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「無知の知」で有名なソクラテスはどんな人、思想だったのか?弟子であるクセノフォン『ソクラテスの思い出』を紹介する!

 

 

 

 

 

 お久しぶりです。ズンダです。
 しばらくお休みを頂いてました。

 

 放送もブログも一定程度やったので飽きてしまい、しばらく更新しませんでした。

 その間もずっと本を読んでおりました。

 

 今回紹介する本は古代ギリシャの教育家であり、かの有名なソクラテスの弟子(※他にも、アンティステネス、アイスキネス、パイドン、エウクレイデス、アリスティッポス、そして、プラトンが弟子だった。)であるクセノフォン『ソクラテスの思い出』です。

 

 

 

 ソクラテスってどんな人?

 法律を守る



 「悪法もまた法なり」という言葉を残し、毒杯を仰いで死んだ厚徳(こうとく)なソクラテスの名前は今もなお賢者として後世の読者を持ちつづけています。

 

 「悪法」といっているようにソクラテスはクセノフォンによれば次ぎの廉により告訴され処刑までもちこまれています。

 

 ソクラテスは、国が信奉する神々を信奉せず、別の新奇な神的存在を持ち込むがゆえに不正を犯している。また、若者たちを堕落させえるがゆえに不正を犯している

 

 古代ギリシャ多神教の国でした。


 ソクラテスはダイモーンの神という特定の神を敬神しており、これが周囲の者たちからすると、怪しげなカルト宗教にしかみえなかったのでしょう。

 

 ソクラテスにとってダイモーンの神は「無知の知」を自覚させる警策(きょうさく。座禅の時に修行者の肩や背中をうち集中を促す棒)として機能していました。

 

 「知っている」と思っているものは「実は知ってはいない」のではないか。

 

 ソクラテスはダイモーンの神からこのことを教わり、人々と対話を積極的に行い、知を深めていったのでした。

 

 師を尊ぶがゆえに書かれた本



 そんなソクラテスの実際はどうであったのかを書いた本が『ソクラテスの思い出』なのです。

 

 クセノフォンはこれを書いた理由を冒頭に次のように記しています。

 

 ソクラテスを告発した者たちは、いったいどんな弁論によってアテナイ人を説得し、彼が国から死刑を宣告されるにふさわしいと信じ込ませたのか。私には幾度となく不思議に思えてならなかった。

 


 
 つまり、クセノフォンは師ソクラテスは讒言によって貶められ、処刑された。
 彼の名誉を回護するためにこの本を書いたのです。

 

 ソクラテス文学という作品群



 ちなみに、ソクラテスについて書かれたものはクセノフォン以外にもあります。

 皆さんもご存じかも知れません。

 

 それはもう一人の弟子プラトンによるソクラテスを主人公とした「対話編」と呼ばれる一群の作です。

 

 本屋やAmazonをサクッとみてください。
 新潮文庫岩波文庫、そしてこの古典新訳文庫でもプラトンの本が並んでいます。

 

 これらの主人公の多くはソクラテスです。

 

 なぜソクラテス???

 

 と思うかも知れません。

 

 私ズンダも高校時代、

 

「なんで毎回、ソクラテスが主役なんだ?」

 

 と感じたものです。

 

 更に「ソクラテスを主役にして、プラトンが言いたい放題しているだけでは?」とも。

 

 実はこういったソクラテスを主役にしたものを「ソクラテス文学」といい、古代ギリシャでは200もの作品があったといわれているのです。

 

 先ほど紹介したソクラテスの弟子達は師を主役とした本を書いていました。

 

 その殆どは今では失われ、プラトンの「対話編」とクセノフォンが書いた本書と『ソクラテスの弁明』『饗宴』『家政論』だけが残っています。

 

 世俗的なことを中心にうまい生き方をかたるソクラテス



 閑話休題

 

 この本ではプラトンが描いたソクラテスと異なり、世俗的なことについて語るソクラテスをみることができます。

 

 「正義」や「善」を中心に語るというよりも「節度」「友好術」「教育」を話題にしています。
 
 これはクセノフォンが教育学者だったせいともいわれています。
 彼の書くソクラテスは当然、クセノフォンの思想を反映したものでもあるわけです。

 

