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「○○じゃ!」といった老人語はどこからきたのか?『ヴァーチャル日本語 役割後の謎』を紹介する

 

 

 お久しぶりです。

 ズンダです。

 

 今日は『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』の第一章を紹介します。

 

 役割語ってなに?

 

 まず、役割語とはなんなのでしょうか。

 

 附録から引用します。

 

 ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ

 

 マンガやアニメなどにでてくる老人や博士達を思い浮かべてください。

 

 鉄腕アトムお茶の水博士

 ポケットモンスターオーキド博士

 名探偵コナン阿笠博士

 

 これらの人物は老人語、博士語の代表格といえるでしょう。

 

 知っている方も大勢おられるとおもいます。

 

 彼らは語尾に「じゃ」「知らん、知らぬ」「知っておる、知っとる」などをつけてますよね。

 

 これはらの用法は基本的には西日本で使われたことばづかいです。

 

 ここには東VS西の対立があります。

 

 老人語や博士語はいつからでてきた?

 

 この老人語や博士語はいつぐらいから広まったのでしょうか。

 

 筆者がいうには戦前、さらには江戸時代からこれらの用法があったといいます。

 

 戦前だと日本SFの祖・海野十三手塚治虫の博士語の由来だといわれています。

 

 まだ少年雑誌である『少年クラブ』(大正三年~昭和三七年)や講談のネタを本にした『立川文庫』(明治四四年頃)などまで老人語などは遡れます。

 

 これからは近世後期において鶴屋南北らの歌舞伎作品『東海道四谷怪談』にみもられるそうです。

 

 上方風 武士、武士の妻女、老人、上方者

 東国風 江戸の庶民

 両方  本来武士だが庶民と関わりがある者

 

 というふうにわけられています。

 

 江戸時代の若者言葉と老人言葉が歌舞伎や浄瑠璃に反映された

 

 ここで筆者は小松寿夫氏の研究をひきます。

 

 小松によれば江戸語は三つの時期にわけられるようです。(『江戸時代の国語 江戸語』)

 

 

 第一次形成(寛永期:慶長(一五九六)~明暦(一六五七)

 第二次形成(明和期:一七六四~一七七一)

 第三次形成(化政期:文化(一八〇四)~文政(一八二九)   

 

 第一次形成では武士の言葉。江戸の町全体としては方言雑居の状態。

 第二次形成では町人層にも江戸共通語がうまれる

 第三次形成では下層の東国語的表現が非下層に浸透していく

 

 先ほどあげていた『東海道四谷怪談』の時期は第二次形成から第三次形成であり、

ここにあるのは階層的対立といわれています。

 

 つまり、若年層・壮年層の人物が江戸の共通語である東国的表現を身につけていたが、老年層は上方的表現を使っていたということです。

 

 これが老人が「じゃ」「しっておる」などと使っていた理由です。

 

 この時代において、その老人が若かった頃、第二次形成期においては上方のしゃべり方が普通だったのですが、それが第三次に向かうにつれて東国的表現に切り替わっていった。

 

 それを写し取った歌舞伎などでは老人が上方的表現をつかい、若者は東国的表現をつかった。

 

 要するに、丸本歌舞伎や人形浄瑠璃はその当時の社会で使用されていた言語の実態をうつしとっていたというわけです。

 

 そしてこの用法が『立川文庫』などに受け継がれ、明治や大正の人々に伝播していくのです。