人はなぜ「認められたい」のか
皆さんは「誰かから認められたい!」と思ったことはありませんか。
人から褒めてもらったり、人からスゴい!といってもらえたりすると、充実感が湧いてきますよね。
私たちは誰かに何かで認めてもらえると嬉しくなってしまう性質をもっています。
しかし、その思いが強くなるほどおかしい方向へいってしまうのも事実です。
たとえばSNSをみてみましょう。
TwitterやInstagramで他人への優越を誇りたいがために高い洋服や鞄や靴、あるいは高級旅館や海外の観光地の写真をこれでもかといわんばかりに挙げている人たちがいます。
イイネ!をもらい承認欲求を満たすために、嘘の写真や経歴などを述べる人たちもちらほらみかけますよね。
↓承認欲求の塊ともいえる女性達を描いた本。
「Twitter界隈にいるいる!」ってなること間違いなし。
行き過ぎた承認欲求は身を滅ぼします。
私たちはこの承認欲求を適度に飼い慣らす必要があるといえるでしょう。
今回紹介する本、竹下伸二『ひとはなぜ「認められたいのか」』から以下のことをまとめてみましょう。
・承認欲求とは何か
・承認欲求をいかに満たすか
の二点について今回は本書より説明します。
承認欲求には種類がある
承認の経験には二通りある
まず「何を承認されたのか」です。
「行為の承認」と「存在の承認」にわかれます。
・行為の承認
人からある行為が評価されること。
例:成績がよい。運動ができるなど。
・存在の承認
趣味や考え方などで共感しあうこと。
「何ができるか」ではなく、自分の「ありのまま」を人に受け入れられることで生じる承認のこと。
例:A「あの漫画が○○なところが好き」
B「あー、わかる。あそこいいよね」
これらは「何が承認されたのか」という話でした。
「誰に承認されたのか」は三つある
次は「誰に承認されたのか」をみていきましょう。
三つあります。
親和的承認
親密で信頼できる人に認められる場合
例:親や親友から愛情にもとづいた「存在承認」集団的承認
自分が所属する集団の人に認められる場合
例:クラスや部活の仲間、現場の同僚、趣味のサークル、宗教団体などから貢献すると認められる承認。「行為の承認」である。一般的承認
見知らぬ一般の人々から認められる場合
例:高学歴だったり、芥川賞をとっていたりすると、社会一般から評価される。
これも「行為の承認」といえる。
自分で自分を認めるー「自己承認」ー
次に自分で自分を認める「自己承認」について彼はかいています。
一つが特定の価値観に基づく「規範的自己承認」です。
もう一つが「普遍的自己承認」です。
世間の価値観を絶対視したりせず、さまざまな立場の人や考え方、価値観を考慮し、多様な観点から行為の価値を考えなければ成りません。(中略)このような、多様な人々の立場や価値観を思い描き、彼らの身になって考えられるような観点のことを、以後、「普遍的視点」と呼ぶことにしましょう。(中略)普遍的視点による自己承認のことを、以後、「普遍的自己承認」と呼びたいと思います。
竹下氏はこれからの時代に必要なのは「普遍的自己承認」だといいます。
というのも、グローバル化によって異文化交流が盛んになり、生活様式もめまぐるしく変わっていく社会になったからです。
とはいっても、この承認方法だけで自分を満たすことはできないともいっています。
実際、私たちは自分だけで自分を認め続けるのは無理でしょう。
どんなに成績が悪くても「俺はすごい!」という自己承認を続けられるでしょうか。
現実をみないようにしても、成績下位は下位でしかありませんね。
どうしても他人からの承認が要ります。
承認欲求不安から自分を解放する方法!
不安な人は袋小路に追い込まれているー努力はしても成功するわけではないー
誰も自分の事を認めてくれない、なぜなら、自分には能力がないからだ!
