さて、MMTで話題のケルトン女史が2019年7月16日(火曜日)
日本にいらっしゃいました。(前日にはきてたのかな)
彼女の記者会見はチャンネル桜chのほうで動画があがっております。
また、17日には三橋TVにてケルトン女史と三橋貴明氏による対談が行われており、MMTについて存分に語り合っています。
報道ステーションや朝日新聞、日経新聞、時事通信、産経新聞などがこのシンポジウムの内容や様子を報道しておりました。
毎日新聞と読売新聞はとりあげたのだろうか?わかりません。
私ズンダも第二会場ではありましたが抽選に当選しまして、ケルトン女史の講演会をパブリックビュー会場にて聴くことができました。
場所は朝日新聞内にある浜離宮ホールという場所でして、朝日の隣でやるのか、と当初おどろきました。
朝日新聞のお膝元でやる以上、これはケルトンについて報道せざるを得ないだろう、という下心が開催者にあったのかもしれません。
東京は雨が降りしきり、新橋から歩いて向かうことを考えていた私は、道に迷ったらどうしよう、と考えつつ駅をでました。
幸いなことに新橋駅の地下から汐留までつながっていました。
加えて、矢印が書かれた紙をもった案内人の方々も、要所要所に立っていたので迷子になりませんでした。
そんなに濡れることもなくすんなり浜離宮ホールにつきました。
この第二会場では三橋貴明氏が二時よりMMTについての解説をなさり、そのあと、質疑応答の時間がとられました。
やはり意識的に応募し、いらした方々だけあって、質問も面白いものが多かったです。
もちろん、陰謀論に寄ったものもありました。
「なぜ東大の文一をでているエリートがこんな失敗した経済政策を行ったのか。財務省は共産主義者の巣窟だ」などという意見が七〇代か八〇代ぐらいの老人から発せられました。
それに対して、とある老人が激怒して「あんたの考えは古いよ!」などと罵声を浴びせて、場内は少しばかり険悪な雰囲気になりました。
これに対して三橋氏は次のようにこたえました。
※ただ以前かいたように、加速主義を思うと陰謀論的なのもありうるのかもしれない、などと妄想できなくもない。
こんなやりとりがあったあと、ケルトン女史の演説がはじまりました。
話はウォーレン・モズラーの名刺の話からはじまり、トランプの貿易赤字の話、インフレの話などがありました。
そのあとは、質疑応答があり。
ケルトン氏がリフレ政策は効果あるのか?やMMT は社会主義なのか?といった質問に対して「効果はない」とか「NO!社会主義ではありません」といったあたりで、会場は盛り上がっておりました。
ケルトン女史の講説前に三橋氏がMMTについて解説なさったので、会場におられた方々も大体の概要はすでに掴んでおり、特に問題なく理解できました。
ケルトン教授は非常にモノをはっきりと仰る方であり、見ていて痛快でありました。
どんな感じかというと↓の動画をご覧ください。
youtubeのコメント欄では、マスコミの水準が低すぎるなどといった意見が飛び交っていました。
しかし、前にも述べたようにMMTはブードゥー経済学といわれていたわけですから、他の国のメディアが質問したところで同じだったでしょう。
実際、下の動画でもケルトン女史が発言しておられるように、彼女の元に来る金融の専門家ですら「銀行は他人の金を他の人間に貸している」という人がいるわけですから、信用創造の議論は専門家ですら怪しい人が大勢いるということなのでしょう。
ケルトン教授があの講演会で仰ったのは「Using the MMT lens」ということばでした。
つまりMMTは新しいレンズを用意したので、使えということです。
我々へ新しい眼鏡を与え、その眼鏡で物事をみよ、というわけです。
そうすることで景色が変わり、今までの世界と別のモノがみえるようになる、と。
これは非常に印象深いことばでした。
ちなみにケルトン女史が講演で仰ったことは三橋貴明氏のブログに綺麗にまとめられております。ご覧ください。
加えて、三橋が本日ケルトン女史と対談した動画は以下のものです。
ここで貴重なのは冒頭で三橋氏が緊張した面持ちで深呼吸をなさった姿。
加えてMMTは必ずしもOMFを推奨してはいない、とケルトン女史がいったところでした。
ここは少し温度差を感じました。三橋氏はOMFが非常に重要であるかのように以前から語っておられたのですが、ケルトン女史は「it could do that」といっておられるようにそこまで重心がないような語り口だったからです。
