小林秀雄と言えば近代日本に於ける文芸批評家の代表であり、文学を志す者であれば読んだことのない人などいないというぐらいの人物です。
何回も全集が編まれ、いまだに新潮文庫や文春文庫で彼の文章に触れることができます。
彼は主に文学や哲学について物していましたが(「戦争について」「宣伝について」「現代日本の表現力」「満州の印象」「事変と文学」「外交と予言」「文学と自分」「マキアヴェリについて」)、ときおり、保守主義的な面から政治についても語っています。
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小林秀雄の政治観に焦点を当てたのが今回紹介する本、中野剛志『小林秀雄の政治学』(文藝春秋)です。
中野氏は保守主義者として知られています。
ナショナリズムや国民国家の価値、伝統や慣習がなぜ重要なのか、あるいは日本経済はどうすればよくなるのかについて毎年、新著を出して活動していらっしゃいます。
そんな中野氏が小林秀雄に何を見出したのか。
それを今回はみていくことにしましょう。
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イデオロギー批判
理論と実践
昭和四年、小林秀雄は『様々なる意匠』を書き、文壇に登場します。
この中で小林はマルクスを挙げながら、「理論と実践」の違いについて語ります。
彼はマルクスの唯物論を一般解釈とは異なり、主観と客観が未分化の状態にある「あるがままの世界」と捉えます。
そして「理論」とは「あるがままの世界」から概念を抽出し、理論化したものだ、というのです。
彼の唯物史観は、現代に於ける人間存在の根本的理解の形式ではあらうが、彼の如き理解をもつ事は人々の常識生活を少しも便利にしない。(中略)大衆にとってかかる根本規定を理解するといふ事は、ブルジョアの生活とプロレタリヤの生活を問はず、精神の生活であると肉体の生活であるとを問はず、彼らが日常生活する事に他ならないのである。
要するに、普通一般の人々は日常の生活を送っています。これが「実践」です。
ところが、マルクスはこの「実践」から概念をとりだし「理論」を作り出しているというわけです。
これは私たちでも思い当たることがあるでしょう。
同じ仕事や習い事を何年かやっていると、あるとき「これは○○というふうにいえるのではないか」というふうに物事を大所高所から論じられるようになる瞬間がやってきます。
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これはフランスの文学者バルザックも同様であり、
「二人はたゞ異なつた各自の宿命を持ってゐるだけである。」と小林は述べています。
二人とも日常的「実践」から理論をうみだしているが、その「実践」が、人生の歩み=「宿命」によって異なるだけで、思考方式としては同様だよ、といってるわけですね。
さて、小林はこの「理論」には「個人」が必要だといいます。
「このバルザック個人に於ける理論と実践との論理関係医はまたマルクス個人にとつても同様でなければならない」と注意書きのように触れています。
この「個人」から独り立ちした「理論」は当然、他の人も自由に使うことができます。
ですが、その「理論」はその人個人が生み出したもでのはなく、借り物の理論です。
それが他人に使われるとどうなるか。
小林は人間が「理論」に支配されるようになるといいます。
これを「イデオロギー」とよぶのです。
諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなつてゐるではないか。正に商品の一形態となつて商品の魔術をふるつてゐるではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。(太字はズンダ)
つまり、理論通りでしか世の中をみることができない人間と化してしまい、そこには「その人の物の見方」が存在しなくなってしまうわけです。
借り物のレンズで世界をみる、という言い方がわかりやすいでしょう。
そして、その別名こそが『様々なる意匠』の「意匠」を指しています。
言葉による支配
さて、人は誰でも言葉を使っています。
