amazonで完売するほど人気があるこの本。和書総合ランキング100以内に入り続けていることからも窺えます。
犯罪をする少年少女
中学生の頃、不良になってしまった友達がいて、その人のことを思うと、あいつ落ち着きがなくて、いつもイライラしていて、変わってるやつだったな、と今更ながらに過去を振り返ったりします。
タバコを吸ったり、不良グループと交わったりして、思春期真っ盛りゆえの問題でもあったのかもしれませんが、妙に人なつっこくて一見すると良い奴だったとおもうのですが。
当時、少年犯罪というものが話題になっていて、少年法に守られているから簡単に罪を犯すといわれていて、厳格化しなければならないなどという報道をよく目にしました。
「たけしのTVタックル」という番組は今もありますが、あれでよく取り上げられていたのをおぼえていますね。
むろん、私ズンダは素人ですから正確な判断などできるわけがありません。
しかし今思えば、あのイライラや異常なほどに人の気持ちにずかずかと入り込んでくるのは、今でいう発達障害の気があったのかもしれない、などと勝手に考えてしまうのです。
本日紹介する本は宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』です。
私はこの本題からして非常に惹かれてしまいました。
ケーキが切れない、とはどういうことなのか。
そんな人がいるのだろうか。
そう思いながら本書を読み進めていくと驚くべきことが書いてあったのです。
では、見てみましょう。
犯罪を招く知的障害
著者の経歴と、とある少年との出会い
著者である宮口氏は京都大学卒業後、一般企業で働き退職。
神戸大学医学部を卒業し、児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務しておられましたが、その後、立命館大学の教授になって臨床心理の講義をしていらっしゃるとのこと。
そして医療少年院と呼ばれる発達障害や知的障害をもった非行少年が収容される特別な少年院で非常勤として十年以上も仕事をしておられるようです。
氏のこの本はある施設へ出向いたときに治療することになったとある少年との出会いからはじまります。
少年は「女性の体に触ってしまう癖」があったらしいのです。
氏は少年に「考え方を変えることで行動を望ましいものへと変化させる」治療法、認知行動療法といわれるもので彼の症状を改善させようとします。
しかし幾度その治療をしても、彼は治りませんでした。
少年の症状がなおらなかった理由
というのも彼は知的な面において障害をもっており、認知機能が弱く、認知療法で使っていた書物を理解できていなかったのでした。
つまり、認知療法は「認知機能に問題がない健常な人」に向けてつくられていたということだったのです。
医療少年院で働き始めた氏は、そこで「反省以前」の水準にいる多くの少年らにであいます。
この本の題名である「ケーキが切れない」というのも我々普通の人にとってはあたりまであることができない数々の行動を代表させたものでした。
以下のことがかかれています。
- 簡単な足し算や引き算ができない
- 漢字が読めない
- 簡単な図形を写せない
- 短い文章すら復唱できない
つまり、非行に走る要因の一つがこういった一般の人にとっては当たり前なことが、「知的障害」*1をもっているせいでできなくなってしまうことにあるのです。
知的障害は重度、中度、軽度の三つにわけられていますが、軽度が八割をしめます。しかし、軽度ですら生きづらくなることにはかわりなく、支援が必要なレベルと宮口氏はいっておられます。
そして、学校での勉強についていけなかったり、対人関係がうまくいかなかったりして、独りぼっちになってしまう。
彼らは自分の意思ではどうしようもない現況に、形容しがたい苦痛を覚えていたのです。
障害が引き起こすもの
障害があることでどのような事態になる可能性があるのか、引用します。
1次障害:障害自体によるもの
2次障害:周囲から障害を理解されず、学校などで適切な支援を受けられなかったことによるもの
3次障害:非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、きびしい指導を受け一層悪化する
4次障害:社会出てからも理解されず、偏見もあり、仕事が続かず再非行に繋がる
彼ら知的障害のある人々は上記にある1次障害から4次障害までをたどってしまう可能性があるのです。
これは本当に深刻な問題だと思われます。
障害があるために自分の人生が次々と悲惨なことになってしまうわけですからね。
なぜ悪いことをしてしまうのか
彼らに、なぜ犯罪したのかを訊いてみると
だいたいこういうらしいのです。
「後先のことを考えていなかった」
この後先を考える力は専門用語で実行機能と呼び、この機能が弱い人は何でも思いつきで行動している状態になってしまうらしいのです。
そういった少年たちに「一週間後に十万円を用意しなければならない」ときくと、彼らは「親族から借りる、盗む、騙し取る、銀行強盗をする」
と、平気で人から無理矢理奪い取ろうという選択肢がでてくるのです。
普通に考えれば、こんな乱暴な選択肢がでてくるわけありません。
が、彼らはこの実行機能が弱いためにはちゃめちゃな選択をとってしまう。
これが彼らの現実世界における選択肢なのですね。
認知機能の歪みが根本的な問題
非行少年に存在する5+1の特徴
引用します。
認知機能の弱さ 見たり聞いたり想像する力が弱い
感情規制の弱さ 感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる
融通の効かなさ 何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い
不適切な自己評価 自分の問題点が分からない。自信がありすぎる、なさ過ぎる
対人スキルの乏しさ 人とのコミュニケーションが苦手+1身体的不器用さ 力加減ができない、身体の使い方が不器用
※+1とあるのは得意な人もいるから、らしい。
ここでは最も重要だと思われる認知機能についてみていきましょう。
認知機能とは我々が物事に接した際にどういうふうにそれを「見て、判断するのか」という機能のことです。
