こんにちは、ズンダです。
「若者が親ガチャに失敗して嘆くのが流行っている」という記事が話題になり、その後はひろゆき氏などの有名な人々が見解を述べて、ネット上で侃々諤々と皆さんが議論しておられます。
さて、こういう教育のアレコレについて多くの人が口々に語りたがります。
私たちは曲がりなりにも義務教育を受けて高校ぐらいまでなら九割以上の日本人が進学しているからですね。
それゆえ、自分たちが受けた教育をもとに、何かをいいたくなってしまうのです。
しかし、その「何か」はどの程度まで正しいのでしょうか。
自分の個人的な体験に基づく教育論は、単なる勘違いや思い込みしかすぎないのではないでしょうか。
正しく現実を反映した教育論でなければ、教育はねじ曲げられ、子供達に遺恨を残すはめになるでしょう。
そのためにはどうすればいいか。
それが今回紹介する本、松岡亮二編『教育論の新常識 格差・学力・政策・未来』(中公新書ラクレ)です。
この本の帯に以下のことがかかれています。
・22の執筆陣
・20のキーワード
各議題の専門家達が、データを基本として日本の教育の現実や問題点等を炙り出し、縦横無尽に語っております。
皆様も「教育について何かいいたい!」と思ったら、まずはこの本を手に取ってからにするといいかもしれません。
そうでない場合、それは個人の感想や妄想にしかすぎませんから。
それで子供達の未来が潰されてしまうことだけは避けたいですよね。
では、今回は「親ガチャ」と関係している「教育格差」の部分を見てみることにしましょう。
「親ガチャ」は本当のことである
「教育格差」を知ろう
松岡氏は冒頭次のように述べておられます。
まず、言葉を定義するところからはじめよう。「教育格差」とは、本人が変えることのできない初期条件(「生まれ」)によって、学力や学歴など教育成果に差があることだ。一方、「学歴格差」は、最終学歴によって処遇が異なることを言う。
ここでいわれている「教育格差」というのが今話題の「親ガチャ」のことです。
初期条件によって学力や学歴に差がでてしまうからです。
実はこの問題は今に始まったことではありません。
戦後の日本全体を通して、常に格差はありました。
ですが、注目されるようになったのは九〇年代も後半のことです。
「教育格差」が社会問題として指摘されるようになったのはバブル経済崩壊後である一九九〇年代後半、一般的にメディアなどで浸透するようになってきたのは二〇〇〇年代で、その後半になると「子どもの貧困」も頻繁に取り上げられるようになった。換言すれば、低成長期になってから「子どもの貧困」を含む「教育格差」が社会問題として認識されるようになってきたわけだ。ただ、高度経済成長期やその後のバブル崩壊前までの安定成長期であっても、「生まれ」によって学歴達成に違いのある「教育格差」は存在してきた。一部の研究者を除いては、注目してこなかっただけだ。(太字はズンダ)
というわけで、「親ガチャなどない!」という無知から来る反論があっても仕方が無いかもしれません。
俎上に上らなかったために多くの人々は知らないからです。
更に大卒かどうかですら、親の学歴が重要だとわかっています!