宮崎哲弥『100分de名著 小松左京スペシャル』(NHK出版)
NHKで古典文学や哲学の名作を取り上げている番組、それが100分de名著と呼ばれるものです。
この番組は一人の作家や一つの作品を毎週一回ずつ、計四回に渡って紹介する大人気番組です。
そして、その内容を説明したテキストを必ず放送一週間ほど前に発売しています。
放送日は七月一日午後10時25分~10時50分/Eテレ
今回わたくしが注目したのは宮崎哲弥が解説する「小松左京スペシャル」です。
小松左京といえば言わずと知れた戦後日本SF界の御三家の一人です。後の二人は筒井康隆、星新一です。
非常に多くの作品を物し、江湖の読者や知識人たちに影響を与えた人物といわれております。
近年、有名な人ですと思想家の東浩紀が小松左京を愛読していたということで、河出文庫のほうから『小松左京セレクション』を編集しておられましたね。
この本のなかで取り上げられている作品は以下の四つです。
- 『地には平和を』(1963年)
- 『日本沈没』(1973年)
- 『ゴルディアスの結び目』(1976年)
- 『虚無回廊』(1986年)
当ブログでは『虚無回廊』の章は読者の皆さん方にお任せし、上の三つまでの感想と紹介にとどめます。
『地には平和を』の書かれた理由とその内容
戦中世代のみる戦後
『地には平和を』は戦後復興を遂げつつあった日本において、小松が戦前日本を回想してつくりあげた作品です。やはり、小松は戦中世代ということもあり、日本の戦争について諸々考えることがあり、憎らしく思っていたのでしょう。
一九四五年八月十五日に陸軍がクーデターを起こし、戦争を続けさせようとします。これを「宮城事件」といいます。*1。
さて、この「宮城事件」史実に於いては失敗に終わるのですが、小松はこれが成功した場合の歴史を『地には平和を』で描き出します。
物語は主人公が敗走し、自害するはめになったところで急転直下、時間管理局というタイムパトロールをしているTマンが現れ、「この歴史はまちがえている」といい、主人公の自裁を止めるところで一気に盛り上がります。
実はこの歴史改編は未来人アドルフ・フォン・キタによってもたらされたものでした。
彼は多くの史実とは異なる世界を作り上げていました。その理由を次のように述べます。
日本の場合、終戦の詔勅一本で、突然、お手あげした。その結果、戦後かれらが手に入れたものは何だったか?二十年をまたずして空文化してしまった平和憲法だ!
すなわち、戦中世代にありがちな「なぜ戦後日本人は一斉に平和主義、アメリカ万歳に転向したのか?」という問題を突きつけるために書かれた小説というわけです。
SFによくある時間移動を利用して、戦後日本批判につなげる作りとなっているわけですね。
他にも戦争作品がある
この後に書かれた『戦争はなかった』も同じような系譜の作品です。
小松は「戦争がなかったら、僕はSF作家にはなっていない」と述べています。
宮崎がいうには「戦争という経験すら、その内側において相対化できるSFの可能性が示唆されている」
小説は事物を相対化させ、我々に何かを喚起させる
この「相対化」というのは非常に大事なことですね。
我々は直接的に誰かから批判されてしまうと、それが正しい理屈であれ素直に受け入れられないことがあります。
ところが、小説はこういった「相対化」を通して私たちの物事へのまなざしを多角化させ、「もし、こういった状況だったら、自分はどうおもうだろうか」というのを想像させる力があるのですね。
相対化の例 安楽死を書いた「デスハラ」という漫画
例えば、先日、一種のSF的な発想力をもってかかれた作品 吉田より『デスハラ』(death harassment)という話がTwitter上にあげられました。ちなみに当ブログでも安楽死についての賛否両論をまとめた記事があります。ご覧ください。
この作品の醍醐味は安楽死というヨーロッパ諸国やアメリカの一部の州で合法化されている尊厳死を日本で導入した場合、どんなことが起こるのだろうか、といった作です。
この物語への反応は概ね次のようなことでした。
「自分が歳をとったときに、子供や孫や社会から、『早く死んだら?』といわれる可能性があることを想像させられた」
というものです。
これこそ作品による「相対化」の典型です。
我々はそれまで「安楽死」について考えたことが一度か二度ぐらいあるのではないでしょうか。
特に日本は少子高齢化社会です。
多くの人たちが自分の父親や母親、あるいは祖父母などを介護した経験がある。もしくは将来かならずそうなる未来が待ち受けています。
そこで安楽死について考えます。
認知症になった人や治すことの出来ない病に冒された人々は死んだ方がいいのではないだろうか?
それも合法的に、安らかに眠れるように。
なるほど、ここまでは人としての尊厳や思いやりから来る安楽死への肯定派の意見ですね。
しかし安楽死が導入された場合、他に何か問題がないだろうか。各個人において、各世帯において、何か起こりうることはないだろうか?
