今回の記事はミニマリストしぶ氏『手放す練習』です。
生活にメリハリが欲しい人、年末に合わせて大掃除をしたい人にぜひとも読んで欲しい本です。
kindle unlimitedにも入っており、無料でよめます。
ミニマリズムを分かるようになるまでの長い自分語り
ミニマリストを受け入れられるようになった
ミニマリストに対して皆さんはどう考えおられるでしょうか?
「なんかうさんくさいな
「そんなに狭い部屋や同じ服ばかりを着て、何がおもしろいんだよ?
「修行僧みたい。自己啓発の一種」
そんなふうにおもっておられるかもしれません。
しかし、この二ヶ月ほど、ゴミ袋45Lを100袋ぐらい用いて、不必要なモノを捨てることを幾度となく繰り返していったところ私の考えに変化が訪れるようになっていました。
「もしかして、これがミニマリズムなのか?」と。
私が捨てていたゴミは私だけのモノではありません
父母姉妹が残していった想い出の品や雑貨品、家具などもありました。
これらのものは膨大でして、足の踏み場もないほどに家を埋め尽くしていました。
転機が訪れたのは自身のPC机を処分し、居間の食卓をその代わりに使い始めたことからです。
以前使用していたPC机は5000円程度でしたが10年ほど使い、至る所が壊れていました。
何よりも奥行き50センチ、幅が80センチほどで小さかったのです。
一方でダイニングテーブルは奥行き70センチ、横幅120センチもあり、PCのモニターを二台を十分おけるほどでした。
これにより居間はいっきに広々とし、空間がうまれます。
そして空間がうまれると同時に、机周りのゴミや雑貨が異常なほどにくっきりと目立ち始めたのです。
つまり、何かをよけることで別の何かが初めて目にはいるようになりました。
こうして、
自分はこんなに汚い家に住んでいたのか!?
という認識をし、美しい部屋を作り出すために悪戦苦闘するはめになったのです。
先日のブログの冒頭でもかいたように私はしばらくの間、ブログを更新しませんでしたがこういう理由があったのです。
モノはいくらでもありました。
その中の多くは
「価値はないけど、勿体ないからとっておこう」
といったものばかりでした。
そう、私はそれを使いもしないし、見向きもしないくせに「大事なモノだ」といっていたのです。
ここに自分の欺瞞がありました。
本当に大事ならいつも自分の側においておくはずでしょう。
何ならスマホのほうが常に自分の身近にあるわけです。
私はこの矛盾に気づいていなかったのです。
そして、もう一つ、あることに気がつきました。
私ズンダはジグソーパズルが好きなのですが、それとミニマリズムが繋がったのです。
「ジグソーパズルでは、ピースが埋まるごとに、次に何のピースが埋まるのかを決めることができる。掃除はあるモノを捨てると、次に何を捨てれば良いかが決められる」
これは自分にとって大きな発見でした。
「あれももったいない、これももったない」という感情を一回とらえなおし、
「本当にもったいないと思っているのか?」と問い返す。
こうすることで、「実はいらないものだったんだ」と判断できる瞬間があるのです。
そして、一つ捨てる
一つ捨てると「これもさっき捨てたモノと同様だよな。じゃあ、捨ててもOKじゃん」となるので、更にもう一つを捨てられる。
これを繰り返すと、膨大な量のゴミができます。
そうこうしているうちに私の家はそこそこきれいなりました。
もちろん、何の逡巡もなくモノをすてられたわけではありません。
そんなとき、気になったのがミニマリストでした。
私は彼らにあまり興味がなかったのですが、自分が多くのモノを捨てるにつれて、
もしかすると、一分の理があったのかもしれない。
そんな風に思うようになったのです。
というわけで手にしたのが今回の本、ミニマリストしぶ『手放す練習』でした。
正直言えば、kindle unlimitedで無料で読めるので読んだという部分はあります。
本を買って、家を埋めたくなかったという気持ちもありました。
ですが、読んでみて思ったのは・・・・・・
思ったより、ずっと考えてあるんだな
皆さんも軽くみている人物や考え方などがあると思いますが、読んでみると意外に違うなあってことがあるでしょう。
今年でいうと、ミニマリストしぶ氏の本と、零時レイ 氏『ナンパが最強のソリューションである』でした。
後者もどこかで紹介したいのですが、ナンパだからといって彼自身が軟派な考えをしているわけではなく、実際は合理的な理由や納得できる理由があります。
そういうわけで、しぶ氏の本をみていきましょう。
ミニマリストとはなにか?
