前回からの続きです。
日本の保守界隈の根本にある考え方
第十章において中野氏は、「どうして日本の保守派は新自由主義が好きなのか」という問いをたてます。
日本の保守が好きな新自由主義とは
日本の保守の殆どは保守ではなく「新自由主義」とよばれるものです。
この考え方は保守主義とは正反対の考えであることを知っておきましょう。
では、新自由主義とはどんなものか。
・小さな政府
・規制緩和
・自由化
・民営化
・赤字財政をゆるさない=健全財政
まとめると【市場から規制をとっぱらい、自由にすれば、何もかもがうまくいく】という浮かれた考えのことです。
この三十年間、日本が不景気といわれている間、ずっとこの政策をとってきました。
特に挙げられているのが、総理大臣が、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三です。
新自由主義政策は以下のことを日本にもたらしました。
・雇用の不安定化。
・移民などの労働者の流動が盛んになり、共同体が崩壊する。
・財政赤字を減らした。国がお金を支出しなくなった。結果、日本の格差は拡大した。
・富裕層と貧困層(haves and have nots)の対立が起こる。
移民を入れることで異文化が流入。日本の文化破壊につながる・公務員などを目の敵にする人々の増加。自分たちの雇用は不安定な人が増大した結果である。
彼らは自分たちが日本のことを想ってやまない人間であると主張します。
しかし、実は日本の〈自称〉保守主義者達(≑新自由主義者)は日本を破壊する思想を尊んでいる人々だということをご存じでしょうか。
つまり日本の保守系は「DV男子」みたいなものなのです。
おまえのことが好きだ!といいながら、相手のことをぼこぼこ殴る。好きだ好き!ぼこぼこ・・・・・・。
こうやって日本人は痛めつけられてきたのでした。
もちろんこれは、「保守主義」が悪いわけではありません。
「保守主義」を勘違いした人々が、
「自分たちは保守主義者である」と自称し、まともに本を読まない人たちを洗脳しているのがわるいのです。
そもそも保守思想ってどんな考えなのよ?
保守が流行ったことで全共闘世代のような人たちが保守になった。
そもそも保守とは何なのでしょうか。
中野氏は次のようにいいます。
保守派は「人間とは、自分の祖国や故 郷の共同体がもつ固有の生活様式、文化環境に制約された存在であり、また、そういう存在であるべき」という人間観をもっているのです。~(中略)~自由というものは、豊かな文化的環境や安定した社会秩序があってはじめて、有意義なものとなる。
これが保守といわれる人間がもつべき考え方です。
自分たちの共同体を守るために、必要な規制であれば容赦なく規制する。
国民を守るために政府が財政赤字を拡大してでも公共物を維持する。
たとえば、水道整備や道路や橋やガスや電気や……ですね。どんどん民営化されていってますが。
こういったものは基本的に儲からない。地方の田舎にいけばいくほどです。
「こんなところに道路つくって意味あるの?こんなところに電車が必要なの?」
という意見を見かけますが、それだと東京一極集中にするほかなく、地方は死にます。
一極集中では、地震や災害があったときにどんなことになるのか、誰も予想できるでしょう。
そして、無駄で儲からないようなことをできるのが国の力なのですね。
ところが新自由主義者たちは「こんなのムダ!よけいな出費を削減しろ!政府は民間を助けるな!税金をあげろ!」といいつづけます。
国民を助けるという観点が全くない人たち。
それが新自由主義者です。
「個人が努力すればなんでもできる!」と彼らは口々にいいます。
ですが、
本当に一人一人の日本人の窮地を救いたいのであれば「政治に働きかけよ!」というべきなのです。
政府にはその力があります。
政府が赤字を背負えば良いのです。
そしてそれは悪いことでも何でもないわけです。*1
前回の記事でみたように財源の問題などないのでした。
無論、インフレ率という制限がある以上、限度があるのは事実。
ここから先はどの程度まで支出が許されるのかを具体的に計算していくことが大事なのでしょう。
↓MMTの解説本。
ついにMMT提唱者の一人、ケルトンによる本の日本語訳が出版されました。
一般人に分かるように書いてあります。
そのうえ、私たち一般人がどれだけ赤字財政や国の借金などというありもしない話に騙され、手足に鉄鎖をつけられているかが、良い意味で扇情的にかかれています。
↓日本のMMTer(MMTを研究したり、一定程度、支持している人)によるMMT解説本。おそらく日本人が書いた本ので最も優れたMMT解説本。信じられないほどに詳しく、中身がある。
僕は保守主義だ!と名乗りたがる本を読まない新自由主義者たち
自分は「保守だ!」という人を見かけますが、全く保守的でない人たちをよくみかけます。何も勉強してないのでしょう。
保守と叫ぶと、気持ちよくなってしまう変態な体をお持ちらしい。
なんでわざわざ保守といいたいのか理解に苦しみます。
子供が「スーパー戦隊シリーズの赤になりたい!」というのと同じ原理なのでしょうか。
60年代頃、全共闘が流行っていた時分のことを振り返り
「彼らは資本論もよんでいなかった」と左翼を揶揄する声があります。
しかし、今、自分を保守だ、という人はバークやチェスタトンなどを読んでいるのでしょうか?