 ソクラテスの正体はだれもしらない



 ですから、書かれているようなことをソクラテスが述べていたのかはわかりません。

 ある意味、実話のような創作なのです。


 こうした本物のソクラテスはどこにあるのか?という問題を「ソクラテス問題」といいます。

 

 ソクラテスは本を一冊たりとも残していません。
 
 彼の存在は弟子であるクセノフォン、プラトン、そして、同時代の喜劇作家アリストファネスプラトンの弟子であるアリストテレスによって担保されています。

 

 私たちがソクラテスについての本を読んだ場合、何人ものソクラテスがいるということになります。

 

 現在、信用できるソクラテスについての証言はプラトンの初期対話篇のみといわれています。

 

 このクセノフォンの『思い出』は一九世紀末~二〇世紀初頭にかけて批判され、その史料としての価値を失ってしまったのです。

 

 ※クセノフォンの何が批判されているかについては本書の解説をお読みになるとよろしいでしょう。

 

 さて、私ズンダはこの本、大変おもしろくよめました。

 

 なんといっても、話の内容が俗っぽい。

 私がプラトンの対話篇を読んでいたのは16歳から20歳ぐらいまでです。

 

 新潮文庫岩波文庫でした。

 

 私も若者だったので抽象的で高度な議論が好きで、同級生がはまり込んでいるそのときどきの流行には興味をもたず、このような本ばかりをよんでいました。

 

 しかしながら、プラトンはカントやハイデッガーなどと違いました。

 

 わかりやすかったのです。

 

 アリストテレスはこれらの議論の仕方を『トポス論』で

 

「一般的な考え(エンドクサ)をもとに推論する」

 

   と述べていますが、プラトンやクセノフォンがわかりやすい理由はここにあります。

 

 時がたって、私も抽象的な話にはあまり興味がなくなりました。

 

 むしろ、普通のことを考えるほうがよほど大事だと思うようになったからです。

 

 普通が本気でかたられるべきなのです。

 

 それゆえ哲学書を読みたい場合は、プラトンから読むと本当に面白く読めるはずです。

 

 面白かった部分

 コスモポリタンを論駁する



 さて、この本の中で私ズンダが気に入った対話は以下です。

 

 第二巻・第一章のアリスティッポス
 第三巻・第十一章のテオドテ
 第四巻・第二章のエウテュデモス

 

 

 アリスティッポスはコスモポリタニズムに似た考えを披瀝しますが、彼は次のように反論されます。

 

 「君が人間の世界にいる以上、支配することも支配されることもよしとせず、支配者たちに進んで仕えるつもりもないとしても、君は目にしていると思う。力の強い者たちは、集団でも、個々人でも、力の弱い者たちを泣かせ、奴隷として扱うすべを心得ているということをね」。

 

 ソクラテスアリスティッポスがどこの国にも属さす、旅人として生きることを

「奴隷とかわらない」と批判するのです。

 

 市民として法的にまもられることがなく、労働することもない人間。
 
 そういった人を誰が丁重に扱うというのか。
 それに対してアリスティッポスは次のようにいいます。


 「ソクラテス、あなたは帝王術を幸福[をもたらすもの]とみなしているように思われます。しかし、その技術を教わる者たちは、いやおうなしに苦しい思いをする者たちとどう違うのですか?」

 

 ソクラテスは国による法的な庇護下に入ることで人々は一定の幸せを得られると考えているわけです。

 

 それをアリスティッポスは「隷属」と呼びわけです。

 

 この何にも束縛されずに自由にいきたいと望む姿勢がコスモポリタンらしいですね。
 
 しかし、ソクラテス

 

「苦しみを進んで受けることは、いやいや受けることとは違うと思わないのかね?第一に、進んで飢えている者は、食べたいと思えばいつでも食べることができ、進んで飢えている者は、飲みたいと思えばいつでも飲むことができるのであり、その他のこともそれと同様である」

 

    と返します。

 

 要するにふらふらと浮ついたかたちで生きている人間は、何もかも受け入れるしかなくなってしまいます。
 
 その人には何かをする力がないからですね。
 自由ではあるけれども、それは属していないからであり、力はもっていないから何かを選び取ることはできない。

 

