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読書好きな管理人ズンダが古典、小説、批評文、経済、実用書を中心に紹介するブログです。読書好きな皆さんと繋がりたいとおもいます。

【新書】ネットは人々を分断化しない!ネット主犯説を否定 田中辰雄 浜屋敏『ネットは社会を分断しない』(角川新書)【感想】

 

 

本書の要約

・インターネットは人々の考えを過激化させ、分断を生むといわれることが多いが、それは正しくないことがわかった。
 むしろ民主主義を進歩させるものである。改良して使っていけば新聞や雑誌などで情報を得るよりも遙かに人類に寄与するといえる。

 

 

 インターネットをみていると、過激な主張に出くわすことがあるとおもいます。
 
 有識者たちが以下のようなことをよくいっていますね。
 
 

 インターネットは人の考えや思想を先鋭化してしまう。「ネトウヨ」みたいなのをつくってしまうから、テレビや新聞のような良質なメディアとは異なる。大変危険である。

 

 これは事実なのでしょうか?

 

 たとえば、今回、富士山でニコニコ生放送をしていた方が滑落して、亡くなりました。

 それについて様々な意見が飛び交っています。
 
 

「雪山にこんな軽装で臨むなら死んで、当然だ。」
「冬の山をなめている。」
「放送しながら山に登るなよ。」

 

 といった批判的な意見もあれば次のような理解や同情を示したものもあります。

 

「亡くなった人に鞭をうってもしょうがない」
「癌を克服したから万能感がでて、行動してしまったんだろう」
「前にコーヒー缶を富士山で配っていていい人そうだった」

 

 

 これらをみると、一つの話題に関して多様な見解があることがわかります。
 決して、過激な言葉ばかりではないということは誰の目にも明らかですよね。

 

 いったいインターネットは危険なのだろうか?
 偏った意見ばかりが集まっている世界なのだろうか?

 それに対して答を出したのが今回紹介する本『ネットは社会を分断しない』です。

 この本は今年読んだ本の中でも、重要で社会的な価値があるといえます。
 
 では、見ていきましょう。

 

 

 知識人達の希望と絶望そして、思いがけない調査結果

 ウェブ調査で分かる実態

 

 本書は次のような調査を行い、それを分析したものです。

 1回目 2017年8月実施 10万人
 2回目 2018年2月実施 5万人
 3回目 2019年5月実施 2万人

 2回目の調査は1回目と同じ対象者に送った追跡調査であり、3回目は補足のための調査です。

 非常に大規模な調査だといえるでしょう。
 ここで筆者らが取り上げたテーマは「政治学社会学」です。

 

 「ネトウヨ」や「パヨク」の存在

 

 

 インターネットで右寄りの発言をしている人たちのことを

ネトウヨ」とよびます。
 特徴:

「中国韓国が全て悪い」

「日本は世界でも凄い国」

「安倍政権批判をするやつは左翼」

 

 インターネットで左寄りの発言をしている人たちのことを

 「パヨク」と呼びます。
 特徴:

 「地震や台風は安倍晋三がスキャンダルを隠すためにわざと起こしている」

 「日本がありとあらゆること全て悪い、日本死ね!」

 「日本はオワコン」

 

 

 彼らの発言は2ch(現5ch)のまとめサイトやTwitterやブログ上で簡単にみることができます。
 
 彼らの存在は政治に興味をもっている人であれば、見聞きしたことがあるでしょう。
 かなり拘りの強い人たちです。

 上の特徴をみると、ネットのせいでこんな荒唐無稽なことをいう人たちがでてきてしまったのかと絶望的な気持ちになりますね。
 
 

 詳しく知りたい方は物江潤『ネトウヨとパヨク』(新潮新書)を読んでください。

 帯表紙にある「右でも左でもない無知なのだ」は印象的なことばです。

 

 

ネトウヨとパヨク (新潮新書)

ネトウヨとパヨク (新潮新書)

 

 


 
 ネットは社会をよくするという物語

 

 ネットの黎明期において、知識人たちは多くの情報を個人が受容できるようになるので、世の中はもっとよくなるとかんがえていました。
 
 ハワード・ラインゴールド『バーチャル・コミュニティ』という本が一九九〇年代に出版されています。

 

 

バーチャル・コミュニティ―コンピューター・ネットワークが創る新しい社会

バーチャル・コミュニティ―コンピューター・ネットワークが創る新しい社会

 

 

 その中でラインゴールドは次のようにいいます。本書から引用します。(p17)

CMC[引用者注:Computer Mediated Communicationの略で、ネットを表す当時の用語]のもつ政治的な意義は、強力なマスメディア上に乗っかっている既成の政治勢力の独占に挑戦し、それによっておそらく市民に基盤を置いた民主主義を再び活性化させることができる能力にある

 

 

 と述べています。
 ネットが民主主義を更に進歩させると考えていたわけですね。
 多くの人が情報の交換ややりとりをすることで、自分が知らなかった考えを学ぶ。
 そこで、正しいことや問題点などが共有、整理されていくから、国や世界全体の解決すべき問題への冷静な議論がうまれ、みんなで力を合わせて困難を乗り越えていけるはずだ、と期待していたのでしょう。

 

 しかし期待とは裏腹にネトウヨ「パヨク」にみられる対立、分断が生じてしまっています。

 その結果として、日本でも梅田望夫(『ウェブ進化論』)や哲学者の東浩紀などはインターネットで理性的な議論は発達することがなかった、むしろ敵対関係が生じてしまい、お互いの対立が先鋭的になっていくだけだった、と失望してしまいました。
  
 所謂、「社会の分断」というやつですね。 これは学術用語では分極化と呼ばれるようですが、本書ではほぼ同じ意味で使うと書いてあります。

 ※どちらかというと「意見が強い」という感覚のほうが本書を読む際はわかりやすい。

 

 ネットのせいで社会の分断は進んだのか?

 

 Twitterなどで自分と同じような意見の人をフォローしますよね。
 こういったことを「選択的接触といいます。
 そして、同じ意見に囲まれることで、自分の意見が「正しい」と思いこむようになるのを「エコーチェンバー」といいます。

 

zunnda.hatenablog.com

 以前、上の記事でも紹介しました。
 

 エコーチェンバーは残響部屋=声が反響する部屋のことをいいます。
 
 同一見解をもつ人たちの書き込みを繰り返しみるために「皆が自分と同じ事を考えている。自分はやはり正しいのだ!」と思うようになってしまうわけですね。

 

 インターネットはこの「選択的接触」が起こりやすいといえます。
 というのも、テレビをみていたり新聞を読んでいたりすると、自分が知らなかったことや興味のなかったことでもついつい目に入りますね。

 しかし、ネットは自分が見たい情報を優先的に選ぶことができてしまうために過激化しやすいのです。
 
 本書の調査においても「ネットメディアを利用する人の方が過激である」という結果が得られています。

 ということは、やはりネットは危険なメディアなのでしょうか?

 

 ネットは社会を分断などしていない。むしろ、穏当な人間を作っている。

 中高年の方が分断が進んでいる

 

 

 そう決めつける前に知っておくべき調査結果があります。
 それは中高年のほうが過激になっているということです。

 調査から次のようなことがわかっています。

 

 ・20代と70代では政治的な過激さの点で、男女の平均的な差(男性0.69 女性0.54)と同じぐらいの差がある。(図をみせる)
 ・保守もリベラルもどちらも「高齢者」ほど過激になる。

 

 

 何かおかしいとおもいませんか。
 もしネットが原因で過激になる人がでてきてしまったのならば、どうして「高齢者」ほど若者よりも過激な人が多いのでしょうか?

 若者の方が新聞雑誌テレビを受容するよりも、ネットで情報を得て、発信しているはずですね。

 

 この問題は事実、2017年に起きた「弁護士大量懲戒請求事件」を思い出してもらうとわかりやすいかとおもいます。

www.nhk.or.jp

 この弁護士懲戒請求事件に関わった人たちの平均年齢は55歳。

 男性が六割ということがわかっています。

 

 私も最初、このニュースをみたときに年齢層が上であることに驚きを禁じ得ませんでした。

 てっきり、十代や二十代などが多いのかと思っていたのです。

 

 ちなみに、アメリスタンフォード大学のゲンコウらによる調査でも中高年ほど分極化が進んでいるということがわかっています。

 彼らにいわせると、アメリカの分断は資産活用やグローバリズム移民問題でありネットのせいではない、とのこと。
 
 ここまでで分かったことは次の二つです。引用します。

 

A「ネットメディアを利用する人ほど分極化している」
B「若年層ではなく中高年で分極化が起きている」

 

 

 ネットは若年層の方が利用していますから、AとBは両方が成り立つということはないようにみえますね。
 Aが正しいのならば、若年層が過激化するはずだからです。

 となると、いったい何が答えなのでしょうか。

 

 筆者らは因果関係が逆だと気づいた

 

 この二つ、AとBとを成り立たせるためにはどうすればいいのか。

 答えは簡単でした。

 Aの因果関係を逆にすれば良いのです。

 つまり、
 

×「ネットを利用したから過激になった」
○「過激な意見をもっていたからネットを使うようになった」

 

 

 ということなのです!

