さて、このブログ、新書の紹介を中心とした記事をあげておりますが
管理人である私ズンダは昔からゲームが大好きです。
それゆえ、私のTwitterをフォローしていらっしゃる方々は私がTwitter上でスプラトゥーン2についての呪詛をひたすら吐き続けているのをご覧になっておられるでしょう。
Nintendo Switch 本体 (ニンテンドースイッチ) Joy-Con(L) ネオンブルー/(R) ネオンレッド(バッテリー持続時間が長くなったモデル)
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2019/08/30
- メディア: Video Game
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実際、暇さえあるとコントローラーを握り、このスプラトゥーン2というゲームをやってしまうぐらいはまっております。
やっている限りにおいては確かに面白い。
しかし、このゲームをやっていて悲しくなったりつらくなったりすることが多々あります。
それは何か。
↓私のプレイです。
全く上手くならないという恐怖
このゲームをやっていると悲しくなる。
どのゲームでもどの分野でも人間には自分の限界があります。
スポーツでいうと、地区大会優勝や全国大会での優勝、果ては金メダルまで。
欲をあげればきりがありません。
我々はドラフトで有名になった選手を知ってはいても、才能はあったがプロにはなれなかった選手を思い出すことはありません。
たとえ、ドラフト一位を獲得したとしても、
話題になったのはそれが最後!という人たちも大勢いるのです。
そんな彼らはどんな気持ちで余生を送っているのでしょうか。
「自分はそこそこ才能があった。
小学校や中学校や高校で敵などいなかった。
それなのに、プロになれなかった。」
こういった痛烈な哀しみに襲われているに違いありません。
私にとってスプラトゥーン2はそういう自分の限界を強く感じさせるゲームです。
このゲームをやると、
「なんで自分はこんなに能力が低いんだろう」と本気で悩み、押しつぶされそうになります。
他の人たちが私と同じだけの時間をかけたら、たやすく腕前をあげているだろうに、どうして自分だけがこんなに下手なままなんだろう、とそんなことを考えながらいつもゲームをやっています。
とにかく、つらくてつらくて、しょうがない。こんなゲームが世の中に存在していることが許せなくおもっております。
私の腕前と資格試験合格の時間との比較
私の腕前は
ガチホコ S+3~X
ガチエリアA+~S+2
ガチヤグラA+~S+2
ガチアサリS~ S+2
を変動し続けています。
ホコでXを取ったときは、他のもXへいけるだろうとおもいきや、今となっては実力がなかったのでしょう。他のルールはおろかホコですらS+まで落ちてしまいました。
この間、やっている時間は大してかわりません。
総プレイ時間2300時間ですが、全く成長しませんでした。
ちなみに資格試験に受かる必要時間を調べてみると以下のようになります。
税理士 2,500時間
国家公務員Ⅰ種 2,000時間
米国公認会計士 1,500時間
社会保険労務士 1,000時間
TOEIC800点 1,000時間
日商簿記1級 800時間
行政書士 600時間
宅地建物取引主任者400時間
日商簿記2級 250時間
なんと、ほぼ税理士になれてしまうかもしれないぐらいこのゲームをやっているわけです。
それで、腕前がS+0あたりが限界なのです。
いや、これには顔面蒼白になってしまうほどです。
当たり前ですが、「スプラトゥーン2」がべらぼうにうまければ、大会にでたりyoutuberとして人気がでたりするので、そこで日銭を稼げたり、あるいはサラリーマンの年収を超えるぐらいの収益を得たりしている人たちもいます。
が、そうでない人がこのゲームをここまでやって何の意味があるのでしょうか?
スプラトゥーン2に呪われている
正直、今すぐSwitchからデータを消すか、ゴミ箱に投げ捨てるかして、自分の目の前からなくしてやりたいぐらいです。
実際、私はSwitch本体を縛り上げて、押し入れに隠したことがあります。
しかし、次の日になると、鎮座ましますSwitchが物々しい顔をしてテレビの前に据えてあるのです。
もはや、怪談話でよくある呪いの人形と変わりません。
「ひえっ!」と声をあげてしまうほどです。
それほどまでに、スプラトゥーン2側から「はやく腕前をオールXにせよ」と脅されているのです。
そういうわけで、私にとってこのゲームは「糞ゲー」なわけです。
面白いといいつつ、糞ゲーとも思ってしまう。
そんな相反する感情を人は矛盾と呼ぶでしょう。
しかし、負けた分だけ勝ったときの満足感や喜びは大きい。
このゲームはアリストテレスが述べた言葉をニーチェが解釈した意味での
カルタシスがあるのです。
誰でも腕前Xになれるという虚言
ウソつきはなぜ生まれたか
またネット上で流れるよくわからない空言として「誰でも腕前Xになれる」という言葉があります。
明らかに間違いです。
このゲームではガチアサリ、ガチエリア、ガチヤグラ、ガチホコという四つのルールがあります。
それら全てにおいてXに到達している人は上記の記事によれば0.7%しかいないのです。
ということは明らかに「誰でもXになれる」
といってしまう人は、虚言癖の持ち主か、あるいは0.7%を100%のことだと勘違いしているというわけです。
無論この「誰でも」は100%といってるのではなく、七割、八割ぐらいを指しているだろうことは理解しています。
論理学の世界じゃないんだから。
では、七割や八割もXっているのか?ということが問題になります。
虚言癖はいたとしても、0.7%と七割や八割をまちがえるやつがいるわけないだろ!
