はじめに
『ネット右翼になった父』を紹介します。
まずは以下の記事をご覧ください。
近頃よくきかれるように自分の老父老母のもとに子供がかえってみると、彼らが「ネット右翼」になってしまったという話があります。
このデイリー新潮に載った記事もその一つです。
「ネット右翼」とは右寄りの思想をもち、それをインターネット上で表現する人々のことです。
この言葉を私ズンダが聞き始めたのは体感としては2000年の中盤ぐらいだったとおもいます。上のwikiに記された伊藤亮介氏の見解と同じです。
しかし初出に関しては1999年のようでこれは驚きますね。まだ2chが出来る前からいわれていたとは!
なお現在確認できる「ネット右翼」の最古の用例は、1999年4月29日に投稿された、当時結成されたネット右翼団体鐵扇會の紹介に遡る[25]。これは2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)の創設よりも若干だが早い。(wikiによると
https://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/f341ac715a8268d7948a769de9eaa515)
雑誌、本に出た用例を調べることが出来るグーグルブックスを利用してみると
「進步と改革 - 第 625~636 号 - 16 ページ」(2004)がおそらく一番早いようにみられますが、この手の雑誌で「ネット右翼」と気軽に使わないので、もっと前に遡る事が出来るように思えますね。
日本では2002年の日韓ワールドカップ辺りから韓国への反感が高まります。
また韓国だけではなく中国に対しても同様になっていきます。
当時の首相であった小泉純一郎の靖国神社参拝に関しての是非、また中国共産党からの尖閣諸島などの領有権問題も重なっていたからです。
もちろん、北朝鮮もそうです。拉致問題が発覚したころでしたから。
出版物でいえば『嫌韓流』という韓国批判をした書物がが政治漫画としては異例の100万部を売り上げます。
西村ひろゆき氏が運営していた2chでは連日のように中韓への憎しみに満ちた書き込みが散見されるようになり、スレッドが何十にも及ぶほどでした。
こうした動きもあって、徐々に左派系メディアから「ネット右翼」なる言葉が頻繁に言われるようになった記憶があります。
何が書かれているのか?
さて、本題の『ネット右翼になった父』は当初、講談社ではなく新潮デイリーのほうであつかわれていました。
著者の父親が病気になったことで世話をするようになった。
その世話をしていくと父親の態度が世間で言われているような「ネット右翼」のようになってしまっていた。
それに驚倒し、失意を覚えた著者が死んだ父へ怒りをぶつけた記事でした。
これにネットは反応しRTなどで賛否両論、
右翼系の人からは「ネット右翼ってなんだよ!」、
左翼系の人からは「耄碌した父親がインターネットのまことしやかなウソにだまされ、ネトウヨ化する!」
という反応でした。
私ズンダなども、「まあ、ネットの力ってずいぶん大きいんだな」などとみていたのですが、これが完全に翻されたのが本書『ネトウヨになった父』です。
簡単にいってしまうと、著者の鈴木大介氏による「懺悔の書」です。
この懺悔とは「自分の父親をネット右翼だと決めつけ、それをインターネット上の記事に書いて、晒してしまった」ということです。
そもそも著者は成人以降、病気になるまで父とは疎遠で、自分の親がどんな人生を送り、どんなふうに妻や姉と接し、どんなふうに思想形成をしていったのか全くしりませんでした。
典型的な核家族であり、姉は離婚したがために実家に先にもどっていました。
病に冒された父の世話をするために実家、病院へ顔をだすようになってから関係が深くなります。
父の没後、
父はほんとうに「ネトウヨ」だったのだろうか?と疑問に思うようになります。
母や姉、父の友人と叔父などに
「父との関係性や父の思想、学歴、社会人生活、読書遍歴」を聞くことで彼がどんな人物だったのかが明らかになっていきます。
以前も紹介した『東大生、教育格差を学ぶ』に書かれている社会学者・岸政彦氏による「他者の合理性」ですね。
《「私」からみた「他人」の「不合理」というのは、「他人」にとっては「合理的」である。》ということです。
そしてこれは、その人がどんな人生を送ってきたのかを聞き取りすることでしかわかりません。
今回の鈴木氏の場合、病後の父を看ていたその数年間だけを切り取って、父親は「ネット右翼になったんだ!」という像をつくりだしいました。
しかし、調査の結果彼は「父親はネット右翼ではなかった」と述べます。
父がインターネットを通してネトウヨになったという思い込みは以下の理由で否定されていきます。
①鈴木氏、自体がリベラルであったため偏見があった。ネトウヨがなんなのかもともとわかってなかった。
②そもそも父親の世代では中韓に対して嫌な記憶があったので普通のことだった。
③父は学生運動のような集団で行動するような人々を学生だった当時、嫌悪感をいだいていた。その後の学生運動の顛末から左翼嫌いになった。