上の動画が典型的な例ですが、非常に面白い。
ビジネス保守などの批判もありますが、ファッション保守といった感じです。
結局、今も昔も同じで、何かが流行ると、まじめに勉強する人、不真面目な人にわかれていくのですね。
というわけで新自由主義と保守派とは元来、水と油、なのです。
お互い正反対な位置におり、保守派にとって新自由主義とは本来、闘うべき相手でした。
保守思想の誤解のはじまり インフレの理由が民主主義のせいにされた時代
保守思想の理解がおかしくなってしまった理由を中野氏はまとめています。。
一九七〇年代のアメリカのはなしです。
アメリカではベビー・ブームによって急増した世代が政治参加や福祉を一方的に要求するようになり福祉政策は膨張。
労働組合の力が強く、賃上げが天井しらずであった。こうしてインフレになった。
本来ならば増税してインフレを押さえるべきであったが民主主義だとそんなことをすれば政党人気が落ちるので抑制できなかった。つまり、民主主義が全部悪い。
というハンチントンの議論が流行します。
しかしこれは間違いでした。
実際は以下の理由によりインフレは引き起こされていました。
の三点が正しいといわれています。
つまり、インフレの理由は福祉政策を支えるための過剰な出費ではなく、原油高や軍事費の拡大などにあったわけです。
しかし、現代の経済学の世界では過度な財政支出のせいでインフレが高騰したとされており、誤解が続いたままです。
この誤解のせいで、財政支出をした場合、インフレによって国民生活に多大なダメージを与えてしまうから、財政支出=悪いもの、と考えられるようになってしまいました。
こうした中、日本でも『文藝春秋』紙上で「日本の自殺」という論文が発表されます。中身は民主主義による財政赤字の拡大がインフレを引き起こした、というものでした。
執筆者は香山健一、公文俊平、佐藤誠三郎、という保守系の人物たちでした。
ここから保守派の誤解が増大します。
彼らの考えは次のようなものです。
民衆の権力が肥大化し、消費税増税や緊縮政策がとりづらくなってしまった。
民衆に政治生命を握られている政治家・政府はいつまでも放漫財政をやめることができず、福祉国家を維持せざるを得なくなる。
その結果、インフレが高騰し、経済が悪くなったのである。
よって、民衆におもねるような政治は危険であり、民主主義は危ない。
と、こんなふうに考えるようになります。
しかし、これだと民衆の生活などどうでもいい。民衆の意見などきかなくてもいいという独裁国家の論理に逆戻りしてしまいます。
国家や国民のことを考えられる天才による独裁など、普通はありえないのですから、
私たちはそんな夢みたいな独裁を望むよりも不出来な民主主義を選ぶしかないでしょう。
元々 保守思想は民主主義が嫌い-民主主義はおろかである-
ただ、彼ら民主主義嫌いの自称保守にも同情すべき点はあるのでした。
保守主義の始まりはフランス革命を対岸からみていたイギリスが発祥の地だということは広く知れ渡っていると思われます。
当時、政治家であったエドマント・バークが記した『フランス革命の省察』が保守主義の教本みたいなものでして、保守主義者は必ず呼んでおかねばならない一冊とされております。
「フランス革命」をみていたバークは危機感を覚えます。
これがイギリスに波及したら、王室は壊されるのではないか。
民衆の暴走は歯止めがかからない、と。