語源からたどる
ミニマリストの語源でもある「ミニマリズム(最小限主義)」はもともと1900年代より、建築や音楽、美術など「アート」の分野にルーツがある。
作品の完成度を追求するために装飾を凝らすのではなく、あえて必要最小限の要素だけを残す表現スタイル。
つまり、「ミニマルアートの専門家」をミニマリストと呼んでいた歴史がある。 その例に、ミニマリストの間で愛されている標語「Less is more(より少ないことは、より豊かである)」 は、近代建築の3大巨匠の1人であるミース・ファン・デル・ローエが提唱した言葉だ。
というように最初は建築用語だったのです。
余計な装飾はせず、必要なものだけを残す。
一種の芸術表現だったのですね。
これはデザインも同じです。
デザインという言葉の語源は「de(削る)sign(示す)」であるとも言われている。 足して飾ることではない。
たとえばApple社の音楽プレイヤーiPodや、携帯電話のiPhoneは従来の製品よりも物理ボタンが少なく、直感的に操作できるデザインで多くの人に愛用されている。
そして、削れば削るほどに、 尖る。尖るほどに自分の大事なものが浮き彫りになる。だからこそ、いちばん大事にしたいものに気づけて、いちばん大事にできたら、人生から「後悔」や「生きづらさ」は消える。
つまり、生き方をデザインするとは「いちいち悩まないで済むよう、何をしないか決めること」
そしてこれが本書におけるミニマリストと同様の意味になります。
本書では「大事なことを強調するために、あえて少なくする人」をミニマリストと呼ぶことにする。
ミニマリズムは自分を制作することにつながっている
ミニマリストとは単にモノをすてる人のことをいうのではありません。
一種の表現者なのです。
彼らの世界ではいらないモノを捨てることは、自分の生き方、態度などを作っていく作業過程であり、表現なのです。
本当に大事なモノの見つけ方は捨てることにあった
私ズンダは先に「パズルピースと異なり、捨てれば捨てるほど新しく捨てるモノがみつかる」と述べました。
これがミニマリズムだったわけです。
自分の家には捨てるモノなどないと思っていたが、とつぜん、新しい景色が広がり、捨てるモノがみつかる。
ちょっと面白いですよね。
普通、新しいことを感じたり経験したりするために、何かを買ったり、手にしたりするはずです。
でも逆に捨てることによって、別物がみえてくる。
そして、見つかるのは「捨てるモノ」だけではありません。
本当に大事なモノは何か、がみつかる、のです。
当然、捨てていく過程で自分が捨てられないモノなどいくらでもあります。
心を鬼にして捨てるのですが、どうしても必要なモノはある。
で、それを最大限ギリギリまで考慮しながらやっていくと、自分にとって大事なモノがなんなのかわかってくる。
捨てようと思っても捨てられなかったモノが、あなたにとって最高のモノなわけです。
メルカリやヤフオクで捨てられないモノの市場価値をみてみる
ちなみに私も昔買った本やCDなどを捨てようと思ったが、最初はなかなか捨てられませんでした。
そのとき、レアだと思っている品をネットのメルカリやヤフオクなどで検索してみるのはおすすめです。
すると、でてくるでてくる。
自分がレアだと思っていたモノが数百円とか1000円ぐらいでうられている。
数万、数十万の価値なんてないわけです。
ここで客観的なモノサシを入れるのは大事だとわかりました。
勿論、本当に大事なモノであれば他人のモノサシなどどうでもいいです。
ただ、そうではないものにたいして「もったいない」と感じてるのであれば、一回、検索してみて市場価値をみるのは役に立ちます。
マンガとか音楽CDとか所蔵している必要ってありますか?
