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私たちはコロナをどこまで問題視すべきなのか『ゼロコロナという病』を紹介する

 

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 今回は『ゼロコロナという病』についての紹介記事ですが、本文をエピグラムのように引用し、それを敷衍して、この本をよりよく理解するためにはどんな思想的背景が必要なのか、というのを自分なりにまとめました。

 

 この記事は紹介でもあり、あくまでこの一年半年の間、普通に生きてきた一般人のコロナについての思いです。

 

 その上で、コロナについてどう捉えるのが妥当なのかというのを、ほかの本や記事のリンクを貼りながら開陳していくような記事になっております。

 

 コロナは社会全体に多大な影響を与えた以上、いろんな分野の知見に目配りしていくのがもっとも理性的に判断する方法でしょう。

 この理性的な判断結果がたとえ間違っていたとしても、方法としては妥当であると信じています。

 ※「本書より」と書いた場合、『ゼロコロナという病』からの引用。

 

 

 

 はじめに-コロナとは何だったのか

 

 空騒ぎなのか-今まであなたは風邪やインフルエンザのことを考えましたか?-

 コロナが世界で流行してから、一年半年ほどの月日が流れました。

 ワクチンができても日本では感染者数が発表されつづけています。

 

 五輪開催の陰に隠れつつありますが、七月二十七日のコロナ感染者は2848人でした。

 すさまじい勢いで感染者は増えています。

 しかし、見るべきなのは感染者ではなく、重傷者数や死亡者や病床使用率でしょう。

 感染したところで普通の風邪で終わるのであれば問題はないからです。

www3.nhk.or.jp

 

 このコロナ問題については、以前から「自粛派」VS「反自粛」という派に分かれて論争が起こっており、一般人からすると、どっちがいいのか判断しかねる状態です。

 

 私個人としては、少なくとも日本においては騒ぎすぎじゃないか、と思っている側の人間です。

 

 なぜならば、

 

「毎年の風邪やインフルエンザに対して、何か考えたことあるだろうか?」

 

という問いが常に自分の頭に浮かぶからです。

私はその問いについて考えたことがありませんでした。

 

インフルエンザになると酷いので、毎年、欠かさずワクチンはうっていました。

しかし、インフルがひどいから「みんなで自粛しよう。行事をやめよう」などとは思ったことがありませんし、聞いたこともありません。

 

 つまり、大した問題ではなかったから、気にしたことがなかったのです。

 

 正直いえば、賛成派も反対派も、コロナが流行る前までは私と同じようなもので、感染症に関する勉強などしたことがない人ばかりだったのではないでしょうか。

 

 私たちは専門でもない限り、公衆衛生について学んでいるわけではないし、リスク心理学の知見があるわけでもウイルスに関して知っているわけではありません。

 

 たとえば、公衆衛生の高野裕久教授などは上のようにいっておられる。

 

(藤井)私は京都大学の公衆衛生を専門にしている、内科で臨床もされた医学博士の高野裕久教授とも、昨年、コロナ対策の社会政策についての書籍を出版したんですが、高野先生との議論で印象的だったのが、「コロナ対応の問題は経済か、感染防止かの二択ではない。経済は公衆衛生に含まれるんだ」というお話です。経済苦で命を落とす人、長引く自粛で精神疾患に至ってしまう人、すべてのリスクと感染リスクを見渡しながら、対策を決めていくのが本来の公衆衛生だとおっしゃる。(本書より)

※太字はズンダ

  

 が、公衆衛生に関しての知見がないと、「コロナ対応の問題は経済か、感染防止かの二択ではない。経済は公衆衛生に含まれるんだ

 という考えはでてこないわけです。

 

 今でこそ、テレビをつければ分野の専門家がそれぞれコロナに関して述べているし、本屋へ行けば「感染症」や「ウイルス」と題した本が目につくところに並んでいます。

 

 しかし、以前はそうではなかった。

 

 

 コロナを考えると、リスク心理学を無視できない

  

