あなたも僕も、家族も発達障害かもしれない
発達障害を支援するようになった2005年
はじめに皆さん、こういったことってありますか?
あるいは、こういったひとたちをみてきませんでしたか?
自分だけ、いつもと違う道を歩くことができない。
自分だけ、会話の輪にうまく入れない。
自分だけ、給食のほとんどを残してしまう。
自分だけ、同時進行で物事を進められない。
自分だけ、ボール遊びが苦手。
自分だけ、思ったことを言わずにいられなくて、相手を傷つけてしまう。
これがいわゆる、発達障害の症状です。
発達障害ということばがきかれるようになってから
だいぶ時間がたちました。
私ズンダが新書で発達障害の本をはじめて本屋で目にするようになったのは
2011年頃です。
「発達障害」は、2005年4月に施行された「発達障害者支援法」に記載されています。 これによれば「発達障害」とは、 「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」 (定義 第二条より)と定められています。
自閉症 アスペルガー症候群 学習障害(LD) 注意欠陥多動性障害(AD/HD) といったさまざまな障害はすべて「発達障害」という言葉に包括されることに
とあるように2005年以降に施行された「発達障害支援法」によって、私たちにとって卑近なものとなったのでしょう。
身近になった発達障害
2004年以降のグーグルのトレンドをみてみましょう。
データとしては右上がりになっているようにだんだんと周知の事実になっていく様が見られますね。
それまでは自分にとって障害は近くにあるものではなく、ある特定の誰かのものでした。
しかしその発達障害に関する本を読んだとき、私ズンダの考えは変わりました。
私たちは気づいていないだけで発達障害の気(け)があるのではないか。
診断されていないだけではないだろうか、と。
発達障害を理解しよう
今回紹介する『発達障害の人には世界はどう見えるか』(SB新書)は
この障害をもった人たちが世界をどう捉えているのかを説明した内容になっています。
健常者の「普通」と障害者の「普通」では意味が異なります。
どういう状態にあるかをしることで、私たちはお互いを尊重し合うためのきっかけをつくれるはずです。
では、みてみましょう。
発達障害とはどんな状態か?
発達障害に関しては先に紹介した法律に次のように記されています。
「発達障害」は、2005年4月に施行された「発達障害者支援法」に記載されています。 これによれば「発達障害」とは、 「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」 (定義 第二条より)と定められています。
自閉症やアスペルガー症候群や広汎性発達障害、学習障害などをあわせて「発達障害」とよぶようになりました。
上記のサイトにある「「発達障害の理解のために」パンフレットダウンロード」には次のような図があります。
この図にあるような症状が発現するのが「発達障害」です。
発達障害はスペクトラムである。
スペクトラムとはなんでしょうか。
それは境界線が曖昧なことを意味します。
発達障害と一口にいっても、みんなが同じ症状が同じぐらいの深度であらわれるわけではありません。
コミュニケーション能力が低かったとしても、それがどのぐらい深刻なのかは人によって違いがあるというわけです。
これまで解説してきた障害の〝境界線〟を明確にすることは大変難しいということは理解しておいてください。 理由はいくつかあります。
1つめは、障害ごとの特徴がそれぞれ少しずつ重なり合っている場合が多いからです。例えば、自閉症とアスペルガー症候群は多くの特徴を共有していますし、注意欠陥多動性障害(AD/HD)の方の中にも、学習障害(LD)で見られる特徴(読む、書く、計算するなどが極端に苦手)などが見られることがあります。
2つめは、年齢や環境により、目立つ症状が変わってくるので、診断された時期によって、診断名が異なることもあるからです。
3つめは、個人差の問題。一人ひとりの個性を単純にグルーピングできないのと同じように、「あなたは〝境界線〟のこっち側、あなたは〝境界線〟のあっち側……」などと明確に区分することなどできないからです。
というように軽重が様々あります。
要約すれば「普通の人より、生きづらい」ということでしょう。
毎日生きていて、何かが引っかかる
そういう人たちなのです。
でも、いったいどういう「ひっかかり」があるのでしょうか。
それは冒頭でも述べた「自分だけ普通の人と同じくできない」ということですが、
その診断基準が2013年以降に変更されており、これが本書で大きく主張されています。
アスペルガー症候群の特徴、「感覚過敏」「感覚鈍麻」
さて、氏が研究しておられるのはもともと「広汎性発達障害」でした。
2013年に改名され「自閉スペクトラム症」と呼称されるようになりました。
この私の研究領域である「広汎性発達障害」は、2013年頃を機に、 「自閉スペクトラム症(Autism spectrum disorder[ASD])」 と呼称されるようになりました。
そのきっかけは、米国精神医学会が発行した『精神疾患の診断・統計マニュアル』の第5版(通称『DSM‐5』)です(アメリカでは2013年5月に発行され、和訳版は2014年 10 月に発行されました)。第4版(DSM‐4‐TR)まで「広汎性発達障害」と呼ばれていた領域が、この第5版で新たに「自閉スペクトラム症(Autism spectrum disoder[ ASD]という定義で括られるようになったわけです。
で、この改訂とともに診断基準もかわっています。
