にどうあるべきなのかで懊悩するがためにアイデンティティの崩壊を引き起こし、悩みのタネとなってしまっているからです。
ここから山田氏は次のように話を広げていきます。
要するに、男や女という性質が何か問題をひきおこしているのではない。「男らしさ」や「女らしさ」というものが社会では意義をもつ。そこから自分が逸脱してしまうことが怖いから、「らしさ」に従うのである。
この「らしさ」はその国の時代や文化によって異なるとされています。
この本によると男が人形遊びをする文化もあるし、日本でも江戸時代春画などは男と女との差がつかないように画がかかれていることから身体的特徴による差を意識しない文化だったのではないか、などという推論もあるそうです。
アイデンティティがなければ人は壊れる。
しかし、山田氏はフェミニストのいう「全て文化的な産物なのであり、こういった慣習を壊せば男女平等になれる」という意見は否定しておられます。
というのも、山田氏によれば人間は文化的な産物に従うことで性的なアイデンティティの取得を容易にしている側面があるからということらしいのです。
例えば、男がズボンを穿き、女がスカートを履く。こうすることで人は簡単に自分の性を意識することができる。それが多くの人のアイデンティティの崩壊を防いでいるのだというのですね。
もちろん、マイノリティの人にとってはこういったことが苦痛なのですが。
しかし、マジョリティ側の人間のアイデンティティがマイノリティに合わせることで崩壊してもかまわない、という意見はさすがに誰も認めないでしょう。
問題はその度合いや懐の広さなどにあるのだと思われます。
では、肝心の感情って何なのか?
この二つにわけられます。この「感情」は社会的な規則によってつくられたものだというのが社会学の考え方のようです。
ではどうしてこんな感情を生み出してしまうのか。その社会の規範っていったいなんなのか?
感情を生み出してしまう三つの規範
それが次の三つの分け方から判明します。
- らしさ規範:性アイデンティティを確認するもの
- 性別的役割規範:性別によって役割を決める
- 性愛規範:性別により性愛対象を特定化する
ここで問題なことは「性別役割規範が、らしさ規範として機能してしまっている。」です
たとえば、専業主婦はいても、専業主夫は殆どいない。
これは性別役割規範からすると、家庭の仕事は女がやるものだという社会的な歴史があるために、男性も女性も専業主夫を感情的に飲み込めなくなっているためである。そしてこのことが「らしさ規範」につながります。
男が家庭にいるということが「らしさ規範」からすれば「らしくない」と思われるがゆえに、専業主夫になろうとしないのである。
要するに、我々は「アイデンティティ」を確保するために「らしさ規範」を求めてしまう。
では性愛規範はとは何でしょうか。
「モテる」「モテない」の話
その名の通り、性関係についての話です。
- 子供を作るため
- 個人的な快楽のため
- 親密な関係を形成、維持するための複数の機能をもっている
この本では3について扱っています。
山田氏曰く感情社会学によって明らかにされたのは個人の感情でさえも社会的規範によってつくられた、ということらしいです。
あの人がいい、この人が良い、という考え方のことですね。
つまり、「私はあの人が好き」という感情は社会規範が生み出した物であり、その人本人の自立した考え方ではない、ということなのです。
古代ギリシャや日本の江戸時代などでは男性のよる同性愛は当たり前のものでした。むしろ、ギリシャではそちらのほうが勧められたという研究すらあります。
モテる人ってどうやって決まる?
異性愛を前提とすれば「男性らしい」「女性らしい」という要素が高い人ほど他人から選ばれます。
この「らしさ」から逸脱している人ほどモテなくなります。
たとえば、男性は身長が高い人がモテます。これは身長が低い人はモテにくいことを意味します。
なぜならば、男性に求められている「男性らしさ」から外れてしまっているからです。
もちろん、その女性によって求めるものはちがうでしょう。
しかしここで大事なことはそういう「傾向」が高いということなのです。
個々人による違いを研究することはできません。
100の項目があったとします。その100全てが同じ人はそんなにはいないでしょう。ですが、100のうちの60や70が同じ人は多い。
こういった傾向を導き出すのが社会学の役割なわけですね。
理性で変えられない感情
そしてここから一つのことが分かります。
フェミニストは「女性らしい女を好きなのはおかしい」とよくいうのですが、人間のどうしようもない感情に基づいていることを「理性」で変えようとしても変えることができないということです。
それ故に、フェミニストの考え方は女性からも受け入れることができなくなってしまっています。
「背の低い男性を好きになれ!」と叫んでも、多くの女性はそれを受け入れないでしょう?
