皆さんは、中学校や高校時代、制服を着ていましたでしょうか。
それとも、私服でしたか?
襟詰めやブレザーやセーラー服など、最近ではブランドと学校側が一緒に組んで衣装を凝らした制服が各地で増えています。
今日はそんな制服の歴史と変容とを書いた新書『学校制服とは何か その歴史と思想』を紹介します。
今回はこの本の第六章「制服の思想」をみていきましょう。
この章は1960年代から2020年まで、学校や生徒が制服をどのように捉えていたのかを説明しています。
制服は管理社会の道具
今とは異なり着づらい服であった
まず、一九七〇年代までの制服とはどんなものであったか。
筆者は次のように語ります。
年配の方であれば、思い出してほしい。制服はえらく不便なものだったはずだ。1970年代までの男子詰襟と女子ブレザーまたはセーラー服は身体との親和性が高いとは言えなかった。つまりムリヤリ着こなさなくてはならず、機能性がたいそう悪かった。詰襟を着たまま小走りするだけでも息が苦しくなる。応援団の練習風景が苦行に見えるのはもっともなことだ。女子ブレザー、またセーラー服も屈伸しただけで締め付けられ痛みが走る。
そう、昔は制服とはゴワゴワしてかたく、柔軟性の欠けた洋服だったのです。
平成の 30 年間(1989~2019年)、制服メーカーは著名なデザイナー、服飾メーカーと提携を結び、ファッション性が高い制服を世に送り出してきた
これらの服は、進学実績や人気度が下がってきた中学校や高校が復活を遂げるために、制服を刷新したり、あるいは私服から制服へと方向転換したことで着やすいものへと変わっていきました。
このあたりのことは、本書に詳しく書いてあります。
第2章 制服誕生の舞台、
第3章 制服自由、伝統校の矜持
第4章 制服復活で学校リニューアル
※実は第六章を読むためには他の章を読んでいないと流れが掴みにくいことをここで述べておく。
制服は管理的という考えが六章では展開されるが、他の章を読むと管理だけではない様々な理由があって制服は復活したり変更したりしている。
それゆえ、著者も後書きで次のように書いている。
制服にはさまざまな思想が内在する。文化(最先端の流行、風俗)、政治(管理、統率のツール)、経済(格差の顕在化)、社会(犯罪、安心と安全)、科学(品質の技術革新)などだ。そういう意味で、これほど魅力的でおもしろいテーマはない。
1960年代後半の高校闘争により、制服廃止へ
一九六〇年代後半、高校闘争があった。
学生運動の影響を受けて、高校生達が自由と自主性を訴えて、「制服を廃止しろ」という運動を起こす。
制服は軍隊と同じく規律や服従を子供たちに植え付ける服であり、戦後民主主義の価値観にそぐわない服である。
よって、高校生は私服による登校を学校、教師に求めた。
制服は戦前の軍隊や封建制的な日本社会を思わせるものであり、個性や人権にそぐうために、廃止されるべきであるとの論調がこの頃にはありました。
制服は生徒管理の象徴。これは1960年代の生徒による制服廃止運動で掲げられたスローガンだった。
生徒が管理と受け止めたのは、学校側が規範とする高校生像に強く反発したからである。制服や頭髪といったヴィジュアル面での規制、登下校時に飲食店への立ち寄り制限、男女交際の禁止、アルバイトの禁止など、生徒の生活面での厳しい校則を見直すように求めた。
地方都市では、学校から帰宅してからも、買い物に出かけたり友人宅に訪問したりするなど理由のいかんは問わず外出時には、制服着用を義務づける高校もあった。いまでいえば、ブラック校則といっていい。
つまり、当時の一部の人々にとって制服とは束縛の象徴であり、自由と民主主義に反する服としてみられていたのです。
↓この高校闘争については小林氏が中公新書で詳述しておられます。
この運動で制服を廃止した高校は一部でした。
1970年代以降の制服ースケバンやヤンキーの登場
制服自由化は北海道、東京、長野では「普及」したが、その他の地域では広まらなかった。たまたまなのか、制服メーカーが集中する岡山など中国、四国、九州、沖縄地方ではまったくといっていいほど、私服で通学する高校生は見かけなかった。
1970年代半ばから後半、制服自由化を訴える高校生が姿を消す代わりに、制服着用というルールは受け入れるがルールにのっとったお定まりの制服では満足できない層が現れた。
