2012-01-27 10:30:48
テーマ:ブログ
『孤独のグルメ』というドラマが放送している。
十一時ぐらいで約三十分の放送である。
男の人が仕事で各地へ行き、現地で飯を食う。
それに彼の仕事先でのやりとりや、過去が書かれていて、抒情に訴える作品となっている。
ここで話にしたいのは飯屋へ入ったときと飯をくっているときである。
わたくしは中学生時代、飯を食う時、つまり給食の昼飯に時において
演技をしていた。
この演技は『孤独のグルメ』で主人公が演ずるのと同演技である。
主役は店に入る。入る一歩手前で、どんな店なのか案じて見せる。
その後、決意して入店し、店の雰囲気を確かめ、しずしずと座席へ座る。
レシピを開き、その店で食べたい物を選ぶ。飯が来る。食べる。満足する。
この周囲をうかがいながら席へ座る行為、レシピを開き考える行為、店員への注文をする行為、飯を食って感嘆する行為、すべて演技である。
個人的感想を言えば、飯屋へいって飯が食いたくなる演技である。
もしこれを日常生活でこの通りやってみたら凄まじい。
しかし、この演技を中学生時代やっていたのである。
これは友達から指摘されて、気付いたことであり、これゆえ、演技というのは日常でやってしまえば、ワザとらしいものだといえそうだ。
それもそのはずで、演技は自然なものがいい、とはいっても、実際に自然にやられてしまっては刺戟が足りない。
自然には深みがないから、我々はつねに人工する。
物作りは人工の所作である。
であるならば、演技とは人工的なものであって、自然をあらわしたものではないといってもいいだろう。
まあ、なんにせよ、おいしいそうな食い方だな~( ゚ ρ ゚ )ボーとみていましたとさ。