↑言い忘れてましたが、最近、NOTEをはじめました!!
ウクライナ政府によるものなのか、それとも違うのか判明しないのですが、
ヒットラーやムッソリーニと共に昭和天皇が並べられるという動画が公開されました。
日本の反応が頗る悪かったのか、その動画はすぐに修正が入りました。
加えて、ウクライナのTwitterは政府公認のものではないとのことで物議を醸しています。
ウクライナとロシアとの戦争は長引いています。
(彼等の戦争に関してはプロパガンダや陰謀論的な部分をみるのが良いのかなと思っており、あまり軍事戦略やロシアの思想などには興味がもてません。)
ウクライナ側としては国際的な世論を喚起し、支援や参戦してくれることを望んでいます。
そのため、ロシアをファシズムと喧伝し、そんな国と戦争中であるという情報戦をしているわけです。
さて、実際、枢軸国の仲間だったわけですから、世界からすると日本がドイツやイタリアと同格に扱われるのは仕方がないでしょう。
これが戦後の国際秩序なのであり、敗戦国としての主張があってもどうにもなりません。
常任理事国のロシアが拒否権を発動して話題になりましたが、戦勝国が好き勝手しているわけです。
ところで、この動画になぜ昭和天皇が利用されたのでしょうか?
私たちの感覚だと東条英機や近衛文麿辺りが使われてもいいのではないかと思ってしまいます。
なんといっても当時の首相の東条、そして日中戦争を泥沼化させ、枢軸国入りを決めた近衛文麿です。
また、立憲君主制において君たる天皇に責任があるのだろうか、と思っておられる方々もいらっしゃるでしょう。
そうした方からすると、なぜ天皇?となるものやや頷けます。
実際、戦前、昭和天皇は何をしていたのでしょうか。
ということで今回は、筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム』(ちくま新書)を紹介します。
この本は、大正時代から第二次世界大戦終結までの日本の歴史をおったものです。
第一章において、昭和天皇の思想がかかれています。
※なお、筒井氏はこの本において天皇に戦争責任があるかについては触れていないことを述べておく。あくまで、この記事は天皇の思想や行動が罪があるように解釈され得る可能性があるというものだ。
今回はそこをみていきましょう。
※なお、引用する際、適宜改行を入れていることをお断りしておく。
ジョージ五世と昭和天皇
イギリスへの訪問
昭和天皇は皇太子の時代の1921年、イギリスを訪問していました。
そこで彼を迎えたのがイギリスの王であったジョージ五世です。
彼は師であるケンブリッジ大学のタナー教授に昭和天皇をあわせ、「英国皇帝と其の臣民との関係」という講義を聴講させています。
このときのバジョットの思想が昭和天皇ひいては平成天皇の行動にあるというのが筒井氏の考えです。
バジョットとは誰か?
では、そのバジョットとは昭和天皇にどのような影響を与えたのでしょうか。
彼の著した本に『イギリス憲政論』といわれるものがあります。
日本だと、中公クラシックスに収録されています。
彼がこの本を書いたときは以下の時代でした。
イギリスではチャーチスト運動という普通平等選挙制を要求する民主主義運動が盛んであった。(中略)一方、王室の側を見てみると、ヴィクトリア女王は夫アルバートが一八六一年に死去すると自失状態となりその期間が長く続き、議会にはほとんど出てこず、子供の結婚費用に関するときにだけ出てくるという有様であった。こうして国民の間には、君主制に対する懐疑の念が広まりはじめた。
大衆社会においては国民が力をもちはじめます。
この状況下で「子供の結婚費用」についてのみ関心をもつヴィクトリア女王の必要性を問われるようになるのは自然なことだったのでしょう。
この本の中で、バジョットは国家を二つにわけてみせます。
①「威厳をもった部分」
②「機能する部分」
前者が君主であり、後者が内閣です。
君主は宗教的な力をもっており、政府に権威を与える。
そして、道徳の指導者でもあるとのべ、目に見えぬ権力として有用だと主張しています。
しかしながら同時に、君主は政治に関与する必要性もある、といっています。
いくら権威性があったとしても、実際の政治において何の力も誇示しないとすると、徐々にその存在に疑問符がついてしまうからですね。
存在している以上、
「何故、いるのか?何の役に立つのか?」と問われてしまうわけです。
バジョットは君には次の三つの権利があるといいます。
ⅰ.「諮問に対して意見を述べる権利」
ⅱ.「奨励する権利」
ⅲ.「警告する権利」
これを実行したのがジョージ五世であり、昭和天皇だったのです。
ジョージ五世の師であるタナーはケンブリッジ大学の教授であり、ジョージ五世は彼から『イギリス憲政論』を学びました。
その教えが昭和天皇に引き継がれたのです。
昭和天皇の非立憲的行動とは何か-実は関与しまくっている-
