前回からの続きです。
この記事を読むと以下のことがわかります。
☆インディアンを国家として認めるビトリア理論
☆インディアンの権利を守る判決 マーシャル最高裁判決
☆何度も政府から無視されるインディアンと対抗するインディアン
コロンブスのアメリカ大陸の発見とスペイン人の侵略
ビトリア理論とは何か?そして、それはインディアンにとってどんなものだったか
一四九二年八月三日、スペインから西回りのアジア航路を開拓すべく大西洋に乗り出したコロンブスはアメリカ大陸を発見します。
彼はそこがインドだと思ったまま死にますが、ここからインディオとヨーロッパ人との衝突が始まります。
コロンブスは王様宛の航海日誌において大量の金があることを告げたために、スペイン人の探検家達「コンキスタドール」がが金銀財貨を求めて西インド諸島から現在の中南米、さらに北アメリカの太平洋岸まで押し寄せます。
ヨーロッパからもたらされた天然痘、腺ペスト、結核、マラリア、黄熱病の病原菌がインディオたちを襲います。
一六世紀後半から一七世紀後半までの百年間で、80パーセントの中南米の先住民は死んだといわれています。
コンキスタドール達は病にたおれたインディオたちを金銀のために大量虐殺または奴隷にしていきました。
有名なアステカ帝国やインカ帝国はこうして滅びることになります。
ヨーロッパ人の残虐非道ぶりは呆れるほかありません。
こういった虐殺に対して一五三二年、スペイン王カルロス一世は「インディオの虐殺は正当化されるのか」と神学者であるフランシスコ・デ・ビトリアに尋ねます。
その内容を本書から引用いたします。
(一)インド諸島(Indies、当時の「新大陸」の呼び方)の住民は自然権(natural legal rights)をもつ理性的人間である。キリスト教たるヨーロッパ人が主張する人道(humanity)の下に、インディオも同様の自然権を主張し得る。故に、正当な権利なくして財産を奪うことはできない。
(二)ローマ教皇によるスペインのインド諸島に対する権限はインディオの固有の権利(inherent rights)に影響を与えない。例えば、インディオがローマ教皇の支配を拒否したとして、戦争や財産没収を正当化できない。
(三)インディオの権利が害されない場合、スペイン人がインディオと同様の行為を行う権利と布教の権利を侵すことはできない。つまり、インディオは、万民法(国際法)上、スペインと交易、通称を断ることはできない。
ということでした。
すなわち、インディオはヨーロッパ人と同じ人間であるから、一つの国家とみなし、付き合うことができるとしたわけです。
ここで大事なことは二つあります。
1. 植民地支配をしても構わないという結論をくだしていることです。
つまり、当時において、国が別の国を支配することは当たり前に行ってよいという考えがあったのですね。2. インディオを国としてみとめる以上、入植者個人が新大陸で何でもかんでもしていいわけではない。入植者の行動は国が取り締まる。
つまり、コンキスタドールや行政官個人によるインディオ個人の土地や財産の略奪、殺害は、スペイン本国の法律を破るのと同様であることとなりました。
これを「ビトリア理論」といいます。
更に、スペインに進出したイギリス、フランス、オランダ、独立したアメリカもこの理論を利用します。
インディアン研究家の泰斗であるフェッリックス・コーエンはこの考えこそがインディアンという一部族を国家として看做すことになった理由だと述べています。
アメリカの憲法はこのビトリア理論に基づいてインディアンを扱っています。
解釈すると「インディアンは州民ではないし、外国人でもないが、固有の政治組織であり、連邦議会のみが彼らとやりとりができる」というふうに読めるからです。
インディアンはアメリカに住んではいるが、それと同時に一つの国家と認めているわけですね。
インディアンの自治を認めるマーシャル 最高判決の価値
移民対策のために土地を回収する政府
アメリカは移民国家といわれるように、次から次へと多くの人々がアメリカにやってきました。
すると土地の問題が出てきます。
効率よく土地を活用したいが、インディアンがあらゆるところに住んでおり、都市計画に問題が出る。
ということで、アメリカ政府はインディアンから土地を回収していきます。
インディアンとアメリカ政府との約束
勿論、建国して以降は強奪するというわけにはいきません。
インディアンもアメリカ国民の一部になっているからです。
というわけで条約を締結して土地を譲渡してもらうことになっていました。
アメリカ政府はインディアンに対して補償(年金)、軍事的保護、保留地の設置、またインディアンと非インディアン争いが起こらないように一九世紀中期からは保留地の境界線に軍隊や砦をおくことにしました。
こうやってみると、アメリカ政府もインディアンを丁重に扱っているように思われますね。
しかし内実はこれほど美談ではありません。
まず条約の本文は全て「英語」でした。
インディアンがどこまで英語を理解できていたか定かではありません。
加えて、土地の代わりにナイフや斧や洋服などが送られており等価交換といえるか疑わしい。
更に、土地の拡大が火急の用になった場合は一方的に条約の破棄がなされたり、内容が大幅に修正されたりしました。
ただし、インディアンに不利な条件でありながらも、条約で物事をとり定める形式ができたことはやはり評価すべきでしょう。
マーシャル判決を勝ち取るインディアン
一八三〇年代に大きな発展がありました。 チェロキーというインディアンの一部族がジョージア州がチェロキーの土地を強制的に収奪しようとしたために訴えをおこします。
最高裁までもつれこみ、判決として部族が自治国家であるから州は彼らに介入できないことが以下のように明文化されます。
①部族は「国内依存国家」という固有の政治的地位をもつ。
②部族に州法は適用されない。
③連邦制は部族の政治的地位を保護する責任がある。
このことは一連の判決を行った最高裁判事ジョン・マーシャルの名をとって「マーシャル判決」と呼ばれています。
この判決は現在のアメリカ人の多くも知らないようです。
彼らは部族が保留地という独占的な居住地をもったり、部族の成員が州税を免除されているのかわかっていないとのこと。
「不平等だ!」と不満に思っている人たちも大勢いるようですが、屡述したように歴史的な背景がしっかりとあるわけです。
アメリカ政府はインディアンから「土地」を前金としてもらった。
その代わりに、インディアンを保護する義務が生じた。
これを「信託責任」と表現します。
アメリカにはこの「信託責任」を守る義務があるのです。
インディアン冬の時代とレッドパワー運動とは?
