zunda’sblog ズンダのブログ

zunda’s blog  ズンダのブログ

読書好きな弱者男性の管理人ズンダが古典、小説、批評文、経済、実用書、ガジェット、ゲームを中心に紹介するブログです。ご覧ください。Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています。

10代、20代の若者必読!人生を棒に振りたくないあなたへ「20代で人生は決まります!」

f:id:zunnda:20210724182301j:plain

 

なぜ自分は多くの時間を無駄にしてきたのかということ。思い出にも値しないことに多くの時間を費やし、友だちと楽しんできた。何のために?二十代は楽しく過ごせたけど、八年も必要だったんだろうか?MRI検査を受けながら、パーティーやコーヒーショップで友人とたむろしていた五年間を、息子といっしょにいられる五年間と交換したようなものだなと感じたよ。どうしてだれも、きみは人生を無駄にしているぞと、教えてくれなかったんだろ?

※太字はズンダ

 

 

 

 これは臨床心理学者メグ・ジェイ(成人の発達心理と二〇代の若者の心理を専門)

のもとに訪れたビリーという人物の述懐です。

 

 彼は次のような平凡な人物でした。ただ一つの教えを信じていたことを除けば。

 

 頭がよい、大学卒の男性で、二十代は楽しんで冒険するラストチャンスだと聞かされてきた一人です。目標は「少々の後悔あるにしても、一〇〇万ものもよい思い出をつくること」でした。ところが現実は少し違ったらしく、彼は二十代での行動を大いに後悔しました。思っていたほど二十代での楽しみや冒険は重要ではなく、思い出にも値しなかったと、あとになって初めて気づいたのです。

 

 そう、彼のおかしかったところは一つだけです。


 「二十代は気楽に、自由に、人生を楽しく生きられる時間」

 

という考えです。

 

 メグ・ジェイ著『人生は20代で決まる』(ハヤカワ文庫)はビリーのような人々がメグに吐いた後悔の数々を元に作られた著作です。

 

 まるでそれは呪詛のように私たちの耳朶をうちます。
 
 ここで繰り返し語られるのは「二〇代は真面目に人生について考え、行動すべき年代であり、テキトウに過ごしていてよい年代ではない」ということです。

 

 例としてあげられる人々は口々に楽観的な人生観をメグに語り、そして、彼女のもとを去る頃には「自分のしてきたことは、人生にとって何の役にも立たない無駄なことだった」と悟り、現実に沿った生き方を選び取ります。

 

 読書中、あまりに悲しいあらゆる描写にページから目を背けたくなりました。

 

 彼らは大人から「若いときは二度と来ない」「できるうちに楽しみなさい」といわれ、育ってきたのです。


 それらが人生を誤らせる【呪いの言葉】だと知らずに。

 

 まだ若い、一〇代や二〇代の人たちにこの本を是非よんでもらいたい。

 

 人生は「可能性をみつける」ものではなく、「現実を積み上げていく」ものだと知っておいて欲しいからです。

 

 

 モラトリアムの時間は本当に必要なのか?

 

 猶予は‘何もしなくていい時間’ではない

 

 メグのもとにケイトという二六歳の女性がやってきます。
 彼女は運転免許ももってない、ウェイトレスの仕事をしていました。
 
 彼女は次のようにいいます。

 

 「わたしの二十代は麻痺してる」
 「こんなにむずかしいなんて、誰も言ってくれなかった」
 「私の二〇代はもう半分以上過ぎてしまった。友人達とレストランで座っていて、自分はこうだと示せるものが何一つないことに気づいたの。まともに履歴書を書いたこともない。恋人もいない。この街で何をしているのかさえわからない」。

 

 

文化的転換が招いた弊害

 

 この本にはケイトのような人物達ばかりがあらわれます。
 彼らはみんな夢や希望や可能性ばかりを信じていますが、これといって何かができているわけではありません。
 
 端的にいえば、目印がないまま大海を漂っている人たちなのです。
 
 しかし、どうして彼らのような人たちは増えてしまったのでしょうか。

 それには社会構造の変化がありました。

 まとめてみましょう。

 

 

・ケイトの両親が二〇歳の頃、平均的な二十一はもう結婚していて、赤ん坊がいた。
 
・学歴は高卒ばかりで、多くの人はすぐに就職して働いていた

 

・男性が働き、女性の三分の二は専業主婦だった。
一生同じ仕事を続けることができた。

 

