ズンダが昔読んで感動した本
どういうことがかかれている?
著者の安藤氏は教育心理学、行動遺伝学、進化心理学が専門です。
私ズンダは以前、この方の『遺伝子の不都合な真実ーすべての能力は遺伝である』(筑摩書房)を読んだことがありました。
読後感としては、
「やっぱり人生って遺伝で、最初から決まってるんだな」
という悲しい気持ちになりました。
それと同時に、
「遺伝でその人の能力が程度わかれば、人は自分の性質を活かして生きることが可能になるかもしれない」
と気が楽にもなりました。
今回紹介する新刊『生まれが九割』も基本的にはいっていることは同じです。
ただし、内容がわかりやすい。
なぜかといえば、質問に対してこたえるという方式をとっているからです。
Q勉強もスポーツもパッとしません。スクールカースト上位の人が羨ましい。結局、そういう才能って全部遺伝じゃないんですか?
Aはい、すべて遺伝です。正確に言うと、全部に遺伝が関わっています。遺伝が関わっていない才能はありません。では、遺伝とは何でしょう?
というふうに安藤氏が疑問にこたえていくからです。
数年前に出たマイケル=サンデルの本『実力も運のうち 能力主義は正義か?』以降、少なくともネットでの意見は少しずつ変わったような感じがします。
その前までは
・「自己責任」
・「努力が足りない」
・「努力の仕方が悪い」
というものだったのが、「親ガチャ」という言葉に代表されるように、
「個人ではどうしようもない一種の運命に翻弄されるのが人間なのでは」となってきたように思われます。
人間はどうしようもないけれども、生きていくしかない存在
私ズンダはこのズンダブログやyoutubeの動画などを通して、自己啓発を批判してきました。
その訳は、こういった教育心理学や行動遺伝学などの見地からみると、
「努力程度ではどうにもならないのが人生」
という結論がでているからでした。
例えば、当ブログで扱った「スプラトゥーン2」というゲームのがあります。
このゲームについて、私ズンダは
「才能がない人は無理してやるべきではない。努力や方法でどうにかなるものではない」
と際限なく述べてきました。
これに同意する人も案外いましたし、反論する人もいました。
ただし、反論する人はyoutubeでのコメントが多く、大体、中高生ぐらいでした。
中高生は当然、右も左も分からないので、まあ、しょうがない。
人生に希望がもてる唯一の年代で、挫折を経験していないからです。
本の内容について?
遺伝は何をしていても必ず関係するー環境のせいではない。遺伝のせいだー
長くなりましたが、この本については軽くかきます。
基本的に安藤氏の考えでは以下のものです。
人間はなんであれ、遺伝が関係している。
遺伝を無視して、人間の能力を捉えることは不可能である。
といったものです。
上で触れたマイケル・サンデルの本にしても安藤氏は「遺伝の話があっさりしている」と指摘します。
能力開発などでよくいわれる「環境を変えろ」というものがあります。
ですが、環境を変えたところでその人の遺伝が関係しています。
同じ環境にしても、その人の遺伝によって、見える風景は違うのです。
遺伝を無視すると、環境をそろえれば「何でも出来る」と思いがちですが、それはあり
ません。
行動遺伝学者は、「アンチ環境絶対論者」です。つまり環境さえ変えれば人間なんて都合良くいかようにでも変わるとは考えません。自分が意識している/してないにかかわらず、人間の遺伝的素質は常に発言されています。(一五三頁)
ということなのです。
そのため、環境を変えたからといって、人生が変わるわけではありません。
本書を読むに当たってだいじな用語4つ!
