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「いつまで、自己啓発にはまってるの?」スヴェン・ブリンクマン『地に足をつけて生きろ!』を紹介する!Criticize self-help books. Stand Firm: Resisting the Self-Improvement Craze 

 

 

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 今回紹介する本はデンマークの心理学者スヴェン氏の反自己啓発本です。

 

 私ズンダのブログをずっと読んできた方ならおわかりでしょうが、私は自己啓発本が嫌いです。

 

 また、そういった言説をばらまいている人たちに対しても嫌悪感があり、度々批判して参りました。

 

 この本の内容はそんな私の主張と大体は同じであり、肝胆相照らすが如き筆者と会うことができて嬉しい思いです。

 

 違いがあるとすれば、スヴェン氏はストア派の思想を大きく評価(しかし、全てではない。また、この評価は加速文化と対峙するための一時的な処方と述べている。)しており、これは私と異なります。


 この理由としては以下が考えられます。

 

 ①私ズンダのストア派への理解が著しく低いせい。
 ②スヴェン氏は人生を慎み深く生きるためのきっかけとしてストア派が役に立つと考えている

 

 この二つが挙げられるでしょう。

 

 彼と私との差異は置いておき、どんなことが書かれている本なのかみてみましょう。

 

 


 加速文化に対抗しろ!


 現代に広がる加速文化

 

 

 加速文化とは、例えば映像作品を早回しにしてみたり、本を高速で読み終えたりする風潮を指しています。

 

 この加速文化についていくために現代人は自己を成長させ、「死ぬまで勉強」することを奨められるようになっています。

 

 「生涯教育」とはここ十年ほどよくきくようになりました。

 

 しかし、私たちは何処まで勉強しなければならないのでしょうか。

 そんなに私たちは色んな能力をもっているのでしょうか。

 

 誰もが無限に成長できるのか?ー分を知ることが忘れられているー

 

 スヴェン氏は次のように述べます。


 実に大勢の人々(特に若い人たち)が自分次第で「何でもできる」という誤った観念に毒されていて、努力が実らないと自分を責めるという愚を犯している。これは無理もないことだ。「何でもできる」はずだったら仕事や恋愛で成功しないことは自分のせいにするしかない。(太字はズンダ)

 

 

 そして、数多くの自己改良を行うための魅惑的な支援が私たちの前には横たわっています。

 

 「セラピー、コーチング、マインドフルネス、ポジティブ心理学、成人発達理論などあらゆる種類のガイダンスが横行し、私たちはいいカモになっている。」


 
 つまるところ、加速文化に追いつくために自己改良を意識すると、これらの「努力産業」とでも呼ぶべき産業に属する人たちに捕まってしまうのです。

 

 もちろん、これはキリがありません。

 何処まで行っても何か足りなかったり、成果がでないことがあるからです。

 

 要するに、死ぬまで飢えに苦しむような人々を大量生産しているのが加速文化であり、自己啓発なわけです。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

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 こうした状況に対してスヴェン氏は「地に足をつけていきろ」と叫びます。

 言い方を変えると、分を知れ、ですね。

 

 そして、ストア派が教えてくれている教えを学ぶべきだというのです。

 

 ストア派は加速文化への対抗策

 

 ストア派の教えは、自制心、心の平穏、尊厳、義務感、そして人生の有限性を考察することを教えてくれる。こうした美徳を学ぶことによって、私たちはうわべの成長や変容に惑わされることなく、深い充足感を育むことができる。

 

 といっておられます。

 

 ではストア派の何が魅力なのでしょうか。

 

 ・現代ではポジティブ思考(実現したい夢をイメージする)が推奨されるが、ストア派ではネガティブ思考(自分が所有しているものを失ったらどうなるか)を推奨する。

 ・現代では常にチャンスのことを考えろと言われるが、ストア派では自分の限界を知って祝福しろと言われる。

 ・現代では感じるままに生きることを期待されるが、ストア派は自制心と感情の抑圧を教える。

 ・現代では死がタブー視されているが、ストア派では日々己の死を想い、今生きている命に感謝する気持ちを育むことを推奨する。

 

 

 この四点です。

 

 これこそが「加速文化が突きつけてくる成長・発達の要求に対抗できる言語を獲得したい読者のためにある。」といっておられます。


 では一章目の「己の内面を見つめたりするな」を読んでみましょう。

 

 自分探しはやめろ!

