今回紹介する本は橘玲氏の『上級国民/下級国民』です。
まず、本書の執筆者である橘氏について
橘氏は世の中の流行を逃さず、その時に流行っている象徴的な事象を「エビデンス」を伴って解明していく作家です。
ここ数年で出された本の書名だけをみても、『事実VS本能 目を背けたいファクトにも理由がある』や『朝日ぎらいーよりよい世界のためのリベラル進化論』や『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』などと話題になった主題に敏感に反応して本を書いておられます。
しかし橘氏は単に流行に乗っかるだけの御多分連やわいわい連とは異なる特徴があります。
それが「エビデンス」です。
彼の特徴は数多の本を渉猟し、参考文献を挙げながら自身の論を展開していくところにあります。
これは流行を追っただけの本とは異なり、根拠を重視した物書きだといえるでしょう。
私ズンダは密かに橘氏のことを出版業界のメンタリストDaiGoと呼んでおります。
上級国民と下級国民は先ず何で分けられるのか?
本の目次から察する上級下級
では、本の中身を見てみます。
まず目次をみてみましょう。
- 「下級国民」の誕生
- 「モテ」と「非モテ」の分断
- 世界を揺るがす「上級/下級」の分断
となっております。
すなわち書名にある「上級国民/下級国民」とは上に挙げた目次のように様々な分野での人々の分断のことを指しています。
この本では次のように上級と下級とは分けられているとおもっていいでしょう。
上級=社会的地位が高く金持ち
下級=社会的地位が低く貧乏
社会的地位が高い人はだいたいお金をもっていることからわかるように、煎じ詰めれば「富裕国民/貧乏国民」といいかえることができますね。
金があるかないかで国民が分断されているという事実を軸にして、世の中で起きている様々な事件や出来事を見ていく内容だといえます。
学歴による幸福度のちがい。男女の非対称性。
その中でも今回は「モテ」と「非モテ」の分断を紹介します。
橘氏はまず吉川徹『日本の分断 切り離される非大卒若者たち』から「ポジティブ感情」なる概念を援用します。
ポジティブ感情は次の四つで構成されています。
階級帰属意識 「上流階層」に属していると思うか
生活満足度 生活全般に満足しているか
幸福感 現在どの程度幸せか
主観的自由 「私の生き方は、おもに自分の考えで自由に決められる」と思うか
要するに幸せな人ほどこの感情が高く、幸せでない人ほど低いという話です。
吉川氏の調べから橘氏は次のように要約しています。
引用します。
①非大卒より大卒の方がポジティブ感情が高い
②他の要素が同じなら男性より女性の方がポジティブ勘定が高い(壮年大卒男性は例外)
③他の要素が同じなら壮年より若年の方がポジティブ感情が高い(若年大卒男性は例外)
さて、ここで判明したことがあります。
それは「大卒」の人ほどポジティブ感情が高いという結果だったのです。
我々は大卒といっても東大から所謂Fランク大学までピンからキリであることは承知しております。
しかしここで吉川徹が発見したことは「大卒か非大卒か」が問題であり、「有名大学かFランか」ではないということでした。
つまり、少なくとも大卒の人間はまだポジティブ感情をもてるが、高卒だとそんな感情をもてなくなってしまうという調査結果が明らかになったのです。
更に橘氏は社会学者の橋本健二『アンダークラス 新たな下層階級の出現』を引き、次のデータを示します。
「59歳以下の男性アンダークラスは七割超が高卒以下の学歴で、未婚率が66・4パーセントときわだって高く、40大以下の大半は「生涯未婚」になると推定されます。 個人の年収は213万円と少なく、世帯収入も384万円しかなく、貧困率は28・6%で、預貯金・株式などがまったくない世帯比率は42・5%にのぼっています。」
これも「上級/下級」の分断ですね。
更にこの調査から次のことがわかりました。
若年大卒女性>若年大卒男性>壮年大卒女性>若年大卒男性>若年大卒女性>若年非大卒男性>壮年非大卒女性>壮年非大卒男性
これだけみて分かることが二つあります。
- 高卒ほどポジティブ感情がひくいということ
- もうひとつは男性のポジティブ感情が低いということです。
これはいったいどいうことなのでしょうか。
ここからいよいよ、「モテ/非モテ」に話が及びます。
日本の男性は分断の最たる被害者
男の方が求められるものが大きい。フェミニストとの闘い。
なぜ女性の方が日本において幸福度が高いのかという話は私が以前紹介した部分と殆ど同じなので詳細はそちらに譲ずります。
「モテ/非モテ」による社会の分断が起こっているという指摘です。
今の日本は橘氏の図によればこうなっています。
非モテはビジネスで成功できないお金のない下級国民であり、女性からも相手をされなくなるので性愛からも排除されます。
そして彼らは「非モテ」は女性から抑圧されていると考えているので女性権利を拡大しようとしているフェミニストとぶつかりあうというのです。
これは確かにそうでしょう。
非モテの人からしてみれば「女性よりも自分たちの方が差別されていますけど?」となるわけです。
P123で橘氏が述べているように「女の場合は、社会的・経済的な成功とモテることに関係がない」からですね。
女性は社会でうまくいってなくても、男性はあまり気にしません。
しかし、逆はどうでしょうか?
フリーターやニートの男が女性から相手にされることは殆どありません。
それゆえ、非モテからしてみると本当に差別されているのは自分たちだ、という正当な理由があるわけですね。
実際、橘氏は荒川和久『超ソロ社会「独身大国・日本」の衝撃』から次のような事実を引用しています。
男性では明らかに年収が低いほど未婚率が高く、年収があがるにつれて結婚するようになることです。年収300万円以下では3割、200万円以下で4割が生涯未婚ですが、年収600万円以上で約9割、1000万円を超えると95パーセントがいちどは結婚しています。
これとは対照的に、女性の場合は年収が低いほど結婚し、年収が上がるにつれて未婚になっていく傾向がみられます(女性の年収1000万円以上は母数が少なく、極端なグラフの動きは異常値の可能性があります)※割愛するが、女性の年収が高いほど結婚ができなくなるわけではない、ということも本書では触れられていることに注意。
モテるモテない=上級国民か下級国民か。
つまり、こういうことになります。
モテ=上級国民
非モテ=下級国民
という分断が起こっているといいたいわけですね。
世の中で性愛の話になると必ずLGBTの話がでてきます。
しかしLGBT以前に、世の中には女の人から全く相手にされることがない男性たちがいることは社会問題にはなっていません。
それどころか「モテない人」として嘲笑される有様です。
悲しい黒い犬になってしまったモテない男性
ここで橘氏は御田寺圭『矛盾社会序説 その「自由」が世界を縛る』にある「大きく黒い犬の問題」という説を紹介します。
これは捨て犬の保護施設では毛並みの明るい、あるいは小柄な捨て犬は比較的容易に引き取り手が現れますが、誰にも関心を示されない「大きく黒い犬」のほとんどは殺処分されていくことから、非モテとは「大きく黒い犬」なのではないかというわけです。
本来は問題視されるべき人々が等閑視されている。それを「大きく黒い犬」と形容したわけですね。
終わりに
さて、今回の本はどうだったでしょうか。
橘氏の本はこういうふうに多くの学者や評論家などの論説を交えながら世の中の事象を捌いていくところに特徴があります。
私自身としては彼のいっていることが何処まで正しいかというよりも、こんなこといっている人たちがいるんだな、という論説集のようにして読むのが好きですね。
では、また。ズンダでした。
朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)
- 作者: 橘 玲
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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