『草枕』という無味乾燥な本
読むことが難しすぎるけれども、何をしているのかはわかる
数十年ぶりに買い直して読んだ。
この本を以前読んだとき、まだ新潮文庫の文字は小さかった。多くの評者がいうとおり、本書は晦渋な内容もさることながら、非常に難解な漢語が駆使される。
また表現も俳句、漢詩、古諺、英詩などがこれでもかというほど引かれ、それについての論評なども行われている。
あらゆる文学表現の宝庫ともいえる小説なのである。
「俳句的小説」というより「俳文」に近い
解説は江藤淳と柄谷行人という豪華ではあるが、さすがに現代の漱石研究者にしてもらいたかったりもする。こういった古典は解説を豊かにしていくことが大事ではないだろうか。
『草枕』は「俳句的小説」といわれていたがこれでは何のことか普通はわからないのではないか。
そして私ズンダはこれは「俳句的小説」ではなくて「俳文」といわれるジャンルに属すると再読しながら思っていた。
今なら岩波文庫において松尾芭蕉の弟子であった各務支考の孫弟子・横井也有『鶉衣』が手に入るので『草枕』という近代文学ではない、前近代文学の系譜を感じたい人はこれを読んでみるといい。
『草枕』に近いものを感じるだろう。
小説は物語だけではないという主張
このように捉えてみると小説というのは実に批評要素が強いものだとわかるはずだ。
そこにあるのは物語だけではない。
作者が把持している現実への激しい批判精神である。
様々に意匠を凝らし、批判する。そのための意匠として俳句、漢詩、古諺、英詩は利用される。『草枕』のなかでも主役と那美との間で小説の「筋」について語られているが、これは本書自体に「筋があまりない」からである。
そして、画工である主役の藝術論は
「言葉にできそうだができない段階に藝術の極地がある」といったものだ。
この曖昧な、つまり依稀こそが『草枕』であったといえる。
それゆえに物語が始まりそうなところで終わりを迎えたこの作品の顚末も理解できるだろう。始めてはならなかったゆえの終わりなのだ。
『草枕』は漱石にとって自己の小説観を露わにした作品でもあった。
これは漱石の死後、
論争『文芸的な、余りに文芸的な』に引き継がれるので
そっちもよんでみるといいだろう。
読書案内
『文芸的な、余りに文芸的な』をまとめたものに講談社文芸文庫の以下の本がある。
漱石にかぎらずだが、その作家の評伝を読んでおくと、作品の背景がつかめて一気に読みやすくなるのでおすすめする。
2017年にでた全集版の『草枕』である。
こういった全集の月報や解説、注釈を読んだ方が作品の理解は深まるので
ぜひ一読をおすすめする。