モノが捨てたくなるには、それっていつでもまた手に入るよね?という視点が必要だとしぶ氏はいっておられます。
まずは捨ててみる。世の中のほとんどのモノは最悪「買い戻し」ができるのだ
つまり、 僕にとってメルカリは「貸し倉庫」も同然、一時的にレンタルしているだけだ。そこに「所有」の感覚はいっさいない。
この部分も納得ができるものでした。
私ズンダなども子供の頃はマンガが好きで買って読んでいました。
しかし今となってはマンガ喫茶などにいけば殆どのマンガはよめてしまう。
マンガを買うお金や所蔵するための場所がムダだと感じるようになり、購入を控えるようになりました。
実は最近、kindleで本をよむようにしています。
これというのも本で買うと、がさばるからです。
私のように本ばかりを読んでいると増え方が尋常ではないので、なるべくそうしています。
「所有はコスト」であると同時に、明らかな不要品を捨てないまま持ち続けるのは「借金」も同然だからだ。所有はコスト、つまるところ「所有の利息」である。 過多な所有で365日、床面積ぶんの家賃を無駄に払い続け、さらには管理にかける時間と体力を消耗している。
多くのモノって、また買えるんですよね。
特に家にあったキッチン道具とか壁紙の代替品などは100円ショップのダイソー、セリア、キンドゥなどにいけば全てそろっています。
しかも昔買ったものよりも高品質、安価、綺麗なのでこちらに買い換えたりしたほうがよほどに清潔感があるし、使い勝手もよい。
こういった新しいモノを受け入れられるようになったのも、捨ててからです。
要するに人間には「容量」というものが決まっており、その容量を超えると、人はもう何かを入れることができなくなる。
どんな美味しい食事も食べ過ぎれば満腹をきたし、腹痛や嘔吐に至る。
捨てたから、新しいモノを買う気になった
私ズンダはこの数ヶ月、捨てていただけではありません。
捨てた結果、必要なモノも判明したので新しい購入物もあります。
以下のようなことをやっていました
グーグルのPIXEL6a(本体一円。事務手数料3000円)やIKEAのオッドマン(一万円)、シャープの空気清浄機(17000円)やブラインド(10000円)や水回りの洗剤入や歯磨き粉入れ、歯ブラシ入れ、排水溝カゴをなくした(すべて100均一)などです。
スマホは常に新しく性能が高めのものを買った方が良いと判断。壊れると困るので新品を常に持ちたい。写真動画も綺麗に撮れると諸々に役立つ。しかも端末台はかからない。来年春頃にPIXEL7aがでるとの噂があるので、この6aも半年後には放棄する。
オッドマンは部屋のインテリアかつ収納性かつ本を読むときの足置きとして必要
ブラインドは部屋の見た目を向上させ、古びたカーテンを一層させ、気分をよくする
水回りは手洗いうがい、食器洗い、コーヒー入れなどで毎日、使う。機能性が高く手入れが少なく見た目がいい
まだこれらは過程であり、このあと年末まで余計な家具やゴミを炙り出し、捨てていく予定です。
モノはあっても、さみしかった理由
しかし、これらのことは多くのいらないもの、余計なモノを捨ててから初めて欲しいと感じるようになりました。
今まで自分は何かを積極的に欲しいと思わなかったのですが、なんのことはない
ゴミで満たされていたからです
しかし、古くて汚くなった品々は自分を満たしているようで実は満たしていませんでした。
何か漠然と空疎な気がしていました。さみしく感じていたのです。
それらは結局は、父母兄弟が残したものであり、自分が揃えたものではなかったからです。
また多くの年代物は現在の生活に適しているわけでもなく、私の生活を豊かにしてくれるものではありませんでした。
現在をいきる私たちにとって必要なモノは昔とは異なります。
そしてその価値を知るには一定程度、あったモノを捨てて、新しく買う必要があります。
当然ですよね。
部屋の容量は決まっているわけです。
そして、一人の人間が意識することができる量にも限りがある。
すると、捨てるしか解決策はありません。
しぶ氏は自分が所有しているものについて次のように語っています。
僕は「何をどれだけ持っているのか、自分の所有物すべてを把握していて、1つ1つ所有の理由を語れるだけの量」 が指標と考える。
もっているモノに対して、自覚的になり支配権を得ること。そのモノの魅力やなぜ手にしたのかを語れること。
これを浮き彫りにさせる。
まさに、デザインの世界、ミニマリストの真骨頂といえるでしょう。
~ミニマリズムを考えるためのお勧めの関連図書一覧~
まずは本書を読んでください。
一番簡単に読むにはkindle unlimitedに加入し、無料で読むことです。
kindleは本体がないと読めません。
で、本体でお勧めなのは「広告なし」でkindle paperwhiteです。
防水機能もあるのでお風呂場でも読めますし、軽く雨などでぬれても大丈夫です。
軽いし、大きさも6.8インチあるので問題はないでしょう。
また今月、kindle scribeというスライスペンで本に手描きでかける機能をもったkindleが新発売されます。
正直、これがいいのかわるいのか私ズンダにはわかりません。
値段も高く、いくらなんでもこれを買うのはなとおもっています。