前回からの続きです。
この記事を読むと以下のことが分かります。
☆州と部族との対立から保留地カジノを認めたカバゾン判決と所得が増えるインディアン
☆カジノの闇と「小さな政府」がインディアンを迫害している事実
インディアンによるカジノ産業はいかにして権利を認められたか
セミノール部族のカジノ
保留地をカジノとして利用し始めたのはセミノールやカバゾン、モロンゴといった部族のようです。
とりわけ、フロリダ・セミノール部族というフロリダに住み着いている部族が箱形のビンゴ場を建てたのが最初のインディアン・カジノであったということです。
無論、彼らにはカジノ経営のノウハウなどありませんでした。
そこで非インディアンによるカジノ・コンサルティング会社に頼み、「セミノール・マネージメント・アソシエイト(SMA)」を立ち上げてもらいます。
契約条件はセミノールがSMAにビンゴ場収益の四五パーセントを二十五年間、払うことでした。
ところが、ここで問題が発生します。
フロリダ州ではビンゴは合法でしたが、担い手、営業日、掛け金、収益金の用途は規制していたからです。
ビンゴは教会やその他の慈善団体による資金集めの手段としてのみ許可されていたのですね。
しかし、一時的に許可が下りたことでカジノ経営を行うことができました。
その売り上げたるや銀行からの融資を六ヶ月間で返済できるほどの儲けでして、一日平均七〇〇人ほどの人が当初からきていたそうです。
一九八〇年、連邦地方裁はビンゴ経営を正式に認める判決を下します。これは部族主権が州主権よりも優位にあることを示した事例でした。
カジノ産業を一気に広めたカバゾン判決
さて、この成功はアメリカの他の部族に伝わっていきます。
場所はカルフォルニア州。
ここにカバゾン族と呼ばれる人たちがいます。
彼らの議長を務めたジョー・ベニッツは次のように述べています。引用します。
一九六〇年代まで、保留地には、水道も電気さえもなかった。今あるものは何もなかったんだ。みんな保留地から出ていき、町へ移住したのさ。
この当時、カバゾン保留地に住むインディアンの収入源はインディアン局から定期的に支給される月数百ドルの補助金のみでした。
セミナールの成功例を聞いたカバゾン族はまず非課税タバコや非課税酒店をはじめます。同時に雑誌広告でアルコール通信販売にも乗り出しました。
これが大成功を収め、ついにカジノ経営にも向けて動き出します。
が、1980年カジノがオープンされて三日後に、カリフォルニアインディオ市の市警察墓時の関係者4名を逮捕し、98名を召喚します。
カジノは即座に閉鎖させられました。
理由は州法と異なる掛け金額、営業時間、また部族がカジノ産業をしたことがない、というのが理由でした。
というわけで、法廷闘争がはじまります。
カバゾンがリバーサイド群と闘っている間に、別の部族モロンゴもカジノ経営を始めようとしていたので、同様の訴えをリバーサイドにおこないます。
つまり一九八三年までにリバーサイド群はカバゾンとモロンゴという二つの部族から訴えられる事態に陥りました。
ここでリバーサイドに部族側が勝ちます。
しかし、八六年になると、今度はリバーサイドが不服として上訴し、更に原告側にカリフォルニア州が加わります。
州、群VS部族の火蓋が切られました。
最高裁はカジノ産業を民事案件と判断します。
というのもカリフォルニア州はすでにカジノを認めていたからです。以下、その理由を示します。
- カリフォルニア州は慈善的・非営利目的の第二種カジノ(ビンゴ)を認めていた。すでに400以上の団体にカジノ運営のライセンスをだしていた。
- すでに一九八四年に州法改正を行い、第三種カジノ(高額掛け金カジノ)を合法化していた。
上記の理由から、カバゾンとモロンゴのカジノ産業に州が口を出すことはできない、という結論に至ったわけです。
「もともと、カジノみとめてるやん!」ってなりますよね、そりゃ。
ここにはやはり、人種差別的なものがあったのではないかと私は推したくなります。
こうして勝訴した両部族はカジノ経営に勤しみます。
この判決直後に部族がカジノ産業に手を出すことが公然と認められるようになります。
24州で108部族と急増しました。
インディアン・カジノ法と公聴会
公聴会で問題になった二つのこと
その後、