最初に言葉が語られたという事実があつた。これは、精神が言葉に捕へられて、言葉に捕へられる事によつてのみ明るみに出たといふ光栄を語つてゐる(中略)人々は日常視る処をことごとく言葉に翻訳して、蓄積する。人々は言ふ。「言葉ではさうだらうが、実際はそんなもんぢやない」、と。では実際とは何者か。実は彼らは次の通りに言つたのだ。「その言葉は簡単だ、もっと複雑な言葉もある」と。(中略)人間精神は言葉によつてのみ壮大に発展できるのだが、この事実は精神が永遠に言葉の桎梏(ズンダ注:支配下にあること)の下にあることも語るものだ(『アシルと亀の子』)
要するにあらゆることは、言葉によってしか表現できないし、理解できないのです。
これが日常において「あるがままの世界」を表現する方法でした。
しかし、言葉は全てを言い尽くせるわけではありません。
私たちが「筆舌に尽くしがたい経験」をしたときに、それは特に感じるのではないでしょうか。
失恋の痛みや親族の死などを言葉を以て表現しろといわれても、その本当の痛みや悲しみを他者へ伝えることはできません。
言葉は完全に何かを伝えきることはできない。
そしてそれが、言葉をもって語られる「理論」の限界だというのです。
先ほども述べたように「理論」は「実践」から概念をとりだし「抽象化」したものでした。
しかし、「あるがままの世界」は常に変動しつづけますから、私たちは「ある部分」を切り取るしかありません。
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「文体」はその人を表す
では、どうすれば現実をきちんと描写できるのでしょうか。
小林は次のようにいいます。
現実といふものは、それが内的なものであれ、外的なものであれ、人間の言葉といふ様なものと比べたら、凡そ比較を絶して豊富且つ微妙なものだ。さういふ言語に絶する現実を前にして、言葉といふものの貧弱さを痛感するからこそ、そこに文体といふものついていろいろと工夫せざるを得ないのである(「疑惑Ⅰ」)*5
だから人間世界では、どんなに正確な論理的表現も、厳密に言へば畢竟文体の問題に過ぎない、修辞学の問題に過ぎないのだ。簡単な言葉で言へば、科学を除いてすべての人間の思想は文学に過ぎぬ。(「Xへの手紙」)
つまるところ、こういうことです。
人の世界は複雑
↓
言語では世界を表現しきれない
↓
しかし、言葉からは逃げられない
↓
それなら、言葉を工夫することで世界を語れば、もっと微細なことも表現できるのでは?
↓
「文体」をいじくること
↓
人の思想は煎じ詰めると「文学」だった。
要するに私たちは言葉で表現することで生きています。
言葉を扱い、それを彫鏤して様々なことを表す。
それって結局は文学者がやっていることと同じなのではないか。
というわけですね。
ですから、小林秀雄は自分の文も鍛えるはめになったわけです。
彼は次のように自身の履歴をふりかえっています。
評論を書き始めて暫くした頃僕は自分の文章の平板な点、一本調子な点に次第に不満を覚えて来た事がある。努めて同じ問題をいろいろな面から角度から眺めて、豊富な文体を得ようとしたが、どうしたら得られるかわからない。(中略)だんだんやつてゐるうちに、かいうふ諸短章を原稿用紙に芸もなく二行開きで並べるだけで、全体が切籠の硝子玉程度の文章にはなる様になった。(中略)一と息でいろいろの面が繰り延べられる様な文が書ける様になつた。
といい、複雑な世界を表現するために文体を凝らざるを得なかったと説明しています。
一般に小林秀雄の文章は何をいっているのかわからない、といわれることが多いのですが、こうして彼の思想を追っていくと、現実世界の複雑さをあらわすために詰屈聱牙な文になってしまったということです。
更に、「文体」の価値が理解できない人に対して小林は次のようにいいます。
文体の工夫など必要としないと言ふ思想家にとつて、必要でないものは、実は文体の工夫ではなく、寧ろ現実の豊かさなのだ。実際に物事にぶつかり、物事の真の複雑さに眼を据ゑる必要がそもそもないのだから、言葉の貧しさを痛感する必要も従って生じないわけなのである」(「疑惑Ⅰ」)
と痛烈に批判しています。
現実を受け取る力が低い人というのは、現実が単純で平板なものにしかみえないから、言葉の力が足りていないことに気がつかない。
貧弱な現実認識には貧弱な言葉がお似合い、というわけです。
個人の思想と非人格的なイデオロギー
ここまでくると「理論」には「個人」が必要であることもわかってきます。
というのも「理論」を描けるのは複雑な世界をあらわせる才能ある「個人」の「文体」が要るからです。
そしてその「個人」の「文体」は誰にでも真似できるわけではない。