(藤井)多くの日本人は「新型コロナ感染症に対する ゼロリスク」つまり「ゼロコロナ」を目指す精神 を幅広く共有するようになってしまっているのです。しかし、リスクに対する人々の特殊な心理を研究し続けた「リスク心理学」 と呼ばれる分野では、こうした「ゼロリスク志向」は 深刻な問題 だと捉えられています。(本書より)

 

 

 たとえば、リスク心理学についての本が最近でました。

コロナについてものっています。

 

 この学問のいいたいことは「あることをするには必ずリスクが伴う。しかし、100%でないから何もしない、はありえない」ということです。

 

 毎年自動車事故では約3000人ほど死んでいます。

 結構な数ですね。

 しかし、外にでない!という人がいますか?

 皆さん、必ず外に出て動くでしょう。

 

 これは、事故に遭う確率よりも、動かないことによるリスクを問題にしているからなのです。

 このように、私たちは「Aをすれば○○パーセントの確率で何かが起こる。でも、Aをしなければ○○パーセントの確率でまずいことになる。だから、Aをしよう」というのを無意識に、もしくは意識的に選択しているのです。

 

 死への価値観がいきなり変わった日本人

  

 (木村)新型コロナウイルスは新しいタイプの風邪です。風邪をゼロにするなんて考えは無茶苦茶です。2021年6月現在、政府の分科会は新規感染者を200人に抑えるよう言っています。日本医師会は1日100人です。この数字は、 30 万人に1人しか風邪をひいてはいけないという計算になります。風邪をひく人が 30 万人に1人しか許されない、ということになりますから、「どうかしているんではないですか」と聞きたくなります。これを日本国民が受け入れているとしたら、正常な思考回路が、恐怖のあまり働かなくなってしまったのではないか、と疑ってしまいします。

 

 

 リスク心理学をコロナで考えるとわかりやすい。

 人々は、毎年、インフルエンザ関連死で例年一万人ほど死んでいても、コロナ並に騒ぐことはなかったわけです。

 

 つまり、少なくともインフルエンザで一万人ほど死んでいても、コロナ並ほどには気にしていなかった社会だったといえるわけです。

 そのリスクは受容できていた社会であったといえるでしょう。

 

 それがコロナ禍で一気に変容してしまったわけです。

 

 自粛しろだとか、全員がマスクをつけろ!などコロナ以前にいわれたり、社会全体がそうなったことなどないでしょう。

 

 コロナ自粛が日本社会にもたらした影響とは何か-若い人々の未来を潰した-

 若者の結婚や恋愛は老人にはできない-日本社会の老化と鈍感-

 

(木村 ) そうですね。それは日本には公衆衛生(パブリックヘルス) の概念がないことからも明らかです。  公衆衛生(パブリックヘルス) ではマス(集団) を考えます。1人死亡すると、それは 10 人のうちの1人なのか、100人のうちの1人なのか、あるいは1億人のうちの1人なのかで全然意味合いが違ってきます。また、 90 歳の方が1人亡くなったのか、 20 歳の方が1人亡くなったのかでも、意味合いが違ってきます。

 

(木村) 公衆衛生のベーシックな概念である「YLL(Years of Life Lost=損失生存年数)」です。簡単に言えば、平均寿命が 80 歳という社会で 20 歳の方が命を落とせば、失われた余命は 60 年。 40 歳の方なら 40 年になりますね。 60 歳の方なら 20 年。 80 歳の方ならゼロに近くなる。  単に死亡者の人数をカウントするのではなく、死亡者の年齢を元にYLLを算出して、「高齢者が死んでもYLLは低い。しかし若年層が死ぬとYLLは高い」のだから、その点を完全に無視するのではなく、事実を事実として受け止めておくことが必要ではないかと主張したんです。(太字はズンダ)

 

 下記の記事で和田秀樹氏が述べておられるのは、いわれてるほどコロナは危険な感染症なのか、ということです。

president.jp

 

 皆さんもご存じのように、十代や二十代にとってコロナは何という感染症でもありません。 

 少なくとも日本において、コロナが原因で死亡した人たちはいないわけです。

 

 

新型コロナウイルス感染症データ

 

  