ここで本書で重要な用語の説明を適度になおしながら引用しておきます。
遺伝、共有環境、非共有環境の三つです。
・遺伝
人間の遺伝子は、DNA(デオキシリボ拡散)のA(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)という4種類の塩基の長い組み合わせによって作られ、23組46本ある染色体の上に乗っています。父親と母親の体内で精子や卵子が作られる際、ペアになっている染色体が2つに分かれ、そのどちらかが1つがランダムに選ばれる減数分裂が起こります。
染色体が分かれる時、ペアとなっている染色体のところどころで、これまたランダムに組み換えが起こって遺伝子の配列がシャッフルされます。このようにしてできた精子と卵子が受精して受精卵となることで、父親、母親の持っていたのとは異なる遺伝子配列が子どもに受け継がれます。こうして子どもに受け継がれた遺伝子の組み合わさり方を「遺伝子型」と言います。
どういう遺伝子型を持っているかによって、子どもにはさまざまな「形質」が現れてきます。形質というのは、個体に現れてくる形態や機能の特徴のこと。観察できる形質のことを「表現型」と言います。(中略)子供が親から受け継ぎ、子供自身に独自の組み合わせとして生まれつき持っている遺伝子型の全体を遺伝だと考えてください。
・共有環境
家族のメンバーを「似させようとする方向に働く環境」。
・非共有環境
家族のメンバーを「異ならせようとする方向に働く環境」
・遺伝率
遺伝による説明率のことを遺伝率という。
遺伝率をチェックしよう
さて、皆さんが興味をもっているのは、自分の遺伝がどのぐらい環境によって直すことが出来るのかと言うことだと思います。
特にお子さんがおられる方などはいかにして
「子供を優秀にできるのだろう」と考えていらっしゃるでしょう。
ここで遺伝率をみることが大事になります。
遺伝率が80%の形質は、遺伝率100パーセントの形質に比べれば、環境を変えることで変化させられる可能性があります。
さらに、遺伝率50パーセントの形質は、80パーセントの形質よりも変化させやすくなります。
言い換えるなら、遺伝率が高い形質ほど、変化させるのが大変ということになるわけです。
ただしもう少し正確に言うなら、それはいまあなたのいる社会にある環境のバリエーションの中での変化のしやすさです。餓死寸前の環境といつでも食べきれないほどの食べ物のある環境が両方あるような差が著しい社会と、ほとんどすべての人にほぼ均等に十分な食糧がいきわたる社会を比べれば、前者の方が環境の振れ幅が大きい分、遺伝率は小さくなります。遺伝率とは純粋に生物学的な定数ではなく、環境の変動の大きさによっても違ってくる値です。
と書かれています。
体重の遺伝率は9割です。
でも、もし餓死が頻発するような国にいた場合なら、さすがに肥満になるのは難しいというわけです。
ただ、もし日本のような国にいれば話は別でしょう。
思いっきり遺伝の影響を受けるようになります。
学力は環境か遺伝か?
実は学力問題の難しさはここにあるわけです。
国民国家以降、政府は国民を作ることを目途にします。
私たち日本人が「国語」をならったり、「日本史」をならっているのは、
「日本人を作るため」です。
その結果、義務教育が整備されはじめました。
今までは「お金がないから教育を受けられない。」あるいは「そんな機会が与えられていない」というものが、全ての人間が教育を受けることが可能になったわけです。
すると、環境による問題ではなくて、遺伝による差が、私たちの現前に現れるようになってしまったのです。
要するに学力差は「遺伝の問題」としてわかるようになってしまった。
このブログでも何回かとりあげたマシュマロ実験というものがあります。
コレに似た実験でコロラド大学の三宅晶教授がやったワーキングメモリ(情報を一時的に保存する記憶力のこと)の実験があります。 このワーキングメモリが強い人ほど衝動的な行動を抑制することができるのです。
これは就学前の教育がどれだけ価値があるのかを教えてくれます。すると、教育とはほぼ関係なく、遺伝による差がほぼ100パーセントだったとのことです。
つまり、頭が良い子は遺伝的に頭がよいということです。
この本を読むと何が分かるか?
ここまで見てきたように、遺伝はすべてにかかわります。
先ほど述べた体重は9割が遺伝率であることを踏まえると、次のようなことがいえます。
太っている人がダイエットしたい。だが、それは現実的ではない。
ということです。
勿論、環境があまりに特殊であれば話は変わってきます。
貧民国であったり、致冨な家で酒池肉林が繰り返されていたりするという極端な環境であればどうにかできなくもない。
ただ、それですら、痩せにくい太りにくいという差が遺伝で9割、でてきてしまうのです。
となると、次のようなことが人生においていえるわけです。
あなたはAを達成しようと頑張っているが、それを達成するための遺伝率があまりよろしくない。親から受け継いだ遺伝とは異なる方向へ行く「非共有環境」はたったの5パーセントだとしたら、あなたはAを目指す余裕があるだろうか?
