「正しく生きるな、賢くいきよ。」
この言葉、ずしりと身にしみませんか?
私ズンダは、若い頃、親が読んでいたイエスズ会の修道士バルタザール・グラシアン『賢人の知恵』の格言を読んで、ハッとさせられたことがあります。
- 作者: バルタザール・グラシアン,齋藤慎子
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2006/12/20
- メディア: 単行本
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哲学者ニーチェやショーペンハウエル、日本の森鷗外に至るまで数々の著名な人々が愛読したといわれるこの格言集は今の我々が読んでも感動するほど素晴らしい内容です。
人間関係でgoogleで調べてみますと、「断捨離」、「リセット」、「悩み」、「ストレス」、「いらない」、「悪化」、「依存」などでてきますね。
今回は「生きることが苦しいあなたへ送る格言集」と題しまして、バルタザールが人間関係について語った片言隻句を摘まんでいこうと思います。
1 運のいい人を見分けよう
運のいい人と悪い人を見分ける能力を磨こう。ついている人たちのそばにいて、その恩恵にあやかるのだ。
一方、ついてない人からは逃げるに限る。 悪運は無分別な本人の身から出た錆、しかもその災難は伝染するかもしれないのだ。
といっています。
ここで意識すべきはバルタザールは「運」という言葉を「無分別な本人の身から出た錆」と捉えているところです。
すなわち、「運」はどうしようもないものではなく、ある程度、自身で左右できるものだと考えているといえます。
前に紹介したマキャベリを覚えておられるでしょうか。
彼もまた「運」は自分の力によって操れるといっていたのでした。
2 平凡な人とつきあう
自分より光っている人は、それがその人の長所のためであっても、意地悪によるものであっても、一緒にいるべき相手ではない。常に注目や栄光を厚め、こちらはそのおこぼれにありつくだけだ。(中略)自分をしのぐような才能ある人と同じ土俵に立つことは避けよう
少し俗なはなしですが、イケメンの友達と合コンにいけば、当然、女子の目線はイケメンのほうにいってしまい、自分は相手されなくなるでしょう。
これを外延させていけば、あらゆる事に通ずると思いませんか。
優秀な人から学ぶことは大変おおいはず。
しかしながら、二人が並んで歩けば、評価されるのは隣にいるもっとも優秀な人物だけです。
あなたが第二位の人間だとしたらどうして必要とされるでしょうか。
といっても、その人と付き合うなとはバルタザールはいってません。
彼は次のようにも述べています。
優れた人とつきあう
人は、誰と一緒にいるかで判断される。名高く尊敬されるような人と肩を並べるのは畏れ多い世才ではあるが、たいへん役に立つ才能でもある。(中略)その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるのだ。
矛盾してるじゃないか、バルタザール!という突っ込みがきこえるようです。
確かに一方では優秀な人とつきあえといい、一方では優秀な人とつきあうな、といっている。
いったいどちらが正しいのか。
少し文章を分析してみると、次の解釈が可能になります。
同じ分野の人と交際をもてば、比較されてしまうので、付き合わないようにする。
バルタザールは「同じ土俵に立つことは避けよう」といっています。
土俵はもちろん、暗喩であり、「同じ分野」のことですね。
つまり、専門分野が一緒である人と付き合うと、能力が比較されやすくなるから、一緒にいないほうがいいよ、ということをいっているわけです。
たとえば、同じクラスにゲームがうまいことで有名なA君とB君がいたとします。
彼らは『スプラトゥーン2」とよばれるゲームで角逐の争いをしていました。
あるときA君がB君をくだして、世評はA君に傾きます。
では、ここで考えてみましょう。
私ズンダはA君とB君、どちらにスプラトゥーン2を教えてもらいたいとおもうでしょうか。
考えるまでもありません。A君を選びます。
第二位の人に教えてもらうよりも第一位の人のほうがいいに決まっているからです。
※実は人に教える能力があるか否かはまた別のはなしなので、一概にこれが正しいとはいえない。
というわけでバルタザールは第一位の人のみがいれば、第二位下はぞんざいに扱われるので、もとから付き合わない方がいいぞ、というわけです。
五輪のメダルと同じですね。金メダルをとった人は覚えられるが、銀メダルの人は忘れられてしまう。
3 神経質な人とは用心深くつきあう
繊細な性質は、友人や仲間とつきあうのには適さない。すぐにくじける人は、むらがあって意気地がないことを自ら示しているようなものだ。こういう人は、自分に対して何か悪いことがたくらまれているといつも思い込んでいて、会う人みんなが悪意を持っていると考える。(中略)たいていは自分本位で、自我を満足させるためならどんなことでもするだろうし、自分さえよければどんな危険でも冒すからだ。
まるで私自身のことをいわれているような気がしたのですが。
みなさんはどうでしょうか。
やはり、付き合う相手というのは精神的に安定している方がいいでしょう。
