本書の要約
・インターネットは人々の考えを過激化させ、分断を生むといわれることが多いが、それは正しくないことがわかった。
むしろ民主主義を進歩させるものである。改良して使っていけば新聞や雑誌などで情報を得るよりも遙かに人類に寄与するといえる。
インターネットをみていると、過激な主張に出くわすことがあるとおもいます。
有識者たちが以下のようなことをよくいっていますね。
インターネットは人の考えや思想を先鋭化してしまう。「ネトウヨ」みたいなのをつくってしまうから、テレビや新聞のような良質なメディアとは異なる。大変危険である。
これは事実なのでしょうか?
たとえば、今回、富士山でニコニコ生放送をしていた方が滑落して、亡くなりました。
それについて様々な意見が飛び交っています。
「雪山にこんな軽装で臨むなら死んで、当然だ。」
「冬の山をなめている。」
「放送しながら山に登るなよ。」
といった批判的な意見もあれば次のような理解や同情を示したものもあります。
「亡くなった人に鞭をうってもしょうがない」
「癌を克服したから万能感がでて、行動してしまったんだろう」
「前にコーヒー缶を富士山で配っていていい人そうだった」
これらをみると、一つの話題に関して多様な見解があることがわかります。
決して、過激な言葉ばかりではないということは誰の目にも明らかですよね。
いったいインターネットは危険なのだろうか?
偏った意見ばかりが集まっている世界なのだろうか?
それに対して答を出したのが今回紹介する本『ネットは社会を分断しない』です。
この本は今年読んだ本の中でも、重要で社会的な価値があるといえます。
では、見ていきましょう。
知識人達の希望と絶望そして、思いがけない調査結果
ウェブ調査で分かる実態
本書は次のような調査を行い、それを分析したものです。
1回目 2017年8月実施 10万人
2回目 2018年2月実施 5万人
3回目 2019年5月実施 2万人
2回目の調査は1回目と同じ対象者に送った追跡調査であり、3回目は補足のための調査です。
非常に大規模な調査だといえるでしょう。
ここで筆者らが取り上げたテーマは「政治学・社会学」です。
「ネトウヨ」や「パヨク」の存在
インターネットで右寄りの発言をしている人たちのことを
「ネトウヨ」とよびます。
特徴:「中国韓国が全て悪い」
「日本は世界でも凄い国」
「安倍政権批判をするやつは左翼」
インターネットで左寄りの発言をしている人たちのことを
「パヨク」と呼びます。
特徴:「地震や台風は安倍晋三がスキャンダルを隠すためにわざと起こしている」
「日本がありとあらゆること全て悪い、日本死ね!」
「日本はオワコン」
彼らの発言は2ch(現5ch)のまとめサイトやTwitterやブログ上で簡単にみることができます。
彼らの存在は政治に興味をもっている人であれば、見聞きしたことがあるでしょう。
かなり拘りの強い人たちです。
上の特徴をみると、ネットのせいでこんな荒唐無稽なことをいう人たちがでてきてしまったのかと絶望的な気持ちになりますね。
詳しく知りたい方は物江潤『ネトウヨとパヨク』(新潮新書)を読んでください。
帯表紙にある「右でも左でもない無知なのだ」は印象的なことばです。
ネットは社会をよくするという物語
ネットの黎明期において、知識人たちは多くの情報を個人が受容できるようになるので、世の中はもっとよくなるとかんがえていました。
ハワード・ラインゴールド『バーチャル・コミュニティ』という本が一九九〇年代に出版されています。
バーチャル・コミュニティ―コンピューター・ネットワークが創る新しい社会
- 作者: ハワードラインゴールド,Howard Rheingold,会津泉
- 出版社/メーカー: 三田出版会
- 発売日: 1995/06
- メディア: 単行本
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その中でラインゴールドは次のようにいいます。本書から引用します。(p17)
CMC[引用者注:Computer Mediated Communicationの略で、ネットを表す当時の用語]のもつ政治的な意義は、強力なマスメディア上に乗っかっている既成の政治勢力の独占に挑戦し、それによっておそらく市民に基盤を置いた民主主義を再び活性化させることができる能力にある
と述べています。
ネットが民主主義を更に進歩させると考えていたわけですね。
多くの人が情報の交換ややりとりをすることで、自分が知らなかった考えを学ぶ。
そこで、正しいことや問題点などが共有、整理されていくから、国や世界全体の解決すべき問題への冷静な議論がうまれ、みんなで力を合わせて困難を乗り越えていけるはずだ、と期待していたのでしょう。
しかし期待とは裏腹に「ネトウヨ」と「パヨク」にみられる対立、分断が生じてしまっています。
その結果として、日本でも梅田望夫(『ウェブ進化論』)や哲学者の東浩紀などはインターネットで理性的な議論は発達することがなかった、むしろ敵対関係が生じてしまい、お互いの対立が先鋭的になっていくだけだった、と失望してしまいました。
所謂、「社会の分断」というやつですね。 これは学術用語では分極化と呼ばれるようですが、本書ではほぼ同じ意味で使うと書いてあります。
※どちらかというと「意見が強い」という感覚のほうが本書を読む際はわかりやすい。
ネットのせいで社会の分断は進んだのか?