 けれども、私たちは若い人たちの行動を制限してしまった。

 老人たちが罹りやすくなってしまうからです。

 

 注意してもらいたいのは私は何も老人の命だから軽視していいといっているわけではありません。

 老人だけが命をもっているわけではない、といいたいのです。

 

 

www.jri.co.jp

 

 

しかし、コロナ禍の影響を受け、5~7月の妊娠届出数は前年比大幅減で推移。仮に8月以降も妊娠届出数が5~7月並みの水準で推移すれば、2020年の妊娠届出数は前年比▲4.4%となり、2021年の出生数は前年比▲7.5%の78.4万人まで落ち込む見込み。これは、2019年の合計特殊出生率(TFR)1.36が続いた場合の2030年頃の出生数に相当。コロナ禍によって、少子化が一般的な想定より一気に10年前倒しで進むことになりかねない状況。

加えて、コロナ禍は婚姻数の下振れも招いており、このまま推移すれば2020年の婚姻数は▲16.2%の大幅減となる見込み。2021年以降の出生数のさらなる下押し要因に。

(太字はズンダ)

 

 上記の記事のように、出生数自体が激減しており、新たに生まれるはずだった生命までもが失われてしまっています。

 

 自粛は若者の未来や、そして若者が育む命すらも奪っているのです。

 この観点を無視して、「老人だけを守る」というのは流石に道理がないと考えざるを得ない。

 

    老人と若者ではやれることが異なります。

 いくら老人を守りたくとも、生物的な現実を前には限界があります。

 これは常識ではないでしょうか。

 

 私たちは自己啓発アンチエイジングのせいで、自分たちが年老いたり、将来は死んでしまうことを忘れてしまったのでしょうか。

 

 ↓フランスの哲学者ボーヴォワールによる“老い”や“死”についての著書。人は誰でも必ず最後には死ぬ、という事実を噛みしめながら現実を考えていきたい。

 

 

 

 

 

 

 ましてや20代は人生にとって、とてつもない価値をもった年代です。

 つい最近の記事でもそのことを紹介しました。読んでみてください。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

  

 コロナがどういった影響を日本社会に与えたかについては以下の本と動画を見ていただきたい。

 

  ↓この本でもっとも示唆に富む一文がある。それは「日本社会の老化」ということです。

 私たちの社会は少子高齢化によって、ありとあらゆる意味において「老化」してしまった。

 今回のコロナだけをみてもおわかりになるでしょう。

 なぜ、若者にとっては大した感染症ではないコロナが日本では大きくとりあげられたか。

 それは人口動態の比重が老人にむいているからです。

 

www.stat.go.jp

 

65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は3461万人(平成28年9月15日現在推計)で、総人口に占める割合は27.3%

  というように、コロナで重傷化、死亡しやすい人の割合が多い社会なのである。

 それゆえ、ここまでの騒ぎになったのかもしれない。

 

 このような統計がつまっているのが河合雅司『未来のドリル』(講談社現代新書)なので、ぜひよんでもらいたい。

 

 もう一つは、コロナによって以前から存在していた貧困と格差が悪化しているという動画である。

 これをみると、現況の日本で苦しめられている人々が手に取るようにわかるので、見ていただきたい。

 

www.youtube.com

 

  自分たちは死ぬということを忘れていた日本社会

 

 

 そう、私たちは緊急事態宣言などを望んだり、受け入れてしまった結果、これだけの損失をしてしまったわけです。

 

 つまり、コロナ以前であれば

 

「風邪やインフルエンザや自動車事故で、人がある程度、犠牲になるのは仕方がない。生きるとはそういうことだ」

 

 と思っていたのです。

 

 別にコロナより前から、風邪やインフルエンザになって苦しんでいる人は沢山いたはずです。

 しかし、私たちはそういう人たちのことを考えもしなかった。

 

 コロナよりも前から、何かの病気になって助けを求めていた人たちはいたはずです。

 

 それなのに、見てこなかった。

 

 見てこなかったくせに、コロナがはやると、とつぜん「命は大事だ!」と豹変した。

 24時間テレビをやっているときだけ「募金する人」みたいなものですね。

 流行で価値観を変えたわけです。

 

