戦後フランス思想-サルトル、カミュからバタイユまで (中公新書)の要約です。
この本、大変よみやすく、わかりやすいので、第二次世界大戦以降のフランス思想をしりたいかたにおすすめできます。
まとめ
サルトル、ボーヴォワール、カミュ、メルロ・ポンティ、バタイユを解説ではなく紹介した本である。私ズンダからすると十分に彼等の思想、関係、論争などを解説しており、ちょうどこの時期のフランス思想を勉強したかった人間としてはありがたい本であった。彼等に共通した考えとはなにか?それは「自由」にあったといえるだろう。この中で唯一の女性であるボーヴォワールはフェミニズムに大きな影響を与えた「第二の性」をモノしているが、これも《女性の》というよりは《人間の》自由を求めたが故である。
バタイユの『有用性の限界 呪われた部分』も今みるとありがちな資本主義批判に感じなくもないが、彼は「消費こそが平和へつながる」という考えなのが目新しい。バタイユは「何かを目的として何かを行う」ということは《人間の隷属》を意味しており、彼の哲学において重要な鍵概念といわれる「恍惚」はその《隷属》に対抗するものであった。では「恍惚」になるにはどうすればいいか。それが現時点における物事への没頭だという。無我夢中で「消費する」という行為は「恍惚」を導く。サルトルから精神異常といわれたバタイユは人類の平和を求めていた
メルロ・ポンティでみるべきは身体知であろう。デカルト以来の心身二元論やフッサールの現象学などの「人間の心と体とを切り離した考え」を彼は否定し、人間の肉体を重要視する。また彼はサルトル、カミュとも付き合いがあったが、結局みんな喧嘩してしまいバラバラになった。カミュとの断絶は「ヒューマニズムとテロル」が理由である、ポンティは人類には暴力がつきものであり、暴力否定ではなくどちらの暴力がマシかを考えろとの主張であった。それゆえ、ソ連の暴力を肯定するが、歴史的にこれは誤りであった。
サルトルがいう「アンガジュマン」、政治参加せよ!というこの言葉は講壇で授業をしているだけの知識人や芸術家たちへ向けられたものでもあった。私たちは「自由」であらねばならない。そして人は物事に投企することで自分を拡張させ、大きく羽ばたけるようになる。人は自分を作っていかなければならないのだ、というサルトルの主張は自己啓発を思わせる。だが「実存は本質に先立つ」「人間は自由という刑に処せられている」という著名な言は、共に夢を帯びた詞調はない。悪人になってもその責任をもたざるを得ない人間の悲調があるのだ。
図書案内
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