今回はズンダの日誌形式で、読んだ本を紹介します。
紹介する本は、ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』です。
紹介の仕方はいつもと異なり、骨子の部分だけを抜きとることにします。
ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』
人は自分の意志で何かをしようと思っているのではない。
進化心理学の知見を拾っていきたい
近頃、面白い本がでないので、新書より単行本を多く読んでいます。
たとえば、以下の本等です。
ハナー・クリッチロウ『「運命」と「選択」の科学』(日本実業出版社)
ジョナサン・シルバータウン『なぜあの人のジョークはおもしろいのか?』(東洋経済新報社)
これらの本は科学的な知見に基づいてかかれています。
前者は神経科学者が神経科学や脳科学や進化心理学を参考にしながら
「人生は遺伝によって傾向が決まっており、自由意志などないが、しかしその枠組みでどうやって、うまくいきていけるのか」ということがかかれています。
後者は植物学者が進化心理学を援用し、人間が笑うとはどういうことなのかについてかいています。
どちらにも共通して見えている学問は進化心理学です。
私ズンダもここ数年、この分野の話を見聞きすることが多い。
というのも人間に関する本を読むと、必ず進化心理学的な記述がみえるからです。
一昔前であれば人生論は哲学者の専売特許だったのですが、現代では進化心理学が哲学のお株を奪っております。
※そういうわけで、ズンダブログでは、これから進化心理学の本の紹介が意図せず増える可能性があります。
進化心理学とは何か。
たとえば、youtubeや何らかの本でも次のような文章をきいたりみたりしたことはありませんか?
原始時代、男は狩りに、女は果実の採集や家にいて料理や子育てをしていた。それゆえ、女は男を選ぶときに男性の筋肉や行動力や力強さや体格のよさなどを重視している」
どこかで見聞きしたことがあるでしょう。
私なんぞはこの文面がみえた瞬間、数行ほど飛ばすようにしています。
もう、分かりきった説明なので、わざわざ読む必要がないからです。
「人間は狩猟採集時代から○○であった」という説明をするのが「進化心理学」です。
進化心理学は我々の遙か遠くのご先祖様の本能や進化や遺伝の影響のもとに、私たちは行動しているといいます。
人間にとって、子孫を残すことが何よりも大事
この学問に従うとありとあらゆるものが、種の保存を絶対として解明されていきます。
上にあげた『なぜあの人のジョークはおもしろいのか?』などもその一冊です。
この本ではなぜ人に「ユーモア」が備わったのかについて「異性を惹きつけるため」といっております。
というのも、ユーモアには知性が必要であり、その知性は異性を惹きつける際に重大な役割を果たすからと言ってのけています。
事ほど然様に、進化心理学の世界では「種の保存のために異性を獲得するための能力が進化してきた」と説明されます。
そのため「なぜそんなふうに進化したのか」については必ず「種を残すため」と断言されます。
私たちのあらゆる行動は性行為をし、子をつくることにある、というわけです。
子供を残せないのはその人たちのせいなのか?
あなたがモテないのは最初から決まっているけど、価値はある
ところでここが問題なのですが、子供を残せない人たちがいます。
モテなかったり、病気だったり、そういった理由でうまくいかなかった人たちです。
当然これらの人々は自分たちの子孫を残すことができなかったわけで、淘汰されたといえるでしょう。
しかし、大事なことがあります。
「なんで、イケメンのほうがモテるのに、ブサイクなやつらがいるの?」
という問いが浮かんでくるでしょう。
これはご尤もなのですが、理由があります。
世の中にイケメンしかいなかったとします。
そのとき「イケメンだけ殺すウイルス」が蔓延したとしましょう。
すると、人類が滅亡します。
当たり前ですね、イケメンしかいないからです。
運良く生き残る人もいるでしょうが、数が大幅に減ることは間違いがない。
それゆえ、生物は一様に同じではなく、多様性をもちそなえているわけです。
社会からみれば不遇な扱いを受けている人でも、生物で考えると、何らかの価値があったりする。
それは人間が生き残るための予備や保険としての価値です。
「でも、イケメンのほうがいいじゃん。」
というのは事実です。
当然、種の保存のためにいきたい!などと自覚して生活を送る人などいません。
ただし、自分でそうはおもっていなくても、私たちは無自覚に生き物として動いている!
それを指摘するのが進化心理学なのですね。
人間の人生は生まれた段階である程度は決まっている
『「運命」と「選択」の科学』によれば、人間は生まれた段階ですでに人生が決まってしまっているのです。
この本の著者ハナー氏は神経科学の研究が進めば進むほど、
人間には「自由意志」などないといわざるを得なくなっている、と書いています。
たとえば、童貞や処女をいつ卒業するかという遺伝すら見つかっています。
そして、決定論者(物事はその人個人が決めているのではなく、最初から決まっているという考えの人)で有名なロバート・サポルスキーの言を引いています。
自由意志などないかのように人生を生きるなんて想像できない。
自分のことを生物学のまとめのようにみなすなど、絶対に無理だろう。
つまり、自由意志はない!と主張している人ですら、
「自由意志がないと分かった上で生きるのはつらい」と漏らしているわけです。
人は自分に決定権があると思っていたいわけですね。
ただしこの本の目的は「自由意志がないから、何しても無駄」といっているのではありません。
たとえば、エジンバラ大学のデイビッド・ヒルは次のようにいっているそうです。
個人の知能差の半分には遺伝子が影響しており、およそ40%には教育の違いが影響している。
これがもし正しいとすれば、なんとか40%の部分に親が賭けてみることができるでしょう。
確かに、親の経済力というのも関係しているようです。
マシュマロ実験についてみてみましょう。
マシュマロ実験のウソ
マシュマロ実験というのをきいたことはあるでしょうか?