ここから民主主義が行き過ぎると秩序が崩壊し、革命が起こるから、民衆に権利を与えすぎると危険、という考えに至ります。
よって、バークを真面目に受け取ると
「民主主義はよくない。大衆は物事を考える頭をもってないので、彼らを制御しなければいけない」
というエリート主義に堕します。
※ただし、この時代の知識人は基本的には大衆嫌いである。というか、民主主義など考えたこともないし、考えられるような環境がととのっていなかった。
その結果、日本の多くの保守派は
「自民党批判するやつは反政府!」といいたがるわけです。
彼らの心根にはあるのは一種の「民衆は馬鹿である」という考えです。
ちなみにこの考え方をする人たち今でもよくみかけますね。
たとえば、【左翼=反権力】なので【右翼=体制的】でなければならない。
ですが、この考え方に固執してしまうと、「デモも政府批判もしてはならない。する人間は左翼である。」という考えに至ります。
デモや政府批判というのは、左翼右翼の話ではありません。
民主主義下における国民の正当な権利です。
政治家というのは国民のために存在しており、国民のために仕事をしない政治家を国民が選ぶ義務などありません。
たまにIT系の人間が「選挙なんていっても意味ない」。といいますが、明確なアンチ民主主義の意見です。
それなら独裁国家と実質が変わらなくなってしまいます。
床屋談義や井戸端会議水準でもいいから、政治について我々は語るようにしなければ、いつまでも無知なままです。
普段から喋るようにするからこそ、我々の頭のなかに政治的な知識や知見が生まれるのです。
日常つかわないものは、忘れていってしまいます。
奇しくも芸能人である武井壮さんが次のようにいっておられましたね。
これは事実、そうだとしかいいようがありません。
政治について考えることを放棄すれば、我々は日本に生まれてきた権利の一つを放棄することになります。
そしてそれが、中野氏のこの本でも書かれているレント・シーカーたちや新自由主義者たちを喜ばせるものなのです。
彼らの目的は日本の大衆が政治について考えなくなり、自分たちがやりたい放題できるようにすることですから。(この記事の脚注を参照されたし)
さらに冷戦時代のさなか、体制派である保守派はマルクス主義の影響を受けた学生運動や労働組合の力が強まり、国家転覆といった事態になることを恐れていました。
そこにインフレ=民主主義のせい、という理論が日本に上陸してきたために日本の自称保守系知識人と新自由主義者との間に大きな橋がかけられることとなったのです。
新自由主義者はインフレ抑制のために民営化を推進していましたし、財政赤字も嫌っておりました。
というか、政府が何かをする、というのをとことん削りたくてしょうがなかったのです。
さらにいうと、ハイエクやフリードマンなどは【民主主義嫌い】であったこともわかっています。
非常に「自称保守≑新自由主義者」の類似点に気づかざるを得なくなりますね。
もちろん日本の保守派だけが本来の保守を勘違いしていたのではありません。
アメリカのレーガンやイギリスのサッチャーなどのインフレ退治をしていた人たち、彼らも新自由主義者であり、保守主義者といわれていました。
※ただし、アメリカの保守はそもそも新自由主義的であることを意識したほうがいい。アメリカの保守と、イギリスの保守はもともと異なる。
このあたりについては以下の本を参照。
この財政赤字を削ったために国民は疲弊していきます。
イギリス人がサッチャー死去の報を受けて、喜んだという話も有名ですね。