天才にしか無理なのです。
ですから、著名な作家は各々に文体をもっているわけですね。
それは私たち、一般人にはとても真似できないような特殊なものです。
彼らは自分たちのみている複雑な世界を描写するために「文体」をうみだしたのでした。
ですが、彼らの文体、彼らの思想を猿まねしているだけの人たちにはその才能はありません。
すると、どうなるか。
そうです、「イデオロギー」の奴隷になるのです。
イデオロギーそれ自体は、天才によってつくられた理論です。
しかし、その思想は個人の思いとは別に独り立ちし、社会を支配し始める非人間的なものになります。
「Xへの手紙」の中では小林は次のようにいっています。
俺達は今何処へ行つても政治思想に衝突する。(中略)政治の取扱ふものは常に集団の価値である。何故か(この何故かといふ点が大切だ)。個人の価値に深い関心を持つては政治思想は決して成り立たないからだ。こゝにこの思想の根本的な或は必死の欺瞞がある。(中略)併(しか)し俺が俺のこの唯一の思想にたよつて政治といふものの性格を嫌悪するのを誰も妨げまい。
政治は個々人の思想を慮ることはできません。
大量にいる人々の生活を守るのが政治ですから、利害調整が必要になれば、誰かを守り、誰かを切り捨てるのは当たり前のように行われます。
よって、政治はどうしても非人格的な思想を元手に動きます。
これがイデオロギー的だというわけです。
小林秀雄は政治嫌いではない-政治と文学との一体-
小林秀雄はこの非人格的な態度を嫌っていました。
しかしながら、それは小林の政治からの逃避ではありません。
中野氏は「小林は、政治ではなく、文学の任を担おうとしたのであって、政治の任に当たる者を否定したわけではない。小林が拒否したのは、あくまで、危機という現実から目を逸らさせるためにイデオロギーを利用するような政治である。」(太字はズンダ)と指摘しています。
事実、小林は「年末感想」の中で政治への希望と文学者としての自分の仕事とを表明しているのです。
外的無秩序を改変しようとする人間の希望を尊敬しよう。又この希望に色どられた精神を透して外的無秩序を点検する人達を尊敬しよう。(中略)だが、精神を精神でぢかに眺める事、いかなる方法の助力も借りずに、精神の傷の深浅を測定する事、現に独創的に生きてゐる精神で、精神の様々な姿を点検する事、一言でいへば最も現実的な精神の科学、この仕事を文学にたづさはる人々がやらないで誰がやるか。
と書いています。
小林は政治ができることは政治にまかせながらも、自分たち文学者ができるはずの精神の問題に集中すること宣言しているのです。
マルクスは明瞭に且つ繊細に語つてゐる。
「人間は文字通りの政治的動物だ。単に社交的動物であるのみならず、社会においてのみ個別化され得る動物だ」と。社会においてのみといふ主辞に重点を置いて一つの表現が成り立つ。個別化され得るといふ賓辞に重点を置いて又別の表現が成り立つ。(年末感想)
これを中野氏は「社会においてのみといふ主辞」を社会科学だといい、「個別化され得るといふ賓辞」を文学であると説明しています。
そして、そのどちらも現実への表現が各々の宿命によって異なっているだけであり、どちらも表裏一体の存在なのです。
ここからも、小林が政治を無視していない。小林の文学には政治が意識されていることがわかります。
そうです。科学以外のものはすべて「文学」なのです。
私たちは言葉に支配され、それぞれの個性や天分に応じて、修辞を駆使し、何かを表現している。
そうである以上、その根底には常に「文学」の層があるといえるのです。
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またこの考えが、政治思想的な作家であったドストエフスキーへの傾倒や戦争論、自由論へとつながってくのでした。
終わりに
今回は第一章の紹介をしましたが、この一章目の内容が第七章までを貫通しているのが『小林秀雄の政治学』の内容です。
いってしまえば、それは『様々なる意匠』から晩年の『本居宣長』まで小林の思想は変わることがなかったということでした。
「処女作にはその作家のすべてがある」とはよくききます。
作家は文壇にでて以降、どの作品をかいても「処女作」と根底部分が変わることがないという意味です。
小林自身も数学者の岡潔との対談で「どの作家も二十代以降、思想がかわらない」という発言をしています。
これは彼自身にも当てはまっているのです。