概ね、日本で伝えられているMMTと齟齬はなかったように素人目には感じました。
しかし、力点が違うところもありました。
それはJGP(job guarantee program=職業保証制度?)というものの価値です。
日本だと三橋、中野、藤井氏らによってMMTは広められてきました。
彼らの話ではあまりJGPは強調されておりませんでした。
以前、藤井氏が確か政治家たちへ講義している動画のなかで「日本は人手不足なので、JGPが必要かどうかは検討する余地がある」といったことを仰っていました。
確かに日本は人手不足なのでそうなのかもしれません。
しかし、MMT側の人間からするとJGPはインフレを調整するための道具として、税金が果たす役割と同じような機能をするというのです。
MMTは政府による支出はインフレ率を考慮した上で行うことができる(Inflation is limited)というのはかなり知られてきたことだと思います。
無限に支出を拡大できるわけではないのです。
それゆえ、批判者から必ず出てくるのが
「インフレを都合良く抑えることはできるのか」というものでした。
これに対して有効なのがJGPというわけなのです。
政府の支出によって民間の代わりに仕事をさせてあげる、というわけです。
すると今まで無職だった人たちが働くことでお金を稼げるようになります。
政府が支出を増やし、お金を稼げる人たちが生産活動を行うようになれば当然、モノは今までより売れるようになり、インフレが起こり始めます。
そのとき、政府は支出を絞る。つまり、政府で雇用していた人々を民間部門に譲渡するのです。
そうすることで民間は人材確保のために必要以上の人材獲得競争による高額な賃金を与えることなく(獲得競争のために意想外な報酬を与えるとインフレになる)、政府から民間部門への労働者の移転が行われる。
こうすると、当然、政府支出は少なくなります。雇用者が政府から民間に移るわけですから。
そうすればインフレ抑制ができる、というわけです。
累進課税によるビルトイン・スタビライザーの役割をJGPは果たせるわけですね。
このJGPの利点は以下の通りです。
- 失業者を救うことができる。不況になった際の受け皿としても機能する。しかもただお金を与えるだけの政策よりも、仕事を与えることによる能力の向上やスティグマ=刻印を避けやすくなる(スティグマとは何か?たとえば、犯罪者の社会復帰を考えてみよう。犯罪者が更正したあと仕事をはじめた場合、どうしても周りから白い目でみられがちである。こういう嫌悪感をその人の属性として埋められてしまうことを社会学用語で「スティグマ」という。アメリカ文学で有名案ホーソン『緋文字』も良い例。)
- インフレ率を調整できる。景気が悪いのであれば失業者が多いはず。ここで支出を増やし仕事を与え、労働者とすることで、インフレへともっていく。インフレになっていったら支出を抑え民間部門に譲ることでインフレを抑える。順序が逆だと困ることに注意。インフレが先にきてしまえば、雇われないままの人が置き去りになってしまう。インフレになれば政府は支出を抑えざるを得ない。こうなると、JGPを終わらせるしかなくなってしまい、失業者を救えなくなる。
- そもそも景気がよいとか経済成長をあまり目標にしなくてもいいのではないかという議論になってくる。というのも失業者が多いことが世の中にとって一番の問題であり、経済成長や景気というのはその後の話だからである。JGP導入後の経済は成長や景気の良し悪しといったものから解放された安定した経済になる。つまり、好況も不況も、なるべく激しい景気状態にならないようにすることが可能になる。無論、金をかせぎたければかせげばよい。※個人的にはこの段階ではじめて、ホリエモンなどがいうような自助努力の価値がでてくるのだとおもう。つまり、ホリエモンはMMTに、ひいてはJGPに賛同すればよい。ベーシックインカムには賛同しているわけだから、JGPとベーシックインカムとの違いを納得してもらえれば意外にのるのではないか。※ベーシックインカムだと金を与えるだけであり、仕事を与えない。仕事を与えないということは①供給力の増加につながらない②インフレ抑制効果をだせないので筋が悪い。③富の不公平がうまれやすい?