この考えは限られた人生において非常に重要ではないでしょうか?
世の中には出来ること出来ないことがあります。
「自分にはこれ、できるかな?」と思ってみても、遺伝率でみたら「むりだな」ということはあるわけです。
体重の遺伝率が9割だと分かっている。
その人が太る遺伝だとしたら、痩せる非環境共有は残り1割です。
この1割のために自分の力をどこまで割くことが出来るのだろうか?
それをよく考えなければならない。
残念ですが、人にはそれぞれ「箱の大きさ」が決まっているのです。
その箱の大きさのなかでしか、私たちは動けない。
そしてときたま、何らかの偶然によって箱から抜け出る人や、別の方向へいくことがある。
それゆえ、「ガチャ」なのですね、人生は。
終わりにー能力がないと生きていけない社会は失敗した社会ではないのかー
こうした経緯から安藤氏は現代社会の問題点について次のように述べておられます。
好奇心の強さ、パーソナリティの新規性もまた遺伝の影響を強く受けていますし、さらに言えばパーソナリティは非能力、つまり学習によって変えづらい形質です。
リスキングを推進したい政府や企業は、「デジタル技術を活用して、価値を創出できる人材になる」、「人生100年時代、新しいことを学び続けよう」などとアピールしますが、自分の興味関心がすでに標準化されてしまった「DXでの価値創造」とやらにマッチするとは限りません。
「常に新しいこと学び続ける」というのは言葉としては美しいですし、正しいようにも聞こえますが、全員が適しているとは考えにくく、必ず遺伝的な差が出てきます。
そもそも論で言うなら、人より抜きん出た能力を伸ばして輝くという考え方そのものに無理があるのではないでしょうか。
これは至当な結論でしょう。
もとより、我々は、
自分の能力が伸ばせると思い込んでいるほうがどうかしているのです。
実際は、大して伸ばせない。
それどころか、老化によって能力が落ちていくのが普通なのです。
しかし、別に絶望する必要はありません。
今までの「やればできる」という考えがあまりにも楽観的すぎただけなのです。
そんなことはありえない。
ありがたいことに、私たちは別段、突出した能力がなくても生きていけますし、満足した居場所をつくることは無理ではないはずです。
Twitterやyoutoubeなどをみて、自分より優れた人々がいる。
絶望する人もいるでしょう。
ですが、こうして行動遺伝学などの結実を学ぶことで、冷静に物事をみられるようになるはずです。
更に言うと、凡人が社会に求めるべきことは選ばれた人間のみが生きられる社会ではなく、凡人が真っ当な人生を歩める社会を求めるべきだということも、ここから導きだせるはずです。
それに関しては他の記事や参考図書をあげておきます。
では、またお会いしましょう。
ズンダでした。
関係記事および参考図書
↓格差をなくすためには運動しなければならない。単なる言論活動だけでは世の中は何も変わらないことを記した本。
↓優生思想による明治以降の恋愛や結婚について記した本である。
↓遺伝でうまくいかないけども、環境をどうにかして、あがきたい。
そんな人はこの本を読んで欲しい。
↓「ムダな努力をした」と私ズンダが思っているスプラ2の記事。これを読んで、私の放送にくる人は多い。努力に価値があると思っているのは「バカと暇人だけ」といいたい。
↓自己啓発の馬鹿らしさを指摘した本。夢見てないで、普通に生きろ。
↓境界性知能について書いた本。人の人生は自由ではないし、人の知能によってはどうしようもできない人々がいる。
↓「親ガチャ」があることを統計的に示した本。また、デジタル教育や英語教育についてもそれぞれの専門家が書いており、素晴らしい。教育に興味のある人間は必読である。