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ちょこぺろのXP5000への利敵プレイヤーによる失敗と素晴らしい三勝三敗マッチというイカケンの目論見【スプラトゥーン3】

※今回は、ズンダブログにあげてみた。noteはSEOが弱く、集客力が低いからである。
ブログの読者にとって当惑されるかもしれないが、実験的にやっていく。もしこの記事をよんで楽しめた方はズンダのnoteもよんでもらいたい。

 

note.com

 

配信中に色々話した

 

スプラ3のネットにおけるあれこれ


昨日、日曜日の配信、冒頭30分ほどスプラトゥーン界隈含めて
視聴者を相手にスプラについての話をした。

 

※昨日きいたスプラ絡みの話で面白かったのは、
Aという視聴者が自分のスプラフォロワーから「君が読んでいる《小説》、面白いね」とかなんとかいわれたという話である。

だが、Aが読んでいる本は哲学書や歴史書であり《小説》ではなかった。
つまり、本には《小説》しかないと思っている人なのだ。

これをきいて、実は面白かったというよりも私は引いてしまった。
国語の教科書に載っていた作品すべてが《小説》だとおもっていたのだろうか……。

 

 

私は基本的にスプラ界隈の殆どの意見に対して反対というか、納得できない人間であり、ほぼエコチェンバーの塊だと思っているので、各々の個人性がみられずつまらなく感じる。
群盲象をなでるといった諺がこれ以上に当たる界隈はない。

 

というか、ゲームを作っている開発者はいないのだろうか?
私は今から一年以上前に、スプラ3におけるナッジやスラッジの話を動画でもnoteでもした。

note.com


これは昨今はやっている行動経済学を元にしたネタだが、スプラ3でこの話をしたのには
理由がある。ゲームデザインの教科書を読んでみるとこの手の話がUXとして教科書にのっているからであった。

 

※ちなみにこれも毎回いっているが、行動経済学の再現性についてここ数年間ほど騒がれている。これに関しては来月、次のような本がでるのでまつべし。

 

 

教科書でなくとも、もっと簡便なものがある。

 

玉樹 真一郎 「ついやってしまう」体験のつくりかた 人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ 

 

この人など任天堂にいた人物であり、こういった知見がゲーム開発にいかされていることは
疑うまでもない。

 

勉強したら?


すると、開発者は当然こういったことを知っており、それを利用しながら
人々が面白いと感じるゲーム開発をしているに決まっているのである。

だとすればイカケンが~~~~~」と口うるさく、バカの一つ覚えのように語る人間はこの手の教科書を読んで、

「そうか、スプラ3のシステムはこういう理由でやってるんだな」

という当たり前の推論をしてみたらどうか。

 

その推論が外れていても構わない。

また、イカケンのUXがユーザーにとっては逆に面白くなかったという彼等の以前からの主張に合うものでも構わない。

 

大事なことは、相手の知見を学習して何かを語ることである。

そうでなければ、いつまでたっても《群盲象をなでる》の域から逃れられまい。


しかし、そんなことは全く行われないまま日月が過ぎた。

イカケンが~~~~~~」をみると、これが世にいう陰謀論者なんだというのがよくわかる。


しかも陰謀論者は自分たちが陰謀論者だと気づいておらず、ゲームに関して全く勉強をしないが、しかしイカケンよりも自分たちはゲームがわかっている。ゲーム開発者でもなんでもないけど》といった調子である。

 

こんなのが通用するのがSNSのくだらなさであり、注目さえ集められれば良いという
《アテンション・エコノミー》の最たるものなのかもしれない。

 

↓アテンション・エコノミーについては以下の書を。似たような話はおそらく多くの人が知っていると思うが、本当にそうなのか怪しく感じ始めている。

 

 

