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【感想 ネタバレ】 朝井リョウ 映画『何者』 佐藤健の演技が好き【可能性の奴隷になる人々】

 先々週に私ズンダは、映画、朝井リョウ原作『何者』をみました。

 これが凄く面白かったので、みなさんに紹介したいと思います。

 

 

 完全にネタバレしてますし、観た人向けになっているので、

 キャラクターの設定などは公式HPへどうぞ。

 

www.toho.co.jp

 

  

何者

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何者 (新潮文庫)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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  『何者』という作品

 『何者』の主役 佐藤健がかっこいい

 

 昨日だったか、佐藤健Twitterでトレンド入りしていましたね。

 SUGAR!という動画配信アプリで佐藤健がでたことによって、サーバーがダウンしてしまった。

 

 私もTwitterで彼の動画を見ましたが、あまりに雰囲気があったので、画面越しですら目がクラクラしてしまいました。

 

 まさに幻惑されたといってよいでしょう。

 

 漫画などで、敵の妖術にかかり、意識朦朧となる場面がありますが、そんな状態になってしまいました。

 

 恐るべし、佐藤健

   そら、こんなイケメンだったら、落とせぬ女はいないでしょう。

 

 しかし、そんな彼も映画『何者』では面接に落とされ続ける憐れな一青年であります。

 ここからは私が二週間ほど前に視聴した映画『何者』についての感想です。

 

 なぜ『何者』を観ないようにしていたのか

 

 映画『何者』は2016年10月頃に公開された朝井リョウの小説を実写化した作品です。

 

 私ズンダは以前から、この作品が、自分の琴線に触れる作品なのではないかと思っておりました。

 

 しかし、グサッと刺さってしまう刀剣を引き抜くだけの力が自分に残されているのだろうか。

 

 見終わったら、もう立ち上がれなくなるのでは内だろうか。

 

 そんな不安のために映画をなかなか観る勇気がでませんでした。

 

 心部までに至る作品は時として、視聴者を傷つけてしまう。

 

 皆さんも、人生で色んな物語に触れてきたことがあると思います。

 視聴を終えた後、あまりの感動してしまい、席から一歩も動けなくなった経験はありませんか?

 

 あるいは小説などを読んでいて、味わったことのない強烈な感動に身が震え、部屋中を行ったり来たりし、発揚蹈厲してしまうようなこと。

 

 そうなると、その日はなにもできなくなってしまいます。

 

 仕事や予定があったのにもかかわらず、作品に心を掻き乱され、自由に動くことができない。

 そんな経験がおありでしょう。

 

 『何者』のあらすじ

 この映画の筋は非常に簡単です。

 

 佐藤健が扮する主人公 タクミ君が就活仲間の有村架純二階堂ふみ菅田将暉らと一緒に就職先を得るために奮闘し、自分がいったい『何者』なのかを考え、悩み藻掻きながら、明日へと向かっていく作品です。

 

 これだけ聞くと、就活の大変さを愬(うった)えただけの物語に思われるかもしれません。

 が、それは違います。

 

 就職活動について書いた作品ではない

 

 もちろん、就職活動を通して、主人公は自分の本質に気づかされ、懊悩するわけですから、大事な要素であることはいうまでもありません。

 

 ところがこの作品は朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』と同じく、朝井氏による人間観察が的礫と光り輝いた作になっているのです。

 

 

桐島、部活やめるってよ

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  • 発売日: 2013/11/26
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桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

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 主人公タクトに与えられた属性ー脚本家としてこの世界を渡り歩いていたー 

 岡田将生演ずるタカヨシへの一言は朝井リョウ自身がよくわかっている

 

 タクト君は脚本家として演劇部にいました。

 この脚本家の設定は作家である朝井氏の体験がちらほら見られます。

 

 例えば、以下の場面です。

 

頭の中にある内はいつだって何だって傑作なんだよ

 

 これは意識高い系キャラを演ずる岡田君に対していったことばです。

 

 ワナビーに限らず、ブログを書いたりyoutuberをやっている人たちならば、このセリフに虚をつかれたおもいになるのでは?