- 伝統産業を保つことができるかもしれない。文楽や工芸品などに割り当ててもいいのではないか。
だいたいこんなところです。
このJGPが理想通りうまくいくかは別として、筋は通っています。
これをやるべきなのか否か私にはわかりません。
MMT的にはそもそもこれをやらない理由がない、といった感じのようです。
問題は日本においてそれが可能なのかどうか。やるべきなのかどうか。
日本の就職氷河期世代やこの後、必ずや問題になってくるリーマン・ショックと東日本大震災に挟まれた世代で非正規雇用の人々は多数おります。
彼らはその当時の景気が悪かったが為に正社員になることができず、不安定な職を転々とした状態にあったり、あるいは自信喪失のために引きこもりになったりしています。
それを政府がうみだした雇用で救うことができるのだとしたら、やはりやるべきだと思いますがどうでしょうか。
(今まで冷たくしてたんだから、少し優しくしてもいいだろ)
ともかく昨日の様子は報道ステーションで報道され、日経や時事通信や産経新聞などでも記事になり、ようやく一般の多くの人がみることができる媒体で紹介されたわけです。
勿論、インターネットでは四ヶ月ほど前からyoutube上で三橋氏らによる活動がありました。
しかし、この報道の多さをみればわかるように、やはり外国人が来て、日本人に諭すような状態にならなければ日本のメディアも日本国民の多くも話をきいてくれないのだろうということがよくわかりますね。
そもそも、MMTに近いことは十年ほど前から三橋氏らによって言われていたことなのです。
それがここまで大きくとりあげられるようになったのは明らかにアメリカで普及しつつあるからなわけです。
三橋氏らも無念ではあると同時に嬉しくもあるでしょう。
しかしこれをきっかけとしてMMTが急速に日本人の政治家や経済評論家や一般人に広がっていけば、遠くないうちに日本の「財源が問題だ」という、MMT からすれば問題でも何でもないことから解放されて、ただしい経済政策が行われるようになるのかもしれません。
みそパンNEWS : 【消費税増税】消費税を10%に引き上げても、まだ足りない社会保障費の財源 20兆2000億円
たとえば、上のような記事をMMTを支持した場合、まだ財源云々いってるのか、というふうな反応になるわけですね。
多くの日本国民がそういう状態になった場合、問題になるのは我々の供給力=リソースの問題になります。
この供給力の問題こそがMMTが問題視していることなのです。
ケルトン女史が講演会で仰ったように、仮に政府が支出して病院を至る所につくったとする。
しかし、医者や看護師や機材などを無限に用意できるわけではない。
ここに供給力の限界があるわけで、これを調整することこそがこれからの政府の問題になるだろう、ということです。
つまり、予算の均衡が問題なのではなく、経済の均衡が大事なのだということです。これもケルトン女史がいっておられました。
そして、どういったことをやっていくかはそのときの政府や国民が決めることであり、MMTが決めることではない、というのも大事な観点です。
MMTにより、財源問題が存在しないことが確定しています。
すると、問題になるのは供給力=リソース=インフレ率なわけです。
そこだけ考えればいいというわけです。
突き詰めると、赤字だのなんだのはインフレ率を考慮しておけば、もはや何の意味もないということになるわけで、確かにコペルニクス的転回ですね。
インフレ率が重要である事は先にも述べたとおりです。
インフレは需要が供給を上回ると上がっていきます。
もし、好き放題あらゆる場所に病院をつくっていくとどうなるか。明らかに供給力が足りなくなるので、インフレが向上するわけです。
つまり何処かしらかで制限をしないとならない、ということです。
具体的に何をどのくらい求めるかは、政府や国民によるだろう、ということなのでした。MMTはアレをしろ、コレをしろとはいわないわけです。
ただ財源制約はないので、それなら何かできるでしょうよ、ってことですね。
昨日のテレビ朝日の報道ステーションでは「公共事業をしろ」と字幕がでていました。
しかしこの字幕だと「インフラをやれ」というふうにしかみえません。
勿論、インフラもやっていいわけです。
それと同時に、インフラ以外のこともやって構わないわけですね。
財源問題がない以上、我々はかなり多くのことを多岐に渡ってできることになったのですから。
まあ、そもそも日本でインフラをやらない理由ってあるの?って気はするのですが。
ただインフレ率による制限があるということは、結局、wise spendingになるのだろうか?