これは感情、そして「男性らしさ」を求めることを理性の力では乗り越えられないことを意味するのです。
さて、このことから先ほどあげた三点についての上下関係が決まります。次の通りです。
性愛規範、性別的役割規範∈らしさ規範
男性は「仕事ができる」ことによって確実に「モテる」
女性はむしろキャリアよりは「できない」ほうが受けがいいことがわかる。
第四章 男と女のモテるの違い
男性は生きていくのが大変。引きこもりや自殺。
私たちの世界は「~らしさ」が強いということをおはなししてきました。では、その「~らしさ」によってどんな問題が起きているのでしょうか
https://www.moneypost.jp/552887
中年引きこもりの八割は男性、というデータがあります。
これもなぜかといえば、社会が「男性らしさ」=仕事をしていること=専業主夫ではない、という構図になっているからです。
男性は仕事をしていない限りは世の中に居場所のない存在です。女性は逆で、仕事をしてなくとも家事手伝いという言い訳が通じますし、非正規雇用でも問題なく男性と恋愛結婚ができます。
ここにも非対称性があるといえるわけです。
しかし、男性は仕事抜きではアイデンティティが崩壊するように近代社会というのはできあがっています。
ということで、この本に書いてある内容から「男性は不況になると人生が終わる。故に、自殺率も男性の方が高い」といえるでしょう。
自殺率が常に男性の方が女性よりも3倍ほど高いというのも「~らしさ規範」を使えば説明できます。
https://toyokeizai.net/articles/-/265771?page=2
上記のデータを見てください。女性は仕事と自殺との間に相関関係がありません
つまり、男性は仕事がないと自殺し、女性は仕事あるかないかにかかわらず自殺するということです。
事ほど然様に性愛規範、性別的役割規範、らしさ規範というのは密接に連動し、我々の生活を決定づけてしまう!のです。
我々はこういった規範に服するかたちで自我を保っているわけです。
そして我々の生きる近代社会においてアイデンティティとは何によって担保されるのでしょうか。
アイデンティティは何によって担保されるのか
以下の二点となります。山田氏は近代におけるアイデンティティの担保を社会学者ギデンズの論を根拠としておられます。
- 近代社会は社会学者アンソニー・ギデンズが述べるように「自分で自分のアイデンティティを作り上げることが人生の課題となる社会である」(ギデンズ『近代とはいかなる時代か?』)。つまり、職業選択の自由、結婚相手選択の自由、居住の自由です。
- 近代社会では性的コミュニケーションをもった男女の愛情関係が至上のものと価値づけられます(『親密性の変容』)
生きている理由は結婚に求められる近代社会
さあ、ここでわかったことがあります。
要するに我々は現代社会において「自分は世の中から必要とされているんだ!俺は社会でこういう役割を負っていきている」とおもうためには「結婚していなければならない」ということなのです。
これが近代のアイデンティティの確立であり、モテない人がなぜこの社会で苦しまなければならないかという理由になります。
これがなければ我々はレーゾン・デートル=生きている理由、を獲得できないからなのです。
そしてここから逆説的に成り立つのが以下の話となります。
結婚できなければ社会においての「愛される、好かれる」という確信を抱くことが出来ない→そもそも、結婚するためには男性の場合は仕事をしていなければ不可能である→不況になれば仕事がなくなり、男性は非正規雇用や無職になる→自分のアイデンティティをつくりあげる機会を失う→自殺する
不景気な日本は男性が女性よりつらい社会になっている。
つまり、現代日本というのは不景気を二十年間続けた挙げ句、新自由主義の影響を受けて、雇用が不安定化し、男性にとって生きづらい社会になってしまっているということです。
男性にとってモテるとは「仕事が出来る男=安定した仕事に就き年収が高いことです」
これを否定できる女性はいません。少なくともデータとしてわかるように年収が高い男性は結婚し、低い男性は結婚できておりません。以下のデータをご覧ください。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/kekkon.php
この調査によれば年収三百万以下の年収で結婚ができている男性は10人に一人です。そして、女性をみると自殺率と同じく年収の多寡で結婚率に差がないことがわかります。
モテる女の要素は非常に単純だが、働く女性は厳しい
逆にモテる女性の要素は次の二つです
- 美貌
- 家事
ここまで見てきたように女性の人生は男性に比べると楽です。働くことも許されるし、働かなくても許されるからです。
しかし女性が人生で辛くなるただ一つの生き方があります。それがキャリア志向(career minded)をもった女性です。
なぜかというのは以下の二点からです。
- キャリアになるために一生懸命、仕事をしなければならない。
- 男にもてるためには家事が必要だから。
この二点を合わせるとなると、仕事でくたくたになるほど働き、その上、家事もしっかりできることを求められるわけでして、殆どムリでしょう。
第五章 近代社会の過渡期へ
ニューエコノミーの時代が到来し、男女の関係が変わった!
