お久しぶりです。
ズンダです。
さて、コロナウイルスも一段落して、緊急事態宣言は解除されて、皆さんも外へ出て遊びたいと思っておられるのではないでしょうか。
夏に向けて彼氏彼女を作りたいと考えている方もおられるかもしれません。
しかし、ここ数十年間、日本では未婚者が増え、子供の数も減り続けています。
国が少子化対策を続けているにもかかわらず、どうして日本の出生率は相も変わらずなのでしょうか。
ぶっちゃけいうと、「お金」のせいです。
今回紹介しますは山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社新書)です。
この記事を読むと次の事が分かります
☆少子化の現状
☆なぜ少子化対策は失敗したのか?
☆なぜ日本人は結婚しなくなったのか?
日本の少子化とは?
日本の低出生率
日本の合計特殊出生率は1.6以下が30年間も続いています。
人口を維持(=静止人口)するためには2.07人が必要とされています。
2018年は出生91万8千人、死亡136万2千人と、差し引き約44万4千人が減少しています。
日本政府はいつから少子化対策を始めたのかー1990年「1.57ショック」ー
30年も前から合計特殊出生率が2を切っていたわけですから、政府も当然、子供を増やすための対策をしてきました。
1990年「1.57ショック」なることばが誕生します。
これは1989年の出生率が1966年「丙午」*1の年の1.58を下回ったことから名付けられました。
これを受けて、経済企画庁が1992年に『国民生活白書』を出します。
その本に「少子社会の到来、その影響と対応」と題し、「少子化」という言葉が広まります。
山田氏がいうには「この白書は、家族変化と経済状況を結びつけた大変優れたものであった。~(中略)~実際、25年後に起きる社会・経済問題を正しく予測していた」とのことです。
ところが、内閣府に置かれていた国民生活局、国民生活審議会は、省庁再編のあおりをくってしまい2009年に消滅してしまい、『国民生活白書』はなくなりました。
唖然としますね。
国民の生活を正しく把握するための審議会が省庁再編のせいで消えてしまったとは。
笑うに笑えません。
しかし、この審議会があっても、特別な少子化対策ができなかったことも事実であります。
ではいったい、政府はこの白書後、どのようなことをやってきたのでしょうか。
遅すぎた少子化対策と噛み合った不景気の到来
1994年 「エンゼルプラン」策定
1999年 少子化基本方針
2003年 少子化対策基本法
2004年 内閣『少子化対策白書』発行
問題が発覚してから、なんと10年の月日が流れています。
その間に、日本ではバブルが崩壊し、政府による財政出動が抑えられ、消費税が上げられていきます。
デフレ不況の始まりです。*2
これが、何をもたらしたか?
人口規模が大きい団塊ジュニア世代(1970~1974年)に直撃しました。
就職氷河期世代が誕生します。
勿論、景気が悪くなり、無職や非正規雇用者が増加します。
不景気でも子供の数が減らなかったー数のトリックー
すると、結婚ができなくなり、子供の数が減るかと思うでしょう。
ところが出生数は
1990年122万人
2000年119万人
あまり減っていません。
これについて山田氏は次にようにいっておられます。
団塊ジュニア世代の人口規模が大きかったために、女性1人あたりの子ども数は減っても、全体の子ども数はあまり減らなかったのである。それが、政策担当者の危機感を薄めたことは否めない
なんということでしょう。
団塊ジュニアはその数があまりにも大きかったために、出生者数の減少に影響がでにくくなってしまったのです。
数のトリック、ですね。
本来的には減っておかしくないのにもかかわらず、総数が多いから減少していないようにみえてしまう。
しかし、日本政府の少子化対策はどうして失敗してしまったのでしょうか?
山田氏は二つの理由を挙げておられます。
*1:ひのえうま、と読む。丙午年に生まれた女性は気性が荒すぎて結婚できないという迷信があった。そのため、日本人は丙午の年には子供をつくらないようにしていた。
*2:ちなみに山田氏は他の本でも「アジア危機」による不況を述べておられるのだが、日本のデフレ不況はアジア通貨危機のせいとはいいきれないことは以下のURLからどうぞ。