※これに関してはFPSというのは読書リテラシーがなくとも楽しめるということが考えられる。RPGやノベルゲーなどはそもそも文字が読めないと楽しめないのであるが、FPSはそうでなくとも困らない。文字の足きりがないのである。《言語化》云々もそうで、そんなのがウリになってしまうというのは端的にこの界隈の恥部をあらわしている。私はこれがスプラが子供のゲームといわれてる所以だと近頃おもうようになっている。自分がやっていることをメタ的に把握しようとしないのだ。ゲームでそれが行われていることを知らない人が多いらしい。

 

CEDEC 2024

ゲームUXというもの


CEDEC 2024が先日おこなわれた。
これはゲームの開発者達が集い、どんな技術があるのかを発表し、お互いの技術力の向上、共有をはかる
会である。この中で以下のものがあった。


ゲームと心理学はいかにして接近したのか。
「ゲームUXコミュニティに見る人類共通の脳機能とゲームデザインへの応用」[CEDEC 2024]

www.4gamer.net

 

登壇された山根信二氏は
セリア ホデント 『はじめて学ぶ ビデオゲームの心理学 脳のはたらきとユーザー体験(UX)』の監修を務められた方である。

 

私ズンダはセリアの本をちょうど一年半年程前に読んでおり非常に感動した覚えがある。
この本には、

 

「ある設定をすると、人はあることをしがちになる。心理学、行動経済学を基にし、それを利用してゲームを設計していこう」

 

という例が載っており、我々のプレイヤーを如何に操作するかが語られているのだ。


当然、プレイヤーは自分たちの意思によってゲームをしていると思うのだが、実際はUXによってある程度は操られており、「したい、したくない」は制作者によって左右されている。

 

無論、この設計に失敗したゲームもあるだろう。

だがそれはUXが存在しないことを意味しない。


またこういうことから「洗脳と同じではないか?」という批判もある。

このあたりについても私ズンダのyoutubeの動画ではなした。
こういう悪いハメ方を《ダークパターン》という。

↓ちなみに、任天堂もこんなのをやっていた。

goodpatch.com

www.nintendo.co.jp


ちょこぺろの敗北は可哀想かつXマッチをやっている以上、当然ではある

・ちょこぺろに行われた利敵行為について

 

利敵があらわれるのは残念ながら当たり前である。
ちょこぺろに限らず、誰もが利敵行為に当たった経験はあるはず。
そしてそれを防ぐことも不可能。利敵行為を事前に防ぐことはできない。

 

仮に今回、利敵した人物をBANしたとしても他にも利敵している人物はいる。

更にいえば、「弱い武器を持っている人間」「特定の戦法に拘る人間」たちもいて、
彼等は利敵行為ではないのか?という問題もある。

 

たとえば、ちょこぺろがXP4999で、二敗状態にあったとき、味方に弱い武器がきて負けたら応援している皆さんはどうおもわれるだろうか?


そのとき少しでも

 

「あの武器がちょこぺろのほうにきてなければ」

 

と思わないでいられるだろうか?

 

もし思う可能性があるのならば、その人は

 

「Xマッチにおいて弱い武器はいいものではない」

 

と実は考えていたということだ。

 

運が悪かっただけである

 

ちょこぺろは毎日Xマッチに潜っており、
遅かれ早かれ利敵プレイヤーを引く運命にあった。

 

よって、今回の利敵プレイヤーとの遭遇は「運が悪かった」ということである。

逆に言えば、今まで利敵プレイヤーと会わなかったということは「運が良かった」のである。


そしてスプラトゥーン3のXマッチは「利敵プレイヤーと会うのは稀なこと」だということがわかるだろう。

もし毎回のように利敵プレイヤーにであうのならば、ちょこぺろのXPは4,000後半までいくことがないからである。


それゆえ、

 

「今までが運が良かっただけであり、今回は運が悪かっただけ」

 

である。

 

※ちょこぺろの水準になると羨ましく思えるのが、「運のよしあし」という考えをあてはめてもらえることだ。
これはどの人の人生にもあるはずなのに。バーナード・ウィリアムズの「道徳運」に関するもの、もしくは
古田哲也『不道徳的倫理学講義: 人生にとって運とは何か』をよまれたい。

 

 