小林の『様々なる意匠』は当時、マルクス主義が全盛していた日本の知識人階層への批判でした。
それゆえ、小林秀雄全集を読むとわかることがあります。
小林は基本的には知識人批判をずっとしているのです。
それに対蹠するのが「庶民」でした。
彼は日常生活を「実践」している「庶民」を高くかっており、「イデオロギー」でしか物事をみることができなくなってしまった知識人達を否定します。
一方で「実践」を「理論化」できた天才を認めています。
それは小林が天才について語った一節からもわかるでしょう。
天才とは努力し得る才だ、といふゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されてゐない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもさうあつて欲しいのである。天才は寧ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るといふ事が屢々起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌ふからだといふ事にならう。自由な創造、たゞそんな風に見えるだけだ。制約も障碍もない処で、精神はどうしてその力を試す機会を摑むか。何処にも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだらう。それが凡才には適わぬ。抵抗物のないところに創造といふ行為はない。これが、芸術に於ける形式の必然性の意味である。(『モオツァルト』)(太字はズンダ)
イデオロギーの危険性については前回の記事の「終わり」でもみたとおりです。
「男が悪い」というイデオロギーをもった人々は「女が悪い」という部分をみようとはしません。
私たちはどうしても信じていたい物の見方があります。
他人の思想を借りてみてしまいがちなのです。
その思想、イデオロギー通りに世界は動いている!と思ってしまうと、どんどん現実は遠ざかっていきます。
そのイデオロギーは動く世界の一部を切り取ったものでしかないからです。
移りゆく世界をたしかに捕らえる方法は、「実践」とその人の思想しかないからです。
そしてそれは、常に試して、常に思想にしていく行程の繰り返しなのです。
小林はまさにそれをデビュー当時から書いていた人物でした。
では、またお会いしましょう。
ズンダでした。
もしよろしかったら、ブックマーク&読者登録をおねがいします。
励みになります。
*1:※小林秀雄は哲学者である田中道太郎との対談で、はじめてイギリスの保守政治家エドマント・バークの名を知り、「なら、僕は保守主義者だ」と述べている。
*2:※ちなみに、この本の中で中野は小林秀雄を保守主義者と呼んでいない。というか、この本は保守主義の喧伝をあからさまには謳ってはいないのである。元来、日本の保守主義者は小林秀雄や福田恒存に依拠し、保守とは何かを語ってきた。彼らとの違いが私ズンダにとっては面白かった。この読後感は中野剛志『保守とは何か』と同様であった。中野は保守というよりもナショナリズムやプラグマティズムといった【この世界に存在している仕様が無い現実】を重大視し、それを基に政治や経済を語る傾向がある。
*3:※このブログでいうと、「スプラトゥーン2」というゲームがいい例である。数千時間もやると「スプラとは○○である」といった抽象的な言い方が可能になる。はじめて一時間程度の人間には到達できない境地だろう。
*4:※この辺り、「現代民主主義」の記事で紹介したラクラウやムフの「結節点」の話と同じである。
*5:※それゆえ、和歌や漢詩などの表現があり、そこに更に細かな技法があるわけですね。これも天才たちによる現実を伝えるための表現方法なのです。)
*6:※ここら辺、レイヤーという考えを導入するとわかりやすい。youtubeなどでOBSを使い、放送をしている人にはわかりやすいだろう。
たとえば、神崎宣次「進化論と功利主義の道徳論」(『世界哲学史7』)ではベンサムやミルの功利主義について説得力を増すために、進化論的・生物学的な基盤を下位のレイヤーを道徳論に挿入することをすすめている。
個人的に、このレイヤーを入れるという考えは便利である。
現在発売中の『ナショナリズムの美徳』(東洋経済新報社)に於いても、たとえば進化心理学をレイヤーとして挿入すれば、ナショナリズム論はもっと説得力がでてくるだろうと推する。