 

 構想段階では、誰もが絶賛するような記事や動画になるはずだ!

 そんなことおもってませんか?

 

 私ズンダはそういうふうに思いながら、記事や動画をつくっているので、毎回のように討ち死に気分を味わっています。

 

 当然、作家である朝井氏も似たような経験をしているはずです。

 

 タクトの性格には朝井氏の経験が反映されているのです。

 

 岡田将生自己啓発youtube且つ痛い役

 

 岡田君の性格は以下のようにまとめられます。

 

これからは〈個の時代〉なんだよ。会社に属することなく、自分のクリエイティブを発揮し、自由に人生をいきていくんだ

 

 という私が常々いっている「自己啓発系youtuber」と全く同じ、瓜二つといってもいいでしょう。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 わずかに違いがあるとしたら、岡田君が圧倒的なイケメン高身長ぐらいです。

 

 すみません、わずかどころではありませんでした。

 雲泥の差があります。

 

 ともかく、そんな生意気なことをいっていますが、彼は色んな人と知り合いになるために名刺作りをし、ツテコネを作ることに躍起になっていました。

 

 しかしながら、作品を仕上げる活動は一切できていません。

 

 烏丸シンジという役者とのコラボ企画がもちがったものの、頓挫してしまいます。

 

 岡田が填まり込んでしまった〈可能性の奴隷〉とは何か?

 

 そのときに有村架純にいわれたのが次のことばです。

 

十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。(中略)私たちは。

百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって

 

 これも先ほどと同じですね。

 作品を出すことを渋ってしまっている。

 

 作品を完成させ、世に出せば、頭のなかの傑作が

「本当に〈傑作〉なのか」がはっきりするからです。

 

 要するに、怖いのです。

 

 自分が全力で作ったものが、他人からしたら「どうでもいいものにすぎない」という現実を味わうのが。

 この状態になってしまった人のことを「可能性の奴隷」と呼ぶことにしましょう。

 

 〈可能性の奴隷〉は「努力か天才か」の話につながる

 

 ちなみに、この話、先日私が書いた以下の記事の「努力と天才」について扱った箇所に似ていませんか?

 

 

「自分は努力すればどうにかできるはずなんだ。〈可能性があるんだ〉」

 すなわち、「努力」のせいにすれば〈可能性〉を保っていられるわけです。

「才能」の有る無しで考えると〈可能性〉自体が消えます。

 自分の伸びしろを信じていたい人たちが使う言葉、それが「努力」です。

 努力とは、現実逃避の言葉です。

  

 岡田君は自分の「可能性の限界」に気づかされることが嫌なのです。

 それゆえ行動できなくなってしまった。

 

 行動することは「可能性」「現実」に変えてしまうからです。

 その「現実」は成功か失敗か、黒白を綺麗にわけてしまいます。

 

zunnda.hatenablog.com

 

  主人公タクトは岐路に立っている

 

 そして岡田君のような人物は一歩間違うと、冷笑系になっていきます。

 

 それがこの作品の主役、タクトです。

 

 つまり、岡田君はタクトを描くためのネタフリのような存在だったのです。

 

 この作品の巧さー岡田を出汁にして、主人公タクミの本質に迫るー

 

 理系の先輩は山田孝之が演じています。

 彼はタクトに事ある毎に意味深な問いかけをします。

 

 その中でも大事なのが次のセリフです。

 

 「全然違うよ、あのふたり」

 

 これは岡田君と烏丸ギンジ(役者不明のためにキャラ名で呼ぶ)との相違を

先輩が述べたものです。

 

 意識高い系の岡田君に加えて、この作品ではもう一人の意識高い系として書かれている烏丸ギンジがいます。

 

 彼らは似て非なるものだと先輩はいいます。

 

 そしてそれに気づかなかったタクトに

 「お前はもっと想像力のあるやつだとおもっていたよ」と吐き捨て、消えるのです。

 

 では、この二人はどこが違うのか

 

 岡田と烏丸ギンジ、二人の意識高い系の相違

  二人の相違を解説していきましょう。

 要点を一気にまとめると次のようになります。

 