※そもそも今までも利敵プレイヤーには幾度となくあっていたのではないか。

また、ちょこぺろの水準からすれば殆どのプレイヤーは利敵と変わらないだろう。

彼の水準では「だいたいが自分よりも圧倒的に下手」なのだから、
それはもう利敵にしかみえまい。また、彼のXマッチをみていればわかるように、明らかに下手なプレイヤーたちが沢山いる。

しかし、ちょこぺろが強すぎるので「勝たせて貰っており、戦犯にならないですんだ人たち」なのだ。

つまり、多くの利敵プレイヤーはちょこぺろによって濾過、浄化されているのである。

 

イカケンは利敵行為に対して対抗策を用意していた

 

さて、ここから分かることは、

Xマッチを上げようとする人は

 

「利敵行為を引く試合があったとしても、
XPが上がるようにしておかなければならない」

 

ということを踏まえておかなければならない。


実はこれを踏まえておけばどうにかなる可能性が用意されているのが
スプラトゥーン3なのである。イカケンに感謝すべきだ。

 

その答は

 

「スプラ3の新システムである三勝三敗制を利用すること」

 

である。
※以降、三三制と略す。

 

三三制は二勝二敗まではXPの上がり下がりがない。
つまり、利敵プレイヤーが1試合あらわれたとしてもXPは減らない、ということだ。
三三制は一種の保険として機能しているのである。

 

いってしまえば、ちょこぺろは三敗まで追い込まれる前に三勝しておけばよかったのである。

 

いうまでもなく私は利敵プレイヤーを許容しているのではない。
だが、利敵がなくなることはない。犯罪率が下がっても
犯罪者がゼロにはならないように。

 

であれば、それらの不確定要素を組み込んだ上でプレイヤーは
ゲームをしなければならない。

 

オンラインゲームである以上、仕方がないことである。
これが嫌なのであればPvPを引退し、PvEのみをやるしかない。

 

スプラ3でやたらに叩かれる三三制だが、実はこうした利点があることが
わかるだろう。

 

この制度は

 

イカケン側からの利敵プレイヤーに対しての対抗策

 

なのである。

※無論、意図しているのか意図してないのかは作り手に聞かない限りは
確定できない。あくまでそういうふうにみえる、実態としてそう機能している。

あとは、その機能をユーザーが意識するかしないかである。

 

 

これがスプラ2ならもっと最悪だった

 


もしスプラ2であれば、この利敵と遭遇した段階でXPはすぐにおちる。

 

スプラ2でちょこぺろの挑戦が行われていた場合、人々は次のように言うだろう。

 

「利敵プレイヤーがきたら、それでXPが下がるのはおかしい。一試合で決まるのは変だ」

 

そうだ、確かに変である。

利敵プレイヤーがきた試合で負けたらXPが下がるなど!

 

ところが、スプラ3は違う。

 

利敵プレイヤーが2試合来て負けても、XPは下がらないのである!

 

なんと素晴らしいシステムなのだろう。

 

そして人々はちょこぺろがこうやって敗北するまで
この三三制の良さに気づくチャンスがなかった。

 

これは利敵行為で負けることが少なかったからであり、
それだけXマッチの治安がよかったということだ。


※スプラ2ではこれが問題の一つであった。なぜかスプラ3を批判する人たちは
健忘症なのか記憶力が悪いのかわからないが、当時の問題をすっかり忘却しているらしい。

 

気づかれることがないイカケンの狙い


そしてこれこそが冒頭で上げたUXなのである。ゲームのシステムは私たち一般人が気づかないところで私たちを規定している。まるでフーコーがいう生権力のように。

 

そして、ユーザーはイカケンの狙いには気づかない。バカだからなのか無知だからなのかそれともイカケンがそれなとなくUXを配置しているからなのか。

 

かくして、勘違いされたままイカケンは批判されつづける。

これが地獄でなくて、何が地獄なのだろうか。

イカケンのユーザーへのメッセージは伝わらずに、無意味な批判だけが積み重なっていった。

 

スプラ3の悲哀である。

 

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