制服廃止運動をなくなりましたが、今度はその制服を着崩す人たちがでてきます。
一九七〇年代になるとスケバンやヤンキーなどがでてきます。
セーラーなども性的な要素を含んだポルノ映画のタイトルなどにもなってしまいます。
学校側としては印象が悪いために制服をブレザーに変えていきました。
頭がよくない人たちは制服を着せておかなければならない
「服装の乱れは心の乱れ」とよくいわれますね。
教育者の中には偏差値の低い学校で私服をゆるすと、風紀紊乱な格好をする人ばかりになってしまい、学校の規律が乱れると危惧する声があります。
都立蒲田高校の校長はこう話している。 「服装の自由化は、生徒や先生の質がよほどよくないとむずかしいですね。自覚のきちんとした子は何を着ても大丈夫だが、意識の低い子もいますから。人間、モーニング着れば変なところには行かないものです」(朝日新聞1978年4月 17 日)
当時の校長の話にも〈生徒の質〉という言葉がでているように、この質とは
著者にいわせると、生徒の頭のよさです。
高校闘争において制服自由化を得ることができたのは優秀な高校ばかりでした。
札幌南、秋田、仙台一、仙台二、筑附、筑駒、国立、西、戸山、麻布、武蔵、女子学院、桐朋、長野、松本深志、旭丘、甲陽学院、灘、修道は、1960年代後半~1970年代前半の高校闘争で制服自由化を勝ちとった学校なので、この必要条件にしっかりあてはまる。 こんな見方もできる。
制服自由化という権利を得られるのはエリート集団に限る。私服で通学できるのは灘、筑駒、麻布などの「特権階級」だけ、ということだ。
ウラを返せば、成績も実行力も指導力もパッとしない学校が制服自由という恩恵を受ける資格はない。(中略)そこには、生徒への不信感がある。勉強ができず不良っぽいヤツは制服を着させて管理しなければならない。
バカは制服によって管理される必要がある。
そうでなければ乱れた淫靡な格好をしはじめる。
という考えをを小林氏は指摘しています。
今もですが、昔からこういった考えはあったのです。
子供たち自ら制服を着ることを望む時代になっていたーかわいい制服ー
時代は変わって二〇〇〇年代になると、高校闘争は遙か昔。
若者達は制服を規律や管理社会の特徴としてみることはなくなり、自ら制服に身を包むことを好むようになります。
高校生は造反することをやめ、学校や社会のありように興味をもたなくなった。1970年前半ばから1980年代前半にかけてのことであり、高校生は三無主義、五無主義(無気力・無関心・無責任。それにプラス無感動、無作法)と批判され、「しらけ」世代とも呼ばれた。
というように、高校生は学校や社会に反旗を翻すことはなくなり「しらけ」世代と呼ばれるようになりました。
時代が変わると、少子化による進学者の減少やその学校の雰囲気を変えるために、制服が復活します。
少子化への対応あるいは進学実績を高めて「名門校」に生まれ変わるためには、生徒に選ばれる学校づくりが必要となり、そこでは、生徒に選ばれる制服を意識せざるを得なくなった。どんな制服か。俗っぽい言葉でしか言い表せないが、かわいい、かっこいいデザインである。
斯くして生徒らは自分たちで「かわいい」制服のある学校を志望し、かつては管理の象徴であった制服を纏うようになったのでした。
制服の思想において、かわいいという生徒の感受性が、指導という名の管理を駆逐してしまった瞬間
とはいっても、当然、制服の着方に関しては一定の決まりがあります。
やはり管理教育はどこまでも続いているのです。
制服モデルチェンジしてからは、それを厳しく守らせるようにする。「うちの生徒は制服が好きでこの学校を選んだ」と受け止める学校のなかには、かわいい制服なのだからそれに従いなさいと言わんとばかりに、変形させたら口うるさく指導する、スカート丈は毎日しっかり点検する、少し前ならば腰パンに近いかっこうをすれば着替えさせる、など厳しく管理するところは少なくなかった。
学校から腰パン、ミニスカートを追放するためである。
「服装の乱れは心の乱れ」神話は、学校にとってはまだまだ有効に作用した。制服メーカーには変形できない、スカートを短くできない素材、デザインを求める声はずいぶん届いている。
新しい管理の仕方ー大人しくなった子供たちは何故ふえたのかー大学進学と内申書