Twitterなどで自分と同じような意見の人をフォローしますよね。
こういったことを「選択的接触」といいます。
そして、同じ意見に囲まれることで、自分の意見が「正しい」と思いこむようになるのを「エコーチェンバー」といいます。
以前、上の記事でも紹介しました。
エコーチェンバーは残響部屋=声が反響する部屋のことをいいます。
同一見解をもつ人たちの書き込みを繰り返しみるために「皆が自分と同じ事を考えている。自分はやはり正しいのだ!」と思うようになってしまうわけですね。
インターネットはこの「選択的接触」が起こりやすいといえます。
というのも、テレビをみていたり新聞を読んでいたりすると、自分が知らなかったことや興味のなかったことでもついつい目に入りますね。
しかし、ネットは自分が見たい情報を優先的に選ぶことができてしまうために過激化しやすいのです。
本書の調査においても「ネットメディアを利用する人の方が過激である」という結果が得られています。
ということは、やはりネットは危険なメディアなのでしょうか?
ネットは社会を分断などしていない。むしろ、穏当な人間を作っている。
中高年の方が分断が進んでいる
そう決めつける前に知っておくべき調査結果があります。
それは中高年のほうが過激になっているということです。
調査から次のようなことがわかっています。
・20代と70代では政治的な過激さの点で、男女の平均的な差(男性0.69 女性0.54)と同じぐらいの差がある。(図をみせる)
・保守もリベラルもどちらも「高齢者」ほど過激になる。
何かおかしいとおもいませんか。
もしネットが原因で過激になる人がでてきてしまったのならば、どうして「高齢者」ほど若者よりも過激な人が多いのでしょうか?
若者の方が新聞雑誌テレビを受容するよりも、ネットで情報を得て、発信しているはずですね。
この問題は事実、2017年に起きた「弁護士大量懲戒請求事件」を思い出してもらうとわかりやすいかとおもいます。
この弁護士懲戒請求事件に関わった人たちの平均年齢は55歳。
男性が六割ということがわかっています。
私も最初、このニュースをみたときに年齢層が上であることに驚きを禁じ得ませんでした。
てっきり、十代や二十代などが多いのかと思っていたのです。
ちなみに、アメリカスタンフォード大学のゲンコウらによる調査でも中高年ほど分極化が進んでいるということがわかっています。
彼らにいわせると、アメリカの分断は資産活用やグローバリズムや移民問題でありネットのせいではない、とのこと。
ここまでで分かったことは次の二つです。引用します。
A「ネットメディアを利用する人ほど分極化している」
B「若年層ではなく中高年で分極化が起きている」
ネットは若年層の方が利用していますから、AとBは両方が成り立つということはないようにみえますね。
Aが正しいのならば、若年層が過激化するはずだからです。
となると、いったい何が答えなのでしょうか。
筆者らは因果関係が逆だと気づいた
この二つ、AとBとを成り立たせるためにはどうすればいいのか。
答えは簡単でした。
Aの因果関係を逆にすれば良いのです。
つまり、
×「ネットを利用したから過激になった」
○「過激な意見をもっていたからネットを使うようになった」
ということなのです!
