負の性欲という言葉がトレンド入りし、バズっていました。
その後、現代ビジネスやtogetterでもとりあげられました。
これから、色んなメディアでもきかれるようになることでしょう。
コレまでも、次のような記事をかいてきました。
今回は負の性欲という話題について、まだ知らない方々にご説明致しましょう。
- 「負の性欲」は誰がいいだしたか
- 「負の性欲」の意味と使用例 それに対する反応
- 二〇二〇年に流行る思想は「男🆚女」ーインセル達の文章を翻訳せよ
- 終りにー「負の性欲」について私はこう思う。そして、クリスマスまでに彼女が欲しい人へ
「負の性欲」は誰がいいだしたか
2018年のリョーマ氏のブログ「女性専用化社会」が初出といわれています。
私が始めてこの言葉を知ったのは2019年の3月でした。
それが、2019年11月28日(木)に突如としてTwitter上でトレンドになりました。
「負の性欲」の意味と使用例 それに対する反応
RTを参考にして負の性欲の図をつくった😇 https://t.co/E4aU7mvvDJ pic.twitter.com/UC6qnaFFgj
— 五休さん「私達は世を罷られた展」好評開催中! (@EnfanT_Teribble) November 28, 2019
まあ、要するに「こいつのこと、異性としてはみられないんですけど」と思うことがありますよね。
それは「異性を性の対象としてみていない」という【性欲の表明】であると考えるのが「負の性欲」の意味です。
今までは、「嫌悪感」や「生理的に無理」という表現であらわされてきました。
しかし、「負の性欲」概念はそういった言葉を性欲の一つとしてとらえます。
女性がいう「こいつムリだわ。キッモっっっw」は性欲ですといっているのです。
特に女性はこの言葉にショックを受けているようです。
女性は「負の性欲」を認識することで次の段階へ行けるージョハリの窓
ジョハリの窓でいうところの「盲点の窓」の状態にあるといえましょう。
「負の性欲」を拒否するよりも、受け入れて、自分自身を分析し、改善するための一つのきっかけとして利用すれば、よりよい人生を送れるかもしれません。
男にも「負の性欲」はあるー例としてフィッツジェラルド『冬の夢』
しかし、男の方も女性に対して「この女はないな」と思うことがあるでしょう。
これもまた、「負の性欲」です。
皆さんはフィッツジェラルドという作家をご存じでしょうか。
彼が書いた作品『グレート・ギャツビー』は近年、レオナルド・ディカプリオが主演したことで有名ですね。
彼の短編に『冬の夢』という作品があります。
主人公は若いときに好きだった女がいたのですが、彼女は奔放な女で、色んな男と付き合いまくります。
そんな彼女に彼はついていくことができませんでした。彼女は彼の前から消え去ります。
その後、何年かしたのち、彼は別の男と結婚した彼女がDV亭主のもとで苦労している話をきき、思いを断ち切ります。
私はこの短編を読んだ当時、呵々大笑しました。
というのも、この部分は主人公の「彼女への復讐」が達成された瞬間だったからです。
彼は自ら手を下すことなく、彼女のうまくいってない人生をきいて、スカッとしたわけです。
ここで、彼は彼女への思いを断ち切ることに成功しています。
今考えると、この作品は男側からの「負の性欲」だといえましょう。
「俺を選ばなかった女が結婚し、色香を失って、女としての魅力などなくなった。ろくでもない男と一緒になって辛酸を舐めている。そんな女なんぞ、俺は嫌だね」と思えるようになったわけです。
男は女の人に対しての評価が基本的に甘いので、諦めるときに「負の性欲」のようなものがでてくる気がします。
※この部分、自分で書いていて、男性の「負の性欲」ってこういう使い方でいいのか迷っている。
下記参照。
日本の男性は理解されずに苦しんできたーちなみにフランス人も
私の記事でもさんざん、現代日本は男性差別が許されている国であることをいってきました。
私自身の人生をふりかえってみても「女性は守らなければならない。女性は自由でなければならない。女性のいうことは尊重しなければならない」という話はメディアや学校などで、耳にたこができるほどきいてきたのですが、そのたび毎に「え、男はどうでもいいんですか?」と思っていました。
男女平等、大いに結構。私も女性の社会進出には賛成しますし、女性がセクハラをされたり、男に奴隷のように扱われることには反対しております。
しかし、だからといって、男を蔑ろにしていい理由はどこにもありません。
そんな状態になれば、男がもつ女への不平不満は、いつか、どこかで必ず爆発します。
後述するように、アメリカではインセルと呼ばれる人たちが暴発し、女性達を傷つけても構わない暴徒と化してしまいました。
そんな中、次のような本が出ているというのは希望がもてます。
この本はタイトルに「女性学・男性学」とあるように、男性についても語られた本で、好感がもてます。
女性学・男性学 -- ジェンダー論入門 第3版 (有斐閣アルマ > Interest)
- 作者: 伊藤公雄,樹村みのり,國信潤子
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2019/04/15