これで更に【保守主義=新自由主義】ということになっていきます。
また冷戦が終わり、ドイツは統合、ソ連は崩壊していくなかで
「やはり資本主義が正しい。自由主義万歳」という空気が増していったことも一因だったのでしょう。
というわけで、日本の保守はデフレに対抗するための以下の政策を支持できなくなってしまいました。
上記の事柄は、新自由主義思想に反するからです。
さらに「大きな政府っぽいことをやる=共産主義」という完全にまちがえた考え方のために、日本の保守系はこれらのことをうったえることができなくなってしまったのです。
国の安定や繁栄のためには「○○主義」など関係がないのです。
その都度の状況に合わせて、あらゆるものを駆使すればよい。
ただ、それだけです。
「○○主義だからOK、○○主義はダメ」は「結婚していれば、幸せ」というぐらい単純で愚かな思考です。
ちなみに中野氏の先生といってよいのかわかりませんが、保守思想家の故西部邁氏も「大衆を甘やかすことがないよう増税しなければならない」などと仰ったことがありました。
そのとき、同席していた三橋貴明氏が「いや、いま増税しちゃだめでしょ」と注意をしたのですが。
明らかに反新自由主義であった西部氏ですらも、こういう迂闊な発言をしてしまいがちだったのが日本の保守界隈だったといえましょう。
ただ西部氏の場合はバーク以外にスペインのホセ・オルテガ『大衆の反逆』の影響を大いに受けていたために、大衆に対しての目が厳しかったのかもしれません。
勿論、この大衆の意味は、一般人だけでなく知識人なども含めたもので、次元が異なります。それはまた別のときに。*3
そんなこんなで、
結果として、保守派の考えは日本を貧困化へと追いやるはめになってしまったわけです。
中野氏は自分を保守思想でやっていく人間だと、昔からいっておられたので、同じ保守を名乗る人間が、でたらめなのをみて、許しがたく思っておられるのでしょう。
日本の保守派どうなってしまうのか。
日本の保守系の言説
この中野氏の本を読んだ保守を自称する一般人の方々は、びっくりされて、次のように考えられたと思います。
今まで自分が読んできた雑誌や『正論』や『諸君』などに書かれていた保守系の言論とははなんだったのか。
彼らの書いていることが日本をよくするための方法だと思ってきた。
実際、自称保守派の本を楽しみにしている方々は、
いう羊頭狗肉に遭遇し、日本窮乏化の先兵と化していたわけです。
「日本を救えるつもりで信じていたことが、実は日本を壊していた」
これはさぞかしショックでしょうね。
私だったらとてもたえきれません。
自分のことを愛国者だと思っていたら、自分が売国奴だったとは!
悲劇を通り越して喜劇とはこのことですね。
中野氏やその仲間である藤井聡氏、三橋貴明氏(三橋氏は自分を保守と名乗ったことはない。ちなみに西尾幹二も自分を保守と名乗ったことはないといっている。)などが本当の保守だったのではないか、と判明したときに今までいた保守系、特に親米保守の人たちはどうなってしまうのだろう、と思わずにはいられませんね。*4
経済政策は右翼左翼の問題ではない。
「大きな政府」=左翼、「小さな左翼」=右翼という考え方があります。
しかし、本書や前書にもあったように、
そもそもデフレの日本は「大きな政府」になること以外では経済を改善することができません。
僕は保守だから「小さな政府」でずっとやっていくべきだ!