著者らはこれを証明するために様々なデータ分析を行い、この説を証明しています。
もとから政治的に発言したいことがあったので、積極的にネットを使い、自分の主義主張を述べているのですね。
逆に主義主張がない人はそもそもブログだったりTwitterで発信自体しない。
更にその過程で驚くべきことがわかりました。
ネットは人を穏健にする
ネットを使うと、人々の意見は過激にならない。むしろ、穏健化することが判明してしまったのです。
ただし例外があります。
それは初期時点で政治的に強い意見をもった人がTwitterを使った場合のみ、分極化が一段と進行するということです。
ところが、これがブログやフェイスブックだと、彼らですら穏健になります。
理由は不明、とのこと。
ズンダの考え
私が思うに、Twitterはやはり自分中心の世界を作り上げていくところが大きいのかと思います。
フォローもフォロワーも自分で自在に選んでいきますからね。内に籠もる性質がある。
実はこれを壊してくれるのがフォロワーからたまにくるリツィートだったりします。
いくら似た傾向の人を選んでも、すべてが同じというわけにはいきませんからね。
むろん、RTは主張を更に激化させる力もあるわけで諸刃の剣ですが。
ブログは色んな人の意見がみれます。
たとえばまとめブログで政治的な話をあったとしましょう。
すると、人気のあるまとめブログであればコメント欄に数十数百個のコメントがつきます。
これを全て読む人はいないと思いますが、ざっくばらんに見る人は多いでしょう。
そうすると、賛成反対の意見が比率は異なるものの並ぶことになる。
自分は初めはAという意見に賛同していた。
しかし、Bを支持する人たちのコメントを読んでいくうちにAという意見が絶対ではないことがわかってきた。
と、その人がもともともっていた意見を中和するわけです。
また、フェイスブックは実名や顔写真などをのっけたりします。自分の素性が完全に割れている状態で「強い意見」をいうのはだいぶ度胸の要ることですから、穏当な見解ばかりが並ぶわけですね。
たとえば、何かを書き込む際に「あなたの顔写真をセットにして書き込んでください」といわれたら、本音を書けますか?
更に具体的に考えてみましょう。
あなたが次のことを書き込むと仮定します。
「女ばかり優遇されている社会はおかしい。映画館も女は安くなるし、男にいつも奢ってもらってるし。日本は女性優遇社会だ!」
この見解を顔写真付きで書き込めるでしょうか?
まず、あなたがイケメンでなかった場合、おそらくこういう批判がきます。
「こいつはブサイクだから、もてないんだ。もてなくて、ひがんでいるから、女性を軽視するような発言ばかりするんだ。そうにちがいない」
名前や顔がバレてしまうことの恐怖はこれなのです。
・自分の意見に対して、自分の属性(学歴や経歴や顔)などが加味されるようになる
・その人の意見が正しいかを判断されづらくなる。
以上のことから、フェイスブックやブログは人を穏健化させる効果があるのだと思われます。
脛に傷があると好き勝手なことはいえなくなるものです。
と、同時に自分にも弱点や変なところはあるのだと思うようになる。
だとしたら、他人の意見をそんなに激しく否定したりできるのだろうか?という思いやりや躊躇があらわれるのではないか。
ちなみにこの研究はドイツやスペインやアメリカでも行われているらしく、やはりネットは人々を穏健にさせる結果がでているようです。
ということでこの穏当化議論のまとめを本書から引用します。
(1)ネットメディア利用開始後に分極化は低下傾向である。すなわちネットメディア利用開始で人々は過激化せず、穏健化する傾向にある。
(2)有意な結果に限ると、穏健化するのは20代~30代の人がブログを使い始めた時、女性がブログを使い始めたとき、元々穏健だった人がツィッターを使い始めた時である。
(3)逆に有意に過激化するケースは、元々過激だった人がツィッターを使い始めるケースである。
選択的接触の効果は思ったより少ない
ちょっと待てよ。それなら最初の方に書いていた人々を分断させる結果とやらは何のことだったのか?と思われた方も多いでしょう。
この答えとしては
・思われている以上に分断の効果は少ない
ということでした。
・選択的接触は現実でもネットでも必ず行われている。
しかし、ネットにおける選択的接触は新聞や雑誌のほうが強いということがわかった。
筆者らはフェイスブックとツィッターにおいて、対象者たちがフォローしている言論人やタイムラインで見かける言論人を調査しました。
こうすることで、人々が「自分と意見の異なる見解を目にすることはあるのか?」がわかるからです。
自分と反対意見の人と接触することを「クロス接触率」とここではよんでいます。
結果として、約四割は自分と異なる意見の人をフォローしたり、その人の意見をみているということがわかりました。
たとえば、10人をフォローした場合、6人が保守系であり、4人がリベラル系ということです。
ここから、案外、反対意見も目にしていることがわかります。
これはブログでも大差ありませんでした。
では、やたらに称賛する人がいる雑誌や新聞などで情報を受け取っている人たちは、反対意見を目にしているのでしょうか?
