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管理人の日誌 3

雨がひどいですね。僕の住んでいるところも一日中ふっていました。

雨潸潸と、という歌詞が浮かびます。何気なく難しい字だとおもいますが、

戦前の人間からすればこういった漢文脈の言葉はたいした難字ではなかったはずです。

戦後の日本人でも漢文の授業はあるわけで、そこでいくらでも難しい字を僕らはみているはずですが、当然、覚えようとしなければ意味はありませんね。

もし受験生がこのブログをみていて、漢文で点が取れない場合は句法だけにかぎらず

熟語を押さえていった方がいいです。やはり語学の基本は語彙力にあるので、句法だけでは問題を解くことが困難な場面にであうことはかなり多いはずです。

かくいう僕も受験生のとき、一ヶ月ほど漢文の勉強をし、八割ぐらいとれるようになったのですが、どうも点数が落ち着かない。その原因を調べてみると、語彙が足らないので句法だけではカバーしきれなかったのでした。盲点ですね。

 

さて、今回のブログは漢文の話をしたいわけではなくて、ジムへいってぐるぐると歩いていたら色んなことをおもいだしたわけです。

僕の人生を皆さんがどう思っておられるのかわかりませんが、普通の人と比べると退屈な刺激のない人生だと思います。といっても、多くの人もグーグル検索ではかってみると、刺激のない人生を送っておられるようで、人間はそんなにかわらないのかもしれませんが。

 

僕の人生の決定的な瞬間というのは何回かあります。

近年だと2017年です。ここには明確な分水嶺があります。

ですが、実際のところは2015年ぐらいから徐々に根腐れが蔓延していったようです。

 

ふりかえってみますと、

2015年 英語の勉強のしすぎでか、4月、耳が痛くなり半年間、通院。聴覚検査の結果、耳の聴力が一時的に落ちていることが判明。特別なにかあるわけではなかったが、薬をもらいつつ経過観察。その後、痛みや聞こえにくい症状は消え失せてた。完全に治ったのは2015年の十二月ぐらい。

 

理由はリスニングをイヤホンできいていたことにあるとおもわれる。一日三時間から四時間ほどきいていた。以降、SONYのラジカセで勉強していた。

 

2016年 二月頃に某ブランドの春物の鞄を買い、ウキウキしていた矢先のことであった。この鞄を買った数週間後に別の某ブランドがデパートに臨時的に店をひらいており、そのとき、フクロウや野生の動物がかかれたシャツを買う。八階の喫茶店は母と喫茶店でコーヒーを飲みながら、歯が痛いことを話す。この歯は2007年、虫歯が酷くて神経を抜いていた歯であり、実は2007~2009年までこの歯痛にずっとなやまされていたのだが、歯医者の機転により完治し、2009年から2016年まで歯に関しては悩むことなく過ごしていた。

 ところが2016年、再発。結局、大学病院で治療して貰うことになり、これも直るまで半年かかるという時間泥棒。三月から十月まで痛む。

 

 というふうに、実は2017年に辿り着くまでに連続して何らかの病気にかかってしまい、相当につらい目をみていたのでした。この間、生きることが辛く、なんでこんなに自分の体は弱いのだろうと嘆くこと頻りで、悲しくてしょうがありませんでした。

 

 2017年になると四月ぐらいに歩いていたところベトナム人の自転車に轢かれ、病院にくはめに。まあ、これは特に問題がなかったのですが、2017年7月になるともっと大きな問題が発覚し、半年間の間、病院をいったりきたりするはめになります。

この問題も今では解決しておりますが、当時は半狂乱になり、とても普通に生活できませんでした。

 

 2018年 もろもろ問題はありました。左下の歯が今度は痛くなり、これもまた完治するまで一年以上かかってました。が、2017年の因果がむしろ曇りをあたえてました。

 

 2019年 今年六月です。ここにきてようやく体調が万全になりました。今のところ耳も歯もいたくありません。が、もともとの病気である過敏性腸症候群は治っておりません。この病気は宿痾とみて、新しい薬が誕生するまでつきあっていくしかないのでしょう。ちなみに、イギリスのほうで新薬がつくられているという話をききましたが、どうなっているのでしょうか。試してみたいです。

 

 と、こんな感じで、僕は満身創痍なのですが、ここ一ヶ月で体調がよくなり、人並みに活動できるようになったと自負しております。故に、ブログの更新やyoutubeなどもかなりヤル気がでているというわけです。

 ここ数年で思ったことは、人間は少しでも体の具合が悪いと、何も出来なくなるということです。人はある一瞬の間は人に対して笑顔をみせることができます。

 けれども、それは一瞬だけなのかもしれない、と想像してみることは大事です。

 

 その人は精神や身体が健康ではない可能性もあります。友達と遊んだ数時間は元気なふりをしていたり、気を張っていて痛みを感じないだけかもしれません。

 僕もここにきてようやく一期一会の意味を噛みしめるようになりました。

 若い頃は人生の時間が無限に感じられるのですが、それは死を意識していないからです。

 

 実際の所、物事はどんどん流れていきます。

 世俗的なことを考えてみましょう。

 youtuberがいます。そのyoutuberは数年前までは確かに馬鹿にされていた存在でした。しかし、この二年ほどで評価は全くかわっております。

 むしろ、誰もがyoutuberを認め、誰もがyoutuberになろうとしているぐらい勢いがあるのです。

 これを数年前の僕たちは想像できたでしょうか。残念ながら僕にはムリでした。

 が、確かに流れはあったのです。実はこうやって毎年、毎秒ごとに多くの多様な流れがぼくらを囲っています。それに気づくか気づかないかは今日のような雨の日に、睫に憩う過去達を思い出さないと発見できない物です。僕たちは過去になってはじめて、価値があった多くのことに思いを馳せることができる。過現未を意識できない存在なんですね。

 

 そして病気がちな僕ですら、そういば2012年、地元にかえってきて以降、色々あったなあとしみじみと雨降るなか、思い出していたのでした。

 なんにせよ時間が流れるのは一瞬です。若い人には信じられないでしょうが、僕にとって一ヶ月間というのはほぼ三日程度の長さにしか感じられません。本当にそうなっていきます。

 歳を取ると死ぬことを考えることすら許されないほど死が近づいてきます。

 

 つらいこともたのしいことも一瞬なのが救いなのかもうわからないぐらいです。

 

 というわけで、何か機会があったら、ぜひ、友達や恋人などと健康な間に精一杯たのしんでほしいなあと思います。そのときしかないのですから。

 

 終わり。

 

ちなみに日本人にとって漢文がどんなものであったかを軽く知りたい方は以下の書物がおすすめです。

 

 

 

漢文スタイル

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