要するに、父親の人生の歴史を考えると、左翼を嫌うという理由がしっかりと存在していて、この本で定義されているネット右翼のそれとは全く異なる人物だったことが分かり、ネトウヨと呼べないと結論づけます。
この本は歴史学やミステリー小説のようです。
特に前哨戦である「デイリー新潮」の記事を読んでいると、人はここまである人物における評価を変えることができるのか、と思わざるを得ません。
私たちは自分の思い込みに則って人を裁断しているのです。
なんならこれが核家族時代における病弊といえるのかもしれません。
私たちは家をでたあと、自分の父母と向き合う機会がないままお盆や正月の時のみ実家に帰り、年老いた椿萱(けんどう)に再会し、ある日、突然死した訃報を受けて死者に再会する。
そんなことが普通になっています。
もちろん最近は家族暮らしが増えつつあるといわれているので将来的にはどうなるかはわかりませんが。
とにかく、両親のことを就職以降、何もしらないままで放置してしまう。
そして都合良く家にかえってきて「おまえはネトウヨだ!」といってしまう。
こんなに失礼で孝養に背いた話があるでしょうか。
「デイリー新潮」で騒いでいた人たちの呆れるほどの沈黙
私ズンダはこの本を読了した後、Twitter上で感想についてしらべていたのですが、
あまり見当たりませんでした。
個人的には左派系の人の反応をしりたかった。
私の知る限りだと。彼らは「老人というものは痴愚であり、すぐにネットに感化、洗脳され、ネット右翼になってしまう」という見方をしているのですが、そんな人々がどう反応しているのかしりたかったのです。
更に言うと、この本の表題だけみて反応している人もいたからです。
それは私ズンダもですが、ちょっと知っている人はこの表題をみて、「ああ、ネットの見過ぎで孤独な高齢男性がネット右翼になってしまったんだな」と思うでしょう。
それゆえTwitter上では、この本の題名から「ネットのフェイクニュースの危険性」などと結びつけ熱を吹いている人たちがいたのです。
けれどもこの本が実際に出版されてみると、彼らはこれに触れてない。
私は本当に呆れてしまいましたね。
彼らがやりたかったことは、この本の題名だけを消費して自身の意見を代弁させることにあったわけです。
本を読む、という考えなど毛頭もなかった。
また読んだとしても「ネット右翼になった老父のことではなかった」と正直に話すことができなかったのでしょう。
というのもこれは、自分自身に返ってくる可能性があるからですね。
「おまえは、ネトウヨだ!」と自身の父を勘違いして侮罵してたこの本の著者・鈴木大介氏と同じことをしているかもしれない。
それを自覚するのが嫌という人は意外にいるのではないでしょうか?
これこそ鈴木氏が伝えたかった事のように思われます。
「お前は相手のことをちゃんとしった上で、レッテル貼りしているのか?」と。
終わりに
個人的には傑作です。今年も上半期が終わりましたがネット右翼に興味のある人、あるいは人はどのようにして判断を誤るのかを知りたいと思っている方におすすめです。
またネット右翼について知りたい方のために類書を貼っておきます。
最近、記事の有料化やサブスクライブもはじめました。読書代がほしいからです。
皆様からの支援を賜りたく存じます。
では、また。ズンダでした。
Twitter上での感想まとめ
以下はズンダがこの本を読んだときのTwitterで書いた感想である。
「ズンダ@読書垢@zundanobook」が私の読書アカウントなので
興味のある方はフォローをどうぞ。
『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)を読了。
思いがけない傑作。
父親はネトウヨだったのか?という検討から始まり、最終的に、意思疎通をしてこなかった自分が、父をネトウヨだとおもいこんでいただけだった!と結論づける。ミステリーを読んだような読後感。
リベラルだから、自分の父親をネトウヨよばわりしてしまうの、あまり話題になってないが、かなり多いんじゃないだろうか。
レッテル貼りする志向性は右翼左翼かかわらず、政治に興味をもつからこそ生じてしまうんだろうな。だから、母や姉は父をそうみてはなかった。
ネット右翼になった父、は高齢者がネトウヨになった話ではないので、Twitter上でタイトルだけ見て語りだす人をみると、「あっ、この人」ってなってしまう。
リベラルだから、自分の父親をネトウヨよばわりしてしまうの、あまり話題になってないが、かなり多いんじゃないだろうか。
レッテル貼りする志向性は右翼左翼かかわらず、政治に興味をもつからこそ生じてしまうんだろうな。だから、母や姉は父をそうみてはなかった。
親父と息子ってむずかしいよね。どんなやりとりしていいかわからないよね。実際。その結果がこの本なんだよな。献歌みたいな本。
ネトウヨになった父、ほんとうに傑作だわ。これをよまないのはもったいない。父と子の別れをかいたものとして白眉。
参考図書案内
田中氏と浜屋氏による本はズンダブログでも紹介した。
ネットによる分断や過激化などは人々に大した影響を与えないことを示した本として有名なのでぜひよんでもらいたい。