 

 自己の内面を見つめても何も出てこないー直感できめるという危うさー

 

 

 スヴェン氏によると

 

 「ビジネス上の意志決定においては直感が依然として王様だ」(2014年、イギリスの新聞ザ・テレグラフの記事)

 

 という記事があり、その中には

 

「入手可能なデータが自分の直感と矛盾する場合にはデータに従うと答えたエグゼクティブはわずか10%だった。」

 

と書かれているらしいのです。


 ここから、この直感力なるものを鍛えるために、自己啓発書を参考にする人々がいるとのこと。

 

 

 そして、その自己啓発本には「自分の内面を探れ!」と書いてある。

 日本でいうところの「自分探し」ってやつですね。

 

 自分が本当は何を求めているのか、何を望んでいるのか。

 

 しかし、スヴェン氏はそれを完全に否定します。

 

 「すべての答えはあなたの中にある」だって?そんな馬鹿げた話があるだろうか。      

 気候変動についてどうすべきか。

 スコーンはどうやってつくるのか。

 「馬」を中国語で何というのか。

   自分は優秀なエンジニアになるのに必要な資質を持っているのか。

 

 私の知る限りでは、こうした問いへの答えが私やあなたの内面に潜んでいることはない。

 最初の3つは無論のこと、4つめもそうだ。

 良いエンジニアとは何か(技術力、数学的理解など)の客観的基準は社会が定めている。

 

 あなたが心の中で感じることとは何の関係もない。これは他の人が評価できる能力だ。(適宜ズンダが改行している)

 

 

 つまり、「自分」とは他人や社会による基準によって評価されているのです。

 

 自分の内面などをいくら穿っても、何もでてこない、意味がないとはそういうことです。


 自動車教習所で免許を取るのも、基準に沿った運転を行えるようにするためでしょう。

 好き勝手に運転したら、とんでもないことになってしまう。

 

 ガイドの最後のステップは「直感で選べ」である。あなたはもう世間に迎合する必要はない、と言っている。おやおや!周囲に合わせなくてもいいのは独裁者だけの特権だ。(中略)[《私たちは》神ではなく人間である。周囲の世界に適応していかなくてはならない。(《私たちは》はズンダがいれた。)


 
 そうです。私たちは独裁者でもなんでもありません。

 

 普通のその辺にいる人です。
 
 特別な人間ではありません。

 

 自己啓発本の殆どは

「自分を凡人と偽る成功者による、凡人への指南」です。

 

 いってしまうと、普通の人間を卒業して特別な人間になるための教えといえるでしょう。


 そして、それは内面に偏った単なる自己中心的な人物を作り出してしまう。

 

 自己を探しても自己など何処にもありません。 

 

 あなたが何者なのかを決めているのは社会であり、あなた本人ではありません。

 

 

 過剰な自己分析には実際には無意味なことを感じさせてしまうリスクがあり、その感じるというプロセスによって無意味なものが意味をもってしまうのである。1980年代以降、医師たちはこれを「健康パラドックスと呼んでいる。診断と治療の方法が高度になっていくと患者が延々と自己診断を重ねるようになり、結果として不快感が蔓延した挙げ句に心気症にさえなっててしまう。(太字はズンダ)

 

 

 つまり自己啓発の教えに則って「自己の内面をえぐる」と「パラドックス」になってしまうわけです。

 

 自己なんてないわけですから。ないものを探し出して、路頭に迷う。

 

 加速文化はパラドックス製造機」でしかなかった。
 問題を解決するために新たな問題をつくりだしてしまったのです。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 ここからスヴェン氏は

 

保守主義とその伝統への傾斜こそが真の進歩として姿を現してくる。これまで抑圧的と思われていたことが実際には解放的になる。イノベーションイノベーションを重ねるよりも、慣習やしきたりが優れた可能性を持つ」(赤字はズンダ)

 

 といっておられます。


 つまり、加速文化のような常に破壊と前進をもたらすものよりも、保守主義のような「習慣にそった世界観」のほうが、心身の安寧をもたらす、という結論に至るわけです。

 

 それはそうでしょう。

 

 保守主義は新しいことを嫌い、懐疑のまなざしでこたえます。

 

 それは古くさい頑固親父のようなものかもしれません。

 

 しかし、一方で、多くの人たちに「このときはこうすればいいんだよ」という答えをくれている主義が保守主義です。

 

 答えがないものより、答えがあるほうが安心できるでしょう。

 

 そして一般の人にとってはそのほうが安定するわけです。

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 


 
 本当の自分とは何だ?