規制を受けないインディアン・カジノを州はどう取り締まるのか。
州による規制からインディアンはいかに自分たちを守るのか
が問題になります。
結果として部族、州、連邦政府の関係性を明確にした「インディアン・カジノ法」がロナルド・レーガン時代*1につくられます。
この法案つくるに当たって、公聴会がひらかれ、二つのことが論点になりました。
では①から見ていきましょう。
ネバダ州は長年アメリカの高額掛け金カジノ産業を独占してきました。
客の多くはアメリカ西海岸やそこを経由する旅行者でした。
カバゾン判決を受けたことで、自分たちの客がインディアン・カジノに奪われるのではないかと危惧します。
それが公聴会で話し合われました。
ネバダ州にはフォートモハブ部族がいて、彼らもカジノに参入したがっていました。
結果として、ネバダ州はモハブ族のカジノから得られる収益の一部を受け取る契約をします。
こうして高額掛け金カジノの場合、州と部族とが交渉をし、奉納金契約をすることで、お互い妥協しあうようになりました。
②マフィアとカジノについてです。
当然ですが、多額のお金が発生するところには必ずマフィアが絡むようになっています。
日本でも、芸能人が覚醒剤をやって捕まりまくってますが、彼らが金持ちで、生活に困らず、贅沢品を買えるだけの収入があるからです。
ちなみにですが、近頃、youtuberで大麻の話をしてる人などをみると、「もしかして・・・・・・」と思ってしまいます。
②が公聴会の焦点になったのは理由があります。
当時からインディアンの代わりに、カジノ経営を請け負ったコンサルタント会社とマフィアとの関係性は新聞沙汰になっており、マフィアの資金洗浄に利用されていることがいわれていました。
先に紹介したセミノールと契約したSMAも資金洗浄に協力していたことがわかっています。
このことでセミノールはSMAとの契約を破棄しています。
というわけで一九八八年「インディアン・ゲーミング規制法(カジノ法)」がレーガン大統領によって調印されます。
このカジノ法の要点は以下の通りです。
本から引用します。
カジノ法は、部族カジノを国家が規制するための法律である。
同法は、部族カジノの条件として、その収益金で部族の自治、自活を担い(あるいは保留地に対する国家の金銭的負担を減らし)、さらに第二種と第三種カジノについては、連邦や第三者委員(ゲーミング委員会)による監督下で行い、特に第三種カジノについては、州との契約に沿って行うと定める。
つまり、部族カジノ産業による部族と国家と州との関係性を定めた法律なのです。
国家の中で生きる以上、部族だけが特権を持ちすぎていても、共存が不可能になってしまために問題が起きてしまう。
それゆえ、妥協点を求める必要があったのですね。
しかし、それだけなのでしょうか?
疑問はともかく、インディアンはカジノ産業のおかげで徐々に裕福になっていきます。
ランドール・Q・アキーらの調査によると、カジノによって得た収益金は、保留地のインフラ整備から森林保護にいたるまで、部族構成員の生活、医療、住居などの福祉分野に用いられていることがわかっているそうです。
インディアン同士で助け合っているわけです。
また、カジノに嫌悪感をもっている近隣住民や州を納得させるために、州に対して寄付をしたり、雇用創出の効果を訴えたりして、懐柔策をとっています。
カジノ施設ができれば、ディーラーやキャッシャーやレストランの調理場、送迎バスの運転手やホテル、ショッピングモールなど多くの労働者を必要とする場が形成されるから、雇用創出の価値を述べることが多大な説得力をもっています。
と、ここまではカジノの素晴らしさを詳述してきました。
しかし、物事にはやはり光と影があります。
カジノの影の部分ーインディアン格差と政府の責任放棄
インディアン格差
カジノ産業があるからといって何処の部族も儲けているわけではありません。
この図をみるとわかるように、収益が高い部族は93部族(18・5パーセント)が全体の収益の75・2を占めています。カジノ部族間には収益格差があります。
まるでyoutuberの格差みたいですね。
やはり儲かっているところは立地がいい。 カリフォルニアやフロリダやアリゾナなどに住まう部族達が稼いでいます。