 著者らはこれを証明するために様々なデータ分析を行い、この説を証明しています。
 
 もとから政治的に発言したいことがあったので、積極的にネットを使い、自分の主義主張を述べているのですね。
 逆に主義主張がない人はそもそもブログだったりTwitterで発信自体しない。 
 
 更にその過程で驚くべきことがわかりました。

 

 ネットは人を穏健にする
 
 

 ネットを使うと、人々の意見は過激にならない。むしろ、穏健化することが判明してしまったのです。

 ただし例外があります。
 それは初期時点で政治的に強い意見をもった人がTwitterを使った場合のみ、分極化が一段と進行するということです。
 
 ところが、これがブログやフェイスブックだと、彼らですら穏健になります。
 理由は不明、とのこと。

 

 ズンダの考え

 

 私が思うに、Twitterはやはり自分中心の世界を作り上げていくところが大きいのかと思います。
 フォローもフォロワーも自分で自在に選んでいきますからね。内に籠もる性質がある。
 実はこれを壊してくれるのがフォロワーからたまにくるリツィートだったりします。 
 いくら似た傾向の人を選んでも、すべてが同じというわけにはいきませんからね。
 
  
 むろん、RTは主張を更に激化させる力もあるわけで諸刃の剣ですが。


 ブログは色んな人の意見がみれます。
 
 たとえばまとめブログで政治的な話をあったとしましょう。
 すると、人気のあるまとめブログであればコメント欄に数十数百個のコメントがつきます。
 これを全て読む人はいないと思いますが、ざっくばらんに見る人は多いでしょう。
 そうすると、賛成反対の意見が比率は異なるものの並ぶことになる。
 
 自分は初めはAという意見に賛同していた。
 しかし、Bを支持する人たちのコメントを読んでいくうちにAという意見が絶対ではないことがわかってきた。
 
 と、その人がもともともっていた意見を中和するわけです。

 

 また、フェイスブック実名や顔写真などをのっけたりします。自分の素性が完全に割れている状態で「強い意見」をいうのはだいぶ度胸の要ることですから、穏当な見解ばかりが並ぶわけですね。
 
 たとえば、何かを書き込む際に「あなたの顔写真をセットにして書き込んでください」といわれたら、本音を書けますか?

 

 更に具体的に考えてみましょう。

 

 あなたが次のことを書き込むと仮定します。

 「女ばかり優遇されている社会はおかしい。映画館も女は安くなるし、男にいつも奢ってもらってるし。日本は女性優遇社会だ!」

 この見解を顔写真付きで書き込めるでしょうか?
 
 まず、あなたがイケメンでなかった場合、おそらくこういう批判がきます。

 「こいつはブサイクだから、もてないんだ。もてなくて、ひがんでいるから、女性を軽視するような発言ばかりするんだ。そうにちがいない」

 名前や顔がバレてしまうことの恐怖はこれなのです。

 

 

・自分の意見に対して、自分の属性(学歴や経歴や顔)などが加味されるようになる
・その人の意見が正しいかを判断されづらくなる。

 

 以上のことから、フェイスブックやブログは人を穏健化させる効果があるのだと思われます。
 脛に傷があると好き勝手なことはいえなくなるものです。
 と、同時に自分にも弱点や変なところはあるのだと思うようになる。
 だとしたら、他人の意見をそんなに激しく否定したりできるのだろうか?という思いやりや躊躇があらわれるのではないか。 

 ちなみにこの研究はドイツやスペインやアメリカでも行われているらしく、やはりネットは人々を穏健にさせる結果がでているようです。

 

 ということでこの穏当化議論のまとめを本書から引用します。

 

(1)ネットメディア利用開始後に分極化は低下傾向である。すなわちネットメディア利用開始で人々は過激化せず、穏健化する傾向にある。
(2)有意な結果に限ると、穏健化するのは20代~30代の人がブログを使い始めた時、女性がブログを使い始めたとき、元々穏健だった人がツィッターを使い始めた時である。
(3)逆に有意に過激化するケースは、元々過激だった人がツィッターを使い始めるケースである。

 

 選択的接触の効果は思ったより少ない

 

 ちょっと待てよ。それなら最初の方に書いていた人々を分断させる結果とやらは何のことだったのか?と思われた方も多いでしょう。

 

 この答えとしては
 
 ・思われている以上に分断の効果は少ない
 
 ということでした。
 

・選択的接触は現実でもネットでも必ず行われている。
 しかし、ネットにおける選択的接触は新聞や雑誌のほうが強いということがわかった。

 

 筆者らはフェイスブックツィッターにおいて、対象者たちがフォローしている言論人やタイムラインで見かける言論人を調査しました。
 こうすることで、人々が「自分と意見の異なる見解を目にすることはあるのか?」がわかるからです。
 自分と反対意見の人と接触することを「クロス接触率」とここではよんでいます。

 結果として、約四割は自分と異なる意見の人をフォローしたり、その人の意見をみているということがわかりました。

 

 たとえば、10人をフォローした場合、6人が保守系であり、4人がリベラル系ということです。

 ここから、案外、反対意見も目にしていることがわかります
 これはブログでも大差ありませんでした。
 

 では、やたらに称賛する人がいる雑誌や新聞などで情報を受け取っている人たちは、反対意見を目にしているのでしょうか?
 

・新聞雑誌などオールドメディアから情報を受け取っている人間の方がクロス接触率が低いことがわかった。つまり、ネットよりも雑誌新聞だけを読んでいる人のほうが偏った考え方をもちやすいことがわかる。

 

 ネットは偏った考えを助長する!などといわれていましたが、それは間違っていたということですね。
 これは新聞の価値を声高にうったえている人たちにとっては脅威でしょう。
 
 自分らがいっていた偏らない公平な視点とやらは、新聞雑誌からは得がたいということがわかってしまいました。
 
 では、どうしてこんな差ができてしまったのでしょうか。

 まとめてみましょう。

 

・雑誌や新聞はコストがかかる。知識人でもなければ朝日、産経、毎日、読売、日経新聞などを毎日読んでいる人などいない。

 ツィッターなどでは自分と反対の人をフォローしたりリツィートするだけでよい。
 はやいしお金がかからないで多角的な視点を得られる。

 ・ネットは一部の現象が誇張されてみえてしまう。本当はエコーチェンバーなど大して起こっていない。炎上などが良い例である。わずかな人しかかかわっていないのに、日本全体で問題が起きているかのように感じてしまう。

dot.asahi.com

 

 

 

 だから、ネトウヨやパヨクの書き込みをみただけで、必要以上に「おかしな奴が増えている!」などと反応してしまうのですが、それは極一部だったりするわけです。

 

 

 ネット社会には期待ができる。ただし、修正すべきところもある。

 

 というわけで、筆者らは次のように述べます。

 「ネット草創期の希望はまだ死んでない」
 
 そうです。東浩紀梅田望夫は絶望していましたが、調査結果として人々はネットを賢く使い、自分と違う人々の意見にも触れているのです。

 だとすれば、絶望するどころか、むしろ希望をもつべきでしょう。
 彼らが昔、抱いていた希望は現実のものになってきているのですから。

 

 筆者らはネット言論の改善策として「中間的な言論の場」を作り出すことで抵抗できないだろうか、といっておられます。

 つまり、極端な意見をもった人たちではなく、分布でいうと中間のほうに位置する人たちを集めたSNSがあればいいのではないかというわけです。

 

 私が思うには、筆者らのやっているようなデータを中心とした言論の場が出来れば良いのではないかと思ったりはします。

 やはり、数字や統計というのは感情的な判断や妄想というのを断ち切るのに最適ですし、それらを共有した上で議論をすれば、罵倒の応酬ではない、有益な発話が可能になるのではないかと。

 

 とはいっても、事実が受け入れられるかというと、人間の限界もあるわけで、むずかしいところです。

事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

 

 

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

 

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本書より図37(a)政治傾向の真の分布とネットに表れる分布

↑我々はネットをただやっているだけだと、「ネットで見える世論」に騙されてしまう。

 

 終わりに

 

 本書の結論はタイトル通りです。 

 私もこの本を読むまで、ネットにこれだけの情報が転がっていて、誰もが昔よりも有益な情報を得られるようになったのに、お互いを罵り合う書き込みばかりで嫌になるなあ、などと思っていました。

 しかし、こういった本を読むと、「リアル」は私の思い込みとは異なるというのをまざまざと見せつけられ、考えを変えるきっかけができました。

 

 

 大部分は大量のデータと、それを如何にして分析処理していったのかがかいてあります。

 データから仮説を立て、それを検証していくところも醍醐味の一つでしょう。 

 今回の記事では多くの人が知るべき調査結果を中心にまとめてみましたが、もっと詳しく知りたい方は上の記事はじめの商品リンクから、お買い求めになるとよろしいかと存じます。

 

 では、また。

 ズンダでした。

 

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沢尻えりかが逮捕された。所持していたMDMAってなんだ? 過去に死亡者も!