・中程度の家は約六〇〇万円ほどで買えた。

 

 

 

 という時代でした。

 

 ケイトの母親の時代が何年代かははっきりかいていないのですが、おそらく一九六〇年代ぐらいまででしょう。

 

 第二次世界大戦が終わった後、ヨーロッパやアメリカ、日本などは福祉国家的政策をとっており、中流階級が形成された時代でした。

 

 しかし、この後の世代は正反対の人生を送るはめになります。

 

 

・二〇代での結婚は二〇〇〇年までにケイトの親の時代の半分。
 子供がいる層は更に現象。

 

・就職も不安定になり、二〇代の四分の一が失業。別の四分の一が非正規かパートタイムの仕事にしかつけない。
 インフレ率を考慮すると実質賃金は低くなっている。
 

・仕事も二〇代は一〇年間で5つほど仕事をかえている。

 

 

 

 というように、そもそも恋愛、結婚、子供をもつことの難易度が上昇しているのが今現在のアメリカなのです。

 

 日本だってアメリカと同じ

 衰退国・日本にすむ若者の人生設計とは?

 

 もちろん、これは日本も同じです。

 

 巻末の解説者、幅崎麻紀子氏の文から抜粋します。

 

 一九五〇年生まれの女性達の九五%が結婚し、そのうち九二%以上が子供を産み育ててきた状況、そして同世代の九〇%弱の男性たちが結婚し、そのうちの九二%以上が子育てをしてきた数値からは、普通に暮らしているだけで、「就職して、結婚して、子どものいる」人生を手に入れることができた時代であったことがわかります。

 

 そして、これは今の世代の人生設計と変わらないと述べています。

 ですが、彼女はこの後に厚生労働省(平成二五年版)の推計から次のように述べています。

 

 

二〇〇〇年生まれの女性の三〇%、男性の四〇%が生涯単身生活を送り、結婚をしたとしてもそのうちの八割程度しか、子どものいる暮らしをしていない将来像を予測しています。
 つまり、普通に暮らしているだけでは、ほとんどの若者が、希望する人生を手に入れることができないのです。

 

 

 なんということでしょうか。
 
 若者達は皆が結婚し、子供を持っていた頃と変わらない人生設計を画いています。

 が、それはできないと推計されているのです。

 

 日本の若者は人生を作れない状態にある-公教育で恋愛について教えたほうがよい-

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 

 次のように考えられています。

 

・大学進学率の上昇
・就学年数の長期化に伴い、初婚年齢が平均三〇歳に近づきつつある
・雇用の不安定化。非正規雇用の増加。
・そもそも、日本では公の機関で「恋愛の仕方」や「結婚」について何も教えていない。自然にどうにかなると思われている。

 

 といった理由があげられています。

 特にお見合い制度が崩壊し、恋愛結婚が主流となった今、自由恋愛のせいで「異性と付き合ったことのない」人たち自体が増えています。

toyokeizai.net

 

 これでは結婚どころではありません。
 そのため、学校などで恋愛教育や結婚適齢期について教えることは間違っていないでしょう。

 

 たとえば幅崎氏はとある学生達に「女性の自然妊娠力は三〇歳頃から低下し四〇歳を超えると不妊治療に出産率は一〇%にも満たないこと」などを話しました。

 

 すると、三〇代後半に出産を予定していた女子学生などはびっくりしたと伝えています。

 これは当たり前のように思えるのですが、しかし、当たり前のことでも誰からも聞かなければ知らないままです。

 

 こういった知識を与えることは選択の自由にとって必要不可欠ではないでしょうか。
 
 知識を与えられた上で、人々は選択していくからこそ、満足感をもって進んでいくことができるはずです。
 

toyokeizai.net


 
 人生はこうしたライフ・プランをしっかり練ることが大事なのです。

 人間の肉体がまるで老化しないなどという妄想を振りまき、若者の現実感を狂わせることは許されないはずです。

 

 人間は年齢でやるべきことが制限されている存在だと知れ

 夢を見させたメディアたちの責任

 

 メグ・ジェイの本にもどりましょう。

 彼女は大きくわけて「仕事」「恋愛」「脳と肉体」について語っています。

 

 なぜかといえば、人間がいきていくうえで、必ずなければならないのがこの三つだからなのです。

 

 「仕事」がなければご飯もたべられないし、恋愛も結婚もできません。
 正規雇用なども二〇代までならどうにかなりますが三〇代になると相当厳しくなってきます。

 