さて、第四章までは近代社会についてでした。
第五章の議論からは近代社会が変容し、次のようになったのではないかと社会学の世界ではいわれています。
- あらゆる差別に対する反対の意識の浸透、ライフスタイルの多様化の進展
- 経済の不安定化
1に関しては1960年代末から、「差別撤廃」や「性の解放」といった女性の権利拡大運動や家庭に閉じ込められた女性を救おうという宣伝文句が流行ります。
この中には女性の参政権やフリーセックスの思想がでてきます。
男女平等が盛んに唱えられるようになりますが、第四章でしつこくみたように、感情の問題や「らしさ規範」がある以上、そう簡単に平等にはなりませんでした。
2はロバート・ライシュにならって「ニューエコノミー」と山田氏はいっておられます。
それまでは工業中心であった仕事内容が、情報社会や文化産業からサービス中心の仕事が多くなってきます。
こうなると、力のない女性でも比較的はたらきやすい労働環境がうまれます。サービス産業中心の社会が先進国では広がっていったのですね。
すると雇用の流動化が広がり、「できる男性」と「できない男性」との差がつきやすい社会になってしまいました。
余計に「モテる男性」と「モテない男性」との格差がうまれてしまいました。
と、同時に女性も社会進出して働くようになったということは次のようになります。
- 今までは女性は社会に出て仕事をすることが殆どなかった。しかし、ニューエコノミーの時代において女性は仕事というアイデンティティを獲得した。
つまり、性別的役割が崩壊したことを意味する。
山田氏は欧米においてはニューエコノミーに対応して、性別的役割と「モテる」の構造に変化があったといっておられます。つまり「できる男=モテる」という図式ではなくなったということです。
日本で近代社会の図式が残っている理由
しかし、日本ではそれが依然として保たれたままだといいます。
その理由として女性の「非正規雇用」が原因ではないかと推測しておられます。
欧米のように女性が一人で自立してやっていけるだけの経済的な事情であれば、男性を専業主夫にするかたちの家族もあり得るが、日本女性はその大部分が非正規雇用であり、家族と暮らしながら生計をたてるしかない。「できる男性」の力が必要な女性ばかりが大勢いる状態というわけです。
結果として、性別的役割が保たれたままニューエコノミーの時代を日本は迎えてしまっているといっておられます。
つまり、日本は非常に矛盾した中途半端な状態にあるわけですね。
若者が恋愛をしたり結婚したりといったことができない要因の一つが明らかになっているわけです。
日本を欧米のような男女観にするには
解決策としては
- 女性が全く働かないで家事のみをし、男性が主になって働く。近代的な社会に戻す。
- 女性に限らず、経済成長を遂げて、男性も正社員で働くことができる健全な社会をつくる
このうちの二つとなるでしょう。個人的には後者のほうが受け入れられやすいでしょうね。どのみち、日本経済がまともであれば2が自然な流れでしょう。
逆に1を選ぼうとしても経済が混沌としている今現在の状況では戻るに戻れません。
また日本の場合は人手不足であり、女性の労働者が今のところは必要不可欠でしょう。
終わりに
日本に限っていってしまえば、近代社会のアイデンティティ構築の仕方が主力産業の変化によって起こってしまった。
その結果、「性別的役割」も変化するはずだったが、日本の場合、あまりにも不景気なためにその変化が起こらず、恋愛がしにくい社会になってしまっているということがこの本の内容だといえるでしょう。
- 女性にもてる男性とは「仕事ができる男性」というのは誰でも皮膚感覚で知っていることですが、それを「らしさ規範」「性別的役割規範」「性愛規範」とが連動していることを示したこと。
- その規範の変化に社会情勢がついていかないことによる「モテる男性」「モテない男性」との格差が余計に広がったこと。
この二点が当該書で注目すべき点でしょう。
更に詳しいデータなどはこの本の中に入っております。本ブログの記事で物足りなさを感じた方はぜひ購うことをお勧めいたします!。ズンダでした。
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