 そういいたいわけです。

 

 ソクラテスが死んだ理由の一端がある



 この後、ソクラテスは先人の言葉を引いたり、逸話をもってきて、彼を論難します。

 

 自説の根拠としては決して強いものではありません。
 正直、アリスティッポスを論破してるとはいいきれない感じです。

 

 ただし、ここで面白いのはクセノフォンが書いたソクラテスの考えでしょう。

 先にも述べたようにソクラテスは「悪法もまた法なり」ということばを残しました。

 

 もしアリスティッポスのような自由人であれば逃げ出したでしょう。

 しかしそんなこともせずに、ソクラテスは死ぬことを選んだ。

 

 このアリスティッポスとの対話はソクラテスの思想を端的に描いていると読めるのではないでしょうか。

 

 あることができることは他のこともできるか

 


 
 この他にもニコマキデスとの対話も好きです。
 
 簡潔にいうと、ニコマキデスとソクラテスのこの対話は

 

「あることに特化した人間は他のことでも優秀かどうか」

 

    という内容です。

 この内容をみて一つ思いました。

 

 個人の能力についてです。

 

 とてつもなく頭のいい人がいる。
 その人がピアノも弾ける、運動もできる、顔もよい。

 こういう人、たまにいますが、これはなんんなのだろうと。

 

 考えられるのは①遺伝②教育環境などでしょう。

 

 以前にも紹介したように人間の元来の資質は遺伝的要素が大きいのです。

 

 となれば、あることができる人は他のこともできる、とは①と②によるものなのでしょう。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 ただしソクラテスは「良いか、悪いか」については「条件による」という見解をこの本では述べています。

 

 ソクラテスに論破された後



 ソクラテスに論破された人というのはその後、どんなふうになるのでしょうか。

 

 

 「あるときアリスティッポスは、以前に自分が論駁されたのと同じようにしてソクラテスを論駁してやろうと思った」

 

 という文があります。

 

 コスモポリタンアリスティッポスソクラテスに言いくるめられたことを恨みに思っていたのでした。

 

 これは別にアリスティッポスだけの話ではありません。

 

 エウテュデモスとの対話(一)の最終段落で次のようにあります。

 

 ところで、ソクラテスによってこのような目に遭わされた人々の多くは、もう二度と彼に近づかなかった。

 

 そういう者たちを彼はなおのこと愚かであると考えていた。

 しかし、エウテュデモスは、ひとかどの人物になるにはソクラテスとできるかぎり一緒に過ごすよりほかにないとおもった。

 

 そしてそれ以来、何かやむを得ない事情がないかぎりは彼のそばを離れず、彼が日頃行っていることのいくつかを真似ることまでしたのである。

 

 ソクラテスのほうは、エウテュデモスのそのような様子に気づくと、彼の心をかき乱すことはできるだけ避けて、知らなければならないと思うことや、行なうのが最善であると思うことを、きわめて簡潔明瞭に説明してやったのだった。

 

 

 とあるように、ソクラテスに反論されてしまうと、誰もが自分の体裁を繕うあまり、彼に近寄らなくなったというのです。

 

 それにしても近づいてきたエウテュデモスには論駁(エレンコス)をしないようにしたというソクラテスの優しさが窺えるような話ですね。

 

 と、このように本書は大変読みやすく、ソクラテスの人柄が偲ばれるような本になっています。

 

 話す内容も私たちの日常に沿ったものが多く、理解しやすいとおもうので、ソクラテス文学の一歩目としておすすめできます。

 

 

 参考図書~もっと知りたい人向けに~



 ソクラテスについて知りたい方は納富氏の哲学史や同時代の言論状況を知ることができる以下の三冊がおすすめです。

 

 それよりも、ソクラテスの思想に直に触れたい方はプラトンがかいた『ソクラテスの弁明』がおすすめです。

 

 マンガ版もあるので、最初にマンガをよむのが一番わかりやすいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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ちなみに、『ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) Kindle版』および、『マンガで読む名作 ソクラテスの弁Kindle』はアンリミテッドに加入すれば無料で読めます。

 

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この機会を逃さずソクラテスプラトンの世界にふれてみてください。