 いい相手といい「恋愛」をしなければ、当然、結婚もうまくいきませんし、子育ても順当にはいかないでしょう。

 

 更に、脳や肉体の成長と衰えの問題があります。
 私たちは三十代になると、精子卵子が劣化します。 
 精子が劣化すれば、発達障害ダウン症の子供がうまれやすくなり、卵子が劣化すれば不妊や流産などの確立が高くなります。

 

 また、年をとって子育てをすれば、今度は親の介護と育児に挟まれる、苦労するはめになります。

 

 そう考えると、私たちには「年齢制限」があるのです。

  

 

 この本でメグ氏が批判していたのは馬鹿な夢をみさせている大人達の言説でした。

 引用します。

 

 二〇代はどっちつかずの時期、というのがいまはほぼ定説になっています。
 二〇〇一年、「エコノミスト」誌は「ブリジット・ジョーンズ・エコノミー」と題する記事を載せ、二〇〇五年一月の「タイム」誌の表紙には「トゥックスター(青少年期と成人期のあいだで違和感を持つ若者。経済的にも独立してない一八歳から二〇代が典型)に会う」という見出しが躍りました。両方とも二〇代はお金も自由に仕える時期だと読者に伝えました。二〇〇七年ごろまでには、二〇代は長期にわたる冒険と放浪の時期であるというメッセージがいきわたりました。そしてメディアや研究者は、キダルト(子供大人)とかプレアダルトとか万年思春期(adultescent)といった呼び名で二〇代を呼ぶようになりました。 

 

 二〇代の一〇年間は思春期の延長だという人や、新生の成人期と呼ぶ人も出現しました。大人になるための時間割の変化によって、本来なら成熟するために努力しなければならない二〇代は、「まだ完全に大人ではない」者として成長の機会をうわばれ、退化させられてしまいました。ケイトのような二〇代は、そういったまやかしに躍らされたとも言えるでしょう。甘いメッセージの多くが、大人の人生をつくる一番大事な一〇年の価値を低下させてしまったのです。

 

 こうした時代をすごした二〇代は中盤や後半、果ては三〇代、四〇代になってから、過去を振り返り、痛哭しています。

 

 メグの下へ来る患者らは、自分たちがこれらの甘言に乗せられて、二〇代という自身を成長させる時期を漫然といきてしまったのでした。

 

 しかし、この問題はアメリカに限ったことではありません。

 

 私ズンダが、当ブログの中で何度となく述べてきたように、日本もそういった風潮がたしかにあったのです。

 いや、今もあるかも知れません。

 本屋に並ぶ数々の自己啓発本やビジネス系youtuberに影響を受けて、どれだけの人が夢をもち、散っていたのでしょうか。

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

 雑誌やテレビなどもそうです。
 フリーランスなどと騒がれていますが、アレで生きていける人は殆どいません。

「夢をもとう」
「努力すればなんとかなる」

 

 こんな歯が浮くような言葉ばかりを並べています。

 しかし、これらは現実ではありません。

 

 

zunnda.hatenablog.com

 

 

 

 

 三〇代の人はもう助からない。けれども・・・

 

 ですが、一〇代や二〇代のそこのあなたには知っておいてほしいのです。

 

 現実に生きるとは夢をみることではない。

 現実をひたすらに見続けることだと。

 

 そして、三〇代や四〇代の親御さんは自分たちの子供がありもしない空想にとりつかれないようにしっかり教育をしてください。

 

 あなたがたが地に足の付いた言動をしていれば、子供達は冷静に理性的な選択をするはずです。

 

 そのために、今回紹介したメグ・ジェイ『人生は二〇代で決まる』を私ズンダはすすめたいと思います。

 

 では、またお会いしましょう。
 ズンダでした。 

 

  ↓時間をとりもどしたいあなたへ。充実した人生を組み立てていきましょう。

zunnda.hatenablog.com

 


 

 
 
 ↓マイケル・サンデルによる『実力も運のうち 能力主義は正義か?』などもどうぞ。

 メグのいっている暗澹たるアメリカがどういった思想的潮流のもとでつくられたかがわかるはずです。
 

 

↓自分の人生をどう生きるか、予定表をたててみませんか?

この本は、メグの本をよみ、ライフ・プランを立てようと考えたあなたにとっておきの本です。自分の人生について考えてみてください。