人事の古代史
最近、官僚がバタバタと辞めている話をききませんでしたか。
あまりに激務なために職を辞す人が増えているというのです。
↓このニュースとほぼ同じ日に現在の日本の官僚がおかれている状況を詳述した本が新潮社からでました!
日本では奈良時代に中国、唐から移植された「大宝律令」がうちだされ、その制度を実行するために建物や機関がつくられていきました。
そして、官人が誕生します。
古代の官人はどんなことをやっていたのでしょうか。
今回は「位はあるけど、職がない人たち」についてみていきましょう。
非常に読み応えのある本、
十川陽一『人事の古代史』を紹介します。
散位ってなんだ?
日本書紀からみる官人候補
『日本書紀』に次のような記述があります。
時代はまだ大宝律令がだされるまえ、浄御原令の時代です。
詔して曰く、百官人および畿内人、有意は六年を限り、無位は七年を限り、その上日をもって、九等に選定せよ(後略)
これは官職に就いていない有位者が存在しており、考選の扱いを定める必要性があったことを指しています。
つまり、位はもっていたけれども、官職についていない官僚候補がいた、のです。
※位(くらい)とは何か
律令制には官位相当の制とよばれるものがあった。
官人には位階が与えられて、それに応じた官職に任命されていた。
位階を得るためには戦乱で功績を挙げたり(壬申の乱)や東北地方での城柵の造営などが例にあげられる。
↓以下の二冊は、古代の日本史である。
歴史と戦乱に着目した二冊がある。
官職にない人ー散位の存在ー
位階を得る機会は多数あったのですが、官職はとうぜん数が限られています。
誰もが仕事につけるわけでありません。
大宝、養老令において、仕事がない人たちのことを
彼らのことを散位(さんに)と呼びます。
選叙令11散位条には次のようにあります。
十川氏の現代語訳も含めて引用します。
凡そ散位、もし見官闕なからん、闕ありといえども才職相当せざれば、六位以下、分番して上下せよ。闕あらんごとに、おのおのの本位によりて、才を量りて任用せよ(後略)
散位は、ポストに欠員がない場合、あるいは欠員があっても、位階や能力の面で就任することが相応しくない場合、六位以下は散位寮という官司に分番(パートタイム)で出仕するように。そしてポストに空きが生じた際には、その人の位階に応じ、才能を量って任官させなさい
官職についていない場合は勤務実績がないことになるので、キャリアに空白期間(フリーターとかと同じ)があいてしまいます。
それを防ぐために散位寮に分番させて、雑務に当てていました。
しかし、散位には問題がありました。
給与が安い
官人とは正式にいうと次のような人たちです。
官位令という編目によると「諸司四等官以上のポスト(職司官)に就いているものが官人」でした。
※例外的な人もいる。史生という雑任や舎人といわれる官人見習い。お手伝いさんてのような存在。
官人は「身分給」と「職務給」の二本立てでした。
身分給とは?
土地と人をある人物に割りあて、そこからの税収を当人の収入とする制度である。律令制以前に有力豪族が所有していた私地・私有民を律令成立期に収公し、代りに給与の支給という形に切り替えたことに淵源する。五位以上官人を対象とした、働かなくとも与えられる、身分に対する給与である。
職務給は労働に対する報酬であり、全位階の官人を対象として、春夏二回支給される季禄というものが設定されていた。(中略)官職に就いていない散位たちは、五位以上であれば食封や位禄を受給できるが、六位以下には給与を受ける資格がないのである。
長々と引用をしてきましたが、つまり、散位で六位以下の人たちはお金を稼ぐことができなかったので、「ヤバい状態」にあったということです。
位はあるけど、給料はもらえないわけですから。
もちろん、それでは生きていけないので国のほうで仕事を作ってあげていました。
写経所への出仕
奈良時代で唐から仏教が移入されると、国家の壮大な企図として仏像作りや仏典などが入ってきます。
すると、写経(=お経を写すことで功徳が得られる)が盛んになります。
仕事がない散位はこの写経をするための人員=写経生として出仕し、身銭を稼ぐことになったのです。
ちなみに給料は出来高払いでした。
・どれだけの分量を写経したか
・文字の写し間違いや脱字で減給された
というきびしい校正の元で行われていました。
正倉院文書には写経生たちの請仮解(欠勤届)が残っています。
その理由としては
・親の看病
・喪
・痢病
・二日酔い
などでした。
昔の人も二日酔いで休んだりしたのですね。
しかし、こんな直截な理由で許されていたというのも面白いですね。
終わりに
さて、この散位ですが、どうしてここまでして朝廷は余計な散位を用意して置いたのでしょうか。
良く考えてみれば、十分に官僚の数がみたされているのであれば、べつに散位などいらなかったはずでは?
実はそのこともこの本にはかいてあります。
ただ本記事では紹介できない理由があります。
とにかく全編を読んでないとしっくりこない、からです。
正直、私ズンダ、二〇二〇年の新書ランキングTOP10に入る本は『人事の古代史』だと思うぐらい、この本の中身は濃いです。
私たちは日本史の授業で古代史の大宝律令について習います。
習うと、その官位相当表や中央官制図などをみて、頭がくらくらした人も多かったのではないでしょうか?
一生懸命覚えたけれども、具体的にどういうことをやっていたのかわからない。
どんな政治力学が働いていたのかつかめない。
そんな人は多いはずです。
しかし、この十川陽一氏のこの本はそれに応えてくれています。
私たちが長年、謎に思っていた古代の人事と行政、政争と官人の関係、平安遷都による官人の変化などがこの本を読むと明確に分かります。
しかし、ブログで紹介しきるにはあまりに難しいのです。
よって、この本の全貌は皆さんにお任せしたいとおもいます。
期待を裏切らない本です。
読めば必ず「おもしろかった」という声が漏れることでしょう。
おすすめします。
ではまた、お会いしましょう。
ズンダでした。
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次回紹介する本は『「やりたいこと」の見つけ方』です。
よろしくおねがいします。
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