 

 1960年代~1970年代頃に自己実現なる言葉が登場したといわれています。

 

 この言葉は次に引用するホネットによると、「硬直した社会が個人の成長を束縛している」という考えがあり、その足かせを外すために出てきたといいます。

 

 スヴェン氏はドイツの哲学者アクセル・ホネット「自己実現」に対する分析を引用されています。

 

 かつて体制(家父長制や資本主義など)への正統な抵抗として生まれた「内面への転換」によって、今度はその同じ体制が正当化されるという皮肉な事態に陥っているというのだ。ポストモダン的消費社会(本書で言う加速文化)によって個人は柔軟で可変的で絶え間ない自己成長を受け入れるように求められ、社会は成長と消費を前提として動いている。この中で「立ち止まる」などと言うのは反抗でしかない。こうして自己実現ブームは、従順で柔軟な労働力を求める市場の要求を手助けしてきた。

 

 要するに、資本主義社会や家父長制などへの反発心がまずあった。

 それに反抗するために「一人の人間」を重視する考えが流行った。

 

 それが自己実現であった、というわけです。

 

 ところが、この「自己実現」はいつのまにか資本主義の論理に絡め取られていきます。

 

 先ほども挙げたように

 

 「セラピー、コーチング、マインドフルネス、ポジティブ心理学、成人発達理論などあらゆる種類のガイダンスが横行し、私たちはいいカモになっている。」

 

 これらを喧伝する人々、あるいは人材派遣会社などがよくいう「成長、転職、キャリアUP」などが良い例でしょう。

 

 私たちは「自己実現」という言葉にだまされて、個人個人がバラバラの連帯感を失っただけのかよわい一個人にまで分解されてしまっているのです。

 

 ※実はこういったことをいっているのは彼だけではない。

 

 下に挙げた人々も共通の問題意識を抱えており、一読に値する。

 

 特に馬淵浩二の『連帯論』は日本や世界含めた思想家や社会学者達の「連帯論」をまとめており、勉強になる。

 

    また、経済の分野において「連帯論」を感じさせてくれるのはMMTerによるものなので、それも勧めておく。

 

 余談だが、スヴェン氏が勧めている小説家の一人がウェルベックであり、ここでも私ズンダと一致しているのかと驚きを禁じ得なかった。どうやら、反自己啓発の人間は感性も同じらしい。

 

 

 

 

 

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 結論:嫌なことをやるようにしろ

 意志力をきたえて、自分にとって心地良いもの以外をやれ

 

 さて、スヴェン氏は内面を見ない方法をストア派を用いて以下の提案をします。

 

 ・やりたくないことをやる

 


 この理由としましては以下の三つです。

 

 ・将来訪れる試練に立ち向かう力をつけるため。


 ・不愉快なことを小規模で体験しておけば将来への恐れにもたえられるようになる・


 ・所有しているもののありがたみを知るために別なことをやる。たとえば空腹にして食事のありがたみを知る。

 

 

 こうした我慢をすることで自己制御につながり、「自己の内面」に頼らない満足感を得ることになるのです。

 

 要約すると、「分を知れ!」ということでしょうか。

  

終わりに
 

なんだか、自分がかいたのではないか?と思えるほどにこの本の中身は私のブログみたいです。

 

そのため読んだ当時、あまり興奮はしませんでした。

 

しかしながら、「反自己啓発の思想ってどんなの!?」というのを知りたい人、

自己啓発な社会に疲れ切っている人にとってこの本はおすすめできます。

 

他にも自己啓発本やそれを批判した本があるので、紹介しておきます。

 

では、またお会いしましょう。ズンダでした。

 

 

 

 

↓ちなみに今まで書いてきた自己啓発についてのネタ。

zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

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↓そういえば、最近、noteをはじめました。よかったらnoteもチェックしてみてください。

note.com

 

ズンダの考えーストア派は反自己啓発か?ー

 

私ズンダはストア派を援用することに完全には同意できない。

 

私はストア派のように「自制心をもって生きること」は、結局は自己啓発的な奢りでは?と思ってしまう。

 

人間にできることはどれくらいのことなのだろうか?と疑いをもっている。

 

それについては以下の記事をどうぞ。

 

 

zunnda.hatenablog.com

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 ストア派を推すことは自己啓発本のいっていることとさして変わらないのではないだろうか。

 

 勿論、程度問題ではある。何もやらなければ何も起こらないのは当然だ。

 

 ただ、それはバケツの水に一滴たらす程度のことでしかないように私ズンダは思っている。

 