岡田:行動はしているが、結実していない。人に評価されるための作品を出せない。

  

烏丸:役者として月に一回、必ず公演している。ネット上では毎月やっているだけの自己満足、ダメな演劇と酷評されている。有名人とつるむようすをTwitterやブログに書いたり、自分を鼓舞するような痛いかきこみをしている。

 

 烏丸は元々タクトと同じ演劇サークルで活動していました。

 しかし意見の相違によって、二人は決裂。

 

 大学をやめた烏丸は一人で劇団を立ち上げ、公演を毎月するようになりました。

 

 そんな彼の行動は、先に紹介した有村架純のセリフ

「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。」を体現していますね。

 

 彼の演劇は人からあまり評価されていません。

 それでも彼は続けます。

 

 罵倒されても低評価されても、続けないと次の芽がでないからです。

 

 何もしてない人は可能性の塊であり、無敵である

 

 逆に、何もしていない人間は無敵です。岡田君のことですね。

 

 岡田君は何もしないから、人から評価されることがない。

 

 それは人から褒められることも貶されることもない。

 

 けれども、〈可能性〉だけは保存しておくことができる。

 

 彼は居心地のよい自分の部屋に閉じこもって、〈可能性の奴隷〉状態を楽しんでいるわけです。

 タクトは烏丸と同じく〈可能性の奴隷〉ではなかった

 

  しかし、烏丸は違います。

 彼は自分を表現することで、世間に評価される道を選んでいます。

 「10点、20点」つけられても負けることなくやりつづける。

 

 彼は〈可能性の奴隷〉ではありません。 

 自分の限界が何処にあるのか。自分は役者としてやっていけるのかを追求し、獲得を目指す人間なのです。

 

 そこが岡田と烏丸の大きな違いであり、山田の発言の意味でした。

 

 更に山田は次のようにいいます。

 

 「お前(タクトのこと)はどちらかというと烏丸に似てるよ」

 

 そうです。

 タクトは烏丸に似ていたのです。

 

 彼は大学一年生の頃から演劇サークルに入り、脚本家として活動をし、自分の創作物を上演することによってみせていた。

 

 だからこそ「頭の中にある内はいつだって何だって傑作なんだよ」と言えたわけです。

 彼も人々から罵詈雑言をくらうことがあったわけです。

 

 そんな彼は岡田とは異なるはずですよね。

 

 いったいタクトと烏丸は、いつから道を違えたのでしょうか。

 

 ここまででわかったことは次のように図示できます。

     

      烏丸ルート〈現実の獲得〉(菅田や有村もここ)

    ↗

 タクト  

    ↘

      岡田ルート〈可能性の奴隷〉≑冷笑系

 

 

 就活中のタクトはこの岡田ルートに足を踏み入れているということなのです。

 

 先輩はタクトがその道に入ろうとするのを止めようとしているわけですね。

 いや、実は先輩だけではありません。

 有村架純菅田将暉は止めようとしていたのです。

 

 菅田が何回かいう「さすがの考察ですな~」というセリフはタクトを褒めているのではありません。

 彼の裏側にある別の顔を揶揄しているだけです。

 

 おそらく菅田は、タクトがもっていたTwitterの別アカウントの存在をすでに知っていたのでしょう。

 それゆえ、酔っ払っていた際に「メールアドレスからTwitterアカウントをみれるのこわいよなあ」という話をするわけです。

 

 これは、菅田がタクトに対して「俺はお前が別アカウントでどんな悪辣な書き込みをしているのか知っている」と暗に示す場面です。

 

 

 それを直截的に述べた人物が二階堂ふみ、でした。

 相手より自分が上だと思いたいから、冷笑系になってしまう

  冷笑系ってなに?

