とつぜんですが、江戸時代の一般庶民がどんな性交をしていたか気になりませんか。
私たちは普段の生活でも男女の交わりについて見聞きしています。
テレビのワイドショーは芸能人の不倫や恋愛ネタであふれかえってます。
女性誌『anan』ではセックス特集などをよくしていますね。
では、江戸の人たちにとって性交とはどういった意味をもっていたのでしょうか。
今回は沢山美果子『性からよむ江戸時代』(岩波新書)を紹介します。
ヤリまくる俳諧師、小林一茶
『七番日記』という性交記録
痩蛙まけるな一茶是に有
という俳諧を教科書でならった人もいるでしょう。
芭蕉、蕪村、一茶といえば日本三大俳諧師です。
その一茶は、五二歳のときに二八の菊という女性と結婚します。
四八から五六歳(文化七年正月~同一五年一二月)までの書かれた『七番日記』は句帳であり、妻である菊との性交日や回数が記してある帳面です。
性交ー快楽のためか子作りのためかー
子供を育てることは険路であったー短命なる人生ー
始めに述べておくと、一茶は性交に励んだ甲斐もあって三男一女に恵まれます。
しかし、全員約二歳未満で死んでいます。
発育不全や疱瘡や窒息死、下痢のためです。
この時代において、子供が産むことも、育てることも困難でした。
本書から鬼頭宏氏の引用を孫引きします。
江戸時代には、死ぬ子ども、出産で死ぬ母、家を継ぐ子どもを亡くす親も多くいた。 歴史人口学の研究によれば、出生時の二〇%近くが一歳未満で死に、五歳までの幼児の死亡率は二〇~二五%であった。出産はといえば、江戸後期の出産の一〇~一五%が死産、産後死と難産死は、二一歳から五〇歳の女性の死因の二五%を上回っていた。平均余命は、階層、身分差があるが、男女ともに、一八世紀には三〇代半ば、一九世紀には三〇代後半。平均余命が五〇・一歳、女五四・〇歳と、初めて五〇歳を超えるのは、第二次世界大戦後の一九四七年のことである。(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史)』
鬼頭氏の著書によれば江戸時代、人々は三〇代ほどで死んでいたそうです。
更に出生時の二〇%が一年未満で死ぬことを考えれば、一茶にかぎらず、多くの人々にとり子供を産み育てることが、どれだけ大変だったかわかりますね。
精力剤と性指南書
初めの子、千太郎を失った後、一茶は二人目の子供を作るために精力剤である「黄精」や「婬羊かく」を求めて山に入り、八月十二日から二一まで、妻と連日のように交合します。
その数、計三〇回です。
五〇を超えている彼は、たった九日間で三十回も行為に及んでいます。
驚くべき回数で、これだけみると、一茶の性欲の強さに唖然とします。
または長男を亡くした悲しみからなのでしょうか。
しかし、一茶が単なる性豪だったからではありません。
ここに当時流行っていた性交指南書の影響がみてとれるからです。
月水と懐妊
元禄五年(一六九二年)に初版本が出て以降、増補され続けた本があります。
『女重宝記大成』といいます。
この本には女性の懐妊には月水(月経のこと)が関係していると説明されております。
「月行(月経)は三十時を定数にして・・・・・・月候(月経の兆候)すでにつきんとする二十八九時が、子を孕むべき佳時也」とあります。
つまり、月経が終わった後に性交をすると妊娠しやすいと考えられていました。
また、一茶の住んでいた信濃国の北安曇郡会染村で発見された明和九年(一七七二)の『神秘命伝』には、
「月水の後の、七日に、はらむものなれば、一四日を過ぎて、ことを行えば、子なし」ともかいてあります。
月経の後、七日間に女は子供を孕む可能性がある。しかし一四日をすぎたら、孕まない、というわけです。
奇しくも一茶の性交は月水の終わった八月八日から「子なし」とされる八月二二日の前で終わっています。
要するに一茶が三十回も性交した理由は性欲だけではなく、当時、流布していた本の影響下にあったというわけですね。
しかし、こういってはなんですが、どうして一茶はここまで子供をほしがったのでしょう。
現代人には分かりにくい理由がまだありそうですね。
実は江戸時代の中葉から、上流層の結婚観が下々まで広がっていったことがわかっています。
江戸時代に始まる「家制」
家族をもつことが当然の社会へ
さて、江戸幕府は一八世紀末から一九世紀初頭に人口増加策を打ち出します。
事の始まりは犬公方として有名な徳川綱吉の「生類憐れみの制」の第一条「捨子禁止令」です。
捨て子の養育について発見者や村や町などの共同体で責任をもつべきだとしました。
地主や大家などは地借、店借が妊娠した場合は届け出をさせ、出産、流産、三歳未満の乳幼児の死亡、また養子に遣わす場合は帳面を作成することとなりました。
こうすることで人口を把握するための人別帳の確立にも寄与します。
その後、明和四年(一七六七)には間引きは「不仁」(=人の情にはずれた行為)というお触れが全国煮出されました。
こうして堕胎や間引きを禁ずることで人口の増加をはかったのです。
同時に幕府による「性と生殖への介入」が進行していきます。