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また、今年でた『現代思想』でも「男性学」について語られており、男についても女性と同じように語られていかなければならないという認識が出てきているように思われます。
「フランス人も草食男子になっていた」は必見です。
だいたい日本の思想はヨーロッパやアメリカの後追いをしています。
それゆえ、フランスで起こったことは日本でも後から流行ります。
フランス人、エリック・ゼムール氏が書いた『女になりたがる男たち』は日本よりも早くフェミニズムの影響を受け、女性優遇を目指したフランスにおいて、男性達がどのような変貌を遂げたのかを書いた本です。
そして、それを小説で書いているのが『素粒子』や『服従』で有名なフランスの小説家ウェルベックです。
彼の小説の主役は、現代の男女の関係性についていくことができない人物です。
自分が恋愛弱者であると考えておられる男性はゼムール氏の『女になりたい男たち』を読んだ上で、ウェルベックを読むと理解しやすくなるとおもいます。
「負の性欲」は女性が男性に対して「加害者」でもあることを明らかにしたー太宰治の慧眼
今までは女性達に対して、男は屈するしかなかったのですが、「負の性欲」という言葉を使うことで、彼女たちは単なる被害者だけでなく、「加害者」であるといえるようになったのです。
日本の有名な作家で、この事実を早い段階で小説にしていた人物がいます。
戦後、日本に於いては男女同権ということばが突如として躍り出るようになります。
『人間失格』や『斜陽』で有名な太宰治は「男女同権」という概念が欺瞞であり、女子は「加害者」でもあると喝破した小説『男女同権』を書いています。
↓これに入ってます。
之 を要しまするに、世の女性というものは学問のある無しにかかわらず、異様なおそるべき残忍性を蔵しているもののようでございまして、そのくせまた、女子は弱いと言い、之をいたわってもらいたいと言い、そうかと思うと、男は男らしくあって欲しいと言い、男らしさとはいったいどんなものだか、大いに男らしいところを発揮して女に好かれようとすると、これは乱暴でいけないと言われ、そうして深刻な手痛い復讐 をされて、もうどうしたらいいのか、こちらへ単身都落ちして来ましてからも、十年間、私は当然、弟の女房や、またその女房の妹だの叔母だの、何やらかやらの女どものために、複雑奇妙の攻撃を受け、この世に女のいるあいだは、私の身の置き場がどこにも無いのではなかろうかと
というように、男性である自分は、男女同権以前の戦前日本において、女性に屈服せざるを得ない状況であったことを書きます。
女子は弱いと言い、之をいたわってもらいたいと言い、そうかと思うと、男は男らしくあって欲しいと言い
にしても、この部分。あまりにも今と同じ状況なので、「人間って変わらないなあ」と思わされます。
更にこの文は次のように続きます。
このたび民主主義の
黎明 が訪れてまいりまして、新憲法に依って男女同権がはっきり決定せられましたようで、まことに御同慶のいたり、もうこれからは、女子は弱いなどとは言わせません、なにせ同権なのでございますからなあ、実に愉快、なんの遠慮も無く、庇 うところも無く、思うさま女性の悪口を言えるようになって、言論の自由のありがたさも、ここに於いて極点に達した観がございまして、あの婆さん教授に依って詩の舌を根こそぎむしり取られました私も、まだ女性を訴える舌だけは、この新憲法の男女同権、言論の自由に依って許されている筈でございますから、私のこれからの余生は挙げて、この女性の暴力の摘発にささげるつもりでございます。※上記はあおぞら文庫より引用しました。太宰治 男女同権
と、新憲法により男女同権になった日本において、自分はようやく女性と同様の権利を得られるようになった。
これからは、女性に対して、バリバリ批判や文句をいえるようになった。ありがとう、C'mon, babyアメリカ!というわけです。
どうですか、この女性と戦後への皮肉たっぷりな文章。
こんな、ネチネチしたことを軽快な調子で書いてしまう太宰治の文体には驚かされますね。
たとえば、昔から「セクハラ」はありました。
しかし、この言葉ができて以降、ありとあらゆるものすべてが「セクハラ」扱いされるようになり、「〇〇ハラ」のような言葉がどんどんつくられていきましたね。
言葉を一つ作ることで、問題を明示的にする効果があるのです。
今回の「負の性欲」は、「男性によって女性は差別されている」というテーゼに対して、アンチテーゼとして機能します。
すなわち、「女性は女性で、男性を差別している。【負の性欲】によって」と反論できるようになったのです。
二〇二〇年に流行る思想は「男🆚女」ーインセル達の文章を翻訳せよ
「女叩き」から「フェミニスト批判へ」
ネット界隈ではまとめサイトを中心に一時期「女叩き」と呼ばれるネタが横行していました。
それが消費され、落ち着いてくると、今度はTwitter上におけるフェミニスト達の書き込みを、からかうようになったなあ、と。
私の実感でしかないのですが、ここ一年、「宇崎ちゃんの献血ポスター問題」と似た話題で溢れており、まとめサイトでこういったフェミニストに関する記事が頻繁につくられています。
フェミニズム批判といえば、これを思い出します。
新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
- 作者: 西尾幹二,八木秀次