 沢尻えりかが逮捕されてから、約一週間ほどになります。

 いったい彼女が所有していた薬とはなんなのか。

 この本からみてみましょう。

 

 

 

〈麻薬〉のすべて (講談社現代新書)

〈麻薬〉のすべて (講談社現代新書)

 

 

〈麻薬〉のすべて (講談社現代新書)

〈麻薬〉のすべて (講談社現代新書)

 

 


 この記事を読むと以下のことがわかります。

☆沢尻えりかが所有していたMDMAの効果と副作用
☆一度やると覚醒剤からは逃げられない

 


 覚醒剤の一種 MDMA

 

 沢尻えりか 逮捕の衝撃

 

 女優の沢尻えりか氏が覚醒剤の一種であるMDMAを所有していたということで、警察に捕まりました。

 その後の報道で今までにLSD大麻、コカインなども使用したといわれています。

 

www.fnn.jp

 

 しかしながら、彼女の尿から覚醒剤反応はでておらず、起訴することが難しいかもしれない、ということが伝えられています。

 

news.yahoo.co.jp

 このニュースは多くの人を驚かせたと同時に、企業やNHKなどにCMの中止やドラマの撮り直しなどの実損を与えたことで話題になっています。

 

 では彼女が服用していたMDMAとは何なのかをみていきましょう。

 

 MDMA合成麻薬である

 

 まず、世の中にはデザイナーズドラッグ(designer draug)とよばれる覚醒剤の一種があります。
 
 これは、メタンフェタミンアンフェタミンのような覚醒剤の化学構造の一部が変化しており、規制されている物質とは別物にみえる化合物のことです。

 

 この化合物のなかからメチレンジオキシ基を付け加えてつくられたメチレンジオキシメタンフェタミンMDMA)や、メチレンジオキシアンフェタミン(MDA)が生まれています。

 更にMDMA分子中のメチル基をエチル基に変えたものがメチレンジオキシエタンフェタミン(MDEA)です。

 

 これらの薬は麻薬及び向精神薬取締法」の規制対象となっています。

 ですが、覚醒剤の仲間であることは変わりありません。

 

 この合成麻薬のうち沢尻えりかが所有していたのがMDMA(アダム)です。
 アダムという名はMDMAがアダムのスペルに似ているからだそうです。

 闇の世界では「X(エックス)」や「バツ」や「ペケ」、「タマ」ともよばれています。

 

 もともと一九一二年、ドイツで合成され、アメリカで心的外傷(PTSD)の治療薬として使用されましたが、乱用が問題となり、一九八五年に非合法になりました。

 アダムと同様にMDEA(イブ)やMDA(ラブ)といった薬もあります。

 

 飲むとどんな症状がでるのか

 

 これらの薬は幻覚作用がさほど強くなく、高揚感があらわれることに特徴があります。

 もしかすると、それゆえに、仕事をしながら薬をつかえていたのかもしれません。
 MDMAやMDAはそれぞれ、エクスタシー、ラブ・ドラッグという別名もあり、セックス・ドラッグとして乱用されているのです。

 

 過去には歌手として有名だった押尾学が銀座のホステスにMDMAを服用させ、死なせてしまったことがあります。

 

 要するにセックスをするのが好きな男女がさらなる快楽を求めて、薬を飲み、淫奔に耽るというのが使用目的なのでしょう。

 とはいって、勃起やオルガスムには役立たないとのこと。

 
 覚醒剤のヤバさ

 そもそも覚醒剤をのむとどうなるの?

 

 本書から引用します。

 

 多弁、興奮、不安、不眠などの種々の症状がみられ、腸管運動が抑制され、膀胱括約筋が収縮することから、便秘をおこしやすく、また、排尿困難となることも多いという。重度になると、せん妄状態となって錯乱し、攻撃的な行動を示す。さらには、高い発熱、けいれん、昏睡から虚脱状態におちいり、結局、心不全脳出血から死に至ることになりうる。

 

 

 特に日本では覚醒剤使用者が他国とくらべて多いようです。
 ヨーロッパではアンフェタミンは値段が安いために「貧者のコカイン」とよばれて、若者を中心とした乱用が問題になっています。

 覚醒剤はやめたあとも五年、十年して幻覚や幻聴になやまされるといいます。
 これを「フラッシュバック現象」といいます。
 
 摂取すると多幸感が得られますが、その後は絶望感に押しつぶされそうになる。
 その極端な精神状態がひきおこされることで、薬にやみつきになってしまうのだそうです。

 

 沢尻えりかの前に、田代まさし覚醒剤所持でつかまりました。

 

 やはり、やめようと思ってもやめられないものなのでしょう。

 果たして、この依存症から抜け出す方法はあるのでしょうか。
 難しい問題ですね。

 

  前に痴漢依存症を治療する話をこのブログでもとりあげました。

 どうぞお読み下さい。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

↓薬物依存症に陥った人たちをどう救っていくのかを書いた本です。

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 

 

 

薬物依存症 【シリーズ】ケアを考える (ちくま新書)

薬物依存症 【シリーズ】ケアを考える (ちくま新書)

 

 

 インディアンとカジノ カジノによってお金持ちに?でも、その反面、闇もあります。

 前回からの続きです。

 

zunnda.hatenablog.com

zunnda.hatenablog.com

 

 この記事を読むと以下のことが分かります。

 

☆州と部族との対立から保留地カジノを認めたカバゾン判決と所得が増えるインディアン
☆カジノの闇と「小さな政府」がインディアンを迫害している事実

 

 

 インディアンによるカジノ産業はいかにして権利を認められたか

 セミノール部族のカジノ

 

 保留地をカジノとして利用し始めたのはセミノールやカバゾン、モロンゴといった部族のようです。
 とりわけ、フロリダ・セミノール部族というフロリダに住み着いている部族が箱形のビンゴ場を建てたのが最初のインディアン・カジノであったということです。

 無論、彼らにはカジノ経営のノウハウなどありませんでした。
 そこで非インディアンによるカジノ・コンサルティング会社に頼み、「セミノール・マネージメント・アソシエイト(SMA)」を立ち上げてもらいます。
 
 契約条件はセミノールがSMAにビンゴ場収益の四五パーセントを二十五年間、払うことでした。

 

 ところが、ここで問題が発生します。
 
 フロリダ州ではビンゴは合法でしたが、担い手、営業日、掛け金、収益金の用途は規制していたからです。
 ビンゴは教会やその他の慈善団体による資金集めの手段としてのみ許可されていたのですね。

 しかし、一時的に許可が下りたことでカジノ経営を行うことができました。

 その売り上げたるや銀行からの融資を六ヶ月間で返済できるほどの儲けでして、一日平均七〇〇人ほどの人が当初からきていたそうです。

 

 一九八〇年、連邦地方裁はビンゴ経営を正式に認める判決を下します。これは部族主権が州主権よりも優位にあることを示した事例でした。

 

 カジノ産業を一気に広めたカバゾン判決

 

 さて、この成功はアメリカの他の部族に伝わっていきます。
 場所はカルフォルニア州。
 ここにカバゾン族と呼ばれる人たちがいます。
 
 彼らの議長を務めたジョー・ベニッツは次のように述べています。引用します。

 

 一九六〇年代まで、保留地には、水道も電気さえもなかった。今あるものは何もなかったんだ。みんな保留地から出ていき、町へ移住したのさ。

 

 

 この当時、カバゾン保留地に住むインディアンの収入源はインディアン局から定期的に支給される月数百ドルの補助金のみでした。

 セミナールの成功例を聞いたカバゾン族はまず非課税タバコや非課税酒店をはじめます。同時に雑誌広告でアルコール通信販売にも乗り出しました。
 これが大成功を収め、ついにカジノ経営にも向けて動き出します。

 

 が、1980年カジノがオープンされて三日後に、カリフォルニアインディオ市の市警察墓時の関係者4名を逮捕し、98名を召喚します。
 カジノは即座に閉鎖させられました。

 理由は州法と異なる掛け金額、営業時間、また部族がカジノ産業をしたことがない、というのが理由でした。

 

 というわけで、法廷闘争がはじまります。
 カバゾンがリバーサイド群と闘っている間に、別の部族モロンゴもカジノ経営を始めようとしていたので、同様の訴えをリバーサイドにおこないます。
 

 つまり一九八三年までにリバーサイド群はカバゾンとモロンゴという二つの部族から訴えられる事態に陥りました。

 ここでリバーサイドに部族側が勝ちます。
 

 しかし、八六年になると、今度はリバーサイドが不服として上訴し、更に原告側にカリフォルニア州が加わります。
 州、群VS部族の火蓋が切って落とされました。

 

 最高裁はカジノ産業を民事案件と判断します。

 というのもカリフォルニア州はすでにカジノを認めていたからです。以下、その理由を示します。

 

  1.  カリフォルニア州は慈善的・非営利目的の第二種カジノ(ビンゴ)を認めていた。すでに400以上の団体にカジノ運営のライセンスをだしていた。
  2.  すでに一九八四年に州法改正を行い、第三種カジノ(高額掛け金カジノ)を合法化していた。

 

 

 上記の理由から、カバゾンとモロンゴのカジノ産業に州が口を出すことはできない、という結論に至ったわけです。
 「もともと、カジノみとめてるやん!」ってなりますよね、そりゃ。
 ここにはやはり、人種差別的なものがあったのではないかと私は推したくなります。

 

 こうして勝訴した両部族はカジノ経営に勤しみます。

 この判決直後に部族がカジノ産業に手を出すことが公然と認められるようになります。
 24州で108部族と急増しました。

 

 

 インディアン・カジノ法公聴会

 