と思う方もおられるかもしれません。
しかし、意外に有りうるのではないかというのが私の見立てです。
ウソつきなんじゃなくて、本当に「誰でも」なれると思っている?
今年、2019年において以下の本が出版されました。
この本と似たようなタイトルを何処かで見かけたことのある人たちがおられるかもしれません。
そう、1999年に東洋経済新報社から出された『分数ができない大学生』*1をもじった本がこの『パーセンテージがわからない大学生』なのです。
この本に記されているのは日本の大学生がパーセンテージを理解してない人が多いということが書かれていて、特段、意外でもなかったりする本です。
というのも日本の学力低下などはずっと前から騒がれておりました。
それこそ「ゆとり教育」以前から日本の教科書は七十年代と比べるとペラペラになってきておりました。
また、教育課程の水準を下げた理由というのが今も昔も変わらず、「いじめ」や「自殺」が多いのは詰め込み教育のせいである、という論調が強かったためで、根本的に因果関係がないことを悪玉にしてしまっているのです。
※↓以下の記事も読んでいただきたい。「ゆとり教育」で逆に学力はあがったのではないか、という記事である。しかし、私ズンダがここで述べている「分数」や「百分率」の理解が深まったかどうかは下記の本では判然としないことは付記しておく。
よって、「ゆとり教育」を受けた人間を馬鹿にしている側が、実は「元ゆとり教育」を受けた世代だったりするのですが、それに気づかないことが、これまた、「ゆとりなんだな……」と思わせるに足るところが面白い。
閑話休題。
ということで、もしかすると、パーセンテージがわからないために、100%も0%も区別が付かなくなっているということは考えられる話です。
これに限らず、「五割マッチングだから半分は勝てる」という書き込みもあったりします。
ただこれはまあ、大数の法則を知らなくともしょうがないと思います。
さて、少なくとも「誰でも」ということはありえないとわかりました。
※追記
ただこれは、日本で受けている言説が「努力論」なのも関係しているんだと思っています。
つまり、「失敗するかもしれないけど、やってみよう!うまいくかもしれない」という言論に乗せられてしまう理由というのは、割合を無視してしまうからなのかもしれないということです。
100人に1人とか10000人に1人とか、そういうのを考えていないと、人生を見誤ります。
ミクロについて考えるのは好きだが、マクロについては考えない癖というのはこういうところから来ているのかも。
マクロについて何も考えないなら、すべて自分の責任になりますよ。
あらゆる問題全てを個人に換算するのが好きなんですよね。
↓このあたりも、ブログで紹介してみたいところです。
これからどうすればいいのか
さて、これから私の道は三つあります。
- もはやXになることは諦める。
- スプラトゥーン2をSwitchから削除する
- オールXを目指す
1をえらんだ場合
もうこのゲームをやることはないでしょう。
私はガチマッチは面白いと思っても、他の競技が面白いと思ったことが全くありません。
2をえらんだ場合
お金がもったいないなと思います。せめて、ソフトで買っていれば売ることができたのに。残念。
3をえらんだ場合
はっきりいって、独学で腕前をこれ以上あげるのは無理だと思っています。
よって、上手い人、しかも「腕前がある且つ教えることが上手い人」を雇う以外にない。
しかし、これもまたお金がかかるので、大変だなあと。
生計に余裕があるわけではないので難しい
これに関してはまだ結論がでておりません。
一番いいのは独学でうまくなることなのだが、それが出来ないから隘路にはまりこんでしまったわけですね。
というわけで、「成長できない男」の記事でした。
↓ちなみに才能に関してはこの本が面白い。
↓一流になる人の練習法がかいてあります。たまに読み返して、才能がない自分を慰めてはいますが、「やっぱり、努力ではないんじゃないの?」と思ったりします。
※この後、私ズンダはすべてのウデマエでオールXを達成した。
スプラ界隈で、私並に時間をかけてウデマエXへいった人物は散見されているが、だいたい中年が多い。
思っていた以上に、年齢がものを言う世界だということだろう。
いってしまえば、年齢がいっている人はウデマエXなど高望みである。
これが客観的な事実である。
以下の文は私がウデマエを上げていく中で書き連ねていったものだ。
スプラの世界でここまで書き尽くした人物は、私をおいて他にいない。
*1:後にこの本は苅谷 剛彦『大衆教育社会の行方』で批判されている。