バジョットがいうように、君主は政治とは直接関係しないために生臭い権力争いや利権から解き放たれ神秘性を確保することができています。
私たちも天皇が自民党派なのか民主党派なのか、という問いはあまり浮かんでこないでしょう。
普通の感覚からすると、
「自分が生まれたときから天皇は何の理由もなくいる」
という感じではないでしょうか。
とりわけ戦前、立憲君主制においては天皇は責任を問われない、という考えがあったわけです。
ところが、バジョットの思想が、戦後の東京裁判時に天皇が責任を問われてしまう行動をうみだしてしまいます。
バジョットが述べた君主の権利の一つ「警告する権利」のせいです。
実は天皇はこの影響から、非立憲的行動、つまり内閣が行う政治に直接関与してしまったのです。
代表的なのが2・26事件と8・15終戦です。
以前からこの二つが天皇の政治関与といわれていました。
しかし、実はこれ以外にも次のような非立憲的行動をしています。
・一九二九年の田中義一内閣の総辞職
・一九三九年陸軍会議で決めた多田駿陸将を「どうしても梅津か畑を大臣にするようにしろ」と指名して変えさせた。
・一九三八年近衛文麿内閣の杉山元陸相から板垣征四朗陸相への交代
・一九三九年大島浩駐独大使・白鳥敏夫駐伊大使の日独伊三国同盟締結を止めるために辞めさせようとした。(このことからも、天皇は日独伊三国同盟に乗り気でなかったことがわかる。ただしこういった行動と欧米がどういう歴史観を持っているかは別である。)
というこれだけの非立憲的な行動をしているのです。
驚きですね。
かくして天皇は東京裁判において裁かれかねない状態になっていました。
何とか裁かれずに済んだ昭和天皇*1は戦後、「国民統合の象徴」となります。
といっても戦後も単なる象徴ではなく、政治と絡んでおり、「増原恵吉防衛庁長官辞職事件」のような内奏(天皇に国政の状況を伝えること)を行っていたことが判明しています。
ちなみに「象徴」の言葉の由来は皮肉な巡り合わせですが、バジョットからきているらしい。
天皇条項を書いたGHQのジョージ・A・ネルソン海軍中尉は「ウォルター・バジョットの『英国憲法論』のなかに、国王の地位は儀礼的であるという意味で、象徴(symbol)という用語が使われていたことを思い出したのです。同書に影響を受けて、私が発言したことを記憶しています」と明言している(『証言でつづる日本国憲法の成立敬意』)。
戦前も戦後も天皇はバジョットと関係があったわけですね。
福沢諭吉の『帝室論』とバジョット
さて、一万円札で有名な福沢諭吉ですが、彼もまたバジョットを読んでいます。
そして『帝室論』(1882年)という君がどうあるべきかを書いた本があります。
この本の味噌はバジョットを読んでいた福沢が「警告する権利」について触れていないところです。
彼は天皇を政治関与させないほうがいいと考えていました。
「帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり」といっており、文化伝統を学び、守ることを主眼とするように望んでいたのです。
ちなみに、この案は福沢というよりも彼の父、福沢百助の師である帆足万里の『東潜夫論』から来ているらしいです。
平成天皇の皇太子養育係もまたバジョットを学習した
さて、現在の上皇ですが、彼が明仁皇太子時代にどのような教育を受けたのでしょうか。
彼の師は小泉信三であり、ここで彼が皇太子に講義した本が『ジョオジ五世伝』と福沢諭吉『帝室論』でした。
おそらく昭和天皇からの要請もあったのでしょうが、ここでバジョットの教えを行動に移したジョージ五世と、「警告する権利」を切り捨てた福沢諭吉とを教えることに面白みがあります。
また、どちらにするかを選ばせたのではないかという想像もふくらみます。
このことに関して小泉は
「立憲君主は道徳的警告者たる役目を果たすことが出来るといえる。そのためには君主が無私聡明、道徳的に信用ある人格として尊信を受ける人でなければならぬ」
と述べています。
要するに、福沢諭吉が「警告する権利」を無視したことに関して、小泉は同意していなかったのでしょう。
天皇はどうあるべきか
即位された「新象徴天皇」の立たされている岐路は、バジョット『イギリス憲政論』→ジョージ五世→昭和天皇→小泉信三→上皇とつながるイギリス的「警告」型君主のコースをさらに行くのか、福沢諭吉『帝室論』の温和な脱政治的日本文化型君主のコースを行くか、にある。
と筒井氏はまとめておられます。
これはかなり重要な問題でしょう。
今回のようにウクライナのプロパガンダに利用されてしまった遠因は当時の昭和天皇が「警告する天皇」の役割を果たしてしまったことにあります。
立憲君主制の枠からはみ出て、政治に関与すればするほど、「天皇の責任」は問われるようになるわけです。
一方でバジョットが『イギリス憲政論』を書かねばならなかった危惧も今の日本人ならば理解できますね。