 冷笑系という存在が世の中にはいます。

 

 ひたむきに頑張っている人間よりも、自分が優秀であると思い込みたいがために、特定の物事に一生懸命とりくまない人間

 

 

 

 冷笑系観察者として人々を見続ける男 タクト

 

 タクト君は劇中において人々を冷笑する「観察者」として振る舞います。

 

 友達とのやりとりでも彼は思いっきり笑ったり、楽しんだりしている様子はありません。

 すべて、「とりあえず、ここで笑っておくか」という抑制のきいた笑みを浮かべるだけです。

 

 唯一彼が心をひらいているのは理系の先輩だけです。

 彼とのやりとりでのみタクト君は普通の人のような表情で反応します。

 

 また、就活仲間のことをTwitter上で冷静に批評し、容赦なくコケにしています。

 

 脚本家気質が「冷笑系観察者」を誕生させた

 

 脚本家であったタクトにとって、他人とは脚本家の「駒」にすぎないということです。

 

 脚本家は登場人物の性格や特徴やセリフなどを把握しています。

 

 タクトは脚本家としての性質が、烏丸との離別やうまくいかない就活のせいで、現実の生活に悪影響を及ぼすはめになっているのです。

 

 冷笑している内に自分も観察される「駒」の一つと化した

 

 この映画の後半で、「舞台上で演技をしているタクト」が描写される場面があります。

 

 これこそまさに、脚本家のようにしか自分の周りを捉えることができなくなってしまっているタクト君が活写されている場面です。

 

 彼の頭の中では自分すらも「駒」の一つでしかありません。

 人を操作する脚本家の立場から動くことができないために、自分の素顔をさらけ出すことが出来ず、常に人と一定の距離をとっているのです。

 

 故に後半、冷笑系観察者を脱した彼は、舞台から降りて、駆け走るわけです。

 

朝井リョウは、陽キャ陰キャのどちらにも与せずに彼らを見通す

 二階堂ふみがタクトを責めるーホラー映画みたいな場面ー

 終盤で、タクトは二階堂ふみから、彼のTwitterをみていることを告げられます。

 

もうこの場面の怖さときたら、半端ない。

 

下手なホラー映画よりも怖い場面です。

 

伏線の貼り方と、二階堂ふみの演技のよさ

 

しかも、二階堂に罵られる以前に、しっかりと伏線がはってあるのがすばらしい。

これは観た当時、私がTwitterにてかきこんだ内容です。

 

全体的に緊迫感があってこわかったけど、 一番は、佐藤健二階堂ふみに罵られる場面かなあ。 中盤で二階堂が「烏丸君と隆良って似てない?」って佐藤に詰めよる場面があるんだけど、そんときの顔が「お前、そうおもってんの知ってるんだぞ?」って顔してて、その場面と重なりあってゾクッとした。

 

 そう、中盤において、二階堂は岡田君と烏丸が似ているかどうかをタクトに尋ねるのでした。

 

 なぜ二階堂がその話をタクトに振るかというと、彼女はメールアドレス経由でタクトのTwitterアカウントを確認していたからなのです。

 

 そのアカウント内で、タクトは「烏丸と岡田」を同一視していました。

 

 つまりこの場面の時にはすでに知ってたんですよね、タクトの裏の顔を。

 

  二階堂ふみ陽キャであるから正しい、ではない

  二階堂は留学し、英語も出来、誰とでもつながり、いかにも現実生活をうまくやってのけている人物のようにえがかれています。

 

 しかし、彼女は就職が全く決まらず、自己嫌悪に陥っていました。

 

 タクトが書き込んでいた自分への批評に激怒しながらも、同時にそれが完全におかしな批評ではないことに気がついてもいる。

 

 そんな悲しいキャラクターです。

 

 『桐島 部活やめるってよ』でもそうですが、朝井氏は陽キャ陰キャのどちらかが正しいというふうにみることはないようですね。

 

 どちらも何らかの陰陽を抱え込んでおり、ある環境になったときにそれが発露する。

 人の本質部分に焦点をあてて小説を書いているような気がしました。

 

 終わりに

 

 まあ、久々に夢中になってしまった映画でしたね。

 シナリオもさることながら、演出も非常に優れたものだったと素人ながら思います。

 

 一秒たりとも画面から目を離すことができずに、じいっと見入ってしまいました。

 

 こういう面白い映画をどんどんみていきたいですね。

 

 ではまた、ズンダでした。

 

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 キャスト

佐藤健

有村架純

二階堂ふみ

菅田将暉

岡田将生
山田孝之