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イラスト屋

 公聴会で問題になった二つのこと

 
 
 その後、

 

規制を受けないインディアン・カジノを州はどう取り締まるのか。 
州による規制からインディアンはいかに自分たちを守るのか

 

 が問題になります。

 
 結果として部族、州、連邦政府の関係性を明確にした「インディアン・カジノ法ロナルド・レーガン時代*1につくられます。

 

 この法案つくるに当たって、公聴会がひらかれ、二つのことが論点になりました。

 

ネバダ州における既存のカジノ施設とインディアンカジノの利益相反
②部族カジノとマフィアの癒着

 

 では①から見ていきましょう。

 

 ネバダ州は長年アメリカの高額掛け金カジノ産業を独占してきました。
 客の多くはアメリカ西海岸やそこを経由する旅行者でした。

 カバゾン判決を受けたことで、自分たちの客がインディアン・カジノに奪われるのではないかと危惧します。
 それが公聴会で話し合われました。

 ネバダ州にはフォートモハブ部族がいて、彼らもカジノに参入したがっていました。
 結果として、ネバダ州はモハブ族のカジノから得られる収益の一部を受け取る契約をします。
 こうして高額掛け金カジノの場合、州と部族とが交渉をし、奉納金契約をすることで、お互い妥協しあうようになりました。
 
 ②マフィアとカジノについてです。
 
 当然ですが、多額のお金が発生するところには必ずマフィアが絡むようになっています。
 日本でも、芸能人が覚醒剤をやって捕まりまくってますが、彼らが金持ちで、生活に困らず、贅沢品を買えるだけの収入があるからです。
 
 ちなみにですが、近頃、youtuberで大麻の話をしてる人などをみると、「もしかして・・・・・・」と思ってしまいます。

 

 閑話休題

 ②が公聴会の焦点になったのは理由があります。 
 

 当時からインディアンの代わりに、カジノ経営を請け負ったコンサルタント会社とマフィアとの関係性は新聞沙汰になっており、マフィアの資金洗浄に利用されていることがいわれていました。
 
 先に紹介したセミノールと契約したSMAも資金洗浄に協力していたことがわかっています。

 このことでセミノールはSMAとの契約を破棄しています。
 
 というわけで一九八八年「インディアン・ゲーミング規制法(カジノ法)」レーガン大統領によって調印されます。

 このカジノ法の要点は以下の通りです。
 本から引用します。

 

 カジノ法は、部族カジノを国家が規制するための法律である。

 同法は、部族カジノの条件として、その収益金で部族の自治、自活を担い(あるいは保留地に対する国家の金銭的負担を減らし)、さらに第二種と第三種カジノについては、連邦や第三者委員(ゲーミング委員会)による監督下で行い、特に第三種カジノについては、州との契約に沿って行うと定める。

 

 

 つまり、部族カジノ産業による部族と国家と州との関係性を定めた法律なのです。
 国家の中で生きる以上、部族だけが特権を持ちすぎていても、共存が不可能になってしまために問題が起きてしまう。
 それゆえ、妥協点を求める必要があったのですね。

 しかし、それだけなのでしょうか?

 

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イラスト屋



 
 疑問はともかく、インディアンはカジノ産業のおかげで徐々に裕福になっていきます。
 ランドール・Q・アキーらの調査によると、カジノによって得た収益金は、保留地のインフラ整備から森林保護にいたるまで、部族構成員の生活、医療、住居などの福祉分野に用いられていることがわかっているそうです。
 インディアン同士で助け合っているわけです。

 

 また、カジノに嫌悪感をもっている近隣住民や州を納得させるために、州に対して寄付をしたり、雇用創出の効果を訴えたりして、懐柔策をとっています。

 カジノ施設ができれば、ディーラーやキャッシャーやレストランの調理場、送迎バスの運転手やホテル、ショッピングモールなど多くの労働者を必要とする場が形成されるから、雇用創出の価値を述べることが多大な説得力をもっています。

 

 と、ここまではカジノの素晴らしさを詳述してきました。
 しかし、物事にはやはり光と影があります。

 

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イラスト屋

 カジノの影の部分ーインディアン格差と政府の責任放棄

 インディアン格差

 

 カジノ産業があるからといって何処の部族も儲けているわけではありません。

 

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野口久美子『インディアンとカジノ』(ちくま新書)P201

 この図をみるとわかるように、収益が高い部族は93部族(18・5パーセント)が全体の収益の75・2を占めています。カジノ部族間には収益格差があります。
 まるでyoutuberの格差みたいですね。
 
 やはり儲かっているところは立地がいい。 カリフォルニアやフロリダやアリゾナなどに住まう部族達が稼いでいます。

 

 著者の野口久美子氏によると「成功しているカジノ施設は、都市部から一~二時間程度(車で五時間かけて、あるいは飛行機でラスベガスにむかうよりもだいぶ手頃な距離)で、かつ、近隣の自治体から適度に離れた地域に保留地をもつ部族によって運営されている。」とのこと。

 

 また、儲かってない部族のカジノについては「パチンコ産業化」と表現されています。
 地元インディアンが働きもせずに、カジノで遊んで、財産を失うようなはめになっているからです。

 すると周りの人たちや社会から「あいつ、働きもしないで、いつもカジノいって、あそんでるろくでもない奴」呼ばわりされるようになります。

 まさにパチンコ産業ですね。
 
 しかし、儲かっているカジノ部族でも、既得権益を守るために排他的な傾向がでてきており、問題がないわけでもないのです。 成功者になると相手への共感力は下がり、優しさは失われていくという研究があります。
 儲かると人は変わってしまうのです。

 

 もう一つの影 政府の責任回避

 

 インディアンの保留地を守るというのは司法、行政、立法の指針でありました。
 もちろんそれは、守られたり守られなかったりしていたわけです。 
 本書でもとりあげられたように、強制移住政策、虐殺、保留地政策、同化政策などがあり、到底、インディアンを守ってきたとはいえない有様です。
 
 そして、インディアンは「カジノ」をやらざるを得なくなったわけです。
 「カジノ」はインディアンにとって「現代のバッファローとよばれています。
 飯の種、ということです。

 アメリカではインディアンへの批判として「自然ともに生きていたインディアンがカジノでもうけるなんて」という批判があるそうです。

 

 しかし、土地も飯の種も奪われてきたインディアンに「自然とともに生きて、死ね」というのはあまりにもおかしいとおもいませんか?
 彼らはインディアンである以前に人間です。
 

 刀折れ、矢尽きた人間が、生きるために必死にならざるを得ない状況まで追い込まれてしまったことが問題なのであり、道徳的であるかどうかを当てはめるのはやめるべきでしょう。

 

 糺すべきは連邦政府による責任放棄
 

 今回の記事ではカジノ産業を認められ、豊かになっていくインディアン達をみてきました。
 
 しかし、本来、インディアンがカジノをやらざるを得なくなった理由は、連邦政府が「信託責任」を破り、インディアンを保護してこなかったことにあるはずです。

 

 先に述べたカジノ法の箇所をもう一度みてください。
 「保留地に対する国家の金銭的負担を減らし」と書いてあるわけです。
 

 つまり、カジノの収益があるから、連邦政府は金銭的な部分の責任を軽減させてもらいます、と明言しているわけです。
 また、第三種カジノは部族と州とかが契約を結ぶことになっており、これは州による部族への介入です。 

 

 なんということでしょうか。カジノ法とは、インディアン達の福祉はカジノによる収益によってまかなうべきというインディアンを切り捨てる新自由主義的な法律であったということです。

 
 カジノ法連邦政府と州とインディアンとの妥協点を探るための法律だったはずが、本当の目的は、連邦政府がインディアンへの「信託責任」から手を引くだったとは。

 
 終りに


 今回、私ズンダにとって思わぬ副産物がありました。
 それはインディアンに対して優しかったのはニューディール政策の時代であり、とりわけきびしかったのは新自由主義の始まりと言われるロナルド・レーガンの時代であったということです。
 
 というのも、ここに積極財政(大きな政府)VS緊縮財政(小さな政府)の関係性をみることができるからです。

 もしかすると、アメリカに於いて、インディアンに限らず、何かしらかの差別や待遇の悪化が発生しているときは「緊縮財政」の時代なのではないかと逆推したくもなりました。
 何らかのデータで裏付けることができるかもしれない。
 

 そういう想を与えてくれた点でも、この野口久美子『インディアンとカジノ』(ちくま新書)には感謝したいですね。

 私の要約では伝えきれないことが多くありますので、よかったら本をかってみてください、

 

 読者登録&ブックマーク、よろしくおねがいします。

 

 次回の予告

 

佐藤 郁哉 大学改革の迷走(ちくま新書
佐藤彰一  歴史探究のヨーロッパ(中公新書
小塚 荘一郎 AIの時代と法(岩波新書
ヤシャ・モンク 自己責任の時代――その先に構想する、支えあう福祉国家 (みすず書房

のどれかです。

*1:新自由主義開始の代表格として有名。有名というか悪名高い。彼とアメリカ政府の方針転換についてはマーク ・リラ『リベラル再生宣言』(早川書房)が読みやすい。

 

リベラル再生宣言

リベラル再生宣言

 

 

アメリカ政府とインディアンとの契約とは何か? なぜ政府はインディアンを守らねばならないのか? 