秋篠宮親王の長女眞子様の結婚問題で皇室が騒がれるような時代に合っては特にそうではないでしょうか。
メディアが皇室を芸能人の不倫問題のような感覚で扱う時代において、皇室の存在意義を問うような人々が多くなっていてもおかしくはありません。
そういうことを踏まえて、日本人による『憲政論』が書かれるべきでしょう。
終わりに
今回はウクライナのプロパガンダ問題から以前読んだ筒井氏の本をとりあげ、
戦前日本における天皇の政治関与について紹介しました。
今月初めに読み終えたこの本の内容は非常に充実しており、このほかにも
「戦前型ポピュリズムの教訓」
なども紹介したいのですが、時宜に合っていたのは
「岐路に立つ象徴天皇制」だと思い、こちらにしました。
この本は題名の通り、「コロナ」問題と戦前の大衆社会とを重ねたものです。
所謂、軍部の暴走というよりも、メディアとそのメディアにけしかけられた日本国民やその国民を普通選挙から無視できなくなった政治家によって、日中戦争や対米戦争が起こるハメになったというのが筒井氏の見立てです。
そして現代のコロナ対策の失敗をそれと同様なものとしてみています。
つまり、筒井氏はコロナ対策に対して批判的ということがわかります。
彼は次のようにいいます。
日本社会、特に政府は専門家というもののあり方をどのようにすべきかについて、十分に検討してこなかったところがある。
平時には官庁・役人の言うことを聞きやすい人を選んでおいて、専門家の意見を聞いたという体裁を整えることにのみ使っているから、こうした緊急事態が起きると、全体のバランスを考えながら複数の優れた専門家を選んで、適正に判断を仰いでいくことができないのだ。
出口を考え、最初から医療専門家と経済・社会の専門家の二つを平行して走らすことすらできなかった。
(中略)これはマスメディアも共通で、日頃から各ジャンルにおいて知名度だけに頼らず、自分自身で信頼できる専門家を探しておくという努力をしていない。
テレビのワイドショーなどに出ている「専門家」が予測をことごどく外し、たびたび意見が変わっても平気で何の反省もなく出続けるという有様では、政府批判の資格もないだろう。
そこから専門家会議の一部による極端な主張に簡単に飛びつき、大々的に宣伝をするというような事態も起こってしまったのだ。
(八一頁 第四章コロナ「緊急事態」で伸張したポピュリズムより)(赤字はズンダ)
と激しく批判しています。
「はじめに」においてホセ・オルテガを援用し、蛸壺化した専門人批判を行っており、「総合的知識人」を作れなかった日本と批判しています。
このように本書は筒井氏の今までの大衆社会の研究とコロナとが噛み合った内容になっており、たいへん読み応えがあります。
一ページめくるごとに興奮しながら読めた本です。
皆さんも、是非読んでみて下さい。
では、またお会いしましょう、ズンダでした。
筒井氏の主張は以下のようなものです。
・普通選挙(満25歳以上の男子限定ではある)が導入されたことにより、多くの男子が選挙権をもった。
・これにより、マスメディアや政治家共に大衆を意識せざるを得なくなり、大衆におもねった政策や記事が蔓延り、短慮による政治が行われるようになった。
・関東大震災や大恐慌時代や飢饉などから世相が不安定になり、政治の清廓を目論む革命勢力があらわれるようになる。所謂、昭和維新運動である。
・ここには大正デモクラシー以降の大衆化した社会にみられる「平等主義」がある。
・かくして、テロやそれに好意的な大衆達が形成された。華族出身であり東大出身という大衆人気を博した近衛文麿が首相になる。(このあたりの近衛文麿については筒井清忠本人による『近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇 (岩波現代文庫』に詳しい。
・彼自身の政治能力は低くかったが、人気があった。(ズンダ註:ちょっと前までの小泉進次郎みたいなもの)
もっと詳しく知りたいあなたへー参考書を紹介するー
本書に関するものでもっと色々読みたい人向けに本を紹介する。
ロシアとウクライナのプロパガンダ合戦について以下のものがよい。
10の法則をみながら、両陣営から送られてくる様々なニュースをみると、典型的なプロパガンダに則っているということがよくわかるだろう。
佐藤氏によるメディア論の名著30冊を説明したもの。ナチス時におけるプロパガンダや国民の形成がいかにおこなわれていったかが各本を紹介しながら考察されており、面白い。
どちらも自分を正しいと主張するだろう。ただ、それだけである。
国際関係において自分たちを優位にみせるためにはどうすればいいのか。そんな情報戦が日夜くりかえされている。そんなことをかいた本。
君塚氏による「君主論」である。本記事で紹介した第一章はこの本に負った部分が多いらしく、本文中で筒井氏は君塚氏に謝している。