という主張は、この日本においては
「ずっと日本は不景気でかまわない!」と豪語しているようなもので、単純に「自分は日本を弱体化させたい」といってるようにしか聞こえません。
これで愛国者のつもりでいるわけですから、非常に厄介だといえるでしょう。
自覚してください。
単純に道具として使い分ければいいだけのものに、右左のイデオロギーを塗したせいで、経済政策は異形の産物になってしまったわけですね。
もう左翼が問題なのではない
保守系人間はやたらに左翼のことをかたりたがるのですが、個人的な経験をいわせてらもらうと、左翼全盛期の世代は年老いて、死去したり、マスコミの世界では要職から外れて力を失っております。
当時、有名だった筑紫哲也のような明らかに左翼といった人物もほぼいなくなっています。
今問題なのは保守を名乗り、経済音痴で、新自由主義万歳している人たちのほうです。
目を覚まして、真面目に日本をよくする方法を受け入れるべきではないでしょうか。
目を覚まして、などといいましたが、目を覚ますことがムリであることは重々承知しております。
あれだけメディアに出ていた人間が自分の考えかたを変えるというのはほぼ不可能です。
今までの見識すべてが疑われるようになってしまえば、これから先、知識人として飯を食ってきた自分はどんなことをいわれるかわかったものではない。更に、業界から干されるかもしれない。
かてて加えて、Twitterやネット掲示板などもありますからね。
そういった考えが頭の中を飛び交っているから方向転換できない。
もし私が知識人だったとしても、彼らと同じような態度をとるでしょうね。
人間はそんな簡単に態度を変えられるものではありません。
間違っていたからすぐに反省することができるというのは、失うものが何もない人だけです。
しかも結婚していて、子供もいたとすれば尚のことムリだろうなあ、と。
改むるに憚ることなかれ、といいますが、知名度があがると大変むずかしいです。
左翼の力が減退したというのは彼らが高齢になったから、という話を書きましたが、もしかすると保守界隈も昔の保守が消えることによって、かわっていくのかもしれませんね。
保守の人気が集まったところで、単なる新自由主義的保守では意味がないわけです。
さて、末尾に中野氏による「イデオロギーの座標軸」が載っております。
というわけで、今回の記事は以上です。
↓現在、日本の保守の代表格である藤井聡師がMXにて自身の番組を持つことになりました。
「東京ホンマもん教室」は
11月8日(日)19時
11月の放送日は11月8日(日)22日(日)
12月の放送日は12月13日(日)20日(日)
ちなみに安倍政権の経済政策によって日本人は貧乏になったというは下のリンクへどうぞ。MMTの動画で見るべきもの載せてあります。二ヶ月前のものなので少し古くなってきましたが、素人がざっくばらんに知る分にはなんの問題もないはず。後は専門家に任せましょう。
読者登録&ブックマーク お願い致します!
次回更新は松尾剛次『破戒と仏教の男色史』(平凡社新書)の予定です。
↓今回、二回にわたって紹介した本です。私が紹介しなかった部分にレント・シーカー=政商のはなしが載っています。
つまり、大企業が政治家達を取り込んで、商業をやりやすいようにしていくことをいいます。自分たちの利益を拡大していくってことです。
私、レント・シーカーの話を聞くといつも孟子の「公孫丑」にみえる壟断の教えを思い出してしまいます。まあ、人間のやることはだいたい漢文に出ているから当たり前なのかもしれない。
こっちの緑色したのが経済を中心に語った本です。むしろ、多くの人は【基礎知識編】のほうが目から鱗が落ちるかもしれません。経済は誰にとっても問題ですから。
↓ちなみに、バークかじってみたいな、って方は佐藤健志が抄訳なさったものがいいと思われます。私は残念ながら読んでないのですが、たぶんわかりやすいはず。
↓グローバリズムによる問題点を摘出した本。我々のコミュニティが崩壊していく経緯を明らかにしていきます。
↓インフラの価値と日本におけるインフラ整備の不足について知りたい方は以下の本をどうぞ。私的にはこっちもかなり目から鱗が落ちた本でした。日本のインフラ整備は全くダメである、という事実を前に驚愕しない人がいるのでしょうか。
藤井先生は内閣参与もつとめておられたことがあります。
その藤井氏が危機感をもってお書きになった本が下の本です。
安倍政権が本来為すべきであったアベノミクスは本来の姿のまま行われることはなくかえられてしまった。
安倍政権によって日本人は貧乏になった。
増税を凍結さえ、消費税を減税もしくは廃止にすること。
そしてこれからどうしていけば日本経済は復活するのかがかかれています。