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イラスト屋


 前回からの続きです。

zunnda.hatenablog.com

 

 

この記事を読むと以下のことがわかります。
 

☆インディアンを国家として認めるビトリア理論
☆インディアンの権利を守る判決 マーシャル最高裁判決
☆何度も政府から無視されるインディアンと対抗するインディアン

 

 

 

 コロンブスアメリカ大陸の発見とスペイン人の侵略

 

ビトリア理論とは何か?そして、それはインディアンにとってどんなものだったか

 

 一四九二年八月三日、スペインから西回りのアジア航路を開拓すべく大西洋に乗り出したコロンブスアメリカ大陸を発見します。
 彼はそこがインドだと思ったまま死にますが、ここからインディオとヨーロッパ人との衝突が始まります。

 

 コロンブスは王様宛の航海日誌において大量のがあることを告げたために、スペイン人の探検家達コンキスタドールがが金銀財貨を求めて西インド諸島から現在の中南米、さらに北アメリカの太平洋岸まで押し寄せます。

 

 ヨーロッパからもたらされた天然痘、腺ペスト、結核マラリア、黄熱病の病原菌がインディオたちを襲います。

 一六世紀後半から一七世紀後半までの百年間で、80パーセント中南米の先住民は死んだといわれています。

 コンキスタドール達は病にたおれたインディオたちを金銀のために大量虐殺または奴隷にしていきました。
 有名なアステカ帝国インカ帝国はこうして滅びることになります。

 ヨーロッパ人の残虐非道ぶりは呆れるほかありません。 
 
 こういった虐殺に対して一五三二年、スペイン王カルロス一世はインディオの虐殺は正当化されるのか」神学者であるフランシスコ・デ・ビトリアに尋ねます。

 その内容を本書から引用いたします。

 

 (一)インド諸島(Indies、当時の「新大陸」の呼び方)の住民は自然権(natural legal rights)をもつ理性的人間である。キリスト教たるヨーロッパ人が主張する人道(humanity)の下に、インディオも同様の自然権を主張し得る。故に、正当な権利なくして財産を奪うことはできない。
 (二)ローマ教皇によるスペインのインド諸島に対する権限はインディオの固有の権利(inherent rights)に影響を与えない。例えば、インディオローマ教皇の支配を拒否したとして、戦争や財産没収を正当化できない。
 (三)インディオの権利が害されない場合、スペイン人がインディオと同様の行為を行う権利と布教の権利を侵すことはできない。つまり、インディオは、万民法国際法)上、スペインと交易、通称を断ることはできない。

 

 

 ということでした。

 すなわち、インディオはヨーロッパ人と同じ人間であるから、一つの国家とみなし、付き合うことができるとしたわけです。
 
 ここで大事なことは二つあります。
 

 

1. 植民地支配をしても構わないという結論をくだしていることです。
 つまり、当時において、国が別の国を支配することは当たり前に行ってよいという考えがあったのですね。

2. インディオを国としてみとめる以上、入植者個人が新大陸で何でもかんでもしていいわけではない。入植者の行動は国が取り締まる。
 つまり、コンキスタドールや行政官個人によるインディオ個人の土地や財産の略奪、殺害は、スペイン本国の法律を破るのと同様であることとなりました。

 

 
 

 これをビトリア理論」といいます。
 更に、スペインに進出したイギリス、フランス、オランダ、独立したアメリカもこの理論を利用します。

 

 インディアン研究家の泰斗であるフェッリックス・コーエンはこの考えこそがインディアンという一部族を国家として看做すことになった理由だと述べています。

 アメリカの憲法はこのビトリア理論に基づいてインディアンを扱っています。

 解釈すると「インディアンは州民ではないし、外国人でもないが、固有の政治組織であり、連邦議会のみが彼らとやりとりができる」というふうに読めるからです。
 
 インディアンはアメリカに住んではいるが、それと同時に一つの国家と認めているわけですね。

 

 

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イラスト屋

 インディアンの自治を認めるマーシャル 最高判決の価値

 

 移民対策のために土地を回収する政府
 
 

 アメリカは移民国家といわれるように、次から次へと多くの人々がアメリカにやってきました。
 すると土地の問題が出てきます。
 効率よく土地を活用したいが、インディアンがあらゆるところに住んでおり、都市計画に問題が出る。
 ということで、アメリカ政府はインディアンから土地を回収していきます。

 

 インディアンとアメリカ政府との約束
 
 

 勿論、建国して以降は強奪するというわけにはいきません。
 インディアンもアメリカ国民の一部になっているからです。

 というわけで条約を締結して土地を譲渡してもらうことになっていました。

 アメリカ政府はインディアンに対して補償(年金)、軍事的保護、保留地の設置、またインディアンと非インディアン争いが起こらないように一九世紀中期からは保留地の境界線に軍隊や砦をおくことにしました。
 
 こうやってみると、アメリカ政府もインディアンを丁重に扱っているように思われますね。

 

 しかし内実はこれほど美談ではありません。

 まず条約の本文は全て「英語」でした。
 インディアンがどこまで英語を理解できていたか定かではありません。
 加えて、土地の代わりにナイフや斧や洋服などが送られており等価交換といえるか疑わしい。
 更に、土地の拡大が火急の用になった場合は一方的に条約の破棄がなされたり、内容が大幅に修正されたりしました。

 

 ただし、インディアンに不利な条件でありながらも、条約で物事をとり定める形式ができたことはやはり評価すべきでしょう。
 

 

 マーシャル判決を勝ち取るインディアン
 
 

 一八三〇年代に大きな発展がありました。 チェロキーというインディアンの一部族がジョージア州がチェロキーの土地を強制的に収奪しようとしたために訴えをおこします。

 最高裁までもつれこみ、判決として部族が自治国家であるから州は彼らに介入できないことが以下のように明文化されます。
 
 

①部族は「国内依存国家」という固有の政治的地位をもつ。
②部族に州法は適用されない。
③連邦制は部族の政治的地位を保護する責任がある。 

 このことは一連の判決を行った最高裁判事ジョン・マーシャルの名をとって「マーシャル判決」と呼ばれています。

 この判決は現在のアメリカ人の多くも知らないようです。
 彼らは部族が保留地という独占的な居住地をもったり、部族の成員が州税を免除されているのかわかっていないとのこと。
 「不平等だ!」と不満に思っている人たちも大勢いるようですが、屡述したように歴史的な背景がしっかりとあるわけです。
 
 アメリカ政府はインディアンから「土地」を前金としてもらった。
 その代わりに、インディアンを保護する義務が生じた。
 これを「信託責任」と表現します。

 アメリカにはこの「信託責任」を守る義務があるのです。

 

 

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イラスト屋

 

 インディアン冬の時代とレッドパワー運動とは?

 

 インディアンハンター ジャクソン大統領と冬の時代
 
 

 さて、「マーシャル判決」が出たからといって、インディアンが手厚く保護されるようになったかというとそうではありませんでした。

 

 インディアンハンターと渾名(あだな)される南部出身のジャクソン大統領のもと一八三〇年五月二八日に「インディアン強制移住法」という法律が成立します。
 これはミシシッピ川以東に居住していたインディアン諸部族にその領土を明け渡させ、ミシシッピ川の西方の土地に移住させる権限を大統領に与える法律でした。

 

 理由は当時、綿花ブームがあり、土地投機業者がインディアンの居住地が邪魔だったこと、更に居住地にが埋蔵されていることが判明したためでした。
 そのため南部出身のジャクソンは支持を得て大統領に当選したのです。

 つまり、「マーシャル判決」を覆すような時代がすぐさま到来してしまいました。
 これがインディアン冬の時代とでもいうべき事態でして、要は政府が信託責任を破ってしまったのです。
 
 

 ニューディール政策とインディアン
 
 

 事態が改善するのは社会福祉活動家ジョン・コリアによる弱者救済運動と、それを受けた民主党フランクリン・D・ルーズベルト大統領のニューディール政策のおかげでした。
 ここでインディアン専門家であるフェッリックス・S・コーエンが法整備に加わり、今一度、ビトリア理論とそれに基づく「マーシャル理論」に立ち戻り、インディアンを救う施策を行っていきます。

  

 やはり最高裁判決の価値はこういったところにありますね。判決ある以上、アメリカ政府はそれを守らなければいけない義務がある、と利用することができるからです。

 

 再びインディアンを軽視するアメリ

 

 ところが一九四五年になるとアメリカは再びインディアンを冷遇しはじめます。

 理由は以下の三点です。

 

 ①第二次世界大戦後の不況でインディアンを助ける資金が不足した。
 ②保留地は共産主義的でよくない
 ③第二次世界大戦にインディアンは25000人ほど従軍した。つまり、同化したといえる。だからこれ以上、特別視する必要はないから支援は必要ない。

 

 

  保守派の議員は反共産主義的な立場から、リベラル派の議員は特定の人種を特別扱いすることは差別につながる、との理由からインディアンへの信託責任を放棄して、彼らがもつ権限を捨てていきました。
 
