NHK 『100分de名著』のロジェ・カイヨワ『戦争論』の紹介です。
この内容は戦争がなぜ起こるのか?というよりも、どうしてこのような大きな戦争をするまでに人類は至ったのか、というところに焦点があたっております。
カイヨワは歴史における戦争を摘要しながら、自分が伝えた文明がひきおこすことになった「世界大戦」を特殊なものとして位置づけようとしています。
フランスの人類学者・社会学者であるロジェ・カイヨワの『戦争論』(1963年に刊行)されました。
カイヨワの著作は『遊びと人間』(講談社学術文庫)が最も有名でしょうね。
カイヨワは第二次世界大戦が終わり、冷戦状態に入っていく世界の動きをみて、人間には「戦争への傾き」があると考えて、「戦争とは何か」について考え始めます。
戦争と国家の発達
戦争の形態
カイヨワはまず戦争について「破壊のための組織的企て」であると定義しています。
政治的行為や武器による闘争ではなく、敵の集団を破壊するための、集団による組織的な暴力が、戦争行為であるということです。
もちろん戦争には色々な形態があります。
ひとまず、戦争の形態についてみてみましょう。
1 原始的戦争
2 帝国戦争
3 貴族戦争
4 国民戦争
1は「身分差のない、身段階社会における部族間抗争です。
原始人などが一つ一つの小さな部族をつくり戦いあっている様子を想像してみましょう。
2は異民族を征服するための戦争です。
カイヨワはエジプト王国やアッシリア興隆以降の古代諸帝国時代の戦争を主なテーマとして定義しています。
3は貴族戦争です。
封建社会における貴族階級の職能としての戦争です。スポーツのように儀礼化・様式化されており、死傷者も少なく一般国民を巻き込むことがあまりない戦争です。
4は国民戦争です。
これこそ第一次世界大戦や第二次世界大戦のような大戦争です。あらゆる人的・物質的資源を使い、大規模な破壊と殺戮とが行われる戦争です。
カイヨワは4を重要視しています。
と言うのも彼の青春はまさに第二次世界大戦まっただ中だったからですね。
民主主義が大戦争をつくってしまった
ヨーロッパやアメリカでは民衆が武器を持ち特権階級と闘うことによって民主主義社会が形づくられていきました。
たとえば、アメリカが銃社会であるということは誰もが知っています。
その淵源をたずねると、彼らはもともと先住民を掃討し、また宗主国であったイギリスから独立するために戦争をしていたところにあります。
つまり民衆の武力によった蜂起でもって力を獲得することができたわけです。
ヨーロッパも貴族の専政を平民が武装することで崩していきました。
フランス革命が代表例ですね。
フランク人は貴族を叩き潰したあと他国の侵略に備えるために義勇兵や徴兵制を敷き、「国民からなる軍隊」を歴史上初めて形成しました。
ナポレオン率いる軍勢がヨーロッパ諸国を荒らし回れた理由が国民軍の「士気の高さ」にあることから、他の国も「領民」を「国民」にするために国家を王家のものから制度的に自立させていきます。
こうすることで民は武力と法的権利を獲得し、国政に参加していくことができるようになります。
すると、国家もまた民衆をそのまま軍事力として活用することができるようになりました。
国家間の戦争はいつからはじまったのか
17世紀前半に「三十年戦争」が起こります。ヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争です。 その混乱を収拾するために開かれたのが「ウェストファリア講和会議」(1648年)です。
ここで決まったことは次の通りです。
1 信仰を理由とした戦争はだめ
2 戦争は主権国家のみが行える
3 主権国家が「宣戦布告」をし、第三国、非当事国が「講和会議」を開き戦争を終了させることができる
4 「平時」と「戦時」の区別ができる。国際法の原型が
できあがる。
さて、こういう経緯を経て、「国民戦争」の下ごしらえがなされていったのです。
「全体戦争」とは何か
ナショナリズムによって戦争で死ぬことが正当化される
さて、ここからが「100分de名著」の二回目の内容となります。
先ほどまで述べたように民主主義により「国民戦争」の下地が整えられ、世界規模での殺戮と破壊の饗宴が行われるようになります。
戦争は国家と結びつけられるようになったのです。
では、カイヨワは国家と戦争との関係をどうみていたのでしょうか
国家と国民との関係が誕生したことにより、近代社会というものがうまれます。
近代社会は私の記事でもとりあげたことがありますね。
近代社会において、
