さて、今日は野口久美子『インディアンとカジノ』(ちくま新書)を紹介していきます。
この記事で分かること
☆「インディアン」とは誰か
☆「保留地」に住むインディアンとは
「インディアン 嘘つかない」という歌詞を口ずさんだことはありませんか。
この歌を歌ったとき「インディアンという部族は正直で親切な人たちの集まりなんだろうな」と子供心に思いました。
皆さんもインディアンについて悪い印象はもってはいないでしょう。
むしろ、アメリカ大陸に渡ってきたイギリス人によって奴隷にされたり、虐殺されたりした可哀想な被害者という認識ではないでしょうか。
そんなインディアンが「カジノ」経営で稼いでいることをご存じでしょうか。
今回はインディアンに認められた税金がかからずに商売が出来る「保留地」の存在と、その経緯とを縷々かいていきたいとおもいます。
インディアンとは誰のことをいう?
インディアンの人口
インディアンといっても、部族の衣装を着て、馬に乗って生きている人だらけではありません。
イギリス人に侵略されてから数百年以上経っているわけですからね。
彼らの生活も現代風に切り替わっています。
しかし、そうなると、インディアンなのかイギリス人の末裔なのか、外見上では判断できません。
アメリカの国勢調査の項目は以下のようになっています。
「白人」
「黒人、あるいはアフリカ系アメリカ人」
「アジア系」
「ヒスパニック、あるいはラティーノ」 「アメリカン・インディアンおよびアラスカ在住民」
さすが、「人種の坩堝(るつぼ)」といわれるだけあって、多くの分類がされていますね。
インディアンには種々の権利が与えられており、その権利の受益者になるには「自分がインディアンである」ことを証明できなければなりません。
この国勢調査によれば「アメリカ・インディアンおよびアラスカ先住民」そして「アメリカ・インディアンおよびアラスカ先住民との混血」と申告した人の数は
- 約293万人(アメリカ人口の0.9%)
- 約520万人
現時点でのアメリカの人口が3億3千万人ほどであることを考えれば非常に少ないといえますね。
連邦承認部族こそが特権をもつことが許されたインディアン
しかし、本書では国勢調査上の数字に表れたインディアンをインディアン扱いはしません。
「連邦承認部族(アメリカが公式に承認し、インディアン政策の対象としている部族)」の成員を「インディアン」と限定しています。
その数、約190万人。
これは「成員規定」を満たした人たちのことです。
その規定は「血統と居住の条件」が代表的な要素です。
この連邦承認部族でないとと「インディアン」としての特権を得ることができません。
つまり本書における「インディアン」とは連邦承認部族である「インディアン」のことです。
「特権」はインディアンに対する各種サービスや「保留地」における自治権を行使できる権利です。
この「保留地」は「アメリカがその責任においてインディアンの専有的な使用を認めている土地」を指します。
「国家の良心」という概念と保留地
部族を承認することで、アメリカという国を成立させた
アメリカはヨーロッパ人によって侵略され、建国に至った人口国家です。
部族全部を根絶やしにすることはできず、彼らも残存したまま一つの国家として存立するはめになります。
当然、部族達の反発は凄まじいものがあります。
普通に暮らしていたのに、いきなり「アメリカ」という国をつくられても、ついていけません。
盗っ人猛々しいですよね。
そもそも国家という概念自体が部族にはないのですから、尚のこと理解ができない。
というわけで、アメリカ政府は「ここの部族の一つの主権国家として認め、その部族から土地を貰い受け、見返りに部族の自治を認める」という手に出ました。
一八世紀から一九世紀にかけてアメリカ政府と各部族との間で数百もの条約締結が行われたそうです。
これをウェルコム・オッシュバーンは
「国家の良心」と呼んでいます。
侵略した事に関して国家としての責任を負うことで、各部族をとりまとめようとしたわけですね。
こうして573の部族で自治を行うために部族憲法と部族議会を作り、自治をおこなっています。
「保留地」という特別区
保留地は特権が認められており、また独立した存在であるために州、群、市などの地方自治体の法律や規定が適用されないことが多いのであります。
例えば、保留地内で販売される酒やたばこ、ガソリンは州の消費税が適用されることはありません。またインディアンは基本的に州や自治体への住民税をはらうこともないのです。
こうなると、州に住むインディアン以外の人たちとインディアン達との間で軋轢が起こり始めます。
同じ所に住んでいても権利が違うとなれば、不平等を感じるからですね。
事件があった場合、保留地における犯罪は、連邦もしくは州警察の管轄によって行うことになっています。
しかし、部族の権利もあるために、この三者が絡みあい、捜査が難航してしまうことがあるようです。
その複雑さを描いた映画映画『ウィンド・リバー』が本書では挙げられています。
この権利の複雑さとインディアンによるカジノ経営とが衝突した事例があります。
1980年、カリフォルニア州南部の部族カバゾンが保留地内にカジノ場を開きました。
しかし州ではカジノを禁止していたために直ぐに営業停止を命じます。
これが法廷闘争になり、アメリカ最高裁判所にまでもちこまれました。
1987年、最高裁は「保留地における部族カジノ産業は州には規制されない経済行為」であるとの判決をくだします。
これにより、「州の権利」よりも「部族の権利」のほうが優先されるようになります。
実はカジノは1970年代から一部の部族によっておこなわれていました。その度に法廷闘争になってしまっていたのですね。
この争いに決着をつけたのがカバゾン判決だったわけです。
というわけで本書の著者である野口久美子氏は1987年カバゾン判決を劃期的なものと考え、「部族自治の発展期」と述べておられます。
ここにおいて保留地産業がいよいよ活発していきます。
保留地産業とは
・カジノ
・林業
・アルコール販売
・観光産業
・採掘業
・飲食業
・たばこ
上記の産業を通して、インディアン達は経済的に潤い、ようやく自活できるようになりました。
ここでようやく本書の題名である「インディアン・カジノ時代」が到来します。
インディアンの基本的に貧困である。
無論、保留地産業はその州に生きている人たちからすると、嫉妬の対象になっています。
しかし、以下に挙げるようにインディアンは基本的には貧困状態にあります。
引用します。
インディアン保険局の調査によれば、二〇一〇年の保留地の平均貧困率は二八・四%であり、保留地に居住する世帯のうち三六パーセントが貧困レベルにある(アメリカの平均世帯貧困率は9.2パーセント)
全国平均と比較して保留地では教育、医療制度、住宅・インフラ環境も悪い。
というわけで、インディアン全体としてみると、まだまだ全国平均より圧倒的に経済状態が悪いのですね。
そこに表れた保留地産業を行うことで金持ちになったリッチ・インディアン。
彼らが裕福になることで、インディアン社会を改善するために投資をし、仲間たちを救っています。
そう考えると、自治権が強く、無税である保留地産業への非難があったとしても、一概に否定できるものではないでしょう。
さて、ここまでで「インディアンとは誰か」と「保留地という特権」について紹介してきました。
次回は「ビトリア理論」と「信託責任」と「レッドパワー運動」を取り上げたいと思います。
ズンダでした。
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