 これに怒ったインディアン、一九六〇年、都市部のインディアンたちが決起し、「レッドパワー運動」を起こします。

 功を奏し「インディアン信教自由法」や「高等教育機関の再編=インディアンを研究するための科ができた」などに繋がります。
 また保留地の住宅、医療、教育、経済開発などを連邦政府の支援を受けながら部族が主体的に担うことを定めた「インディアン自決・教育援助法(一九七五年)などが成立し、連邦政府の信託責任を再び取り戻し、更に自分たちの自活を推進していくための支援も得られるようになりました。

 

 

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イラスト屋

 自由競争時代がインディアンの貧困を継続させてしまった

 

 

 一九七〇年、ニクソン大統領は連邦管理集結政策(インディアンの保護をやめる政策のこと)の廃止を決定します。
 これによって、インディアンとアメリカ政府との信託責任関係が復活します。
 この時代の政府とインディアンとの関係は「パートナーシップ関係」と表現されるようになります。

 めでたし、めでたし・・・となるはずが
 
 パートナーシップ関係には落とし穴がありました。
 

 ①部族を自由競争に晒してしまった。連邦資金を得るには、情報力や資金を活用するための組織力や技術力、部族のリーダーシップが必要なのですが、そもそも申請制度そのものを知らない部族が大勢いました。このあたりは貧困と無知のせいだといえますね。
 ②「小さな政府 新自由主義政策」がロナルド・レーガン政権によって行われるようになった結果、緊縮財政のあおりを受けてインディアンへの支援が激減してしまいました。当然、部族支援以外のあらゆる補助金も削減されたせいで、資金獲得競争が行われ、インディアンは熾烈な競争におかれてしまいます。

 新自由主義がインディアンにまで害を被らせているのですね。

 

 そもそも小さな政府や新自由主義とは何なのか。それが日本を含む世界を蔽ってしまったことによる弊害と解決作については次の動画をどうぞ。

 

www.youtube.com

 

 政府は信用できない→保留地産業へ

 

  では、インディアンはどうしたらよいのか。
 政党が変わるごとに自分たちの生活は極端に変わってしまう→たえられない→「保留地」で自活できるようにしよう!

 

 と、レッドパワー運動を経験したこともあり、インディアンの部族の中に一種のナショナリズムが勃興し、アメリカ政府に頼らずにお金を稼ぐような裏技を考えなければならないという機運が高まっていきます。
 そこで始まったのがカジノです。

 では、明日はそのカジノについてみていきましょう。
 

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【感想】「インディアン 嘘つかない」 のインディアンがカジノ経営!?これってどういうことなの?【要約】

 さて、今日は野口久美子『インディアンとカジノ』(ちくま新書)を紹介していきます。

 

インディアンとカジノ (ちくま新書)

インディアンとカジノ (ちくま新書)

 

 

 この記事で分かること

☆「インディアン」とは誰か
☆「保留地」に住むインディアンとは 

 

 「インディアン 嘘つかない」という歌詞を口ずさんだことはありませんか。
 この歌を歌ったとき「インディアンという部族は正直で親切な人たちの集まりなんだろうな」と子供心に思いました。

 

 皆さんもインディアンについて悪い印象はもってはいないでしょう。
 むしろ、アメリカ大陸に渡ってきたイギリス人によって奴隷にされたり、虐殺されたりした可哀想な被害者という認識ではないでしょうか。

 

 そんなインディアンが「カジノ」経営で稼いでいることをご存じでしょうか。
 
 今回はインディアンに認められた税金がかからずに商売が出来る「保留地」の存在と、その経緯とを縷々かいていきたいとおもいます。

 

 

 

 

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イラスト屋

 インディアンとは誰のことをいう?

 インディアンの人口

 

 インディアンといっても、部族の衣装を着て、馬に乗って生きている人だらけではありません。
 
 イギリス人に侵略されてから数百年以上経っているわけですからね。
 彼らの生活も現代風に切り替わっています。
 
 しかし、そうなると、インディアンなのかイギリス人の末裔なのか、外見上では判断できません。
 アメリカの国勢調査の項目は以下のようになっています。

 「白人」
 「黒人、あるいはアフリカ系アメリカ人
 「アジア系」
 「ヒスパニック、あるいはラティーノ」 「アメリカン・インディアンおよびアラスカ在住民」

 さすが、「人種の坩堝(るつぼ)」といわれるだけあって、多くの分類がされていますね。
 
 インディアンには種々の権利が与えられており、その権利の受益者になるには「自分がインディアンである」ことを証明できなければなりません。
   
 この国勢調査によれば「アメリカ・インディアンおよびアラスカ先住民」そして「アメリカ・インディアンおよびアラスカ先住民との混血」と申告した人の数は
 
 

  • 約293万人(アメリカ人口の0.9%) 
  • 約520万人

 

 現時点でのアメリカの人口が3億3千万人ほどであることを考えれば非常に少ないといえますね。

 

 連邦承認部族こそが特権をもつことが許されたインディアン

 

 しかし、本書では国勢調査上の数字に表れたインディアンをインディアン扱いはしません。
 「連邦承認部族(アメリカが公式に承認し、インディアン政策の対象としている部族)」の成員を「インディアン」と限定しています。
 その数、約190万人
 
 これは「成員規定」を満たした人たちのことです。
 その規定は「血統と居住の条件」が代表的な要素です。
 

 この連邦承認部族でないとと「インディアン」としての特権を得ることができません。
 つまり本書における「インディアン」とは連邦承認部族である「インディアン」のことです。
 

 「特権」はインディアンに対する各種サービスや「保留地」における自治権を行使できる権利です。

 この「保留地」は「アメリカがその責任においてインディアンの専有的な使用を認めている土地」を指します。

 

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イラスト屋

 「国家の良心」という概念と保留地

 部族を承認することで、アメリカという国を成立させた

 

 アメリカはヨーロッパ人によって侵略され、建国に至った人口国家です。

 部族全部を根絶やしにすることはできず、彼らも残存したまま一つの国家として存立するはめになります。

 

 当然、部族達の反発は凄まじいものがあります。
 普通に暮らしていたのに、いきなり「アメリカ」という国をつくられても、ついていけません。

 盗っ人猛々しいですよね。
 そもそも国家という概念自体が部族にはないのですから、尚のこと理解ができない。
 

 というわけで、アメリカ政府は「ここの部族の一つの主権国家として認め、その部族から土地を貰い受け、見返りに部族の自治を認める」という手に出ました。

 一八世紀から一九世紀にかけてアメリカ政府と各部族との間で数百もの条約締結が行われたそうです。
 
 これをウェルコム・オッシュバーンは
「国家の良心」と呼んでいます。
 侵略した事に関して国家としての責任を負うことで、各部族をとりまとめようとしたわけですね。

 

 こうして573の部族で自治を行うために部族憲法と部族議会を作り、自治をおこなっています。

 

 「保留地」という特別区
 
 

 保留地は特権が認められており、また独立した存在であるために州、群、市などの地方自治体の法律や規定が適用されないことが多いのであります。

 

 例えば、保留地内で販売される酒やたばこ、ガソリンは州の消費税が適用されることはありません。またインディアンは基本的に州や自治体への住民税をはらうこともないのです。

 

 こうなると、州に住むインディアン以外の人たちとインディアン達との間で軋轢が起こり始めます。

 同じ所に住んでいても権利が違うとなれば、不平等を感じるからですね。

 

 事件があった場合、保留地における犯罪は、連邦もしくは州警察の管轄によって行うことになっています。
 しかし、部族の権利もあるために、この三者が絡みあい、捜査が難航してしまうことがあるようです。

 その複雑さを描いた映画映画『ウィンド・リバー』が本書では挙げられています。

 

 

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イラスト屋

 この権利の複雑さとインディアンによるカジノ経営とが衝突した事例があります。

 1980年、カリフォルニア州南部の部族カバゾンが保留地内にカジノ場を開きました。 

 しかし州ではカジノを禁止していたために直ぐに営業停止を命じます。

 これが法廷闘争になり、アメリ最高裁判所にまでもちこまれました。

 1987年、最高裁は「保留地における部族カジノ産業は州には規制されない経済行為」であるとの判決をくだします。

 これにより、「州の権利」よりも「部族の権利」のほうが優先されるようになります。


 実はカジノは1970年代から一部の部族によっておこなわれていました。その度に法廷闘争になってしまっていたのですね。
 この争いに決着をつけたのがカバゾン判決だったわけです。

 

 というわけで本書の著者である野口久美子氏は1987年カバゾン判決を劃期的なものと考え、「部族自治の発展期」と述べておられます。

 ここにおいて保留地産業がいよいよ活発していきます。

 

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イラスト屋

 保留地産業とは 
 
 

・カジノ
林業
・アルコール販売
・観光産業 
・採掘業
・飲食業
・たばこ

 

 上記の産業を通して、インディアン達は経済的に潤い、ようやく自活できるようになりました。

 ここでようやく本書の題名である「インディアン・カジノ時代」が到来します。

 

 インディアンの基本的に貧困である。

 

 無論、保留地産業はその州に生きている人たちからすると、嫉妬の対象になっています。

 しかし、以下に挙げるようにインディアンは基本的には貧困状態にあります。
 引用します。

 

 インディアン保険局の調査によれば、二〇一〇年の保留地の平均貧困率は二八・四%であり、保留地に居住する世帯のうち三六パーセントが貧困レベルにある(アメリカの平均世帯貧困率は9.2パーセント)
 全国平均と比較して保留地では教育、医療制度、住宅・インフラ環境も悪い。