村社会にあった共同体が壊れて、「バラバラになってしまった個人」が国家と結びつく形で存在するようになります。
この結びつきはナショナリズムとよばれるものを指します。
ナショナリズムによる国家への帰属意識
そしてナショナリズムは死を媒介にしているというのです。
死の媒介とはなんでしょうか。
西谷氏によれば、近代社会で孤立した人々は「なぜ生きるのか」という指針を失うために「国家のために死ぬ」という論理を受け入れるようになるらしいのです。
国民国家の基層にあるのはこういった考えなのですね。
ここにはヘーゲル哲学をフランス風に解釈したコジェーブというフランスの哲学者によるカイヨワへの影響がみられると西谷氏は述べておられます。
その結果、戦争は以前までの貴族戦争とは異なる状態になります。
全体戦争が生まれる背景
カイヨワの全体戦争についての主張をまとめます。
1 儀礼的なゆとりが失われ、殺し合うだけの無惨極まりないものとなった。
2 戦闘員の数が動員可能な青年男子すべてに値する
3 使用される軍需品の量が、交戦国の工業力を最大限に働かせたときの生産量と等しい
つまり、人も物も生産量全てを使い切った殺し合いなるというのです。
また、マスメディアの発達による問題も生じていきます。
ばらばらになった個人は新聞やラジオを通して、自国に関するあらゆる情報や娯楽を享受するようになります。
すると、ばらばらであった個人の中に共同体意識が芽生えはじめ、メディアを通じた「国民」という意識が生まれるのです。
加えて技術革新により殺傷力の高い兵器が次から次へと大量生産されるようになりました。
こうして、「全体戦争」への意図せぬ準備がなされていったのです。
「世界大戦」勃発
この戦争の名称がどうして世界大戦とよばれるのかご存じでしょうか。
当時、ヨーロッパ諸国は世界中を植民地にして支配しておりました。
そのヨーロッパ同士が戦争をするということは世界全体を包摂していると考えられたのです。
故に「世界戦争」と呼ばれるようになります。
第二次世界大戦は死者数だけでも五千万人以上です。
この死者たちがどのように扱われるようになったかもカイヨワの戦争論で重要なところです。
戦争による無名の死者をどう祀(まつ)るのか
カイヨワの考えはつぎのようなものです。
・古代における戦争には英雄譚や勲功(いさおし)というものがあ
った。しかし、「全体戦争」においては多くの人々は無名のまま
死んでいく。そしてそれが人々にとって栄光であった。
全体戦争では、兵士も民もあまりに多くの死者にのぼるために、ひとりひとりの経歴や為し得たことが注目されることはなくなります。
これが古代であれば誰かを英雄としてその後の世界に語り継ぐという行為がおこなわれていました。
「全体戦争」において、戦争で死んだとしても何ら讃えられることはないのです。
しかしそれでは兵隊の士気が高まらないことになりますね。
国家はどうやったこの問題を解決したか。
国家のために名もなく死ぬことこそが栄光であるという方向へ舵をきったのです。
無名墓地のようなものがアメリカにもありますね。あるいは日本でいうと靖国神社です。
ああいった国家による祀る場所をつくることによって、無名ではあるが国と一体になった死を得ることで栄光を得られるようにしたというわけです。
ですが、戦争への士気はそれだけが理由ではありません。
カイヨワの文を引きます。
戦争は災厄ではない。むしろ祝福なのである。〈永遠の青春の泉。
新しい世代は、絶えずそこから新しい力を汲み取るのだ〉。
宗教的な感情が戦争が人間を駆り立てるというのです。
この後の章で説明されますが、「聖なるもの」という概念をカイヨワはもってきます。
「聖なるもの」とは何か
・「聖なるもの」とは、キリスト教社会から生まれてきた近代合理
主義のヨーロッパが、初めはその外部に見出した、非合理でよく
分からない現象をさす。ある魔力をもったものに、人々が魅惑さ
れ、あるいは畏れて、その周りに混沌の社会が形成されるという
そういう現象である。
と、こういうふうにカイヨワは説明しています。
戦争に参加したものは何かわけのわからない恍惚に包まれて、魅了され、恐ろしいはずの戦争の虜(とりこ)になる、と。
更に付言する形で、西谷氏はメディアを国家が利用するかたちで「聖なるもの」の感情を増長させたというのです。
ここまでで第二回目の要約は終わりました。
次の記事で第三回目から第四回目を特集していきます。
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