「自制心」「セルフコントロール」などと呼ばれている「将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力」(Delayed gratification)が、人の社会における成功に重要であることはよく知られている。この実験の本来の目的は、この能力の幼児期における発達を調査するためであった。最初の実験は、ミシェルと、エッベ・B・エッベセン(Ebbe B. Ebbesen)によって1970年に行われた。最終的にこの実験には、600人以上が参加した。
この実験、「我慢する能力のある人は学歴が高く、成功しやすい」あるいは「四歳児ほどから前頭前野の理性をつかさどる部位が発達しはじめる」という話で引用されることが多いのです。
しかし、近年の実験により、異なる結果がでてしまいました。
ニューヨーク大学のテイラー・ワッツ氏とカリフォルニア大学アーバイン校のグレッグ・ダンカン氏、ホアナン・カーン氏はマシュマロ実験の結果は疑わしいとみて、被験者の数を900人以上に増やして実験を行いました。このとき、被験者となる子どもは人種・民族性・親の学歴といった点において、アメリカの国民を反映したものとなっていたとのこと。また、実験結果は子どもの家庭の年収といった特定の要素について調整が行われました。
結果、最新の研究で示されたのは、「自制心がよりよい結果を生み出す」とするオリジナルのマシュマロ実験が示す結果は限定的であるということでした。ワッツ氏らの研究において、2個目のマシュマロが得られるかどうかは、大部分が「子どもの社会的・経済的背景」に左右されるということ、そして自制心ではなく社会的・経済的背景が、長期的にみた子どもの成功のカギとなっていることが示されました。(太字はズンダ)
なんと、子供が我慢できたかどうかなど殆ど関係がないという結果がでてしまったのです。
そんなものより、結局は「親の経済力」だった。
この更新された事実は『「運命」と「選択」の科学』のなかでも言われています。
こうなると、教育さえすればどうにかなるかも、ということはやはりある程度はいえるのだとおもいます。
先天的なものか、後天的なものか。
何をやるか選ぶことと、それができるかの違い-スプラトゥーン2というゲーム-
どちらかを峻厳と分けることは完全にはできません。
そのため、どうしてもふわっとした曖昧なものになりがちです。
本書の主意は以下のようになります。
「自由意志の領分は少なくなっている。ただ、自分で何か出来ることもある。その境界線を引きたい」
ですから、この本を読むと、自由意志でできる部分とできない部分とがある程度わかってきます。
ここまで私の文章をよんで、自由意志を諦めなくても良いのだ!と、ほっとした人がいるかもしれません。
待ってください。
見逃して欲しくないことがあります。
それをやろうと思っても、それを獲得できるかは別なのです。
※しかも、獲得にもその能力が遺伝的にあるかどうかが関わってくる。
これはあくまで自分の裁量によって選んでいるだけです。
けれども、それを得られるかは別です。
私が常に実況しているゲーム、スプラトゥーン2の話にもどしましょう。
あなたはウデマエXを目指そうとしている。
これはもしかすると、自由意志かもしれない。
しかし、なれるかどうかは別である。
ですから、何かをするには二つの過程があるのです。
自由意志の領域か否か(ここに遺伝や脳の在り方が絡んでくる)
↓
自由意志の領域ではないことだった
↓
ウデマエXになることを決めた!(ここにも、遺伝や脳の在り方はかかわる。ただ、選べはする)
なぜ、進化心理学や自由意志の話が好きなのか
私がなぜ自由意志の話に興味をもっているのかというと、
自分の時間は有限なので、その中でやれることを明確に知っておきたい
これは若い人でも意識しておくべきです。
私たちはガンガン歳をとっていきます。
残された時間はどんどん少なくなっています。
人には人生の限界があります。
人生100年とかいってますが、男なら七十代前半で死にます。
100歳と70歳では30年もひらきがあります。
0歳と30歳で考えればどれだけ凄いのわかりますね。
ただし、成長の度合いは異なります。
体の衰えはいかんともしがたい。
「あれをしたい、これをしたい!」とおもっても、体はついていきません。
自由意志の問題は老若男女に関係ありません。
誰もが、やりたいことやできることには限界があるのです。
だとすれば、若いときに意識しておけば有利になるのは間違いない。
むしろ、「時間の使い方を大事にしよう」と思えるのですから。
終わりに
『「運命」と「選択」の科学』の著者ハナー氏の本を私ズンダなりにまとめると次のようになります。
自由意志は殆どない。
ただ、自分の意志でできることもあるはず。
それは科学の進歩で更に狭まるかもしれない。
だが、今の範囲内で人の意志で可能なことを明確にして、
それについては一生懸命やったらいいのではないか。
この本は、人の宿命と限界とを私たちに教えることで、
「自分がなんとかやれるかもしれないこと」を教えているのです。
それにしても、こういった分野の研究が進んでいったとき私たちはどうなってしまうのでしょうか。
この本にもありますが、自由意志がないとわかった人は自暴自棄になり、無気力になりがちである、との話があります。
私の今回の記事を読んで、無気力になるかたもおられるかもしれません。
しかし、今の所は「人間ができるところもある」らしいので、なあなあでやっていくのがいいのかもしれません。
さて、新書で同内容を扱っているのは恐らく下記の本だとおもわれます。
チェックしてみましょう。
『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』 (光文社新書)
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