この手の相手と交流すると、あまりにむらっ気が強いためにこちらの精神まで病むことになりかねません。
「意気地がない」、「自我を満足させるため」とあるように自己中=神経質、ともいえるのです。
つまり駄々っ子で、世の中が自分の思い通りにいかないとすぐに拗ねたり、やめたりする。
根性のない人というわけですね。
こういう人は人間関係も維持することができないわけで、付き合わないようにするかことが楽です。そうでないと、注意深く付き合うはめになり、面倒ですね。
4 あまり気安くしない
毎日決まって顔をあわせる人に対しては、気安くしすぎず、相手にもなれなれしい態度をとらせないこと。人に合わせて自分をいったん下げてしまえば、もう尊敬されることはない。そのままでいれば尊敬されたかもしれないのに。(中略)こちらが親切にしてもそのありがたみがわからず、当然のけんりと思われるようになるからだ。親密な関係は低俗にも通じる。
我々は誰かと初めて知り合ったとき、その人がどんな人物なのかわからないので警戒しつつ、相手に嫌悪感を与えないようにするために注意深くはなしをはじめます。
しかし、打ち解けていくうちに徐々に自分の人生や秘密などを明かしていく。
こうすることで、我々は「人生の共有」を通して、仲を深めていくわけです。
自己開示をすると、相手と親密になれる、という話はどこかできいたことがあると思います。
しかし、これは危険と隣り合わせでもあります。
第一に気安くなった相手に尊敬の念をいだくことはむずかしい。
というのもどんなに著名な人もアイドルも、我々と同じくトイレには行くし、性行為はしているし、後ろめたい秘密があったりするからです。
そういった「普通」な部分がみえてしまうと、一般人と変わらない人間なのだな、と思えてしまって、尊敬するのが難しくなります。
つまり次のようにまとめられます。
仲良くなりたい→自己開示
尊敬されていたい→秘密主義
ということです。
秘密があれば相手に対して、尊敬する余地をもたせることができるようになります。
逆に全てを明らかにしてしまうと俗っぽさがでてしまい、尊敬できなくなる、とバルタザールはいいたいのです。
しかし、自分の素顔を誰かには知ってもらいたいと思うのが人間ですよね。全ての人と疎遠だとしたら、理解者が誰もいないということになり、つらいでしょう。
それゆえ、自分が相手とどういう関係でいたいかを踏まえたうえで、自己開示か秘密主義かを選ぶようにしましょう。
あなたの選択で使い分ければいいのです。
ちなみにバルタザールは「秘密を話さない、聞かない」という項目で「人の急所を握れば鞭となり、その情報はかなりの力となる」といっています。
秘密を他人に握られてしまうことは、自分の弱点をみすみす相手に教えるようなものだ、といっているのです。
ここに人間関係の急所がありますね。
自己開示しなければ仲良くはなれないが、秘密を握られることになる。
秘密主義でいけば尊敬され、硬度の高いダイヤのように強くいられるが、人と仲良くはなれない。
綱渡りのようなものです。
5 誰にも借りをつくらない
ひとりで何もかも責任を負うと、あくせく働かなくてはならなくなる。人それぞれに宿命があり、他人に良いことをする人もいれば、逆に、それを甘受してばかりの人もいる。後者のほうが楽だと思うかもしれないが、それではいけない。相手に借りをつくることになるからだ。
束縛がないということは何にもかえがたいものだ。大勢から頼られながらも、自分は誰にも依存しないことである。
バルタザールは、誰かに借りをつくれば、束縛関係がうまれて、自由がなくなることを危惧しています。
我々は自分だけで何かをすることはできません。
が、相手に頼りっきりになってしまえば、自分の自由は減り、相手からの束縛は増えていくことになる。
実は「誰にも借りをつくらない」は上で述べてきた四つの箴言すべてをまとめている上にその解決策までもを呈示したといえます。
結局、自分の周りのことに関しては、自己責任において慎重に綱渡りをしていくこと。
それが人生を賢く生きるための方法なのだということですね。
終わりに
最後に触れておかねばならないことがあります。
それはバルタザールは1657年、サラゴサでの聖書学教授の地位を追われ、逮捕。
その後、タラソナという村で一年の後、死亡したということです。
彼ほどの箴言を残した男ですら、人生の不軌に適応することができず、讒言をくらって死去したというのは我々をして悲しましめるものがあります。
これに限らず、警句を残したからといって順風満帆に生きることができるわけではない例として、古代中国の韓非子がおります。
私は法家と呼ばれた韓非子を好きでよくよんでいたのですが、彼の最後も又、同僚から上司への吹き込みにより汚名を着せられ、毒薬を仰ぎ、死ぬことを選ばざるを得ない不慮の死地に追い込まれた人物だったのです。
謂うは安し、行うは難しとよくいわれます。
多くの人々は立派なことばの数々を残しておられますが、それがそのまま人生を豊かにしてくれるかといえばそうではない。
ここに我々人間が生きるということの艱難があるのです。
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