友達が欲しいなあという病
友達が欲しいとおもうことってありませんか?
私ズンダ、いくら馬齢を重ねても、金蘭の契りといわれるような親友が欲しかったりします。
こんなことを望んでいてもしょうがないと思いつつも、自分をわかってくれるもうひとりの自分を欲しくなるものなのですね。
というのも生きていると様々な悩みが出てくるのですが、それに対して常に誰かが同情してくれたり反応してくれたりするわけではありません。
私たちは一人であることが多くて、さみしい気持ちに捕らわれがちなのです。
そんなこんなで本日紹介する本は菅野仁『友だち幻想』(ちくまプリマー新書)です。
本書の作者である菅野氏は数年前に亡くなっております。
が、本書は名著の誉れ高く、長く読み継がれていおりまして、本屋の新書コーナーへ参りますと、平積みされているほどの人気な本です。
やはり、読み手は若い人が中心なのでしょうかね。
新書としてはかわいらしい挿絵が入っているし、文章も優しくすいすいと読める本となっております。
では、どんな本なのか見てみることにしましょう。
フィーリング共有関係という理想的な関係
つまり、「友達百人出来るかな」という理想的な人間関係のことです。。
実際はこんなふうにはうまくいかないので懊悩するはめになります。
現代の小中高生が人間関係で悩む理由はこういった関係性に重きをおいているためです。
ルール関係という関係
規則で縛るという関係性のこと。
他者と付き合う際にルールを決めて付き合うといったもの。つまり、乾いた関係であるといえましょう。
フィーリング関係の土台にルール関係が必要である理由
人間関係の土台にまずルール関係が必須であると著者は述べます。
フィーリング共有関係だけでは社会は機能しない。
「自由が大好き!」と「ルール関係」とは互いに表裏の関係にあると著者はいっておられます。
仮にルールがなければ相手の自由を阻害してもかまわないということになりかねないからです。
ムラ社会という我々の遺伝子
近代以前の農村共同体のこと。近代化された社会と違って、人間はある村に産まれて、そこで一生を終えるのが普通でありました。
それゆえ、その人にとっての社会とは生まれ育った村であり、村人との関係性が一生つづくものであったのです。
だからこそ、互いに助け合い、関係を深めていくことが人生において重要なのです。
この概念はフィーリング共有関係と同じである。
ところが近代になってから、人間は自分一人でいきていくことが可能になっています。
経済が豊かになり、モノを手に入れることが昔よりも楽になったからです。
コンビニが至る所に点在していることからもわかりますね。
コンビニに存在する商品の数々はムラ社会全盛期においてはとても個人では手に入れられないものばかりです。
それが一人で金さえあれば入手できるようになっているわけです。
これはムラ社会の崩壊を意味しています。
いじめをすることはいじめられることにつながる
いじめっこは逆にいじめられる可能性を秘めています。
というのも世の中のルールの根本にあるのは「目には目を歯には歯を」というハンムラビ法典の言葉と同期しているからですね。
我々は誰かをいじめたりすれば、当然、復讐される可能性がでてくる。いじめっこはこのリスクに気づかずに人をいじめているわけで、相応のリスクがあることに気づかねばならないと著者はいっておられます。
ムラ社会において人と外れることをやるというのは虐めの原因の一つでした。
このムラ社会の概念は今、小学校や中学校や高校に転移されているといえるでしょう。
それゆえ、いじめっ子は虐める側の特殊性に目をつけて虐めるわけですね。
※個人的にはこのリスクは軽微だと思います。現実はいじめられっこは復讐することができずに学校を中退したり引きこもりになるからです。
つまり、もともといじめても、いじめ返されることがない人間をいじめているのです。
ある意味で、いじめっこはリスク管理をしているといえるでしょう。無論、著者が言いたいことはルールが実利主義に基づくものであるという教育をしたほうがいい、という例として虐め問題をあげているので、ややこの私の指摘は外れていますが。
ムラ社会が崩壊したのに考えが変わっていない
上でも述べたようにムラ社会が崩壊して個人の自由度は増したのにもかかわらず、人間の古来からの性質は変化していません。
そのため必要以上に他人との関係を求めてしまい、寂しさやいざこざの原因になると著者はいっておられます。
その問題の解決方法としてルール関係を持ち込み、他人との一定の距離感を保つようにすることが重要だという主張ですね。
子供たちへ伝えなければならないこと
引用します。
「自分のことを百パーセント丸ごと右傾照れくれる人がこの世の中のどこかにいて、いつかきっと出会えるはずだ」という考えは、はっきり言って幻想です。
だからといって人に不信感をもつ必要なんてどこにもない。
要するに他人は自分の分身ではないのだから、考え方が丸ごと同じではない。それを分かった上で、うまく付き合うことを覚えよ、というのがこの本の内容ですね。
終わりに
中身は非常に簡単な本です。友達に対して過度に期待しすぎである、ということを社会学の用語などを使って表現することで抽象度を高めにし、学者としての力をあるていど表出しながらも、中高生が理解しやすいように書いた本である、といえましょう。
しかし、中高生の皆さんに述べたいことがあります。
実際はこの本のようにスパッと我々は割り切ることは出来ません。
私たちは生きている限りかならず他人を強く求めるという執着から離れることができず、常に悩み苦しむものなのです。
人生のつらさ、というものはこの本でも触れられています。
著者はそれを「苦味」というのですが、苦さと付き合いつつほどほどの距離感を保ちながら人とやりあっていくことが重要であるというふうに仰っています。
もし、今、人間関係で悩んでいる方がおられるのならば、この本を買うことには価値があるでしょう。小一時間程度で読めます。
どうぞ、手に取ってみてください。