※本記事の姉妹編ができました。どうぞ!
第二次世界大戦後、数々の修羅場がありました。
国家や民族同士の争いは常に話題にならないだけで水面下ではバチバチと争いが行われています。
私たち日本人は今のところ、平和なようです。
実際、世界規模で考えてみても、全面核戦争(all-out nuclear war)は起こったことがありません。
戦争は代理戦争(proxy war)や民族紛争(ethnic conflict)はあっても、人類が全滅するほどのできごとは起こってはいないのです。
しかし、小さな戦争とはいっても、そこで人が死ぬことには変わりありません。死んだ人たちや家族からしてみればそれは悲劇であり、あってはならないことです。
今回紹介するのは『民族紛争』について書かれた本です
高校生だとセンター試験の地理で出題されたり、大人でも朝日新聞や読売新聞、産経新聞、毎日新聞などで紙面にのるホットトピックですね。
あるいは英語の試験、国連検定などでも必須の知識です。
代表例である六つの民族紛争と民族紛争問題の梗概が纏めてあります。
上記の紛争について5W1Hがかかれております。
本書では、民族紛争について詳しく解説される前に「あらまし」が記されており、その部分を読むことで大凡の内容が摑めます。
まず、民族紛争の例として
第二章「クロアチアとボスニア-民族紛争予防の失敗」を 挙げます。
次に、第二章とからめながら次の二点についてかきます。
- 民族紛争はなぜ起きるのか
- 民族紛争を防ぐことはできないのか
では、始めて行きましょう。
ユーゴの歴史から虐殺に至るまで
ユーゴってなんなの?
囲ってある部分は本書にある「あらまし」を私ズンダが要約したものです。
クロアチアとボスニアが帰属していたユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(ユーゴ)は平和的な他民族共存の国であった。
しかし、1980年、国父チトーの死、石油ショックによる経済への損害、冷戦終了で資本主義陣営と共産主義陣営両方からの支援が尽きたことにより、国内に動揺をもたらすようになってしまう。
多民族国家であったユーゴに限界がみえはじめてきたとき自民族主義を訴える政治家が現れ始め、1990年に建国以来の初選挙。そこで今まで統治してきた共産主義政党やその後継政党は惨敗する。
その後、独立を目指すクロアチアとセルビアの紛争がボスニアに飛び火し、スレブレニッツァの虐殺事件をひきおこした。NATOが参入し、空爆すること騒動は鎮静化、和平交渉が開始されることとなった。
ユーゴスラビアは六つの国によって成り立っていました。
この章で扱われるユーゴは第二のユーゴといいます。
第二次世界大戦中、内線に明け暮れていた第一のユーゴを統一したのがチトーが書記長を務めるユーゴ共産党でした。
このユーゴ、色んな民族がいたり南北格差があったりして、問題をかかえていたのですが、チトーのカリスマ性で国家としてはまとまっており、安定した国でした。
しかし、先ほどの要約にもかいたように
ということで、徐々に国力が落ちていきます。
擡頭する自民族主義の政治家達
すると、経済的に不満や不安を覚えはじめた国民を焚きつけるかのように、「強い政治家」があらわれます。
彼はセルビア人の「自民族主義」(他の民族を排撃し、一つの民族だけの国家をつくろうという思想)を訴え、クーデターを起こします。その結果、実権を握るようになってしまいます。
また同時期に、クロアチアの指導者トゥジマンもクロアチアの独立とEC(EUの前身組織)加盟を目指すと宣言し始めたのでした。
このセルビアとクロアチアの自民族主義がボスニアにも波及します。
ボスニアは三種の民族がおり(ボスニア人四八%、セルビア人三七%、クロアチア人一四%)、火種がつけば一気に瓦解しかねないような脆さを秘めていました。
結果として、ナショナリズムの昂進が悲劇を生みます。
ボスニアで民族浄化が起こる。
民族浄化とは多民族がすんでいた地域を自民族の地域におきかえることをいいます。