普段は人の名前に氏をつけているが、今回は敬称略でかくのでご寛恕を。
この記事は利敵行為や実況者を界隈から追い出すことについて書いたものである。
・ちょこぺろのリスナーは悪なのか
ちょこぺろのXP5000への挑戦は失敗に終わった。
今回、ちょこぺろはXP5000に辿り着くことはできなかった。
だが、youtubeのおかげでその絶え間ない努力や酸鼻を極めた戦いのさまが映像として流れ、保存された。配信の同時接続もそのアーカイヴの再生数も含めると彼の挑戦は名誉を得るに値するし、金銭面においても充実したものになったに違いない。
こうしてみるとyoutubeはその人の偉大な挑戦、業績がひとつの記録として語り継がれるためには
最適だということがよくわかる。ちょこぺろは内的動機としてXP5000を目指した。
しかし、彼が諦めずに続けるためには外的動機と思われる人々からの応援や賞讃、そしてyoutubeの収益が大きな役割を果たしただろう。
彼の結果を憫察しながら今回の記事を考えたのであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※なお、Xマッチのガチアサリではろぶすた~という人物がXP5000を目指していたが、惜しくも4973までいったところで負けてしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちょこぺろのための利敵なのかを決めることはむずかしい
この偉大な挑戦の渦中に、試合中、
「ちょこぺろを負かす利敵行為をした人間」と、
「ちょこぺろのために負けるというある意味での利敵行為」
という行為を行ったものがあらわれた。
XP5000を目指す最中、これらの援護射撃に対するちょこぺろの心湖心腸は察するにあまりある。
いうまでもなく、ファンだからやったという人もいればアンチだからあえてやったという人もいるだろう。
その人がなぜそれをしたかという問いに対してこたえるのは難問である。
そしてここまでが今回のことについて我々がいえることの限界である。
だが、世の中には噂好きや邪推を好んでするものがおり、この境界線を易々と超えてしまうものがいる。
その動機もおそらく様々—嫉妬、反感、怨恨感情、冗談—であるが、私がみたなかで違和感があったのは次のようなものだ。
「ちょこぺろの一連の挑戦により、このような事態がひきおこされた」というものである。
これに対して違和感は以下のような考えからである。
誰かが何かをやったことで、こういう事態が引き起こされたといえるのか?
ということだ。
つまり、ちょこぺろにせよ、後述するましゅーやリオラにせよ、
彼等の影響によってスプラプレイヤーが利敵行為をしたというのは都合の良い妄想ではないかということである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※この影響かどうかを見極めるのはおそらくムリである。たとえば、「ある武器がはやった。あるギアがはやった。ある戦法がはやった」という場合も、「誰かの影響を受けた」ということがある。ただ《ほんとうに》誰かの影響を受けたのかは実はわからない。「お前のそのファッション、○○の影響をうけたからでしょ?」といわれても、それをいわれた本人は好きな服をきていただけかもしれないのである。こういった「影響」は話題にはなっても誰かを追放するといった話にまでは至ってない。但し、《戦法》に関しては《利敵行為の内包》があると思われるので場合によっては追放もありえる。これに関しては↓の記事を参照されたい。
本記事で「誰それの影響による利敵行為」を問題にしている理由は、
その利敵行為が「スプラ界隈からの追放」といった弾劾にまで発展しているからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実はスプラ界隈は前からこの手の推論が好きな人々がいる。
特に今回、話題になったましゅーがいる。
ましゅーについて
ましゅーというクアッド使いがいる。彼はその上手さと下手な味方を晒してプレイを査定するという動画をつくることとを藝として活動している人物として有名である。
ちょこぺろが前回XP4800までいったのち、利敵パブロをひいてしまったことでXPを大きく落とすことになった。
そのときの名前がこのましゅーのサブ垢の名前「まさやじん」に似た「まさらじん」だったために
ましゅーのファンであると思われ、ましゅー本人が責められることとなった
「ましゅーの影響を受けた人間によって
ちょこぺろは妨害されたのだ。だからましゅーみたいな人間はスプラ界隈から追い出さなければならない」
というTweetが盛り上がったわけである。
確かにその名前からましゅーを思い起こす人はいるかもしれない。また妨害した本人もそれを意識しているからこそ
名前を同様にしているのかもしれない。
しかしここで利敵行為者について考えられるのは次の4通りである
①ましゅーのファンだからその名前にして、利敵をした
②ましゅーのアンチであり、ましゅーの評判が悪くなるようにあえて利敵をした③何の関係もない人。利敵が趣味の人