それがこの漫画「デスハラ」でかかれたことです。
安楽死が当たり前になった世界が舞台の漫画「デスハラ」は主人公が自分の孫から
「おばあちゃん、いつ死ぬの?」
という衝撃的な一言を言われます。
この一言こそが、「相対化」のはじまりです。
我々読者は「おばあちゃん、いつ死ぬの?」という無垢な子供の一言にドキリとさせられるわけです。
通常、祖父母と孫との関係は静穏な柔らかなイメージがありますでしょう。町を歩いていても、高齢者が孫と一緒に仲良く散歩したり、面倒をみたりしている様子は幾度となくみたことがありますし、私たちの高齢者と孫との関係は「いつしぬのか?」といわれるものではありません。
ここにおいて、初めて私たちは安楽死を我が事のように受け入れられるようになるわけです。
単純な話、こんなことを孫からいわれたと想像するだけで嫌な感じがするでしょう。
安楽死を肯定することは、もしかすると、こういった社会からの「死ね」という同調圧力を引き起こす物なのかもしれない、とそこで想像できるようになる。
これは非常に大きいことです。その人本人の考えがくるっと手のひらを返すように変わるわけですから。
先ほども述べたように、直接いわれても変わらないことが変わるわけです。これが「相対化」の意味と価値ですね。
戦後批判とは何だろうか
私、ズンダのやっているズンダチャンネルでも批評家である坂口安吾が辛くいっていた話と同じです。
しかし、この手の戦後日本人批判は小松左京だけがやっていたのではないことに注意がいります。太宰治や三島由紀夫や、あるいは左翼といわれている大江健三郎もやっています。そして他にも数多の名も知れぬ日本人が恐らくこういった気持ちを抱いていたのでしょう。その後、六十年代に入り学生運動という形でそれは結実してしまいます。
そして、代表作『日本沈没』が完成
戦後の問題を小説にした小松はその後、彼の作品のなかでもっとも有名な小説『日本沈没』を書きます。
客観的な『日本沈没』のすごさ
凄まじい成果を上げた作品だといえましょう。
内容は地震によって日本列島が沈み込み、世界から消えてなくなるという話です。
なぜ日本を海に沈めたのか
さて、小松は日本を沈めた理由を要約すると、次のようになります。
「戦後復興しはじめて、日本人が戦前のことを忘れて、陽気にたのしんでいることに不満といらだちを感じた」
戦中世代によくある感情ですね。苦労した人間が苦労していない人間をみると腹が立つ、という感情です。
戦中世代の心情察するにあまりあるのですが、戦後二十年も経てば戦争を知らない世代が続々と増えていき、何も感じなくなるのも当然ともいえます。
我々は子供の頃の記憶や想い出は鮮明に覚えていても、その後のことはたいして刺激がなく、はっきりしないものです。
小松はそういった傲慢だったり無知な日本人が繁栄を受け止めている姿に怒り心頭に発して日本を沈没させてしまったといえるでしょう。
この動機に何処まで納得できるかは各個人でわかれるところでしょう。
「日本沈没」の本当にすごいところは?
『日本沈没』の価値はその博捜にあります。
宮崎は次のようにいいます。
「地質学、地震学、火山学、惑星科学から潜水工学、社会工学、政治学、文化人類学、民族学まで、幅広い領域の、当時としては最新の知見が随所に盛り込まれ、作者の博捜ぶりに舌を巻きます」
これは当時の小松が大阪万博の委員になったことと関係があります。
ここで小松は京都大学の人文科学研究所や霊長類研究所などの学者たちと接点をもち、一緒に仕事をしていくなかで、上記の知識を得ていくことができたのでした。人脈形成が「知脈」形成にもつながったということです。
これにより『日本沈没』の筋書きは単純だが、描写の現実感は逞しい小説になったというわけです。
小松左京の宇宙への関心
結び目になにをみるのか
1976年に『ゴルディアスの結び目』という作品が
上梓されます。
小松左京の宇宙への関心が高まり、できあがった作物がこの作品です。
小松はこれを手がけた理由を次のように述べます。
神とか仏とかそういうのを全部、一種の止揚をすると、宇宙になるだろうとおもう
小松は中学生時代にイタリアのダンテ『神曲』を熟読玩味し、はまりにはまったと述べています。
小松のなかでは天使や悪魔の存在、神などの問題が最終的に宇宙という神秘の問題を解くのに必要になってくると考えていたのです。
むしろ、小松は『神曲』をかきたかったのでは?
この本のタイトルにある「結び目」とはそういった神秘の謎を解こうという小松の意気が感じられますね。
その謎解きが上手くいっているかは定かではありませんが、私はむしろ描写に『神曲』の匂いを色濃く感じ、小松は現代版『神曲』を残したかったのではないか、とすら思えるのですが。皆さんはどうお感じになるでしょうか。
終わりに 人間味のあるSF作家 小松左京
本書を読んで私が思ったことは小松左京は意外に人間味のある人だということでした。
それは安部公房のような突き放した目で物事を観察している冷淡な人ではなくて、人情味のあるSFをかくことのできる、そういった人なのだと。
奇しくも開高健が小松左京の小説について同様のことを述べた一文があります。
彼の無数の短い話や長い話はしばしば結末に〈〈平和〉〉という、皺くちゃのチューインガムみたいになったコトバが登場し、いかにも苦労人の彼の優しさがあらわれているようなのだが、これは長所でもあり、短所でもあるなと思わせられたのである。
実に適格な批評ではありませんか。小松は使い古された「平和」という陳套なコトバを使う人でした。
彼の初期の小説に戦前をSF化し茶化したものがあるのも、こういった戦後の世俗的なスローガンに惹かれてのことだったでしょう。
開高健はその世俗さをなくせば彼はもっと凄い文学がかける、というのですが、
しかし、私はそのチューインガムみたいなコトバを受け入れている小松だからこそ、無機質なSFにならずにすんだようにおもえるのです。
生前、小松は次のようなコトバを残しております。
僕は救済のための文学を志すのは意味があるけれども、文学による救済というのはあり得ないという立場だった。すると文学は一時の慰撫、慰めなんだけど、それでいいじゃないかと。つまり、今ここにある苦しみを文学作品で置き換えるという理解なんだ。でも、人間は文学、物語というものをどうして編み出したのか、やはり何か人間性の大きな肯定が、文学を志す者の基本的な心構えの中に要るだろうとおもうんだね
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