2010年代に入ってから、制服の着こなしに少しずつ変化が見えてきた。 街で腰パンや極端なミニスカートなど、制服を着崩している不良、非行少年少女の姿がめっきり減ったのである。
2010年代の変化は私たちもみていてそうかんじませんか。
若者の服装は小綺麗で、90年代後半やゼロ年代までのような放埒さがあり感じられません。
※ただ私ズンダはここ最近、ミニスカートがまた流行始めていると思っている。
不景気になるとスカートの丈が短くなるとよくいわれるが、そういうことなのだろうか。
子供たちになにがあったのでしょうか。
著者は次のようにまとめておられます。
(1)学校や親に反抗する生徒が少なくなった。素直で良い子が増えた。校則は守らなければならないという遵法意識が高い。保護者の子育てが行きとどくようになった。
(2)着崩しすることが流行の最先端とは思わなくなった。制服はこのままでも十分にかわいい、とみる。
(3)経済的に余裕がなくなった。着崩しのための制服変形にかける金がない。勉強、部活動、アルバイトに忙しく、繁華街を着崩した制服姿でうろうろすることはなくなった。
(4)学校推薦型選抜入試(推薦入試)、総合型選抜(AO入試)対策として着崩しはせず、まじめなかっこうで学校に通う。 管理されることに抵抗がなく、学校の指示には従う、かわいい制服が大好きで、着崩しはださいという見方はそれなりに合理性がある。
この中でもっとも主要な理由として小林氏は(4)をあげておられます。
最近、学校推薦型+総合型の入試入学者の比率が高まっている。
2000年33・3%、08 年 43・4%、 17 年 44・3%だ。
大学別で2007年と2017年を比べると、早稲田大は 33・9%から、 39・5%、慶應義塾大は 14・9%から 18・7%に増えている。青山学院大、学習院大、上智大、立教大は4割を超えている。
というように学校での内申書を重視した大学受験合格者が急増しているのです。
これは文科省が「入学者選抜において受験生の資質や能力などを多面的、総合的に評価する」ことを推し進めたからだといわれています。
この結果、受験生は学力以外もみられるようになったのです。
よって、制服の着崩しはあまりみられなくなったのです。
皆様の知っての通り、大学進学率は増加傾向にあります。
大学進学率(四年制)が高まり、これまでに大学に進まなかった層が大学で学ぶという背景もあった。大学進学率の推移は、1990年 24・5%、2000年 39・7%、2010年 50・9%、2019年 54・6%となっている。
1990年代の二倍が大学へいくのですから、昔と今とでは生徒の考え方にも違いが出てくるのはあたりまえかもしれません。
当時の人々にとっては高校が社会に出る前の最大の遊び場だったともいえましょう。
終わりに
今回は制服の思想と歴史についての新書を紹介しました。
約一ヶ月ぶりのHP更新でして、読者の皆様にはもうしわけなくおもっております。
やや忙しかったのとyotuubeのほうに力をいれていたので、更新する暇がありませんでした。
今回の本はジャーナリストの小林氏による本です。
学者とは異なり、ジャーナリストによってかかれたものは、やや資料の羅列に陥りがちで、この本もその弊害を逃れてるとはいいがたいです。
学校への取材や当時記された小冊子の引用などは豊富ですが、いまいち「制服とは何なのか」は剖析されていないようにおもえます。
この辺りがやや物足りなかった。
しかしながら、制服変更の理由や結果などに興味のある方にとってここまで詳しく書かれた新書もないので、価値があるといえるでしょう。
ぜひお手にとってみてください。
では、またズンダでした。
目次
第1章 制服モデルチェンジの論理
第2章 制服誕生の舞台裏
第3章 制服自由、伝統校の矜持
第4章 制服復活で学校リニューアル
第5章 制服を作る側の戦略
第6章 制服の思想
*1:※しかし、私ズンダが思うに、たった数年間しか反旗の時代が続かなかったのだとすれば、単なる流行の域をでていないのではないでしょうか。
その根底に深い思想などなく、大学生が騒いでいるから自分たちも騒いでやろうという野次馬根性に似た流行病でしかなかったようにおもえます。
深甚なるものを認めることができるでしょうか。