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『人間の条件』 で、ハンナ・アーレントは何をいっているのか?

 

 

精読 アレント 『人間の条件』(講談社 選書 メチエ)を三月初めに読み終えていた。

そのとき、Twitterでかいたものの感想をブログにのせる。

 

 

人間の条件とは?

 

マルクスを下敷きにし、そしてそれへの批判もしながら、古代ギリシャ・ローマにおける観照的生活、活動的生活と近代の違いを論じる。

 

人間の条件は、①労働(必要なものをつくる)、②仕事(人工的な世界をつくる)、③活動(政治的な活動)である。

 

 

近代以降、マルクスニーチェキリスト教批判をしながらもその延長線上にあることを示している。

 

アーレント、ゴリ押し感あるけど、おもしろい。正直、誇大妄想なのではないかと思ってしまう。

 

情報量がおおいわけでも、新しくかんじたわけでもない。ただ、哲学している感じかえられたのがおおきかった。まあ、政治哲学なんだけど。


今まで読んできた本にアーレントのエッセンスは組み込まれていて、意外性のあるものではない。

ただ、これを読むという経験があたえてくれる理解というのは独特だ。


アーレント自体は「行為」に価値があると考えていたみたいだけど、それをそこまで強調しないんだよね。そして、民主主義社会のために、ともいわない。


これのせいで、かなり訳が分からないまま読了した。彼女の執筆理由はなんなのかと。

 

人が個人での妄想を逞しくしてしまうのが近代社会


内面的なモノの拡大が宇宙への飛翔って、論理がむしろ飛翔してるんじゃないかとおもいがちだけど、このアナロジーって相当あたまがいいというか、昔よんだ『純粋理性批判入門』の冒頭にあった話って、ハンナ・アーレントの『人間の条件』からパクったものだったのだと数十年たって、はじめてしった。


ひたすら内省することが近代人の証なわけだけど、これが技術の発展にともなって更に深化しているのって当然なのかもしれないという。

 

アルキメデスの点やデカルト懐疑論からくる内省、ガリレオの望遠鏡、これらが信仰をこわした

 

みんな労働者になったので画一化、そして、活動は消えた


古代ギリシャ人の貴族や自由民は労働をしなかった。労働は奴隷がするものであり、彼らにとって労働とは唾棄されるべき存在であった。

 

ただしその自由民による言論活動が社会との共通世界を構築し、私たちの精神を外部とつなげることに成功していた。

 

しかし、キリスト教によって観照的生活が影響力を増していく。活動的生活は衰えていった。

 

だが、これも近代になり、今度は宗教が斥けられ、観照的生活も衰退していく。残ったのが労働賛美であった。

 

私的と公的な世界は国民経済が誕生することでその境界線が曖昧になり、労働も国家によるルールの中でおこなわれるようになる。

 

こうして、人々の活動は労働によって覆われる。

更にそれは古代ギリシャにあったはずの共通の世界の喪失を意味した。

 

こうして人々はお互いの世界を共有できなくなり、個別化していった。

その結果、他者を考える余地がなくなったのである。

 

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