 ちなみにスヴェン氏はストア派の考えについて完全に同意しているわけではない。彼は自分をプラグマティストと称しており、使えるものを適当に使うといっている。

 

 本書の「付録 ストア派思想」をみてみよう。


 ここで、ストア派の思想を分析した哲学史家のピエール・アドによるストア派の特徴を引用しておられる。

 

 1 誰も孤独ではなく、誰もが大きな全体(宇宙)の一部をなしているという意識
 2 あらゆる悪は道徳的悪であり、したがって純粋な道徳的意識が重要である
 
 3 人間の絶対的価値を信じること(そこから人の権利という考えが生まれる)

 4 今この瞬間への集中(この世界を見るのが最初で最後かのように生きること)

 

 

 この内、スヴェン氏は4番目の「今のこの瞬間への集中」を採用していない。

 

 彼は次のようにいう。

 

 「今」ばかりに焦点を当てて自分がどう影響されているかを個々人で決められるとする考え方は、「今あなたは自分の幸せを選べる」などとする現代の自己啓発運動と酷似している。そんなことを言ったら世界との出会い方への個人の責任が大きくなりすぎてしまう。

 

 

 この批判の言わんとするところは、人生は積み重ねの連続であり、偶有性があり、人生の進路をいきなり変更することはできないという意味であろう。

 

 すなわち一個人ではどうしようもない部分がある、というわけだ。

 

 確かにそうである。同意する。
 
 ただし、私にはこの「今への集中」がそもそも自己啓発的な意味に繋がると解釈できない。
 
 先にも挙げたようにストア派「日々の死を意識しながら一生懸命いきる」ことを目途としている。

 

 そして、ピエール・アドがまとめた「今への集中」とは「死を思うこと=メメント・モリを指しているのではないだろうか?

 

 私にはそうとしか読めないのだが。

 

 スヴェン氏は明らかに誤読しているのではないか。


 彼自身はストア派の「メメント・モリ」について以下のように評価していたはずだ。

 

 人間はそもそもか弱いものであり、自立した強い個人ではない。

 無力な子供として生まれ、しばしば病気にかかり、年老いて無力になり、皆やがて死ぬ。

 

 これが人生の基本的な現実なのに、西洋の哲学や倫理学の多くは自律した強い個人という考えに基づいており、壊れやすく傷つきやすい人間の性質はすっかり忘れ去られてしまっている。

 

 ストア派メメント・モリ(死を思え)という概念を出発点とし、社会性や義務感と結びついている。(中略)この認識によって連帯感が強まり、仲間を大切にしようという気持ちになる。(改行はズンダ)

 

 
 もし誤読ではなく、スヴェン氏が四点目を受け入れないとするならば、

それはストア派自体の否定ではないか。そのため、誤読であってほしい。


 私はこの本の最もおかしな部分だとおもう。 

 しかもおかしな部分が彼が援用しているストア派にあるのだから、余計に頭がこんがらがる。

 

 そもそも、ストア派の考えは自己啓発の考えに似ているのではないか。

 

 自己を絶え間なく鍛える事を要求する加速文化、そして自己啓発ストア派的なのである。


 海外での自己啓発本に関しては全く知らないが、日本においてはストア派に言及する

自己啓発系論者はそこそこいたはずである。

 

 ↓たとえば、この手の本。

 

 もちろん、彼らのストア派解釈がおかしいという可能性もある。

 

 もしかすると、海外と日本の自己啓発本は似ているようで、何かが異なるのかもしれない。

 とにかく、私にはストア派を採用することが加速文化への対抗になるとは考えにくいのである。


 ちなみに、メメント・モリに関しては私は好きな考えである。


 むしろ、死を思うからこそ「できないことに一生懸命になるのは時間の無駄」と考えられるからだ。


 有限な存在である人が、時間が無限だと思い込み、無益な自己啓発セミナーに通うようなことがあってはならない。


 死を忘れているから、変なことに時間を注いでしまうのだ。
 

 ↓私ズンダのようにFPS、TPSが度下手くそなのにもかかわらず、「無駄な時間」をついやして、ウデマエを挙げることに精を出したバカになってほしくない。

 

「やればやるほどうまくなる」という人はおよそ現実認識がおかしいので、私は全く相手にしないようにしている。

 

zunnda.hatenablog.com

 

↓私ズンダもストア派に関して勉強しなければならないなあと思った次第。しかし、いつ読めるのかがわからない。