所謂、「生権力」*1ですね。
更には天保一四年になると、縁談願いなく婚姻したり、懐胎届・出生届を出さないことを咎める触れも出されます。
「養生論」の展開と一般層への啓発
貝原益軒の『養生論』は有名な書物です。
今でも医学関係の新書や単行本などで引用されることも多い。
この本の中には禁欲を説いた項目があり、無闇矢鱈と男女が繋がりあうことは長寿を害し、寿命を縮めると述べ、禁じているのです。
ところが、これもまた江戸後期の一八世後半に至ると、この手の実用書が形を変えながら民衆一般に広がっていきます。
それは「家」を維持、存続させるための教諭本として機能しました。
『長命衛生論 上之巻』(本井子承)や『養生弁』(水野沢斎)にはこんなことがかかれています。
・性欲によって夫婦関係が壊れてはならない。
・子供をつくるために性行為はある。
江戸後期において、性交の是非は快楽や長寿ではなく、あくまで「家」を維持することにあったのです。
前述した小林一茶の性交も、この文脈において位置づけることができるでしょう。
「家」意識が民衆の間にも広がる
こういった幕府の政策により「婚姻・性・生殖」が一致します。
つまり、結婚し、性交し、子供を育てるということが一繋がりになったのです。
それまでは、婚前交渉や婚外子を問題視する庶民はそう多くはなかったのです。
あくまで武士や上層農民が「家」と「家」との婚姻を重視し、結婚前の男女の性交を禁じていただけでした。
本書では倉知克直氏の『「男女和合」』(「性を考える」ーわたしたちの講義所収)をひいて次のようにいっておられます。
夫婦が労働の基本的な単位であった民衆の間では、「嫁は社会的経験を積んだ即戦力であることが期待され」、結婚年齢も上層の人々に比べて高く、結婚前の「自由」な性関係が認められ、「性的関係と結婚とは全く別のもの」であった。(太字はズンダ)
というように農村と武家や上層農民とでは性的な意識が異なってたのです。
婚姻せずに恋人関係になることを「姻合い」や「両人之相対」「ころび合」とよんでいました。
都市下層の人たちは縁談をこばむこともあり、「馴れ合ひ夫婦」などになります。
さて、こうした政策が進んでいくと、若者は性行為を易々と行えなくなります。
いちいち結婚しなければいけないからです。
かくして性欲をもてました若者達が増加し、町場の遊所が盛んになっていきます。
この辺りの性売買については割愛しますが、気になる方は本書の第四章をどうぞ。
江戸の性意識を明治政府も引き継ぐ
江戸時代までは妊娠や出産管理政策は村役人を筆頭に、共同体を媒介して行われていました。
明治になると近代国家による直接的な支配が主となります。
そのときの基礎単位が「家」です。
明治政府は明確に「家」制度を眼目に置いて制度設計をしていきます。
政府は結婚や子供などへの性意識を変えるために次のようなことをやっていきます。
・明治元年(一八六八)、堕胎や堕胎約の販売を禁ずる。
・明治六年(一八七三)、「私生児」の規定が明確に。産んだ女性が育てるべきとされる。
・明治八(一八七五)、法律婚主義へ。・明治一五(一八八三)、堕胎は犯罪に。
こうして、現在生きている私たちにとって常識になった制度が組み立てられていったのでした。
江戸時代は性に「おおらか」?
「おおらか」な層や時代はあったが……
さて、江戸時代について書かれた本を読むと「江戸人は性におおらかであった」という記述をよく目にします。
この本でも引用されていますが、社会学者の赤川学氏は次のようにいっておられます。
近代日本における性の変容を論じる民俗学者・社会史家・社会学者・社会評論家には、現代でも広く共有される歴史的<常識>が存在するように思われる
今回紹介した本の著者である沢山氏はこれを引用し、次のように述べておられます。
江戸時代の性は「おおらか」という私たちの常識の問い直しを迫る。仲人を立てた婚姻以外は不義・密通とし、婚姻内の夫婦の生殖のための性を特権化する婚姻・性・生殖の一致という性規範。そうした性規範は、家の維持・存続への人々の願いを媒介に民衆のなかにも入り込んでいった。
実際、本記事でもみてきましたが、江戸時代は階層によって性的な規範が異なっていました。
・武士や上層農民は「家」のための結婚
・農民を代表とする一般層は自由
江戸中期から幕府の政策が変化することで、それが庶民達の思想や行動にも影響を与え、上層の人たちの生活様式へと変容していくわけですね。
すると「おおらか」だといっても、実態は徐々に「きびしく」なっていったといえるでしょう。
この本はそういった江戸時代を語る際の「おおらか」という認識に疑問を投げかけているといえるでしょう。
終わりに
江戸時代の性についての本を紹介しました。
第一章と第五章を中心にまとめた記事です。
このほかにも「不義の子」や「堕胎」や「性売買」についても書いてある本なので、興味のある方はぜひご覧になってください。
↓ちなみにちくま新書『近世史講義』は江戸期の女性がどんな活動をしていたかを中心にまとめた本になっている。以前、紹介したが、こちらも実に面白い。
では、また。
ズンダでした。