どんな人が読むべきか?
疑・倫理学な本
かなり問題のある本である。
その問題とは倫理学を学びたくて読む本ではないということだ。
この本は、今まで倫理学について専門で勉強してきたり、数多くの本を読んできたりしてきた人向けである。
書かれた目的は倫理学を知らない人たちへ向けたものなのだが、この本を最初に読んでしまった場合、倫理学に触れないまま突過してしまう可能性がある。
まず、『月報司法書士』という司法書士向けに倫理学を解説するために寄稿された論文が基になっていることを前提にして読まなければならない。
新書にするために加筆訂正されたものが今回の書である。
倫理学を学んでいない人向けに書かれたためか著名な思想家の名前などは散見されるものの、大部分が、著者である船木氏による思弁で構成されている。
学問的な記述なのではなく、一種の随筆、もしくは哲学的な倫理学であるといってよい。倫理学を学ぼうと思って購入した人は呆気にとられるだろう内容である。
どんな中身か?
では中身はどうかといえば、それは「反倫理学」に近い。
倫理学という学問に価値はあるのかといった考察がなされる。
学問が権威となり、その権威のもとで決められた倫理に従うのが一般の人々であっていいのだろうかという問いがなされる。
倫理学という学問は宗教の教義のようになってはいないだろうか?
選ばれた学者達が様々なことについてかたる。
妊娠中絶やクローンや五輪におけるドーピングや安楽死やコロナ対策でどうふるまうべきなのか等々。
ここには一般人の直感は消えていて、理性中心の学者等による見解が披露され、
彼等を中心に方針が決まっていく。
しかし本当に大事なのは普通の人の直感による感性なのではないだろうか?
というのが本書を貫く考えである。
この考えに似たものとしてズンダの以下の記事を参照してほしい。
私ズンダにはこの問いにそこまでの説得力は感じなかった。倫理学の見識を元に行動を決めるような人々を殆どみたことがないからである。
特にTwitterなどで自分の意見を盛んに述べている人たちをみても、そこには無定見な先行文献を顧みない人々が多い。孔子の「述べて作らず」など何処吹く風、風馬牛である。
本当に一般人の直感頼みでいいのか懐疑的である。一方で、専門家頼みの危険性というのも上記の記事で紹介した『専門家とは何か?』の通りだ。
日用生活に沿った常識、慣習こそが倫理の基本
ここで重要視されるのは日用生活に沿った考えである。
あらゆる物の根底には人々の生活からうまれる習慣があり、法律も倫理も学問の答弁から誕生しているのではなく、人の生活様式から発生しているという。
これはヴィトゲンシュタインやプラグマティストあるいは保守主義を思わせる。
私ズンダは保守主義者なのでこれを否定する気はない。
ただし、人々の実感だけでは精確を欠すると思っている。
それゆえ、学問的な権威は必要であり、それだけの従事する知性をもった人々による研覈が求められるのではないか。
川島武宜 『日本人の法意識』やスーザン・バンディズ編『法と感情の哲学』などと読むと更に勉強になるだろう。
読み方としては倫理学の本を読んできた人々が一旦、 そこで学んだ常識的な見解を疑うために利用するといい。
船木氏がいうように学者等による倫理の本を読んでいると 固定化された概念に従って物事を考えるようになってしまい、 それが真理探求に役立っているように錯覚しがちではある。
その倫理学の見方というものを一回やめて、見直すのもいいのかもしれない。
読書案内
本書で学ぶべきは既存の倫理学の是非である。
よって倫理学で何が問題視されているのか、どんな語り口があるのかを知らなければ
『倫理学原論』を十分に味わうことはできない。それゆえ、この本は問題なのである。読者はまず倫理学の固定観念を身につけなければならないのだから。
ということで読書案内は倫理学をまとめて学べる本と個別的な事例に沿って倫理するものにしてみた。
『倫理学の道具箱』
はレファレンス本として使える。
色々学んでいくと「この用語の意味ってなんだっけ?」となりがちだが、
そういうときにこの本があると判然とする。ただし、日本がどこか不自然で
わかりづらいところがある。
昭和堂の『倫理学』
は教科書なので、全体を見通すのに使える。
本来はこういう本を読んだ人が今回の書を読むべきだろう。
『倫理学入門』
は倫理学全体から個別の問題までを
軽く勉強できる本。値段も手頃で分厚い本でもないので
倫理学で何をやっているのか軽く身につけたい人にはいい。
『つなわたりの倫理学』
は新書ではあるが個別の事例に対して
「相対的」なこたえをだすのではなく、妥当な答えを出そうとする
野心的な書。
特に巻末にある倫理学者マーサ・ヌスバウムとアマルティア・センに
ついて詳述されているところが勉強になる。本書自体もヌスバウムに沿った
答えを出すことに特色がある。倫理学を相対主義に陥らせない工夫がされている。
『現代倫理学入門』
は古いし、文体も硬いが内容は面白い。
特にカントを利用した倫理学が繰り広げられるので学術的な倫理学が
どんなものかをつかみやすい。船木氏はこういう倫理学を否定されているのかもしれない。
『メタ倫理学入門』
は「メタな倫理学」についての教科書。
「倫理学で考えられている倫理とはどんなものか」を考えるのがメタ倫理である。
そしてそのメタ倫理だけで多くの学者、思想家がおり、様々好き勝手に語っている。
とにかく人間はああでもないこうでもないと語るのが好きなんだというのがよくわかる。
A派、B派、C派(折衷派)の面々の名前と思想を学ぶのに使える。
私は最初、船木氏の本は「メタ倫理学」なのかと思って手に取ったのだが
読んでみると全く異なるモノだったので驚いた。