ともかく、あとは我々が何を望むか、ということになります。
序でにいうと、日本はMMT を「証明」したが「実践」はしていないというのも付け加えていっておくべきことなのだなあ、とおもいました。
私の親族の者が「MMTとやらを日本がやっているのに経済は特によくなってないではないか」という誤解をしてしまったからです。
これは上にのせた「記者会見」の場で読売新聞の記者が質問したように、実際はMMTを実践してはいないのに、「証明した」という言葉が一人歩きしてしまって、MMTを「実践した」と思う方々がいくらかおられます。
MMTに理解を示した人間はなるべく自分の周りに広めるよう尽力する必要があるようにおもえます。
いうまでもなく、専門家と違って細かいところで誤解があったり、間違っていたりするのでしょうが、それでも説明しているうちに自分が足りないところがわかるというのが人間なので、七割の理解でも人に話すことが大事なのだと私は思っております。
※上で述べたJGPの話自体、100%正しいとは全く思ってません。
そもそも、日本が財政破綻するという話を日本人が100%理解していたか?といわれるとそうではないでしょう。
もし理解していたのであれば、そもそも財政破綻論が普及することはなかったはずですね。
そう考えると人々がある考えを支持するというのは100%ではなく六割とかそのぐらいなのだとおもいますね。
今、島倉原氏らによってMMTの翻訳書が刊行されようとしていますが、流行ってくればMMT必読文献のようなものも集成されることでしょう。
読みたい本が増えることは大変楽しいことなので、我が読書ブログにとっては僥倖ともいえます。
楽しい読書の機会をつくって頂けて感謝の言葉以外、見当たらないほどです。
考えてみると、中野剛志氏の『富国と強兵』でMMTを知ったとき、本屋やアマゾンでMMTについての本を探したものの、全くみつからず途方にくれたことがありました。
中野氏がここであげているMMTとは何なのだろう?
そう思っても、とっかかりがなく、どうしようもない状態にあったのです。
仕方がなくポストケインジアンの本を二三冊、読むというはめになったことをおぼえています。
それに比べると時代は急変し、私が読みたいと思っていた本が訳出されるというのは本当に嬉しいことなのです。
また、政治でいえば、山本太郎氏が代表を務める「れいわ新撰組」はまさにMMTを愬(うった)えております。
演説ではMMTの名は出してはおられないようですが、これをきっかけに大々的に名前を出すようになるかもしれません。
※追記
山本氏は戦略上、法人税と消費税を絡み合わせることで大衆の理解と反感を得る方向に舵を切ったように思われる。これは確かに功を奏した。大企業という敵をつくることで、人々は怒りをぶつけやすくなった。
こういった講演会などの機会がありましたら、また、いってみたいと思います。
京都大学レジリエンス実践ユニットと令和の政策ピボット、表現者クライテリオン並びに一般社団法人経済学101、ケルトン教授招聘実行委員会の皆様、本当にありがとうございました。
あと、同時通訳にも感動した。三人?の女性が代わる代わる通訳していらっしゃった。
ところで水曜日にはリフレ派の方々とケルトン教授が討論したらしいのですが、それがどんな内容だったのかわかりません。
どうなったのでしょうか。
ちなみにケルトン女史はもう少し日本におられるそうですが、
どなたかとお会いになるのでしょうか。気になりますね。
それにしても当たったのはほんとにラッキーだったなあ。
MMTについての動画を集めた記事はこちら↓
↓MMTも説明された本です。