 ↓人間の価値観や態度はどのようにして形成されていくのか。そして、なにゆえに変わっていくのかを記した本。

 ↓日本人のものの考え方はどう変化していっているのか。非常に便利な本。

 

 

 なぜかというと、自分がその病気に罹るかもしれないと思ったからですね。

 

 要するに今までは健康で大した病気になってこなかった人が、流行病であるコロナにはなってしまうかもしれない・・・それは、怖いと思うようになった。

 

 多くの人が気にしていたならば、「風邪やインフルエンザにならないように、自粛やマスクをつけろ」というお達しや同調圧力や作法が存在しているはずだからです。

 

 でも、そんなものは今までなかった。

 

 こうやってみてみると、人間の我が身かわいさから来るおぞましさがよくわかりますね。

 自分に問題がふりかからない以上は知らんぷりで通しているわけです。

 

 「コロナに罹った人はかわいそうだけど、今まで風邪やインフルエンザに罹った人は、問題ではない」といってるようなものです。

 

 飲食業へのいじめがはじまった

 

 自粛すれば罹る人の数は減るかもしれない。*1

 

 しかし、それは同時に、ありとあらゆる意味での社交が失われることも意味しています。

 

 お祭りも観劇も食事会も、何もかもが成り立たないからです。

 

 

 皆さんも自粛していて不便や不満を感じたことがありませんでしたか。

 

 ちょっとした友達との遊びも、気になっている異性との交際も、習い事や学校行事などもすべてが中止になったり、延期されたりしたわけです。

 

 また飲食業などの人々への迫害や東京都などによる虐めなども多発し、国民同士で国民を蹴落とすような有様になってしまいました。

 これを自粛派の人たちは望んでいたのでしょうか?

 それともこういうふうになるとは想像できなかったのでしょうか。

 

 自分の仕事が奪われたり、欲求不満を解消するような何かがなかった場合、人間がとち狂った行為にでるなどわかりきってるのではないか。

 

 まとめ-専門性と総合性とメディアと政治家・官僚の杜撰さ-

 私たちは間違ってはならない選択をしたのかもしれない

 

 問題の本質はコロナが「そこまでしなければならない感染症だったのか」ということでしょう。

 

 それを否定したのが『ゼロコロナという病』です。

 

 この本では藤井聡氏と木村盛世氏の対談本です。

 

 

 この本に書いてるのは、コロナを通して、色んな学者や知識人が出てきた。

 そしてその、「専門家」と称する人々にもかかわらず、何の根拠なき主張によって、日本の世論は形成され、政治家や官僚までもを動かしてしまった。 

 

 

 「エビデンス」がないにもかかわらず、人々を扇情し緊急事態宣言を何回も出させるような空気をうみだしたことが、徹底的に批判されています。

 

 特に批判されているのは、「8割おじさん」と呼ばれている西浦博氏や「ダイヤモンド・プリンセス号」の岩田健太郎氏や尾身茂氏などです。

 

 また、メディアも彼らやコロナの恐怖を盛んにあおる専門家だけを起用したとこの本では批判されています。

 

 

(藤井)専門家にしてみれば、科学的な合理性を優先するより、とにかくバズらせることの方が「彼らにとって」圧倒的に合理的、つまり得なんですよ。  

 この問題について、僕は次のように分析しています。  

 第一に、そんな現代における最大の権力機構であるメディアに重用され、ちやほやされ、世間の注目を集め、しかも「儲ける」こともできる。  

 第二に、ヤバイと言っておけば、感染が終息した時に「煽ってくれたおかげで、感染が収まった!」と人々から崇拝されるチャンスが出てくる。  

 第三に、逆に感染が拡大したとしても「やっぱりあの専門家の言うことを聞いてもっと自粛しておけば良かったんだ……やっぱり、あの専門家はスゴイ!」ってことで、やっぱり人々から崇拝されるチャンスがある。  