著者の野口久美子氏によると「成功しているカジノ施設は、都市部から一~二時間程度(車で五時間かけて、あるいは飛行機でラスベガスにむかうよりもだいぶ手頃な距離)で、かつ、近隣の自治体から適度に離れた地域に保留地をもつ部族によって運営されている。」とのこと。
また、儲かってない部族のカジノについては「パチンコ産業化」と表現されています。
地元インディアンが働きもせずに、カジノで遊んで、財産を失うようなはめになっているからです。
すると周りの人たちや社会から「あいつ、働きもしないで、いつもカジノいって、あそんでるろくでもない奴」呼ばわりされるようになります。
まさにパチンコ産業ですね。
しかし、儲かっているカジノ部族でも、既得権益を守るために排他的な傾向がでてきており、問題がないわけでもないのです。 成功者になると相手への共感力は下がり、優しさは失われていくという研究があります。
儲かると人は変わってしまうのです。
もう一つの影 政府の責任回避
インディアンの保留地を守るというのは司法、行政、立法の指針でありました。
もちろんそれは、守られたり守られなかったりしていたわけです。
本書でもとりあげられたように、強制移住政策、虐殺、保留地政策、同化政策などがあり、到底、インディアンを守ってきたとはいえない有様です。
そして、インディアンは「カジノ」をやらざるを得なくなったわけです。
「カジノ」はインディアンにとって「現代のバッファロー」とよばれています。
飯の種、ということです。
アメリカではインディアンへの批判として「自然ともに生きていたインディアンがカジノでもうけるなんて」という批判があるそうです。
しかし、土地も飯の種も奪われてきたインディアンに「自然とともに生きて、死ね」というのはあまりにもおかしいとおもいませんか?
彼らはインディアンである以前に人間です。
刀折れ、矢尽きた人間が、生きるために必死にならざるを得ない状況まで追い込まれてしまったことが問題なのであり、道徳的であるかどうかを当てはめるのはやめるべきでしょう。
糺すべきは連邦政府による責任放棄
今回の記事ではカジノ産業を認められ、豊かになっていくインディアン達をみてきました。
しかし、本来、インディアンがカジノをやらざるを得なくなった理由は、連邦政府が「信託責任」を破り、インディアンを保護してこなかったことにあるはずです。
先に述べたカジノ法の箇所をもう一度みてください。
「保留地に対する国家の金銭的負担を減らし」と書いてあるわけです。
つまり、カジノの収益があるから、連邦政府は金銭的な部分の責任を軽減させてもらいます、と明言しているわけです。
また、第三種カジノは部族と州とかが契約を結ぶことになっており、これは州による部族への介入です。
なんということでしょうか。カジノ法とは、インディアン達の福祉はカジノによる収益によってまかなうべきというインディアンを切り捨てる新自由主義的な法律であったということです。
カジノ法は連邦政府と州とインディアンとの妥協点を探るための法律だったはずが、本当の目的は、連邦政府がインディアンへの「信託責任」から手を引くだったとは。
終りに
今回、私ズンダにとって思わぬ副産物がありました。
それはインディアンに対して優しかったのは「ニューディール政策」の時代であり、とりわけきびしかったのは新自由主義の始まりと言われるロナルド・レーガンの時代であったということです。
というのも、ここに積極財政(大きな政府)VS緊縮財政(小さな政府)の関係性をみることができるからです。
もしかすると、アメリカに於いて、インディアンに限らず、何かしらかの差別や待遇の悪化が発生しているときは「緊縮財政」の時代なのではないかと逆推したくもなりました。
何らかのデータで裏付けることができるかもしれない。
そういう想を与えてくれた点でも、この野口久美子『インディアンとカジノ』(ちくま新書)には感謝したいですね。
私の要約では伝えきれないことが多くありますので、よかったら本をかってみてください、
読者登録&ブックマーク、よろしくおねがいします。
次回の予告
佐藤 郁哉 大学改革の迷走(ちくま新書)
佐藤彰一 歴史探究のヨーロッパ(中公新書)
小塚 荘一郎 AIの時代と法(岩波新書)
ヤシャ・モンク 自己責任の時代――その先に構想する、支えあう福祉国家 (みすず書房)
のどれかです。