④そもそも利敵しているつもりがない。これが戦法だという人
どれもあり得るが、①と②で全く評価は異なるし、また根本的に「ましゅーのファンだとしてもましゅーが命令しているわけではないだろうし、ましゅーがちょこぺろの試合に利敵行為をしろともいってない」以上、
この件に関してましゅーを責めることには合理性がない。
単に「ましゅーが嫌いだから、とりあえず叩いておこう」という好き嫌いから発する批難でしかない。
ましゅーの考えさせられる動画
※記事をかいた数日後に上のましゅーの動画は非公開にされてしまった。ましゅーが任天堂にBANされないように自主的に自身の動画を非公開にしているらしい。動画をみることはできなくなったが以下の文章を読んで、利敵と利敵でないものとの差を想像してみてほしい。
ましゅー自身はこれに関する動画をあげている。
今回の話柄からやや外れるが、利敵行為について考える良い例なのでみておきたい。
この動画、一本目の試合はちょこぺろの試合において利敵した人物を
とりあげているが二本目は自分の試合で利敵したとみなしたプレイヤーを晒している。
彼曰く、「ちょこぺろの利敵者が100だとすれば、こっちは85」
私はこの動画は非常に素晴らしいと思っている。
この動画のコメント欄で「二試合目は利敵じゃないだろ」というものがあるが、一試合目と二試合目の利敵行為者をみたときに、
「二試合目が利敵ではないとなぜいえるのか?」
を考えさせられるからである。
単純にリザルトをみるかぎりでは、二試合目の利敵行為者は「1キル10デス」であり、味方負担であることが窺われる。リザルトで判断するな、という意見もあるが、それこそましゅーが使うクアッドのような復短武器においてのみ有効な見方であり、殆どの武器の殆どの試合はリザルトで粗方、判断をしてしまっていいとおもう。
というのもこのゲームは復短のない段階でデスをしてしまうと、およそ9秒間は行動ができない。10デスの味方は約90秒の間、動くことができない。これは約1分30秒であり、5分間の試合でこれだけの時間いないのにチームの役に立つことは不可能に近い。
もっとも、そもそも普通にやっていて、こんなにデスすることはなかなかできない。
たまたまキルレが悪い試合のリザルトをTwitterなどであげ、《これでも勝てました》と豪語するような人間がいるが、生存バイアスでしかないし、PV目当てのアテンション・エコノミーでしかない。そういった人物もたいがいの試合ではキルレがよいのではないだろうか。
また、普段からそういったリザルトで勝てていたとしても、それを一般的に真似できるものなのかは考える必要がある。
その後、ましゅーによってプレイヤーの動きが解説されるが、正直、試合中、「何もしてない」のである。なんとなれば一試合目のちょこぺろを利敵した人物とたいしてかわらない。実質的にはどうみても利敵である。
ましゅーがこの二本目をなぜ収録したのかわからないが、しかし、ちょこぺろの試合にいたパブロは多くの人から利敵行為と認識されている。
その一試合と自分が利敵だと思う人物を同じ俎上に敢えて載せることで、
「ちょこぺろを利敵した人とましゅーが利敵とみなした人とは何がちがうのだ?」
を効果的にみせつけるに成功している。
ここから、我々はスプラの利敵行為とは何なのか?を討議できるようになるだろう。
非常に示唆に富む動画である。
※この問題の根っこは格差マッチングにあることはいうまでもない。結局、XPが離れていればそれだけスプラトゥーンの上手さには差がある。XPの差がある人間を組ませれば、利敵するつもりがなくても利敵にならざるを得ない。またXPによるものだけではない。武器格差もこれに値する。もしAのチームのほうが弱い武器で構成されていれば仮に同じXP同士だとしても勝つのは難しくなる。ましゅーのような人間に「こいつは、ドブだ」といわせない方法は、本来であればイカケンがこのマッチングシステムを完備することにある。しかし、現実的ではないというのも理解はできる。ある時間に同じ水準の人間、同じ武器をもった人々を戦わせるというのはプレイ人口が更に多くなければムリなのだろう。結句、任天堂は厄介な客であるましゅーを爪弾きにして事を終わらせるつもりである。が、このマッチングのおかしさは依然、のこったままである。
リオラについて
また、ましゅーと同列に並べられることの多い人物にリオラがいる。
彼のyoutube、チャンネル登録者数は274,000人であり、スプラにおいては大人気youtuberである。
その数はちょこぺろやメロン君をぬいている。
彼も何かと炎上することが多い。その理由の殆どは私生活が晒されたことにある。
だがその人の私生活が酷いものだろうが、それをもって彼を私刑にすることはゆるされない。
嫌いだったらみなければいいだけだし、Twitterなどはブロックすればいいだけだ。
私はリオラもましゅーの動画もみていない。そのため、TwitterのタイムラインでもyoutubeのTOP画面でも彼等の動画がでてくることはほぼない。
子供への影響???
