飯を食った後、本屋に寄った。
寄ると何かしら買わないと嫌な気持ちになるから、なんでもいいので買ってしまう。
急いでいたから適当に一冊だけレジへもっていった。
それが『芥川龍之介書簡集』である。
友達に宛てた手紙や漱石に送った手紙、文ちゃんという芥川の将来の嫁になる片恋相手への手紙が入っている。
私は立ち読みでぱらぱらめくって買うことを決めた手紙は大正四年十二月三日の井川恭にあてたものであるが、これなど何が感心するかというにまだ小説家として一本立ちする前の芥川の心境が書かれているからである。
曰く、「ロシアの作家なぞは『戦争と平和』のような作物が前にあると云う事によって悲観しないでいられるのだろうか。
などという屹立している近代西洋文学への恐れなぞは当時の作家はだいたい悩んでいたことじゃなかろうか。
これに匹儔する丈けの文学を作れるかどうかなんて、ちょっと自分には思いもよらないというのは確かにそうで、トルストイだのドストエフスキーに敵うなんてやはり今の時代でもムリっぽい。
もちろん、現代の日本作家はこの明治大正と違って、金銭的に恵まれているから長々とした悠長な文学を書くことも売れてしまえばらくらくとできるのだけれども、しかし質が匹敵するかといえばそうでもあるまい。
西洋人のしつこさは異常で、肉を食ってるからとか性欲が多いからとかいろいろ言われているが、もう性質が違う人間なのだろう。
芥川の恐れは自殺するときの「ぼんやりとした不安」というやつがすべてで、結局は彼は短編小説しか書けなかった。
モーパッサンを甚く買っていることも性癖からだろう。
まあ、モーパッサンを褒めない作家などほとんどいないが。
それにしても、芥川の書簡を読んでいると、現代文を読んでいる気分である。
教科書で古文の教科書と現代文の教科書とを分ける理由は、明治以降と明治以前だというのを高校のころに先生に聞いたことがある。
関係ない話になるが、先生は筑波大の先生だったから相当に優秀だった。女の人で、太っていてコロコロしていたから皆からバカにされていたが、今思えば、相当な文学通だったことは秋毫も狂いはないと思う。
学校で、漱石の『こころ』を読まされた時、先生に「どうしてKは自殺したのか」と問われたことがあって、何か答えた記憶がある。
その回答は記憶してないのだけれども、その回答自体はいま自分があまり好きではないテクスト論に沿ったものであった。先生は当然、テクスト論のことは知っていただろう。けれども、テクスト論のことは何もいわれなかった。
芥川の書簡の話に戻るけれども、彼の書簡集は読みやすいけれども、ところどころに出てくる外国語がうざったい。
外国語が頻繁にでてくるのはこのころの手紙の時代性を表しているし、一概に弊だとも言えないが、少し辛かったりする。
というのも、芥川は英独仏の単語をどっからかもってきて利用するのだけれども、こちらは英独はわかっても、仏に関しては素人なのである。
だから、仏単語をいわれるとちと意味がつかめない。不学者だと言われればそうだし、そもそも書簡なんて個人にしか見せないものだから言葉自体、仲間内に通用するものだったのだろう。
だから、そういう部分にも注釈がほしかったりもする。
しかし、そんな芥川の文章もうんざりするほど易しくなりすぎるところがある。
それが文ちゃんへの手紙である。
この女性に対してやたらに文章を簡単に書くところ、しかも、まるで子供相手に文章を書くところなどは実に自分のことを見ているようなので興味がある。
というか、わたしの女性に対してのメール文は基本的に芥川の恋文をその昔に読み耽ったことがあって、文豪でも女性に対してはこういう柔らかい文章をかいているんだと知ったからなのである。
つまり、わたしの恋文は芥川譲りなわけだ。芥川もまさか自分の「恋文」を真似する人間が出てくるとは予想できなかったのではないだろうか。
といっても、この芥川譲りの文を書いても、あまり受けはよくない気がしている。
女性本人もなにかバカにされている気がするのではないだろうか。
なにかベタな感じがするのである。ベタベタな定型文なのである。
そんなことで、情けなくなるほどに女性への文はマヌケな隔たりのない文になっていて、読み返すと恥ずかしくなる。
芥川の文ちゃんへの手紙を読んで、なおのことそうおもえてしまった。自分の文をみているみたいで。
汗顔の至りである。