インディアンハンター ジャクソン大統領と冬の時代
さて、「マーシャル判決」が出たからといって、インディアンが手厚く保護されるようになったかというとそうではありませんでした。
インディアンハンターと渾名(あだな)される南部出身のジャクソン大統領のもと一八三〇年五月二八日に「インディアン強制移住法」という法律が成立します。
これはミシシッピ川以東に居住していたインディアン諸部族にその領土を明け渡させ、ミシシッピ川の西方の土地に移住させる権限を大統領に与える法律でした。
理由は当時、綿花ブームがあり、土地投機業者がインディアンの居住地が邪魔だったこと、更に居住地に金が埋蔵されていることが判明したためでした。
そのため南部出身のジャクソンは支持を得て大統領に当選したのです。
つまり、「マーシャル判決」を覆すような時代がすぐさま到来してしまいました。
これがインディアン冬の時代とでもいうべき事態でして、要は政府が信託責任を破ってしまったのです。
ニューディール政策とインディアン
事態が改善するのは社会福祉活動家ジョン・コリアによる弱者救済運動と、それを受けた民主党フランクリン・D・ルーズベルト大統領のニューディール政策のおかげでした。
ここでインディアン専門家であるフェッリックス・S・コーエンが法整備に加わり、今一度、ビトリア理論とそれに基づく「マーシャル理論」に立ち戻り、インディアンを救う施策を行っていきます。
やはり最高裁判決の価値はこういったところにありますね。判決ある以上、アメリカ政府はそれを守らなければいけない義務がある、と利用することができるからです。
再びインディアンを軽視するアメリカ
ところが一九四五年になるとアメリカは再びインディアンを冷遇しはじめます。
理由は以下の三点です。
①第二次世界大戦後の不況でインディアンを助ける資金が不足した。
②保留地は共産主義的でよくない
③第二次世界大戦にインディアンは25000人ほど従軍した。つまり、同化したといえる。だからこれ以上、特別視する必要はないから支援は必要ない。
保守派の議員は反共産主義的な立場から、リベラル派の議員は特定の人種を特別扱いすることは差別につながる、との理由からインディアンへの信託責任を放棄して、彼らがもつ権限を捨てていきました。
これに怒ったインディアン、一九六〇年、都市部のインディアンたちが決起し、「レッドパワー運動」を起こします。
功を奏し「インディアン信教自由法」や「高等教育機関の再編=インディアンを研究するための科ができた」などに繋がります。
また保留地の住宅、医療、教育、経済開発などを連邦政府の支援を受けながら部族が主体的に担うことを定めた「インディアン自決・教育援助法(一九七五年)などが成立し、連邦政府の信託責任を再び取り戻し、更に自分たちの自活を推進していくための支援も得られるようになりました。
自由競争時代がインディアンの貧困を継続させてしまった
一九七〇年、ニクソン大統領は連邦管理集結政策(インディアンの保護をやめる政策のこと)の廃止を決定します。
これによって、インディアンとアメリカ政府との信託責任関係が復活します。
この時代の政府とインディアンとの関係は「パートナーシップ関係」と表現されるようになります。
めでたし、めでたし・・・となるはずが
パートナーシップ関係には落とし穴がありました。
①部族を自由競争に晒してしまった。連邦資金を得るには、情報力や資金を活用するための組織力や技術力、部族のリーダーシップが必要なのですが、そもそも申請制度そのものを知らない部族が大勢いました。このあたりは貧困と無知のせいだといえますね。
②「小さな政府 新自由主義政策」がロナルド・レーガン政権によって行われるようになった結果、緊縮財政のあおりを受けてインディアンへの支援が激減してしまいました。当然、部族支援以外のあらゆる補助金も削減されたせいで、資金獲得競争が行われ、インディアンは熾烈な競争におかれてしまいます。
新自由主義がインディアンにまで害を被らせているのですね。
そもそも小さな政府や新自由主義とは何なのか。それが日本を含む世界を蔽ってしまったことによる弊害と解決作については次の動画をどうぞ。
政府は信用できない→保留地産業へ
では、インディアンはどうしたらよいのか。
政党が変わるごとに自分たちの生活は極端に変わってしまう→たえられない→「保留地」で自活できるようにしよう!
と、レッドパワー運動を経験したこともあり、インディアンの部族の中に一種のナショナリズムが勃興し、アメリカ政府に頼らずにお金を稼ぐような裏技を考えなければならないという機運が高まっていきます。
そこで始まったのがカジノです。
では、明日はそのカジノについてみていきましょう。
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