これが歪んでいると以下のようなことが起こります。
「あいつは僕のことを睨んでいた」
「あいつは僕をみてニヤニヤしていた」
実際はそんなことはないのです。
相手はただ彼のことを見ていただけなのにもかかわらず、勘違いして嫌な方向へ受け取ってしまう。
これが認知機能の歪みです。
いうでもなく、一般人でもこういうふうに思うことはあるでしょう。
私もたまに、あいつこっちみて笑ってやがるな、というときがあります。
恐らく頻度の問題なのだと思います。
この認知機能の歪みがある人はあらゆる問題に対して障害ができてしいます。
引用します。
-
聞く力が弱い→相手が何を話しているかわかず話しについていけない
-
見る力が弱い→相手の表情やしぐさが読めず、不適切な発言や行動をしてしまう
-
想像する力が弱い→相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう
社会構造の変化によって更に苦しくなってしまった
その結果として、対人関係がうまくいかず、暴力や非行に走りやすくなってしまうということですね。
また就職においても苦労するようです。 障害をもった人たちは第一次産業や第二次産業のような人と関わらない仕事が向いています。
しかし、社会構造が変化してしまい現在、日本の七割がサービス産業になっていることから、これらの人たちの受け皿が少なくなっています。
社会復帰をさせることも難しくなっているのが現状のようです。
知的障害をもっているのに支援されない人々-忘れられた人々-
アメリカから出版されている『知的障害-定義、分類及び支援体系(11版)には「知的障害者の8割~9割はIQ水準が比較的高い人たちで、一般集団と明確に区別できない」と書かれているそうです。
彼らの特徴は以下の通りです。引用します。
-
所得が少ない、貧困率が高い、雇用率が低い
-
片親が多い
-
運転免許を取得するのがむずかしい
-
栄養不足、肥満率が高い
-
友人関係を結び維持することが難し、孤独になりやすい
-
支援がないと問題行動を起こしやすい
といった傾向があることがわかっているのにもかかわらず、「大半は研究文献で言及されることがない」というのです。
そこから軽度な知的障害をもった人々は「忘れられた人々」といわれているそうです。
つまり、IQがそこそこあるために、障害をもっているとは思われない、支援が本来は必要なのに、してもらえない。
それゆえ、障害者であることを見逃され、生きるのが厳しくなり、非行、犯罪を起こしてしまう。
新規受刑者の半数近くに軽度知的障害や境界知能を患っている
引用します。
法務省の矯正統計表によりますと、2017年に新しく刑務所に入った受刑者1万9336人のうち、3879人は知能指数に相当する能力検査値(CAPAS)が69以下でした。つまり、約20%が知的障害者に相当すると考えられます。~。(中略)~ つまり矯正統計表から軽度知的障害相当や境界知能相当を併せると、新規受刑者の半数近くに相当することになるのです。
という驚くべき数字が載っており、受刑者の大半はそもそも障害をもっていた人々だったのです。
我々は彼らに対してどう接するべきなのか
私はこれを読んで驚愕すると同時に悲しい気持ちになりました。
いったいどれだけの人が障害をもっていると気づかれずに犯罪をするはめになったのでしょう。
いうまでもなく犯罪はいけないことです。
犯罪者の言い分なんぞどうでもいい、という人もいます。
ご尤もな意見だとも思います。
しかし、原因や理由を追及し、起こりうる犯罪件数を少なくしていくことは、被害者にとっても、あるいは将来的に加害者になる可能性がある人にとっても有益なはずです。
この原因追及の過程において一時的に犯罪者の気持ちを想像することも大事なのかもしれません。
終わりに
宮口氏がいうには発達障害の本は書店にならんでいても知的障害についてはあまりない、とのことです。
確かに2010年頃からADHDや自閉症スペクトラムについて書かれた書物は現れ始め、未だに新書でも出され続けています。
こういった本を読むと、私ズンダも何か障害を負っているのではないかと勝手に思ってしまいます。
いや、もしかすると本当に私も何らかの軽度な障害をもってはいるのかもしれません。
記事でも紹介したように「忘れられた人々」という障害者がいます。
検査の仕方が不正確なために、本来であれば支援が必要であった知的障害の人々が世の中には多くいることを思えば、自分が障害者ではないと断言できるでしょうか。
私たちがぼんやりと聞いているニュース。
犯罪者達の供述を聞いたときにあらわれる言葉。
一考すると何でこんな理由で人を殺したり、強盗したりしたのだろうか、と思ったりします。
しかし、この本を読んで以降は少し考え方が変わりそうです。
もしかすると彼らも障害者であることに気づかれなかった人々であり、その結果、学校や職場で馬鹿にされ、虐められ、自尊心を失い、「被害者から加害者」へと変わってしまった人たちなのではないかと。
本書では、そんな軽度な障害者の人々をどう支援していき、どう教育していくのか解決策も書かれており、教育に携わる人、あるいは自分の子供に不安を覚えている人にとっても一読すべき本だといえるでしょう。
とにもかくにも、軽度な障害をもっている人たちがいた場合、無関心で終わらせることは誰にとってもいいことではありません。
少しでもおかしいと感じたのであればちゃんとした施設にいくことを意識しておくことが、社会にとっても個々人にとっても重要であると思われます。
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ちなみに宮口氏が本書を書くきっかけとなった本は二冊あります。
岡本茂樹氏の本です。ここから宮口氏は「反省以前の少年たち」がいることをかきたいとおもったようです。
もう一冊が『獄窓記』です。元衆議院議員の山本譲司氏が書いた本で、ここに受刑者には障害を持った人が多いことが書かれているそうです。
この本から、宮口氏は務めていた少年院の少年らを今の段階で支援し、救うようにしなければならいことを感じ、本書を書くことになったといっておられます。
*1:ズンダは個人的に「障礙」の字を使うべきだとおもっている。