なぜこういうふうに考えるようになってしまうのでしょうか。
基本的に、「親的承認欲求」=「存在の承認」がない人ほど「行為の承認」を求める傾向にあると竹下氏はいっています。
親的承認欲求によって、自分の存在そのものが親密な人たちに認められてさえいれば、「行為の承認」にそこまで執着しないようになるのです。
「行為の承認」に重きをおくひとは、親密な人たちに「あなたはいるだけで価値があるんだよ」という扱いを人生で受けてこなかったわけです。
それゆえ「何かをしなければ自分はいけないんだ!」という思いが強い人になってしまうのです。
もちろん、「行為の承認」を得ようとして、上手くいけばいいのです。
しかし、何かで成績を残すのは簡単なことではありません。
前々から当ブログでいっているように、「努力すれば何か出来る」は嘘です。
多くの人は何かを諦めたり、捨てたりして、日々を生きていきます。
夢や目標は必ず達成できるものではありません。
環境や運や才能などでいくらでも左右されます。
努力の問題だけではないのです。
↓自己啓発本の読み過ぎて、努力すればなんでもできるようになったと思い込む日本人たちへ警鐘をならしたかった記事。
かくして、自己不全感が増していき、「自分は何も出来ない人間なんだ」と考え、「心の病」に落ちてしまう人たちがいるわけですね。
承認欲求の不安解消は「親和的欲求を満たす」ことからはじまる
では、どうすれば承認欲求の不安から逃れることが出来るのでしょうか。
良い方法があります。
こういった承認不安を治すための解決方法があるのです。
以下の図をみてください。
ここで大事なのはやはり、親和的承認を形成することです。
そのために精神科医やセラピストに頼み、彼らに親和的承認をしてもらうのです。
「認知の歪み」をなおそう
そのあとは自分の中の「認知の歪み」を捉えるようにしていきます。
「認知の歪み」とは物事の捉え方が狂っているということです。
不安症になっている人たちは自分勝手なオカシイ考え方に填まりこんでいます。
それは社会や親や友人関係などによって虐げられたり、冷たくされたりすることで作られた考えです。
例えば、認知の歪みが生じると次のように思い込むようになります。
「○○先生にいじめられた。だから、すべての先生は悪である」
これは明らかにおかしいですよね。
○○先生があなたに対して嫌な人だったとしても、「先生」という職種についている全員が悪なわけないでしょう。
ところが、「認知の歪み」があると、こう見方がアタリマエになってしまうのです。
自分が狭量な考えをもっていることに本人は全く気づきません。
ここが厄介なのです。
度数があってないメガネを使って、世界を見続けている。
それが「認知の歪み」です。
この歪みを分析、修正していくことが精神科医や臨床心理士には求められているのですね。
ですから、承認不安を抱えている人は次の行動をとりましょう。
①信頼できる人と接する
②その人達から親和的承認を得る
③徐々に認知の歪みをなおす
もし、信頼できる人がいないのであれば、専門家のもとへ向かいましょう。
あなたの親和的欲求を一時的に彼らに補ってもらえるからです。
↓「痴漢犯罪者を治療するとはどういうことか?」を書いた本。
これも「認知の歪み」をなおす経緯がかいてあり、今回の承認欲求に通じているといえよう。おすすめ。
zunnda.hatenablog.com
↓ちなみに、「認知の歪み」などではない人たちがいることを書いたのが『ケーキの切れない非行少年たち』である。
この本では軽度な障害のせいで、社会生活を送れず、犯罪者になってしまう
青少年達が描かれている。
終わりに
この本は学問的な体裁が整った本ではありません。
よくいえば哲学書、わるくいえば中高生が書く感想文、といった本です。
*1
ですから、『ファクトフルネス』やピンガー『21世紀の啓蒙』やメンタリストDaiGoのような統計をもって客観的な根拠を踏まえて、何かをいっている本ではないことに注意しましょう。
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
- 発売日: 2019/01/01
- メディア: Kindle版
あくまで、竹下氏個人の考えが剥き出しのまま放出されています。
こういった主観的な文章を読む場合は次のように受け取るようにしましょう。
筆者の思考と自分とを重ねあわせ、病気の治療を受けているような気持ちで読む。
おそらくこの本を読みたいと思った人は自分の承認欲求に悩まされているのでしょう。
医者から治療を受けている患者になったつもりで読んでみてください。
もしかすると、気持ちがラクになるかもしれません。
承認とは何なのかを見詰めることで「自分はこれができないから、だめなんだ!だから、誰からもみとめられないんだ!」という考えから逃れられるかもしれません。
私たちは分析し、解剖することで、症状を理解し、冷静にみつめることができるようになります。
この本はそういう意味で役に立つといえましょう。
ちなみに本書では、今回紹介した以外にも社会全体の承認不安を解消するための方策がかかれています。
興味のある方はぜひ読んでみてください
↓ちなみにもっと科学的な「幸せ」を掴む方法がしりたい人は以下の記事へどうぞ。
今回の記事よりも具体的な解決策がかいてあります。
では、またお会いしましょう、ズンダでした。
ブックマーク&読者登録、お願いします!