・新聞雑誌などオールドメディアから情報を受け取っている人間の方がクロス接触率が低いことがわかった。つまり、ネットよりも雑誌新聞だけを読んでいる人のほうが偏った考え方をもちやすいことがわかる。
ネットは偏った考えを助長する!などといわれていましたが、それは間違っていたということですね。
これは新聞の価値を声高にうったえている人たちにとっては脅威でしょう。
自分らがいっていた偏らない公平な視点とやらは、新聞雑誌からは得がたいということがわかってしまいました。
では、どうしてこんな差ができてしまったのでしょうか。
まとめてみましょう。
・雑誌や新聞はコストがかかる。知識人でもなければ朝日、産経、毎日、読売、日経新聞などを毎日読んでいる人などいない。
ツィッターなどでは自分と反対の人をフォローしたりリツィートするだけでよい。
はやいしお金がかからないで多角的な視点を得られる。・ネットは一部の現象が誇張されてみえてしまう。本当はエコーチェンバーなど大して起こっていない。炎上などが良い例である。わずかな人しかかかわっていないのに、日本全体で問題が起きているかのように感じてしまう。
だから、ネトウヨやパヨクの書き込みをみただけで、必要以上に「おかしな奴が増えている!」などと反応してしまうのですが、それは極一部だったりするわけです。
ネット社会には期待ができる。ただし、修正すべきところもある。
というわけで、筆者らは次のように述べます。
「ネット草創期の希望はまだ死んでない」
そうです。東浩紀や梅田望夫は絶望していましたが、調査結果として人々はネットを賢く使い、自分と違う人々の意見にも触れているのです。
だとすれば、絶望するどころか、むしろ希望をもつべきでしょう。
彼らが昔、抱いていた希望は現実のものになってきているのですから。
筆者らはネット言論の改善策として「中間的な言論の場」を作り出すことで抵抗できないだろうか、といっておられます。
つまり、極端な意見をもった人たちではなく、分布でいうと中間のほうに位置する人たちを集めたSNSがあればいいのではないかというわけです。
私が思うには、筆者らのやっているようなデータを中心とした言論の場が出来れば良いのではないかと思ったりはします。
やはり、数字や統計というのは感情的な判断や妄想というのを断ち切るのに最適ですし、それらを共有した上で議論をすれば、罵倒の応酬ではない、有益な発話が可能になるのではないかと。
とはいっても、事実が受け入れられるかというと、人間の限界もあるわけで、むずかしいところです。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
- 出版社/メーカー: 日経BP
- 発売日: 2019/01/11
- メディア: 単行本
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↑我々はネットをただやっているだけだと、「ネットで見える世論」に騙されてしまう。
終わりに
本書の結論はタイトル通りです。
私もこの本を読むまで、ネットにこれだけの情報が転がっていて、誰もが昔よりも有益な情報を得られるようになったのに、お互いを罵り合う書き込みばかりで嫌になるなあ、などと思っていました。
しかし、こういった本を読むと、「リアル」は私の思い込みとは異なるというのをまざまざと見せつけられ、考えを変えるきっかけができました。
大部分は大量のデータと、それを如何にして分析処理していったのかがかいてあります。
データから仮説を立て、それを検証していくところも醍醐味の一つでしょう。
今回の記事では多くの人が知るべき調査結果を中心にまとめてみましたが、もっと詳しく知りたい方は上の記事はじめの商品リンクから、お買い求めになるとよろしいかと存じます。
では、また。
ズンダでした。