西垣通 河島茂生『AI倫理』(中公新書ラクレ)を紹介します。
AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか (中公新書ラクレ (667))
- 作者: 西垣通,河島茂生
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/09/06
- メディア: 新書
- この商品を含むブログを見る
令和に入って以降も、陰惨な事件、事故が続いています。
つい先日あった京急の電車とトラックとの衝突など新しい事故ですね。
道に迷ったトラック運転手が悪いとはいえ、死んでいいということにはならないでしょう。
こういった交通事故のニュースを聞くたびに「AIによる自動運転はどこまで進歩しているのか」と頭によぎります。
と、同時にもしauto vehicle(自動運転車)が事故を起こしたら、誰が責任をとるのだろうか、ともおもいますね。
Googleやテスラやトヨタなどによるテクノロジー合戦が日夜おこなわれています。
日本はアメリカや中国にだいぶ差をつけられており、かなり絶望的な状態であることは以前もふれました。
今回紹介する本は『AI倫理』です。
帯に書いてあるように「倫理的判断がAIにできるのか」あるいは「人間の『知性』を超えることはあるのか」
この記事では皆さんが気になっている自動運転の特徴と課題、そして自動運転における責任問題に焦点を当てて紹介しますね。
更に次に更新する予定の記事ではこの本にかかれているAI全体の倫理について紹介しようと思っています。
自動運転の利点を確認しよう。
①自動運転になることで交通事故が減る。
②トラックやバス運転手の人手不足が解消される。
③移動中、別の作業に集中できる。
④障碍者や、運転が下手な人、免許をもっていない人でも安心して車移動ができる。⑤MaaSという移動サービス。uberなどを想像してみてください。
SAE(Society of Automotive Engineers)=自動運転のレベル
これは自動運転のレベルがどの位置にあるのかを六段階にして分けた指標です。
すべて引用します。
レベル0
人間が全体にわたって運転するレベル。
安全運転を助ける速度超過警告装置などがつけられていればレベル0に入る。
レベル1
加減速あるいは左右方向転換のいずれか一方の制御をシステムが行うレベル。すでに普及している自動ブレーキは、このレベル1にあたる。
レベル2
加速源と左右方向転換の制御が同時に可能であるレベル。道路上の物体などの検知もシステムが担う。
レベル3
整備された高速道路など、特定の環境下でなら自動走行する機能が備えられているレベル。ただし、自動運転がうまく作動しないときに利用者が運転しなければならず、人間による常時監視が求められる。免許をもったドライバーが運転席に座り、すぐさま運転可能な状態を保たなければならない。
レベル4
場所や時間、天候などが所与の限定された条件のもとであれば、ドライバーなしでも運行出来るレベル。
レベル5
完全自動化が実現されているレベル。このレベルになれば、あらゆる環境下におけるすべての操作をコンピュータが担う。ハンドルやアクセスペダル、ブレーキペダルも必要なくなる。まさに夢のような技術である。
ということらしいです。
ちなみに2018年までだと市販車はこのレベル2までであり、自動雨天というよりも運転支援のレベルだといわれています。
レベル3になると我々が想像する自動運転です。ただし、このレベルで事故が起きた場合は運転手が責任をとることになっています。
では、自動運転の課題と欠点は何か?
①高精細のデジタル地図が不可欠。更にリアルタイムで地図を更新しなければ陥没や工事や交通規制に対応できない。
②自動運転は移動データの蓄積をしていくのでカメラやマイクで動画や音声を取得する。この際、プライバシーの保護の問題点がある。
③自動車の機械学習はデータの確率的な分析に基づいて行われるので特殊な場面に出くわした際に、正しく機能するかわからない。台風や雪や雹や路面凍結などに弱い。
④サイバーテロの危険性がある。不正にAIシステムが改竄、破壊され自動運転がコントロール不可能になるかもしれない。ソフトウェアの更新も欠かせない。
というように、完全なる自動運転になるまでは解決しなければならない問題は多いようです。
5Gの到来によって大容量のデータが即座に送れるようになるといわれています。
何処まで自動運転が進歩するのか楽しみですね。
※トロッコ問題のイラストまであることに吃驚しました。
自動運転によるAI倫理はどうなるの?‐「トロッコ問題」から始めて‐
実は倫理的問題はそんなに考える必要がない
結論から言うと倫理については大して考える必要がありません。
自動運転の責任問題について考えるときに必ず挙げられるのが「トロッコ問題」です。
トロッコの前方に五人の人々がいます。
五人を引かないように転轍機(左右の線路にいくための機械)を引いてかわすことができます。しかし待避線(今自分が走っている線路と別の線路のこと)にも一人いるという設定なので、どちらへいっても誰かは死にます。
五人の命か一人の命かを選ばなければならない、というのが「トロッコ問題」です。
しかし著者らによれば、この問題は自動運転においては安全最優先という社会規範をAIプログラムに埋め込めばよく、悩むような問題ではないといいます。
というのも車の技術を高度に改善すれば安全性は高まるわけです。
事故の件数が減るので倫理的な問題は解消します。
車の事故の大半は人のミスによるものだといわれています。
2018年に日本国内で交通事故による死亡者は3532人でした。
WHOによれば135万人とのこと。
もしこの数字が半分になるとしたら、自動運転に倫理的に反対することは誰にもできないでしょう。人が運転するよりも安全だからです。
自動運転の事故は誰が責任をとれるのか
倫理の問題よりも責任の問題の方が遙かに厳しいといえるのが自動運転です。
まず、自動運転は事故の原因究明が非常にむずかしいです。
①プログラムの設計開発ミス
②センサーなどのハードウェアの問題
③サイバーテロによる攪乱
などが考えられます。
AIは便利ですが、様々な人や高度な部品や機能などが関わってくるため透明性が失われて、ブラックボックス化していきます。
上に挙げた①~③のどれにも多くの人や製造会社などが関わっています。
最悪、誰も責任をとれない状態になる可能性まであります。
それゆえ、筆者は公的/私的な救済措置によって被害者に賠償金をはらうなど各種制度の整備が不可欠になるといいます。
終わりに
今回の記事では自動運転の便利さや問題点、そして自動運転の責任は誰が負うのかについて書きました。
まとめると次のようになります。
自動運転は事故件数を減らす。
我々が想像しているようなものになるにはかなりの時間がかかる。数々の事故が起こり、完全自動運転が実現するかわからない。
自動運転において優先されるのは安全性である。基本的には人間が運転するよりも自動運転のほうが事故件数は少なくなる。人が運転するよりも自動運転のほうが安全なのであれば、倫理的な問題はあまり問われることはない。
よって、倫理よりも事故の責任者が誰なのかであることが問題になるだろう。
もし事故が発生した場合の原因究明が困難であるのが、自動運転の難しいところである。
次の記事ではAI倫理、全体についてかいていきたいとおもいます。
もしかすると、次の記事から読んだ方が楽かもしれません。
では、ズンダでした。
↓ロボットと倫理の問題を書いた本です。専門書なのでむずかしいかもしれません。
「トロッコ問題」のような倫理学によくある話題をまとめた本です。
自分は何に賛成できて何に反対しているのかが問題を解いていく内に明らかになります。
- 作者: マーティンコーエン,Martin Cohen,榑沼範久
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 文庫
- 購入: 7人 クリック: 68回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
↓下の二冊は、極端なことを考えて、この世界のあらゆる問題について自分の線を引くために使える本です。思考実験とは世界をどう捉えるかの確認につかえます。
- 作者: ジュリアンバジーニ,河井美咲,向井和美
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
- 購入: 7人 クリック: 51回
- この商品を含むブログ (17件) を見る