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信頼できなくなってしまった専門家について考えるための一冊!『「専門家」とは何か?』を紹介する

 

 

 

 皆さんお久しぶりです、ズンダです。

 

 

 今回は『「専門家」とは誰か』という本を紹介します。

 

 はじめに

 

 昨今の情勢によくみられるように「専門家」と「一般大衆」という枠組みがあります。

 私たちは専門家というものをどれだけ信用することができるだろうか?という問題意識がでてきており、これを受ける形で編まれたのが本書です。

 

 この本には様々な専門家が「専門」の価値や問題、改善点などを語っており、あらゆる人に関係する種々の疑問にこたえています。

 

 では、本書で気になった章をまとめてみました。

 この他の章も大変おもしろいのですが、まとめやすいものをブログでは載せています。

 

 本書の目次は以下です。

 

専門家とは何か――村上陽一郎
隣の領域に口出しするということ: 専門家のためのリベラルアーツ――藤垣裕子
科学と「専門家」をめぐる諸概念の歴史――隠岐さや香
「ネガティブ・リテラシー」の時代へ――佐藤卓己
ジャーナリストと専門家は協働できるか――瀬川至朗
リスク時代における行政と専門家: 英国BSE問題から――神里達博
女子教育と男子教育からみる「教養」と「専門」――佐伯順子
社会と科学をつなぐ新しい「専門家」――小林傳司
運動としての専門知: 対話型専門知と2061年の子どもたちのために――鈴木哲也

 

 

 

 村上陽一郎 専門家とは何か

 

・専門の意味

→もともと和語ではない。漢語。その原意は「一つの経書に詳しい」こと。

経書とは?→四書五経などのこと。論語孟子、大學、中庸などの書類。

 

現代日本での使われ方は「専科」である。専門的なものを極めた状態にあること。

 村上によればドイツ語のFach。辞書をひくとDas ist nicht mein Fach(それは私の専門ではない。)がみつかる。

 

・大学の誕生。イタリアのボローニャ、パードヴァ、フランスのパリ、モンペリエ、イギリスのオクスフォードなどの「大学」は一三世紀以降あらわれる。

 

・大学の本体は「哲学部」であった。そこから社会に要請される知識をもった職能人を育てるために神学校、医学校、法学校の三種ができる。聖職者、医者、法曹家である。

 

・これらに進学するためには最初に哲学を学ばなければならなかった。

 

・リベラル・アーツ(=liberal arts college)とは哲学部に入学した学生が等しく修得を期待された自由七科にはじまる。artsは技芸や業という意味。「三科」=(論理学、文法、修辞学)と「四科」天文学幾何学、算術、音楽にわかれていた。

 

・つまり、artsの意味からわかるように学問所の細かなFach=専門という意味が薄い。

 

・中世の大学においては「哲学」こそが「学問」であり、「七科」はそれを追い求めるための素養として考えられていた。

 

アリストテレスのさすようにさすように哲学には、形而上学、自然学、論理学、政治学倫理学詩学代数学、ローマ法など様々なことが語られているため哲学研究のためには多くの分野を学習する必要があった。

 

・人間の価値「真善美」をどう考えればよいのかという礎として哲学は多くの手札を持つ必要があった。

 

こうした構造は近代になってから壊れ始める。ここではディドロによる「百科全書」があげられている。

 

・「百科全書」は当時の知識(鉄鋼の鍛出法や詩集の針の使い方など技術知や身体知などを記した。これは従来の哲学で扱っていたものと異なる。)加えて、哲学的知識がこれらの技術知などと一緒に並べられて平準なものとされた。哲学の権威が地に落ちた瞬間である。

 

・この全書はアルファベット順にかかれている。しかし神学による縛りがあった当時の社会において物事を並べる順番は「重」から「軽」というものであった。「Dieu」=「神」が「chien」=犬の後に記されることはなかった。これをキリスト教からの離脱とみなされる。

 

・斯くして、博物学、動物学、植物学、地質学、社会学などが哲学から切り離されて良ったのが一九世紀のヨーロッパである。専門にわかれた。

 

・ist の誕生である。物理学者とよばれるニュートンの時代、scientist もphysicistも存在していなかった。ニュートンの主著『自然哲学の数学的原理』は(principia mathematica philosophiae naturalis)であり、philosophiae=哲学の、というように哲学の書物であった。つまり、物理学の古典でもなんでもなかったのである。

 

↓以下の本は本章を更に理解するためにおすすめの本です。特に文系と理系との歴史について知りたい方は『文系と理系とはなぜ分かれたのか』(星海社新書)を読んでみてください。

 

 

 

 

藤垣裕子 

 
・専門家におけるリベラル・アーツの重要性を説く。専門家は他の専門領域を学ばなければならない。そして、自分の分野へかえるといった往復によって自らを相対化する力が手に入る。
・東大では二〇一五年度から学部で試行授業が開始されている。
 
・専門家になるとはどういうことか?それは「ジャーナル共同体」とよばれる当該分野の専門誌の編集・投稿・査読活動をおこなう共同体に入ることである。
 
・科学者による知識は専門誌にアクセプト(掲載許諾)されることで正しさが保証される(妥当性保証)。次に専門誌に印刷、公刊されて評価される(研究者の評価)。科学者の育成は専門誌にアクセプトされる論文を書く教育によって成立する。科学者の予算獲得と地位は専門誌共同体にアクセプトされた論文の本数と質とによって判断される。
 
・ジャーナル共同は科学的知識生産において品質保証、評価、後進の育成、予算獲得の役割を果たす。
 
こうしてどうなるか?
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