 

 

 というわけで、インディアン全体としてみると、まだまだ全国平均より圧倒的に経済状態が悪いのですね。

 そこに表れた保留地産業を行うことで金持ちになったリッチ・インディアン。
 彼らが裕福になることで、インディアン社会を改善するために投資をし、仲間たちを救っています。

 

 そう考えると、自治権が強く、無税である保留地産業への非難があったとしても、一概に否定できるものではないでしょう。

 

 さて、ここまでで「インディアンとは誰か」と「保留地という特権」について紹介してきました。

 次回は「ビトリア理論」と「信託責任」と「レッドパワー運動」を取り上げたいと思います。

 

 ズンダでした。

 

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【メディアによる男性差別は許されるのか?】悲報「普通の男」がトレンドに!いったい何のことなの?【高望み】

 Twitterで突如としてトレンド入りした「#普通の男」とは一体何なのか。

 見てみましょう。

 

 

 

 女が男に求めている、「普通」というもの

 事の発端は

 テレビで取り上げられた「普通の男」とはなんぞや?という問題から発しています。

 その番組で出されたフリップには以下のことがかいてありました。

・年収500万以上
・大卒
・身長170センチ以上
・正社員
・長男以外
・清潔感がある
・常識やマナーがしっかりしている

 

 これにTwitterの男性陣は阿鼻叫喚。女性が求める男性像にブチ切れます。

 「こんな男どこにいるんだ!」「これを求めるお前ら女のレベルはどんなもんなんだよ!」といった反応です。

 

 まず、普通に考えると「清潔感がある」「常識やマナーがしっかりしている」は客観的に計ることは不可能なので除外しましょう。

 その人の生理的な好みということで片が付きますし、まさに「割れ鍋に綴じ蓋」といえましょう。

 

 注目すべきは「長男以外」という項目です。

 ちょっと何言ってるのかわからない、と思われ方も多いでしょう。

 

 安心して下さい。私も何を言ってるのかわかりません。

 少し頭のおかしい人たちにアンケートをとったのかもしれません。

 

 しかし、結構前から「長男が嫌だ」という意見はちらほら耳にしたことがあります。

 

 長男が嫌な理由とは何か?

 

 ここでリアルな女性たちの意見をみてみましょう。

 そうです、「ガルちゃん」です。 

girlschannel.net

 

 どうやらガルちゃんをみていると次のことがいえそうです。

 

  • 相手の親と同居するのが嫌だ
  • 相手の親の面倒を見させられるのが嫌だ
  • 相手の親の介護が嫌だ

 

 しかし、意外に長男に対して理解のある人も多いようです。

 

  • そんなこといってたら結婚できない
  • 意外に面倒なことはおこらない

 

 といった意見もちらほらとみられます。

 

 ちなみに独身研究家の荒川和久氏によれば、年収五百万と長男の項目を除けば概ね普通、とのことです。

 ↓こちらは三島氏の文章。

gendai.ismedia.jp

 

 テレビは男性差別を助長してないか?

 

 毎回思うのですが、テレビは女性の味方をする傾向にあります。

 つまり、男性を差別することは構わないが、女性を批判することは許さないという立場であります。

 

 もしこれが、逆だったら?

 たとえば、「普通の女」と題して次のような項目があったら女性はどうおもうでしょうか。

かわいい

胸がでかい

身長は男よりも十センチぐらい低い

ヒールをはかない

スカートをはいている

男に従順

共働き

若いほどいい。

 

 どうですか。ちょっと、むかつきませんか?

 これを男は平然とやられてるわけです。

 

www.youtube.com

 

 ↑上の動画のコメント欄をみると、男性陣が挙ってキレてますね。

 まあ、好き勝手いわれて、むかつくというのは男性女性問わずあるわけです。

 

 

 

 

 

広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別

広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別

 

 

 こちらの本はアメリカに於ける男性差別の事例を紹介した本です。

 当ブログでも十二月頃にとりあげてみたいとおもっております。

 帯表紙にある「女性蔑視は批判されても、男性蔑視は批判されないのか」は痛烈なものがありますね。

 

 特にこのミサンドリーという言葉はあまりききなれないのではないでしょうか。

 9年ほど前にフェミニストである上野千鶴子氏がお書きになった『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』という本があります。

 去年、文庫化しました。

女ぎらい (朝日文庫)

女ぎらい (朝日文庫)

 

  これにより「ミソジニー」という言葉は少しは広まったのかと思われます。

 「女性蔑視」ということですね。上野氏の本によると、女性は女性でミソジニーをもっているとか。

 

 「ミサンドリー」ともなると私はこの本の書名以外では滅多に目にしたことがありません。

 こっちは「男性蔑視」のことです。 

 あまり目にしたことがない理由というのは簡単で、日本では「男性蔑視」があまり話題にならないからです。

 

 無論、その気配というのはありました。

 

 5chのまとめサイトなどで「女叩き」や「フェミニズム叩き」などをご覧担った方は多いでしょう。

 しかし、公のメディアや著作では男はつらいよなどという言説は許されていないのです。

 

 強いていうのであれば一時期、著作を多く出しておられた男性学を研究しておられる田中 俊之氏が代表的といえましょう。

 私も一時期、「男性の味方をしてる人はいないのか?」と思って田中氏や海原純子氏の本を読みあさったことがあります。

 どれも2016年なので、この年に何かあったのでしょう。

 

 

男が働かない、いいじゃないか! (講談社+α新書)

男が働かない、いいじゃないか! (講談社+α新書)

 

 

 

 

 

 

 男性の味方をしてくれる人たちが少ないことの問題

 私も男をやっていて本当に思うのですが、男に期待しすぎる女ばかりで疲れる。

 男を自分の奴隷か王子様だと勘違いしておられるのではないか。

 

 王子と奴隷では身分が全く正反対ですけれども、どちらも女性の方々を満足させるために利用できるという点では同義語ですね。

 一方は財力がありますし、もう一方は女性が扱き使うことで充足感を得ることができるというわけです。

www.huffingtonpost.jp

 

 一時期、インセル達による銃乱射事件が流行りましたね。

 上に紹介した本にもあるように、アメリカでは男性達はヘトヘトに疲れてしまっているわけです。

 自分達が何かしたわけでもないのにもかかわらず、女性に嫌われ、認められず、その上、女性の権利を向上させろと要求される。

 

 しかし、「自分たち、冴えない男たちの権利はどこにあるのか。俺たちは生きていて、何も旨みがない。女が存在している理由もない。むしろ、男の仕事や権利を奪っているだけのなのではないか?」となっているわけです。

 当然、冴えない男性達、弱い男達はどうすればいいのだろうか?と考えてしまう。

 そうやって追い詰められた先にあるのが、テロリズムなわけですし、「無敵の人」であったりするわけです。

 

 特に↓すもも氏のこのnoteは必見です。

note.mu

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 このまま行くと、日本でもインセルのような人たちがでてきてしまうのではないか。

 それが非常に心配ですね。

 

 男性の味方をしてくれる言論人でも出てきてくれれば良いのですが。

 女性の権利拡張運動をする人々がいるわけですから、その逆がいてもいいとはおもうのですよね。

 

 実際、近頃、こういったワードがトレンドになったり、フェミニズムに対してあからさまな嫌悪を示す人々の書き込みが、まとめサイトで集録されているのをみると、男性側に立った言論人の需要は一定ありそうな気もするのですが。

 

男女間の不毛な言い合いを止めるために、小学校で現実を教えるべきである。

 

私の持論ですが、以下のことは小学生の段階で教えるべきだと思います。 

 

 

「男は若い女が好きである」

「女は金のある男が好きである。というか自分より上の男がすき」

 

 

 この二つで男女の諍いは頻繁に起こっているように見受けられます。

 「金のない男」対「年取った女」による言い争いはネットの花ですが、不毛にもみえます。

 

 おそらくは漫画やドラマの影響で「恋愛至上主義」にかぶれてしまい、誤った恋愛観を身につけてしまった初心な人たちなのでしょう。

 彼らは「この人と一緒にいたい」という恋心だけで、結婚というものが成り立っていると本気で考えている。

 それゆえに、金の話をされたり、若さの話をされると、激怒するわけです。

 

 「それは恋愛の本質ではない。我々はお金など求めていないし、若さも求めてない。『心』こそがすべてなのだ」と思っている。

 

 しかしながら、「相手のことを好きだから、相手と一緒になることができる」というのは単なる幻想にしかすぎない、というのが現実なわけです。

 

 

www.newsweekjapan.jp

 

note.mu

 上のすもも氏の記事から引用します。

(1)女性は結婚相手に自分より「上」の学歴や収入を望んでいる
(2)女性は社会的地位が高まるほど結婚相手への望みが高くなる
(3)女性は個人年収が高まるほど結婚相手への望みが高くなる
(4)妻の個人年収が高いほど夫の個人年収も高くなる(逆は不成立)

  というように、女性は男性と共同してやっていくという気がありません。

 自分より上の位置にいる男をえらぶようになっているのが実態です。

 

