こんにちは、ズンダです。
終戦記念日の八月十五日も瞬く間に過ぎ去りました。
大東亜戦争についての実証研究は進んでおり、今年も戦争関連の本は何冊も刊行されました。
ところで、「なぜ戦争をしたのか」や「どういう作戦だったのか」について言及した本は多いのですが、「戦争はどうやって終わるのか」に焦点をあてた本が少ないと思ったことはありませんか?
今回紹介する本、千々和泰明『戦争はいかに終結したか』(中公新書)では正にその部分に搾った解説がなされています。
この記事では序章と終章をまとめて、戦争はどうすれば終わるのかについて説明します。
では、はじめましょう。
戦争は何のためにするのか?-利益がないと始まらない終わらない-
「戦争終結論」の研究は少ない
まず知っておきたいのは、戦争終結論に関する研究はあまりないということです。
「戦争はいかに終わるのか」についての研究、つまり「戦争終結論」は、量的にも少なく、まだまだ発達途上の研究領域である。(中略)防衛省防衛研究所が二〇一五年に「歴史から見た戦争の終結」をテーマにした国際会議を開催し、その報告書が公刊されているのが唯一の例外である。海外の研究の邦訳さえ、フレッド・イクレ(桃井による)、ギデオン・ローズの研究、あるいはゴードン・クレイグとアレキサンダー・ジョージによる著作の該当部分ぐらいしかないのが実状である。
というように諸外国でも「戦争終結論」は発達段階にあるようです。
戦争終結の要因は4つある
・パワー
・構造的なパワー・バランスの変化
・妥協
・紛争の根本原因の除去
これら4つが別個に戦争終結に関わるとされてきました。
しかし、ここに「関係性」の問題があると著者の千々和氏はいっておられます。
つまり、この4つは戦争中に常に揺れ動くものだということです。
イクレが、「恒久平和を確立する希望のもとに長期戦を図るか、それとも戦争の早期終結のため不満足でも解決策を受け入れるか」と述べて、このような緊張関係を示唆していた。
戦争は優勢なほうが戦争終結の主導権を握っています。
その際、優勢側は次の二つのことを検討しています。
①紛争原因の根本的解決(カルタゴ的平和。ローマはポエニ戦争で勝利し、カルタゴを根絶やしにしました。)
②妥協的和平(交戦相手の要求の丸呑み)
①は相手を完全に屈服させる考えですが、これは自国に相当な被害が来ることが予想されます。
そのため②をとろうとしますが、これも将来の禍根を残す形で終わるので、完璧な解決には至りません。
これを「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」といいます。
現実ではこの二つのどちらかを取るというよりも、中間形態をとって戦争は終結しています。
そして現代の戦争においてはカルタゴ的な解決はまず考えられないでしょう。
未来を考えるか、現在を考えるかで終結の形は異なる
均衡点を考えて、終結を迎戦争戦争
①と②との違いはなんでしょうか?
それは「現在」と「未来」との違いです。
①は相手を根絶することで「未来永劫の平和」を達成できます。しかし、「現在」の犠牲は大きくなります。
②は妥協することにより「現在」の犠牲を少なく出来ますが、代わりに「未来」まで問題が続きます。
現在をとるか、未来をとるか、難しい問題ですよね。
ここに戦争指導者達がなかなか戦争を終わらせることのできない理由があるのです。
「未来」と「現在」のどちらを重視すればいいのか。これはそのときの戦局の推移によって決まります。
さて、ここから戦争終結の3つのパターンが導き出されます。
引用します。(太字と下線部はズンダ)
第一に、優勢勢力側にとっての「将来の危険」が大きく「現在の犠牲」が小さい場合、戦争終結の形態は「紛争原因の根本的解決」の極に傾く。第二次世界大戦で連合国は、ナチス・ドイツの「将来の危険」を根絶すべく、「現在の犠牲」に目をつむってでも「紛争原因の根本的解決」の極、つまりドイツの無条件降伏を勝ち取るまで戦った。
第二に、逆に優勢勢力側にとっての「将来の危険」が小さく、「現在の犠牲」が大きい場合、戦争終結の形態は「妥協的平和」の極に傾く。湾岸戦争で多国籍軍側は、フセイン体制の「将来の危険」を低く見積もり、逆にバグダッド進軍がもたらす「現在の犠牲」に敏感であったため、フセイン体制の延命を許すような「妥協的和平」の極に傾いた戦争終結形態を選んだ。
第三に、優勢勢力側にとっての「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗する場合、戦争終結の形態は不確定となる。この場合、劣勢勢力側にとって相手側に付け入る隙が生じる。優勢勢力側は、劣勢勢力側の反応を見極めて均衡点を選択することになる。
太平洋戦争で日本は徹底抗戦を続けたため、アメリカは「紛争原因の根本的解決」の極に近い決着を求めながら、「現在の犠牲」を恐れて無条件降伏政策を修正した。ただし妥協しすぎると日本側のさらなる要求を呼び起こすことになり、「将来の危険」が除去できなくなる。その結果、対日降伏勧告であるポツダム宣言はあいまいな内容となった。
一考すると、優勢側が①である「紛争原因の根本的解決」のみを選ぶように考えがちですが、優勢だからこそ彼らは②の選択(湾岸戦争が例)も選べる余裕があると著者は指摘しておられます。