また、「子供への影響が」という人たちがいる。何処の世界も困ると「子供たちが~~~」というのを都合良く持ち出す人々がいる。日本など未婚者が増大し、子供をもつ人が激減している国で「子供が~」というのもいつまで説得力をもてるか気になるところだが。
だがこれも、言いがかりである。
youtube上に子供にとって害悪な動画などごまんとある。安心に思えるようなヒカキンやはじめしゃちょーの動画であっても、下ネタや子供にみせるにはどうかと思われるようなものもある。
人生において数多あるテレビ、映画、小説、ドラマ、親、友人、先生などからの影響を受けながら育つのが子供であり、無菌状態で育てるのは不可能であろう。
実はこの辺りを気にするのも私が一連の追放かきこみをスプラ界隈の《キャンセルカルチャー》とよぶ理由である。
↓の記事を参照してもらいたいが。
アメリカにおいて問題になっていることは、相手の「お気持ち」に対して敏感になるあまり、あらゆることにたいして「怖いから、気持ち悪いから、自分が好きではないから」という感情論が優先され、教育自体が成り立たなくなっている現状である。
たとえば、トリガー警告とよばれるものがある。
この警告は「この授業でミステリー小説を扱います。誰かが死ぬので、人が死ぬのを読みたくない人はこの講義をとるかとらないか考えてください」とシラバスにかかなければならない。
だが、小説や物語で人が死ぬからといってそれをわざわざ警告しなければならないのだろうか。いったいどこまで甘やかされなければならないのか。完全に偶然性を廃し、無菌室で育てられた子供はどうやっていきていくのだろうか。
私はこれと似たものをリオラやましゅーを追放しようと気炎を吐く人々には感じている。
共存している人たち
皮肉なことにリオラもましゅーも私のタイムラインにあらわれる場合は
《彼等のことをきらっている人間》が彼等のことを語って、イイネやRTをもらっているときだけである。
本当に興味がない私のような人間にとって、この関係性はもはや共存関係にあるのではないかと思える。
リオラを嫌いだといって騒げば騒ぐほどリオラの名前は知れ渡る。
リオラにとって重要なのは自身の動画をみているファンだけであり、それ以外の人間はどうでもいいので、ファン以外から何をいわれても糠に釘である。
だが、これは当たり前のことである。関係のない他人の評価や顔色をうかがっているほうがどうかしてるのだ。彼はいたって合理的なだけにすぎない。
英国の作家・チェスタトンがいうような
「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」
という警抜な言葉でかえされる可能性もあるが、しかしyoutuberとしてこれだけ大成した人物をただ蔑視するだけではなく、その凄さをみることも重要ではないだろうか。
「なぜ、こんなに人気があるのか?」を検討したほうがいい。
だいたい、リオラの人気がある理由は彼が教育者だからという理由ではないのか。
リオラ動画の殆どは「スプラがうまくなるための方法」を紹介したものであり、
また、「下手な人を指導した」といったものである。そこにえげつない言葉遣いや直球な悪口のようなものを合わせているところが香辛料となっているのだろう。
それはちょこぺろやメロン君などと全く違う。
多くの才能がない人々へ向けられた動画であり、人々のうまくなりたいという要求に応えたものなのだ。実際、それでうまくなった人間がいるのか私はしらない。
だが需要がなければチャンネルというのはのびないものである。自分にとって気に入らないのになぜ人気があるのだろう?といった自己の好みで何かをいっても無駄である。
もし仮にリオラを追い出したいのであれば、リオラ以上の人物をみつけだし、その人を応援し、盛り上げていくしかあるまい。しかしこの手の人は誰かを見出し、応援することはない。
私は、リオラアンチは一部だけだと思っている。
というのはアンチしかいないのであれば登録者が27万人もいくことはないからである。
アンチよりも人気のほうが大きく、人気や知名度の分、アンチが多くみえているだけなのではないか。
↓ネットの炎上は一見すると大多数にみえるが実は少数しかいないことを証明した本をどうぞ。
界隈が汚れるから追い出せ、という主張はちょこぺろを追い詰める
部族主義的な判断—スプラ界隈のキャンセルカルチャー—
上のましゅー、リオラのついての二例をみてもわかるが、
「○○のファンだから、こんなことをやっているんだ。○○はわるいやつだから○○をスプラ界隈から追い出そう!」
というのは自分が嫌いな人間だからそいつを締めだそうとしているにすぎず、部族主義も甚だしい。
そして今回はついにちょこぺろが標的になったわけである。
もしも、ましゅーとリオラをこの幼稚な論理で批判している場合、
当然、ちょこぺろのことも「界隈から追い出そう」という展開になるだろう。
ちょこぺろの試合にちょこぺろのファンがいた場合、そいつはちょこぺろを勝たせるために利敵するに違いない。ちょこぺろのせいで清浄なるXマッチが利敵行為によって汚れてしまう。ちょこぺろを追い出せ!