 第四に、にもかかわらず敢えて、科学的合理的に考えて、あまりバズらせず、楽観的な見込みも含めて発言をしたら、それで万一感染がその後に拡大した時には「お前が楽観的なことを言うから、人々が自粛しないで感染が拡大したじゃないか!」と逆にバッシングされるリスクが生まれる。  

 こう考えると、専門家が科学者倫理を全てかなぐり捨てて「自分だけ」を考えれば、バズらせる方が圧倒的に得なんです。(本書より)

※青字はズンダ

 

と、同時にテレビ局が自業自得で窮していることにも触れられています。

 

(藤井)経済が悪化すればスポンサーの体力も落ち、テレビ局に広告料が入ってこなくなりますからね。実際、CM出稿は減少しています。  民放キー5局(日本テレビ放送網テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京フジテレビジョン) の2020年度決算( 20 年4月~ 21 年3月) によれば、次の通りです( 21 年5月 14 日、マイナビニュースより抜粋)。ちなみに、タイムCMとはいわゆる番組提供、スポットCMとは番組に関係なくテレビ局が定める時間に挿入される枠です。  

 日本テレビ放送網   タイムCM収入 3・7%減(1210・2億円)   スポットCM収入  13・5%減(1057・9億円)  

 テレビ朝日   タイムCM収入  10・5%減(752・1億円)   スポットCM収入  14・1%減(794・2億円)  

 TBSテレビ   タイムCM収入  10・1%減(784・7億円)   スポットCM収入  11・9%減(698・8億円)  

 テレビ東京   タイムCM収入 8・6%減(436・2億円)   スポットCM収入  13・7%減(229・7億円)(本書より)

 フジテレビジョン   タイムCM収入  12・8%減(795・3億円)   スポットCM収入  14・9%減(761・8億円)

 

 

 他にも、なぜ時間があったのにもかかわらず、増床していかなかったのか。

 実は政府も官僚もコロナで騒ぎすぎるのは馬鹿馬鹿しいと気づいていたのではないか。

 

 また、なぜ専門家なのにもかかわらず、ダイヤモンド・プリンセス号についての論文が一本もかかないのか、あるいは医者といってもそれぞれの専門家ごとにウイルスへの考え方が違う、などといったコロナ禍で浮き彫りになった日本の多くの問題点が指摘されており、単なる「感染者数」にしぼられていない観点を得ることができます。

 

 こういう指摘をみるにつけ、コロナ問題を【感染者】の話ばかりをしてるのはあまりに物事を狭くみてしまっていて、メディアの見識の低さが露呈しているといえるでしょう。

 

 では、またお会いしましょう。

 ズンダでした。

 

 

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本文の概要文。

 

コロナの感染者は激増しつづけている。
と、同時にワクチンも打たれており、人間対ウイルスの戦いは今日も続く。
しかし、感染者の数だけを見ていればコロナ禍を正しくみられるかといえばそうではない。そこからみえるのは日本全体の問題であった。

*1:ただし、『ゼロコロナという病』のなかでは、そもそも自粛によるコロナ感染者数の減少は統計的に有意ではない、と述べている。

 

(藤井)こうやって見ると、「自粛加速と感染収束」が一致している時期っていうのは、全体の一部で、ほとんどの期間で「自粛しているのに感染が拡大している」とか「自粛緩和しているのに感染が減っていく」っていう現象が起こっているんです。  じゃあ、両者の間に関係があるのかっていうのを統計的に検証すると、全くない、って結果になるんです! 要するに「自粛」と「感染抑制」が関連しているかどうか、を調べるには、「自粛率」と「実効再生産数(=感染者数の増加スピードのこと) の前日からの変化」の間の関連を見れば良いんですが、その相関係数っていうのを、この期間全体でとってみたら、なんと、   ─ 0・009  しかない。もちろん、これはゼロとの統計的な有意差はほぼ皆無。普通この相関係数という数値は、0・6を超えると強い相関、0・4を超えると中くらいの相関、0・2を超えると弱い相関って言うんですが、この ─ 0・009なんていう数字は、単なるゼロ、つまり、両方の数値には、な~んの関係もない!(本書より)