日本の戦争はどうであったか
アメリカと戦争中の日本の状態を学校などならうときに「どうして、日本は負けるとわかっていたのに戦争をはじめたのか?どうして戦争を早く終わらせられないのか?」という話を聞いたことがありますよね。
しかし、今まで説明してきたように戦争の終結はそのときどきの戦局によって3つのパターンが有り得ます。
そして、第三のパターンに属する大東亜戦争において、戦争中優勢勢力であったアメリカ側や劣勢側日本にとっての「都合」が存在していたわけです。
それゆえ、どっちか一方が「戦争をやめたい」と思っても、止むわけがありません。
それを決めるのはそのときの戦局であり、多くは優勢勢力側なのです。
劣勢側は何を決断できるのか
ここまで述べてきたように、戦争終結は勝者側によって決められています。
敗者側ができることは次のようなことのみです。
優勢勢力側が「将来の危険」よりも「現在の犠牲」を重視し、「妥協的和平」の極に傾いているときは、劣勢側であってもパワー要因にもとづき、相手に対してここで譲歩するか、それとも譲歩を拒否してさらなる犠牲を受け入れるかを迫ることができる場合がある(アメリカはさらなる犠牲を避けて朝鮮休戦協定とパリ協定の条件を受け入れた)
ここで劣勢勢力側が考えなければならないのが、自らの損害受忍度についてである。チャーチルのイギリスは民主主義のため、ハノイは民族の独立のために、「現在の犠牲」に耐え、成功した。日本も、国体護持のために損害を受け入れたが、結局は耐えきれず、しかも損害受忍度の高さを核攻撃とソ連参戦で相殺されることになった。(下線はズンダ)
要するに鍵となっているのは、どれだけ自分たちが相手国からの攻撃に耐えられるかというだ「損害受忍度」だけなのです。
これこそが劣勢国が持ち出せる唯一の武器です。
この受忍度が高ければ高いほど、優勢国側は相手をたおすのに時間や労力が多くかかるようになり、苦戦します。
もちろん、いくら優勢とはいえ、自国の兵士が死んでいくことはかわりありません。
長引けば長引くほど、世論や国際情勢の変化に伴い、どこかで戦争をやめたくなってきます。
上記のニュースも戦争ではありませんが、アフガニスタンにどこまでアメリカが介入しつづけることができるのか。その負担には必ず限界がおとずれ、どこかで終わらせなければなりません。
つまり、自分たちの戦争目標と国民の被害とを秤にかけて、どこで折り合いを付けるかを考えるわけですね。
日本の場合は、まさに国体護持、天皇が処刑されずに済むかどうかという点でした。
そして、天皇が守られるという確信を得た後に日本はポツダム宣言を受け入れることにしたわけです。
↓日本の戦争について簡便な新書が新潮新書から出た。
『決定版 大東亜戦争』という上下二冊の本である。
今回の本と併せて読んでいただきたい。
・ポツダム宣言受諾までの道のり。国体護持は可能なのか。
・なぜ「大東亜戦争」、「太平洋戦争」、「十五年戦争」、「アジア・太平洋戦争」などという名前があるのか。
・総力戦の遺産
といった大東亜戦争における最新の研究が反映された本である。
正直、ちくま新書の「歴史講義シリーズ」と瓜二つだが、こちらのほうが一人の著者が書いたページ数が多く、また扱われていない内容もあるので、面白くよめるはず
とくに、大東亜戦争の呼び名の変遷から、「結局のところ、大東亜戦争でいいんじゃないの?」という結論は至極納得のできるものであった。
終わりに
この本には
「第一次世界大戦」
「第二次世界大戦〈ヨーロッパ〉」〉
「第二次世界大戦〈アジア太平洋〉」
についてかかれています。
本記事をお読みになり概略を理解したあなたは、本書を買うことで、これでまで語られることのなかった「戦争終結の論理」について具体例を通して理解されることでしょう。
これは現代や戦前日本の戦争を理解するだけではなく、どうすれば戦争を防げるのか?や戦争をどうすれば早く終わらせることができるのか?という問いに対しても有効です。
というのも、何らかの目的なしに戦争などわざわざやらないからです。
戦争終結の論理は常に当事者同士の思惑や着地点によって変動しており、その目標が達成されると確認がとれた時点で、戦争は終わるからです。
となれば、決着がつくための論理を知っておくことは平和への第一歩だとおわかりになるでしょう。
以前私ズンダは、紛争についての本を紹介しました。
こちらの記事、未だに読まれておりますが、今回の記事と一緒に読めば、こうした戦闘行為を防ぐための糸口になるかもしれません。
では、またお会いしましょう。
ズンダでした。
※ちなみに本書を読んでつくづく思ったのは、アメリカの日本支配がうまくいったのはアメリカの方が合理的だとか優れていたとかそういう問題ではなく、運がよかっただけにしか思えなかったということである。他国との戦争ではアメリカはことごとく戦争終結において失敗しており、戦争による旨味がわからなくなっている。
このあたり、大東亜戦争研究者の本だけを読んでいると、見落としがちな目線だとおもう。
↓ほかの歴史系の本を紹介した記事です。
よかったら、どうぞ。読んでみてください。どの本も面白かった。