ちなみに、私個人としては、中野氏の本は『レジーム・チェンジ』なども良い本でして、MMTに影響を与えた人々の話が載っているので参考にどうぞ。
ついに古典新訳文庫から新訳が出されました。
非常に読みやすく、既存の邦訳とは比べものになりません。
↓このバークの本を読むためにはイギリスの歴史を軽く知っておいた方がいい。
そういうわけで、中公新書の『物語イギリスの歴史』をすすめておきます。
↓こちらは中野氏による保守主義の解説本です。
この本は珍しい。
というのも、エドマンド・バークではなく、イギリスの作家サミュエル・テイラー・コールリッジの思想を援用し、保守主義を説明しているからです。
通常、保守主義者は必ずバークをもちいます。
中野氏は、フランス革命を嚆矢とする左翼や右翼の分類が、現代の似非保守を誕生させた理由とみているからでは?、というのが私ズンダの見立てです。
そのためフランス革命と関係のないコールリッジをもってきたのではないか。
*1:インフラの価値については藤井聡『超インフラ論 地方が甦る「四大交流圏」構想』や
「スーパー新幹線」が日本を救う (文春新書)を参照。記事の終わりにリンクをはっておきます。
*2:
(中野氏は触れてないが香山はもと全学連で左翼であった。
更に、佐藤誠三郎ももともと共産党に入党していた人物で後に転向した。公文についてはgoogleしてもでてこず。
もともと左翼だった人物が新自由主義に同意しやすい印象を私はもってます。
そもそも新自由主義の親玉といわれるフリードマンってリバタリアンなわけです。
ちなみにその息子も孫もリバタリアンだということは渡邊靖『リバタリアニズム』(中公新書)で知りました。
あと、アメリカの保守や左翼の思想については、会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』が面白い。
孫の方はリバタリアンだけ集めた疑似国家を作ろうとしているみたいです。ユートピアにならないことを祈念しております。
私ズンダの仮説では、左翼の根っこには国境を取り除き、人々が自由に行き来することが出来るコスモポリタニズムという考え方があるためで、それが新自由主義の思想と相性が良いためだと思っています。
↓リベラルが新自由主義化した経緯が書いてあります。
※これを書いてる途中でこの本の11章を読んだら「リベラルが新自由主義をそこまで責めなかった理由として反対的・反国家的な気質があるから、と書いておられました。
これって、新自由主義者にもあてはまらないのでしょうか?
リベラルの問題点について、ジグムント・バウマン『コミュニティ』(ちくま学芸文庫)という本があります。原書は2001年に出ており、昨今盛んに出版されているリベラル自身による反省本の内容を、2001年時点で書いている驚くべき本です。
この本にも左翼が経済を語らなくなり、文化的な問題のみに焦点を当てるようになったために、自由主義と親和性が高くなった、とあります。
彼はこのことを「文化左翼」と呼んでいます。
はたまた、陰謀論的な考え方をすれば、加速主義を狙っているともいえるわけですね。
マルクスがいった「自由貿易を進めれば進めるほど、資本主義のなかで落ちぶれていく人間が増えるので、人々は左翼化する。だから敢えて、私は自由貿易に賛同する」というやつです。※
故に資本主義者ではあるが、「自由が大事なので、政府が関わるのは嫌だ」という要素があるわけです。
「資本主義=右翼 社会主義、共産主義=左翼」という式が、そもそも成り立ってないのではないか。
つまり、保守に転向したといっていても、根っこの部分が変わっていないので、やはり左翼のまんまなのである。
左翼だったけど保守になったとかいうリフレ派エコノミストがいるでしょう。
やはり新自由主義者です。このあたりが面白いとおもいます。)
*3:西部氏とちがって、中野氏が大衆の価値を認めた保守である理由は以下の理由と思われる。
- 彼が公務員だから
- クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』が頭にあるから。
*4:個人的には西尾幹二は保守系の人間としては、明らかに慧眼の持ち主である。彼は親米ではない。労働鎖国論もさることながら、彼は以前から小泉純一郎や安倍晋三を批判をしており、2006~2007年の段階で保守は経済について語れないとダメだ、といっていた。ただ彼と仲が良く、経済に詳しかったのが中国崩壊論を何冊も出している宮崎正弘だったので、それが不運だった。その当時、まだ三橋貴明はいなかった。『江戸のダイナミズム』とか思想家の宝庫で面白い。ただし、旧字旧かな使いの項の記述は自分が使わないことへの言い訳がましく、好きではない。