となってしまうわけだ。
この幼稚な論理でちょこぺろにだけ矛先を向けることがないのならば、幼稚な論理ですらなかったことになる。
美しいスプラ界隈、という桃源郷
私が前から不可解に思っているのが「理想的なスプラ界隈」という聖域である。
特に有名でもないし何かしらかの業績があるわけでもないのにもかかわらず、自分を界隈の代表だと思い違いしている有象無象の《多すぎる首(かしら)》が
存在している。船頭多くして船山に上る、にならないといいが。
彼等の中には《理想的なスプラ界隈》というものがあり、そこからはみ出た存在を廓清しようという革命家気質をもったピューリタン的な潔癖主義をふりかざしている。
私は前からこういった人たちをスプラ界隈の《キャンセルカルチャー》だと思っており、好きではない。
ましゅー、リオラを関係のないことで必要以上に叩くことは、際どい企画などではなく、プレイヤーとして讃えられることが多いちょこぺろをも、スプラ界隈から追放することに繋がってしまう。
そもそもましゅーやリオラが何をしようが、我々個人には関係ないし、できることも殆どない。
彼等の動画が良いか悪いかは最終的には任天堂が決めることである。
またXPが高い上位勢にリオラやましゅーの粛清をさせようという意見があるが、
いったい、何の権利で、どういう力でそれができるのか?
浮誇な考えにもほどがある。
今のところ、ましゅーにしてもリオラにしても動画に対しての警告や削除は、
「スプラトゥーンと性的なもの」
「スプラトゥーン内における味方批判をネタにしたもの」
に限っているようである。
任天堂が介入する場合は、
「任天堂のゲームを利用して、あくどい真似をしたときに限る」
のだろう。
その人本人の私生活が荒れていようがそのプライベートに私企業が入り込んで裁くことなど許されてないので健全な判断だといえよう。
スプラ界隈のために!!!!
彼等を叩くために
「スプラトゥーンが変なゲームだと周りからおもわれてしまう!」などと危惧している人がいるが、これも全く理解できない。
第一に変なゲームだと思われていようが、あなたがそのゲームをやることにいったい何の関係があるというのか。
あなたは自分がやっているゲームが周りから変なものだと思われていたら、やめるのか。
だとすれば、ゲームをやっている理由が周囲の人間からどう思われているのかで決めているということになり、判断基準がそのゲームの面白さではなく、「無関係の人にどうみられているか」という訳の分からない理由ということになる。
正直、ゲームをやっている段階で暇人だし、生産性のないことに夢中になっている哀れな人間だと思われている確率は高いので、
そんな基準でゲームをやるのであれば、とっととやめたほうがいいだろう。
第二にスプラをやったことがない人たちは《スプラ界隈》などしらない。誰が有名なのかも、誰が何をしているのかもしらない。
たとえばストリートファイターなどあるが、私ズンダは、ウメハラ、ときど、マゴなどの名前はしっていても彼等が今、
どんな言動でゲームをしているのかなどは全然わからない。
はっきりいって、自意識過剰である。その上、誰かを叩くために大義名分めいたものを勝手に作り出し、批判するための理由作りに勤しんでいるようにしかおもえない。
結局の所、リオラやましゅーを追放するだけの正当な理由をもっていないから
「桃源郷のようなスプラ界隈」をもってきているだけではないか。
そんなものは最初から存在しない。
私ズンダが生放送をずっとやってきて思ったのは、理性なき親からネグレクトされてるのではないかと思えるほど野蛮な子供達の群れであった。
そういう大義名分ははTwitter上では受ける。イイネももらえるし、RTもされるだろう。
しかし、ゲームが好きだというのであればゲームでイイネやRTをもらえるようにしたらどうか。
ゲームに対して飽きたり、成長しなくなったりしているにもかかわらず、スプラぐらいしか興味をもてないので、スプラに絡まるどうでもいい部分を気にし、自分のやる気に延命処置をほどこしているようにしかみえない。
子供に悪影響を与えるということで騒ぐのならこれはどうみる?
ましゅーやリオラによって子供達に悪影響を与えるといった意見があることは先に述べた。
では、先日あったこの殺害予告についてはどうおもうのか?
これが本当にあったものなのかどうかは誰にも分からない。
いちおう、事実だとしよう。この場合、
「リオラを追放しろ!と叫んでいる人間の悪影響によって殺害予告がなされた」
と指摘されるのではないか。
さて、どう答えるのだろうか?
終わりに~読書のすすめ~
このスプラ界隈における私刑、《キャンセルカルチャー》は現代の風潮もあいまって大変、危険である。
もし仮に自分のおこなっている行為がどれだけ危険かを検討したい場合、ところどころにリンクを貼った書物をおすすめするが、
おそらく、読まない、もしくは読めないだろう。
この界隈が清浄なる界隈なのかはしらないが、読書癖のない界隈ということだけは真実であるようにおもわれる。