 私はこういうのをみると、所謂「恋愛学」のかたちで、小学生に提示していくのはわるいことではないとおもいますね。

 むしろ、そのぐらい早くないと人生の計画がたてにくい。

 高校生ぐらいなってから、「勉強して、高学歴になって、安定した職業について、お金を稼げないと、女から相手にされない!」と気づいても、頭がいいならともかく、凡人には挽回が厳しいですね。

 その厳しさについては以下の書物をどうぞ。

 

 

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

 

 

 

 ちなみにこの上昇婚=ハイガミーとよばれるものについて、赤川氏も下記の本のなかで触れておられます。

 

  

 

 

www.youtube.com

 ところで、ネタ探しをしていたところ上記の動画をみつけました。

 実は私、以前から思っていたのですが、低身長男性と高身長男性で結婚できている割合は異なるのだろうか?というのが前から気になっておりまして、データを探したことがあるのですが、見つけられませんでした。

 

 そういう調査あるのでしょうか。

 もしご存じの方がおられましたら、ぜひ教えて下さい。

書店へ急げ! 岩波書店による無料配布 『芋づる式!読書MAP』の感想

 本を読んでいると、新しいことが知りたくなることはありませんか。

 

 たとえばイギリス文学を読んだら、この当時のイギリスの歴史や文化についても知識を得たいと思うことがあったりしますね。

 

 しかし、何の本を読んでいったらいいのかわからない。

 そういう方は多いと思われます。

 

 今、書店へ行くと岩波書店から『芋づる式!読書MAP』という名で一枚紙が無料で配られています。

 

 

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岩波書店

 岩波新書の側においてあったこのチラシ。

 広げてみると、びっしりと本の書名がびっしりと書かれており、本と本とが蜘蛛の糸のように張り巡らされております。

 

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岩波 一枚紙の中

 これをみるとわかるように、岩波書店に関わる本だけでなく、多くの出版社の本もあげられて、連関図になっています。

 

 『イギリス史 10講』ー『帝国語のインド』ー『帝国航路を往く』ー『チャリティとイギリス近代』ー『英国ティーカップの歴史』ー『文化と暴力』

 と続き、そこから別のテーマである「子供の貧困」問題にまで繋がっていきます。

 

 こういうふうに読書は一つの知識から、更に多くの知識へと広がっていくものでありまして、イギリス史に興味をもっていたはずが、現代イギリスの問題である緊縮財政を批判したフレディみかこ氏の『子どもたちの階級闘争へと飛んでいき、貧困問題や社会保障問題などに敷衍していく。

 

 これが読書の真髄ですね。

 このようにして私みたいな人間は一冊買うと、何倍も買うはめになってしまうのです。

 

 幸い今の時代はkindleをつかえば、家にいながらにしてこれらの本を読みあさることができるわけで、いい時代になりました。

 

 私もこの岩波のMAPをみながら、次に読む本を決めていきたいなとおもっております。

 だいたいこういうチラシはすぐになくなるので、欲しい方はすぐに本屋へいって手に入れましょう。

 

 ズンダでした。

 

 

 

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【試験対策】管理人の日誌 フランス語検定3級の勉強と単語帳のカタカナと例文についての話【感想】

 

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イラスト屋

 

 フランス語の勉強を始めてはや十日たちました。

 検定試験が十一月十七日なので、あと十日ぐらいですね。

 

 今のところ、過去問は一通り解き終えています。

 

 久松健一 単語帳の素晴らしさ

 

 単語帳も1500のうち1200語ぐらいまでは完璧に覚えることができました。

 使っている単語帳は久松健一『でる順 仏検単語集』(駿河台出版社

 

 

データ本位 でる順仏検単語集―5級~2級準備レベル

データ本位 でる順仏検単語集―5級~2級準備レベル

 

 

 

 この本の秀抜なるところは例文だとおもいます。

 たとえば、rond(丸い)には次のような例文が付属しています。

 

 

ouvrir des yeux ronds. 目を丸くする。

Je n'ai pas un rond. 文無しなんだ。

 

 

 これが非常に役に立つ。

 というのも、この例文自体が、おそらくフランス語検定から取っており、仏検の過去問題を解いていると、単語がこの例文と同じ使われ方をしているからです。

 

 つまり、単語帳の例文までしっかり読み込むようにして勉強すると、すらすらと文章が読めるわけです。

 

 単語帳として カタカナとCDの問題がある

 

 惜しむらくはCDがついていないことです。

 これでCDがついていたら完璧な本だったのにと思わざるを得ません。

 

 やはり、どうしてもカタカナ表記だけでは発音がわかりません。

 

 この本に限らずなのですが、カタカナが付いている参考書はもう少し見直すべきところがあります。

 私ズンダは、語学の参考書にカタカナが付いていることを良しとする人間ですけれども、カタカナにする以上は最低限、「母語話者って、こんなふうにいってるよなあ」と思えるようなカタカナにしてほしいのです。

 

 例を挙げると、regarder(見る)という単語があります。

 

 これに「ルギャルデ」というカタカナ読みがついているのですが、リスニング問題を解いているときに驚いたのが「ホギャルデ(ドゥ)」と読んでいるのです。

 

 というのもフランス語の「r」は「らりるれろ」ではなくて、「はひふへほ」に近いからなんですね。

 つまり、表記するのであれば『「ホ」ギャルデ』とすべきでしょう。

 

www.youtube.com

 

 どう聞いても「る」に聞こえないものを「る」と書いても意味がないわけです。

 こういうのがあるせいで、「カタカナを振るのは言語道断!」という意見がでてきてしまうのは勿体ない。

 

 昔、イギリス人と話していたとき「サーマセット・モーム」についていおうとしたのですが、どうしても「モーム」では通用しないことがありました。

 結局、作品の説明をすることでモームだと理解してもらえたのですが、そのときに彼がいった発音が「マァウム」でした。

 

 これなぞも「Maugham」というスペルを「モーム」と記すことでまちがえてしまった例です。

 カタカナで「マァウム」と書かれていればもっと通じやすくなったはずですが。

 

 ただし、人名の場合はその国においてどのように使われてきたのかという慣習の問題があるので、難しい。

 発音よりも、広く使われている表記を優先にする場合があるのですね。

 

 初学者のために単語帳の例文は、よく考えてつくらねばならない

 

 他にCDが付いている単語帳はあるではないか?という意見もございましょう。

 

 しかし、検定試験を考えると、検定試験用でない単語帳は優先順位を無視しておりますし、何よりも例文が難しすぎる。

 

 単語帳の例文というのは初学者にとって案外むずかしいものです。

 

 『英検1級 出る順で最短合格 丹熟語EX』という本からdebit(デビットカードのデビット)の例を引いてみましょう。

 

 

出る順で最短合格! 英検1級単熟語 EX

出る順で最短合格! 英検1級単熟語 EX

 

 

 

 The camping goods store debited his account for the tent he purchased.

 (そのキャンプ用品は、彼が購入したテントの金額を口座から引き落とした)

 

 あなたが英語をやって一二ヶ月ぐらいだとしましょう。

 

 単語力がないと英語はできるようにならないと聞いたので、単語帳を購い、孜々として勉学に励もうとしていたとします。

 

 とつぜん、debitという単語が目の前にあらわれました。

 「デビットカードのデビットかあ!」となります。

 

 しかし、次に上の例文をみて凍り付くはずです。

 

 「わからない」

 

 なぜでしょうか。

 

 まず、debitが過去形になっているので「ed」がついていることが不明。

 さらに「the tent he purchased」が関係代名詞によってつなげられているが、まだ習っていない上に省略されているので、どんな構造になっているのか不明。

 

 そもそも他の単語も知らない。

 「 account=口座」や「 purchase=購入」の意味もわからない。

 

 要するに、例文の情報量が多すぎると、せっかく「debit」という単語を覚えたくとも覚えられない状態になってしまうのです。

 

 それゆえ、単語帳には例文をつければいいというわけではない、ということができます。

 

 お願い。『でる順仏検単語集』に音声をつけて

 

 

 その点、久松氏のこの単語帳は適切だといえます。

 

 

  1. 例文が短い。
  2. コロケーションを意識した作りになっている。(システム英単語みたいな感じ)
  3. 例文内の単語の水準が低いので、理解が楽
  4. 文法的にも簡単な例文

 

 

 

 やはり残念なのはCDがないことですね。

 音声DLにしてでも、つけるべきだとおもいます。

 そうすれば満腔の思いを以て勧めることができるのですが。

 

 ↓単語帳と一緒にやっています。間違いなく必携の本です。もっとも仏検対策に突き刺さった本だと断言できます。

教えて仏検先生3級―絶対合格・対策問題集

教えて仏検先生3級―絶対合格・対策問題集

 

 

  ↓単語を調べて、ボタン一つで、音声がでる電子辞書です。

 私は昔からカシオの電子辞書を使っていますが、最近の機種はレスポンスが早い。

 昔は調べてから一秒ぐらいかかったのですが、今は0.1ぐらいです。

 

 

 ↓やはり、最初の段階で発音の勉強をしたほうがいいのだとおもいます。150頁ほどしかなく、大変やりやすい本です。十月にでたばっかりの出来たてほやほやです。

 

フランス語発音トレーニング[増補新版]

フランス語発音トレーニング[増補新版]

 

 

 

 ↓こういう翻訳機もあります。

 我々、語学の勉強をしなくてよい時代なのかも!

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久末健一 単語帳