ポイントは、 「感覚入力に対する反応特性」、具体的には「感覚過敏」「感覚鈍麻」が診断基準で重要となった ──という点です。
① 社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害 社会的やりとりの困難(会話など) 非言語的コミュニケーションの困難 対人関係を築く能力の発達や維持の困難(行動調整など)
② 限定された反復する様式の行動、興味、活動 常同性(反復行動など) 限局的な興味 同一性へのこだわり(変化への不安など) の2つにまとめられました。
さらに、②に関しては、「感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ、または環境の感覚的側面に対する並外れた興味」 という記載が加わったのです。
この記載が加わったことで、多くの専門家の間に、 「ASDの方々の苦労や悩みを知る上で、感覚過敏・感覚鈍麻を理解することがとても重要だ」 という認識が広まったのです。
この感覚過敏については次のように説明されています。
例えば、(コロナ禍で使用中止にしているところも多いですが)公衆トイレに設置されているハンドドライヤー。水に濡れた手を突っ込むと風が出てきて、「ゴォー」という音とともに水を吹き飛ばしてくれる機械がありますよね。あのときに出る「ゴォー」という音は、決して小さな音とはいえませんが、定型発達者の方であればそれほど気になる音ではないと思います。
(中略)けれども、ASDの中の人には、あの機械の音も風も「絶対にムリ」と感じる人がいます。「突然あの機械の音が鳴ると思うと、悪阻録して公衆トイレに入るのをためらってしまう」と思う人さえいるのです。
そしてASDの人はこの感覚過敏と感覚鈍磨(中には両方ある人がいる)をもっているといわれています。
2017年のアメリカの調査では、116名のASD児( 10 ~ 14 歳)の実に 92%以上が「感覚について問題がある」と回答しています(Green et al., 2017におけるADI-R, SSPによる評価)。 また、調査規模は小さくなりますが、2009年のアメリカの調査では、 18 人のASD者(こちらは子どもだけではなく大人も含む)を対象とした感覚の問題の程度を評価する質問紙への回答から、実に 94・4%が「感覚過敏に関連する特徴を示した」と報告しています。 このようなことから、およそ9割を超えるほどのASD者が感覚過敏や感覚鈍麻といった問題を抱えていると考えられるわけです。
なぜ生きづらくなってしまうのか。感覚処理障害がもたらす悲劇
これらの感覚系に異常があることがわかったのは技術的な進歩であり、fMRI
という脳の機能がどう動いているのかを把握できるようになりました。
「感覚過敏」と「感覚鈍磨」は二つ合わせて「感覚処理障害」といい、ASDの人たちはこの感覚障害もあって、普通の人のようにふるまえなくなっていると考えられているのです。
それはそうで、人によってはシャワーを浴びることすら痛みを覚えたり、人混みに恐怖を覚えたりもするわけです。
一方で、感覚鈍磨であれば「普通であれば満足できる刺激でもたらない。だからもっと刺激が欲しい」となってしまい、たとえば冬であっても「半袖短パン」ですごしたりしてしまうわけです。
これが何度も起これば、周りからは「あの人、なんかヘンだね」と囁かれるようになり、徐々に人から遠ざけられたり、あるいはそういわれる自分に嫌気がさし、心を閉ざしてしまうといった心境に追い込まれてしまうでしょう。
これが発達障害の人たちの「世界」なわけです。
発達障害はネッカーキューブにだまされない-錯視問題が通用しない-
ネッカーキューブという実験をしていますか?
錯視の問題です。
モノの見え方が複数にみえるといった錯視はどこかで皆さんもふれたことがあるとおもいます。
ところがASDの人はネッカーキューブの見方の切り替えがおこりづらいのです。
この図形だと二つの見え方があるのですが、ASDの人は一つの見方で長時間みる傾向があることが判明しています。
彼らにはバイアスがみられないことが多いのです。
彼らはみたままの刺激をとらえるのですが、健常者は物事を先行に経験したものと照らし合わせて受け取ろうとします。
それゆえ、これやエピングハウス錯視のような錯視問題が通用しません。
※ミステリー等で使われそうな伏線みたいである。
このポンゾ錯視も遠近法の問題ですが、脳の錯覚がおこらないのでどの横向きの線の幅も同じにみえてしまうのです。
このような傾向から昔は「木をみて森をみず」と評されていましたが、最近ではそれこそがASDの特長なのではないかということで「木を見ているから森はみない」といいなおされるようになりました。
発達障害の短所と思われていた部分を特長と見做すようになったのです。
終わりに
ここまでみてきたよう発達障害者は健常者と異なっている状態にあります。
発達障害に関してはいまだ研究途上にあるものの、脳の反応がわかるようになったために私たちとの差異が目に見えてわかるようになりました。
あなたの近くにいる「ちょっとへんだな、この人」という人はもしかすると発達障害かもしれません。
しかし、特別おそれる必要はありません。
発達障害の本をよみ、勉強することで、どう付き合っていけばいいのかに関する自分なりの答がみつかりやすくなるはずです。
この本はあなたの周りにいる「ちょっとへんだな」という人を理解するためにあります。
ぜひ、読んでみてください。
彼らは私たちとは異なる感覚をもっているがゆえにそうなってしまうだけなのです。
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