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2005/01/12
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2005年、つくる会の西尾幹二と八木秀次が共著でフェミニズム批判をおこないます。*1
「男たちの反逆」がついに始まる
そういうわけで、二〇二〇年はこういった風潮に、男性学の知見やインセル関係の知識や情報などが加わってくれば、日本でも次のようになるのではないかと予想しています。
個人的にはインセル関連の本が翻訳出版されないかなあ、と期待しています。
彼らがどんなことを考えているのか知りたい。
結構、売れるとおもいます。
今の日本では、時宜にあってる。
現実を子供に教えようー武井壮「女は若さ」対加藤紗里「男はカネ」の対立
ただ、私は男と女とが争う姿などみたくない。
どちらかといえば、イチャイチャしたり、仲良くしている姿の方が好きです。
夫婦げんかしている姿をみると、「結婚なんてしても、こんな程度か」とげんなりしてしまいます。
やはり、解決作としては男女の不毛な争いがおきないようにしていくことでしょう。
たとえば、「お金が欲しい女」と「若さが欲しい男」との対立です。
どちらのいってることも正しい。
お金は大事だし、若さも大事です。
我々人間はこういうのを気にして、相手を選んでます。
もう、わかりきったことで互いを否定しあうのは止めにしませんか。
男が女に求めるもの→若さ
女が男に求めるもの→金
こういった結論はでています。
後は、大人達が子供に教えておけばいいだけです
これに対して
「女は金しかみてない!」
「男はロリコン!」
といっても意味がない。
現実がそうなっている以上、しょうがないのです。
私もこういう反論、気持ちとしてはよくわかるのですが、そうすると「人間をやめるしかない」ので、ムリなのです……。
後は、大人達が子供に教えておけばいいだけです。
ちなみに男の方が恋人をつくりにくい理由は以下を参照。
精神論はやめよう
大人になってから、お互いが求めている要素に気づくから、彼らは逆上し、男女間で対立が起こってしまうわけです。
「人はココロがだいじなんだよ」と綺麗事をいってないで、現実を教えましょう。
人には人の求めるモノがあります。
それは精神的な「ココロ」などで埋められることはありません。
精神論に陥りすぎて、物質的な価値を軽視しすぎています。*2
歳を取ってから現実を知っても、軌道修正などそう簡単にはできません。
だから、「独身で金がない男」と「若さがない女」が貶し合ってしまう。
あまりにも悲劇ではないでしょうか。
私は男女がお互いを尊重しあい、仲睦まじく過ごしていくことができる社会を祈念しております。
それゆえ、なるべく衝突して欲しくない。
今回の「負の性欲」という言葉が、男性蔑視に対する防壁となり、男女について、均衡のとれた言論空間がうまれることを願っています。
男性の権利を主張する言論人が必要である
以前の記事でも書きましたが、男性側に立った言論人の存在が要ると思います。
幸い、Twitter上で有望な方々がいらっしゃるので、彼らが力をもてば、均衡が保されるのかな、と。
終りにー「負の性欲」について私はこう思う。そして、クリスマスまでに彼女が欲しい人へ
下記の記事をどうぞ。
軽くかき出したつもりが、ながくなってしまい、疲れました。
読者の方にも申し訳なく思っております。
三〇〇〇字ぐらいにまとめないといけないのですが。
「負の性欲」についておわかり頂けましたでしょうか。
私ズンダとしましては昨今の男女が啀み合うような書き込みをみるにつけ、
悲しい思いにとらわれます。
勿論、男女以前に「人間」なので、馬が合う人もいれば、蛇蝎の如く嫌いな相手もいるのは当然でしょう。
しかし、そこに勘違いや思い込みがあり、そのせいで必要以上に互いを敵視してしまっているような気がします。
そういうのが解きほぐれ、なるべく仲良くやっていけたらいいのになあ、とおもっております。
そこで大事なのが教育であり、情報なのかな、と。
↓下記の本は「意見に意味なく、データに意味がある」ということが書かれた本です。
というわけで、恋愛と女性に幻想を抱いていたが為に、全く女の人に相手されることのない人生を送ってしまい、飼っている犬からのみ求愛されている年老いた平和主義者のざれごとでした。
次の新書紹介でお会いしましょう。
もしよかったら、読者登録&ブックマークをおねがいします!
*1:この本、当時、発売直後に買ったのですが、すぐに出版停止になってしまいます。確か抗議されたから・・・という話だったと思うのですが、インターネットで検索してみても見当たりませんね。
*2:これを書きながら、書棚を漁っていたら福田恆存『私の幸福論』の一節が目に飛び込んできた。ずっと昔に読んだのだが、赤線が引かれている箇所が、まさにここ数年、自分が問題視していることだったから驚いた。
ここで福田が述べているのは「肉体を無視することは、精神を無視することに繋がる」ということである。
肉体の悲鳴を聞かない人は、精神が腐り落ちることに気がつかない。
その問題とは「精神論に偏りすぎてるから、自己責任論や新自由主義や不毛な男女論争が流行ってしまう。精神論なんぞ糞食らえ」という問題意識である。※ちなみに緑は今ひいた。
加えて、リベラルが新自由主義に屈した理由も、こういう精神的な道徳主義が好きだからである。